昨日渋谷東急文化会館跡地に複合施設「渋谷ヒカリエ」が開業し、渋谷駅周辺は大きく変貌を遂げています。歴史を遡ると終戦後間もなく、この辺りには闇市の露店を集めた「渋谷第一マーケット」と呼ばれたバラックが建っていたとの事。先日図書館で東急グループの秘話を集めた「東急外史-顔に歴史あり-」田村五郎著に現在の東急百貨店東横店東館の前身の「東横百貨店」が出来るまでの秘話が書かれていました。それによると実は「東横百貨店」は渋谷川の上に建てられた事を知りました。
【現在の東急百貨店東横店東館(現在でもこのビルの下を渋谷川が流れている)】
昭和2年東横線開通後の昭和7年東急電鉄(当時は東京横浜電鉄)の創始者・五島慶太は師として仰いでいた阪急電鉄の小林一三にならって、東都初めてのターミナルデパートを渋谷駅に建設する事を決意しました。しかし渋谷はすり鉢状の谷あいで、しかもその中心部を北から南へ渋谷川が流れており、それを避けて通れず、常識的な見方からするとそこに百貨店を作る事は不可能な事でしたが、五島慶太はその不可能を可能に変えてしまったのでした。その「川の上に百貨店」を作った秘話がその本に書かれていました。
【完成後間もない頃の「東横百貨店」(ビルの脇をバスが停車している。】
その逸話とは「まず宮益橋幅員拡張願いを当局に出すことによって、承認を得たうえ幅員拡張を実施する。ここをバスの折り返し場として使用することもまた当局に承認させる。バスの折り返し場ともなれば、雨天のことも考えて利用者の為に屋根をつくる。屋根まで許されるなら二階を作るのも大同小異、むしろ空間利用という点で結構なことではないか。そこに食堂、売店を設置すれば、利用者の利便はこの上もなし。
【昭和22年・渋谷の航空写真:「東横百貨店」の南北に渋谷川がハッキリ写っている!】
ところで、これらを木造にするならば、むしろ安全のために鉄筋コンクリート造が理に合っている。鉄筋コンクリートにするぐらいならばいっそ五階程度の百貨店ビルがいいだろう。いや、七階だっていいはずだ。それでいこう。現在の東急百貨店東横店東館(旧館)は、こうして渋谷川にまたがるかたちで建てられたものであった。」と書かれていました。
【東急百貨店東横店の東館だけ「地下」がない!(東急百貨店HPより)】
この様に五島慶太は決して法を踏みにじったものではなかったが「これはおかしい当局と東京横浜電鉄との間で、なにか癒着があるのではないかと」その筋に疑惑を持たれた“ふし”はあったようでした。しかし五島慶太は独創的な構想力・強い胆力よって「川の上の百貨店」は実現したのでした。現在では東横線のホームの下も渋谷川が流れています。
【今後の渋谷駅周辺再開発予定イラスト:東急百貨店東横店の跡に「埼京線」ホームが!】