ハマちゃんのひとり言

鉄道と地図を趣味とする、元地図屋さんだった団塊人です。

懐かしい救世軍の社会鍋!

2015年12月25日 | 街で見つけた物

昨日久しぶりに”みなとみらい”に行った帰り道、桜木町駅前広場でラッパの音が聞こえて来た。それは懐かしい”救世軍の社会鍋”であった。

【桜木町駅前広場での”救世軍の社会鍋”】

私が幼かった昭和30年前半の頃、暮れに母に連れられて伊勢佐木町に行くと、必ず街頭にこの救世軍の社会鍋の人が立っていた。このラッパの音を聞くと、当時終戦から10年以上経っていたが、横浜は進駐軍もまだ多く駐留し、繁華街には傷痍軍人の人が白衣を着て、一人がアコーデオンを弾き、足の無いもう一人がひざまずいている光景が鮮明に今でも思い出す。

【昔の社会鍋の写真:救世軍のHPより】

このラッパの音に誘われて、私も募金させていただいた。

※横浜は日本の救世軍の発祥の地だそうだ。救世軍のHPによると、明治28年に12人のイギリス人士官が横浜に上陸して活動を始めました。日本人最初の救世軍士官は山室軍平で、名説教家、また福音を平易に説いた『平民の福音』の著者として知られています。彼は、遊郭から婦人を解放した廃娼運動や、結核療養所の設立などにも力を注ぎました。とありました。


今日はA級戦犯の処刑日!

2015年12月23日 | 最近の話題

今日12月23日は平成天皇の誕生日の祝日で、クリスマスイブ前日である為、一般の日本人にとってはクリスマスのプレゼントの買物日の様な一日となっている感があります。

【パラオで戦没者に黙とうをささげる天皇皇后両陛下:ウィキペディアより】

新聞にもほとんど書かれていませんが、実はこの日は戦後、東條英機らA級戦犯七人が巣鴨拘置所において処刑された日なのです。今年は戦後70年と云う事で、天皇陛下は太平洋戦争で激戦地となったパラオに慰霊訪問したり、常々戦争への深い反省の念をお話しされていました。

【バスで護送されているA級戦犯の人達:ウィキペディアより】

連合軍は処刑を昭和23年12月23日(当時の皇太子殿下誕生日)をわざわざ選んで実施した様です。おそらく次代の天皇陛下になられる人に悲惨な戦争を繰り返させない為の、メッセージが込められていたのではないでしょうか。なんと極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯28人が起訴されたのは、昭和21年4月29日、つまり昭和天皇の誕生日でした。

【A級戦犯7人が処刑された巣鴨プリズン:ウィキペディアより】

誕生日と云うおめでたい日にあるだけに、思い出したくない事実ではありますが、やはり忘れてはいけない出来事ではないでしょうか?戦争に巻き込まれない為にも!