ハマちゃんのひとり言

鉄道と地図を趣味とする、元地図屋さんだった団塊人です。

土砂災害は京浜急行線の宿命か?

2012年09月30日 | 最近の話題

先日24日夜中の12時少し前、京浜急行の追浜―京急田浦駅間で崩れた土砂に電車が突っ込み脱線した事故がありました。電車は脱線したまま直ぐ先のトンネルに突っ込んだ為、復旧に手間取り55時間後にやっと運転再開になりました。

【脱線事故現場写真:読売新聞HPより】

京浜急行線は横浜駅以南は丘陵地帯を縫うように走る為、トンネルの多い路線となっています。その結果これまでも度々土砂災害に遭遇していました。これまでに多くの切土斜面が防災工事を行って来ましたが、如何せんその数の多い為、結果的に今回の様な予想外の場所が崩れてしまった様です。

【昭和36年4月の京浜急行土砂崩れ現場:昭和57年発行・かながわ昭和史の断面より)神奈川新聞刊】

特に京浜急行線の横浜駅以南(当初は湘南電鉄)は昭和の初め頃に計画され、その際横須賀軍港の周辺(要塞地帯)を通る為、海軍当局から路線計画段階から検閲され、軍港が見えない様に海沿いから離れた山間を通る現在の様なトンネル主体の路線となった様です。

 

【昭和15年の京浜・湘南電鉄沿線案内より:要塞地帯での注意書き】

好き好んでこの様な路線にしたのではなく、軍国主義花盛りの時代背景を今に伝えているのです。


ミズーリ号の停泊位置!(降伏文書調印式)

2012年09月05日 | 最近の話題

先日の9月2日は何の日だったのかご存じでしょうか?日本ではあまり話題に上りませんが、欧米的にはこの日が第二次世界大戦が終結した日になっているそうです。(これが世界史では正解なのです!)

 【昭和20年9月2日ミズーリ号上で行われて降伏文書調印式:朝日新聞より】

日本の歴史教科書にはこの日の事を次の様に書いています。「9月2日に東京湾沖に停泊しているミズーリ号上で降伏文書の調印式が行われた」と記述されている事でしょう。きっと写真には杖を片手に山高帽子の重光外相とマッカーサー将軍が写っていると思われます。しかし日本側の多くの書物にはミズーリ号が停泊していた場所が地図上に図示されているものが皆無なのです。

書物によって東京湾の何処なのかが実にまちまちで、一番多いのが横浜沖(当時の朝日新聞記事など)で、他に横須賀沖(岡崎勝男・横山海軍少将の回想)浦賀沖、木更津沖、本牧沖等の記述があり、正確な停泊場所が何処だったのか現時点でも不明な様です。

【ハワイ・ミズーリ記念艦上の記念プレートに書かれている停泊場所の経緯度】

日本近代史上の大変革事件である場所を特定する必要があるのではと思います。そこでネット検索してみましたら、日本側ではなく米国側にその位置についての記述がありました。それは現在記念艦としてハワイに係留されているミズーリ号の甲板上のプレートに調印式をした経緯度が書かれていました。そこには「北緯35°21′17″・東経139°45′36″」と書かれておりました。さすがに記録を残す事に熱心な国な事の証明でしょう。

【海図上に落としたミズーリ号停泊位置とペリー艦隊停泊位置との位置関係】

また記念艦の職員である長谷部正寿氏によりますと、マッカーサーは調印の際の戦艦ミズーリの停泊場所にはだいぶこだわりを示した様です。その結果90年程前にペリー提督が命名し停泊した横浜・小柴沖のアメリカン・アンカレッジの近くに停泊としたそうです。マッカーサーがペリー艦隊に掲げられていた星条旗を調印式近くに飾った事はよく知られていましたが、停泊地までこだわっていたとは驚きでした。

【八景島にある「アメリカン・アンカレッジ」の場所の記念プレート】