東京駅丸の内側の赤レンガ駅舎が復元されて話題になっていましたが、まだ一度も見た事がありませんでした。一昨日近くまで行った際見る事ができました。
【下の写真とほぼ同位置から撮影した現在の東京駅丸の内南口・赤レンガ駅舎】
(私にはどうも以前の三角屋根の方が好きなのだが!?)
【終戦直後の東京駅:RTOの看板が掲げられ、駅前には米軍専用バスが停車している】
(終戦後横浜税関にあった米陸軍第八軍で勤務の日系二世撮影した写真)
実は以前ネット検索中に偶然占領時代の東京駅の写真を発見。そこには「RTO」の看板が写っていました。この「RTO」とは「Rallway Transportation Office」の略称で鉄道輸送事務所との意味で、終戦直後から講和条約締結されるまでの約7年間日本の主な駅や操車場・車両工場等に226ヶ所設置され、連合軍専用列車の運行や駅では連合軍将兵や家族の切符販売・旅行案内所兼待合室として機能していました。
【東京駅のRTOの豪華な内部の写真。レリーフと大きな日本地図が圧巻ですね!】
(「連合軍連用列車の時代」 河原匡喜著 光人社刊より)
【丸の内南口を入って左側の「みどりの窓口」あたりにRTOがあった!】
東京駅にも昭和20年9月には丸の内南口改札口際脇に設置されました。ここはGHQが置かれ重要な駅として設備も大きくカウンター・ソファー・電話・水洗トイレ等も設けられていたそうです。特に室内の壁には当時物資が無い折大きなレリーフが設置され、日本地図や国内の名所旧跡を石膏で当時の彫刻家によって飾られ、それは駅舎を空襲で破壊した米軍への復讐戦であったのかもしれないとまで言われています。戦争には負けたがそこには日本人彫刻家の意地がこもっている様にも感じられます。
【東京駅京葉線改札口脇の通路にあるRTOの「日本地図」レリーフ】
【レリーフの内「鎌倉の流鏑馬の図」:矢を打つ瞬間の人馬を表現した見事な作品!】
赤レンガ駅舎の修復工事が始まった時、壊した壁の後ろからこのレリーフが発見され、現在京葉線の地下駅構内に保存されています。その保存されているレリーフの横にJRによる解説があって、それによるとレリーフは「”進駐軍の目を驚かす意匠を施せないだろうか”いう運輸省の建設技術の声で急遽施した」と書かれています。これはおそらく事実とは異なり、実際は米軍の命令で設置されたものと思います。当時全ての権力がGHQにあって日本側の意思で決定できる状況にはない筈で、解説に書かれている「運輸省の・・・」の但し書きは、あくまでも日本側の意思で作られた事にしたかったのではないでしょうか?
【RTOの解説ポスターより:〇部分が当時の「流鏑馬」のレリーフ】
【強羅には米軍専用のホテルがあり、御殿場には米軍キャンプがあった!】
【終戦後の東京駅6番線ホーム:連合軍専用車の停車位置を書いた看板】
(上記地図に表記された熱海・小田原・沼津の行き先が書かれている!)