ハマちゃんのひとり言

鉄道と地図を趣味とする、元地図屋さんだった団塊人です。

伊東市のマンホール!

2013年04月30日 | 街で見つけた物

何年ぶりかで「みどりの窓口」で特急券の予約をして温泉へ行く事になり、ウキウキしながら「スーパービュー踊り子号」に乗って、あっという間に伊東駅に到着!仕事で伊東市役所に行って以来、10年ぶりで見た伊東の街は何処も同じ様なシャッター通りと化していました。

【JR時刻表弁当 (600号記念を祝して本と同じデザインの特別弁当で~す!)】

その中、人通りの少ない商店街の通りにマンホールが目立ちます。日頃この様なものは人目にあまり気が付かない程が良いのですが?でも伊東市のマンホールはなかなかデザインが素敵なものでした。

【楽しくほほえましい「たらい乗り競争」のイラスト画 :右上は伊東市の市章】

下水のマンホールには伊東市の中心部を流れる松川を舞台に毎年7月に行われる「たらい乗り競走」のほほえましいイラストが描かれ、歩いていて楽しくなります。

【赤色のまといの房の躍動感がいい! まといの上に市章が描かれている】

また消火栓マンホールには珍しい「まとい」の絵が描かれ、まといが振られている躍動感がよく表現されています。消防車や消防士の画が多い消火栓の中で数少ない「まとい」の消火栓でした。

【おまけ】 【以前撮った三浦市の消火栓マンホール (初めて見たまといの絵柄)】

 


「三原橋地下街」の終焉!

2013年04月02日 | 最近の話題

私のHPにも掲載しました東京・銀座の「三原橋地下街」が3月31日をもって閉鎖される事となって、地下街に入居していたテナントは長い歴史の幕を閉じました。

http://www1.c3-net.ne.jp/hamachan/tetudou-ima-3-1.htm

【「銀座シネパトス閉館」の記事 東京新聞 平成25年4月1日朝刊】 

以前からテレビや新聞で報道され話題になっていたのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、「三原橋地下街」は現存する地下街では日本一古い地下街でした。しかしこの地下街は他の地下街と大きく異なる点があって、掘割川に架かっていた三原橋という橋そのものを利用し、その橋桁の下に作られたのでした。今回閉鎖という事になったのは一昨年の東日本大震災で昭和4年に竣工した三原橋が耐久限度を超えた事が直截な原因になっている様です。

【都営バスあたりの道路が幾分高くなっていますね!橋げたそのものなのです】

【三原食堂の入り口に掲げられたお得意さんの寄せ書き】

【シネパトス前に掲示された有名人の色紙とファンによる寄せ書き】

日本一の繁華街・銀座四丁目交差点ののすぐ近くあって、昭和の雰囲気が漂う「三丁目の夕日」的情景を味わう事がついに出来なくなりました。そこで先日地下街の中にある「銀座シネパトス」で「三原橋地下街」が出来る直前に撮影された「銀座化粧」という映画を見て来ました。映画ではほんの一瞬だけ三原橋の周辺は埋立てられ、橋だけが残っている状況の画を見る事ができ、普通の映画も古くなると記録映画的意味合いが出て来る様です。

【地下街が出来る直前・昭和27年の三原橋の写真:都電が走っている為撤去できなかった!】(岩波写真文庫より)

【昭和21年終戦直後の三原橋の写真: 今日新装開館しましたが旧歌舞伎座が写っています】(GHQ戦後写真集より)