ハマちゃんのひとり言

鉄道と地図を趣味とする、元地図屋さんだった団塊人です。

鎌倉ハムは「大船軒」が始めた会社だった!

2012年05月26日 | 街で見つけた物

昨日久しぶりに大船の県立フラワーセンターに出かけて来た。小雨が降るあいにくの天気ではあったが、園内は幼稚園の遠足の子供達や時間を謳歌している熟年者達で混雑していました。帰り大船駅までの道すがら横道に入ってみたら、そこにレトロな建物を発見!何かと思いましたらその建物は大船駅の「鯵の押し寿司」として有名な「大船軒」の社屋でした。建物下の道路沿いに洒落た小さな看板があって、そこには「茶のみ処 大船軒」と書かれていて喫茶店的なお店が中にある様で建物の内部を見たい事もあり、さっそく入ってみる事にしました。

【偶然見つけた歴史的建造物の「大船軒」社屋:階段を上った一階に「茶のみ処 大船軒」がある!】

これは昭和6年建てられた当時では珍しい鉄筋コンクリート造りの建物で「大船軒」の本社・工場として使われていたものだそうでした。建物の中は当時の面影をそのままに生かし、事務室だった部屋を使って喫茶室として再利用したもので、窓を大きく取り、い天井の開放的な作りが実に人間の居心地の良い空間で、お茶を美味しくいただいて来ました。

【部屋の中には戦前の事務所時代の写真が展示されていて、往時を忍ぶ事ができます!】

部屋の中に掛けられた額にあった「大船軒」の歴史を読んでおりましたら、創業者のお名前が「富岡周蔵」と書かれていました。そこで思い出したのがハム会社の名前でした。その名前はを「鎌倉ハム富岡商会」と言い、歴史ある名門のハム会社として有名なお店です。その”富岡”の名前が同じであったので、喫茶室の人にもしかすると鎌倉ハムの富岡商店と関係があるのですかと聞くと、なんと「大船軒」の創業者が「富岡商店」を作ったとの事でした。

【昭和6年完成直後の当時としては超モダンな「大船軒」の社屋写真】

その経緯がおもしろく「大船軒」の名を知らしめた「鯵の押し寿司」より先立つ事約20年も前の明治32年日本で最初のサンドイッチの駅弁として「ハムサンド」を大船駅で販売したそうです。その発端は周蔵の妻が薩摩藩士の娘であった縁で周蔵は明治政府要人の黒田清隆との親交が深く、よく黒田は周蔵の元を訪れたという。そんなある日、黒田は外遊の折に食したサンドイッチの話を周蔵に聞かせ、駅で売ったらどうかと薦め、さっそく周蔵はサンドイッチ製造に着手したとの事でした。

【「茶のみ処 大船軒」のパンフレット】

当時サンドイッチは一部の高級洋食店で出されていたメニューで一般人の手の届くものではなく、それを駅弁として売り出してみると、おいしさともの珍しさでたちまち評判となり売り切れが続出したそうです。最初ハムは輸入した物を使っていたんですが、生産が間に合わずに自前でハムを作る事となり英国人を雇って製造しはじめ、ハムのおいしさが有名になり個人や会社・食堂からハムだけの注文も多くなった為、ハム部門を独立させ設立したのが「鎌倉ハム富岡商会」だったそうです。なんと「鎌倉ハム富岡商会」は「大船軒」から生まれた会社だったのですね!

【昭和2年のハイカラな「サンドイッチ」の包み紙:「大船軒」のHPより】