ハマちゃんのひとり言

鉄道と地図を趣味とする、元地図屋さんだった団塊人です。

急行待避ホームが完成間もない頃の上大岡駅!

2014年01月05日 | 鉄道


現在の京浜急行は終戦を挟んだ6年間東急電鉄時代から昭和23年独立し、社名を戦前の京浜電鉄から京浜急行電鉄と改称し新たなスタートを切りました。その直後から会社は戦後の戦略をにらみ、上大岡駅の急行待避駅化を決定しました。この大規模な駅改良工事は昭和26年の10月に完成し、現在の様な上下二本の急行待避ホームが作られました。ここに二枚の上大岡駅構内を写した写真がありますが、この写真は待避ホームが完成した間が無い昭和27・28年頃の写真だと思われます。

【のどかな雰囲気な昭和27年頃の上大岡駅上りホーム】 (渋谷祐弘氏所蔵写真より)

一枚の写真には広々とした空に入道雲が浮び、暑い盛夏の昼下がり日傘を差したご婦人と子供がのんびりと、人影の少ない上大岡駅ホームを歩いている姿が写っています。写真は上り3・4番ホームを構内踏切から撮影したもので、階段下通路部分の木柵が未だ劣化が少なく工事竣工後からそれ程年月が経っていない事が判ります。またホーム上の屋根部分は中央部のみです。ホームの照明は裸電球が数個ポツンとあるだけのローカル色豊かなのどかな駅だった様です。

【京急550系準急「浦賀」行き電車 :左側に煙突が「大見湯」の建物】 (渋谷祐弘氏所蔵写真より)

また一枚の写真は上記写真と同じ上りの構内踏切から撮影したもので、ちょうど下り電車が上大岡駅の到着する直前の写真です。線路が左右に分岐し各駅停車の電車が待避できる様になっているのが良く判ります。電車は昭和27年4月から登場した550系で、赤と黄色のツートンカラーに塗られていた車両です。先頭車に付いている行先表示板には◇マークがあって、そのヘッドマークは昭和25年4月から昭和29年7月まで運行された「準急電車」の様です。写真左側の線路沿いに煙突を持つ大きな建物が写っていますが、これは昭和5年に湘南電鉄が開通する前から営業していた銭湯の「大見湯」で、上大岡の街のランドマークです。現在ここはソフトバンク上大岡営業所があるビルとメガネドラックの間にある吉田ビルとなっています。

(追記)

終戦直後の昭和20年秋にこの「大見湯」でデビュー前の美空ひばりが美空和枝として、この「大見湯」で歌った事が伝えられています。当時銭湯は燃料がなく営業できなかったそうで、浴槽にフタしてその上で歌ったそうです。この上大岡地区は空襲にもあう事が無く、またひばりの実家がある滝頭には山一つを超えるだけと比較的近かった事も幸いしたのかもしれません。