埴谷雄高氏の「死霊」が1976年に出版されたとき、わたしは、大学の哲学科に籍を置く学生だった。クラスでは、この本や、彼について、話題沸騰で、この世に共に生きているひとを語っているとは思えないような崇拝ぶりだった。恥を忍んで告白すると、わたしは、埴谷氏の文体から漂うダンディズムを嫌悪し、それは、ピカソに対しても感じることなのだが、若気の至りというか、「ひとつの音、光、あるいは匂いで感得しうるものをグダグダとどうしようもない言語で表現しようというしつこさは、はなもちならない」などと、生意気な感想を持っていた。
先日、友人が、埴谷氏と池田晶子氏の対談の「オン!」を送ってきて、封印していた「死霊」の世界がパカンと開いてしまった。すると、埴谷氏が、なぜ、言語化しようと努めたのかが、すんなりわかった。若い頃、わたしは、自分さえわかればいいと思っていた。だから、わかっている者がそれを伝えようとか、この世に置いていこうとする気持ちが全くわからなかったのだ。
今一度、「死霊」を読み返さなくてはと、しみじみ思った。ダンディズムに関しては、年とともに、笑ってすませることくらいはできるようになったし。
先日、友人が、埴谷氏と池田晶子氏の対談の「オン!」を送ってきて、封印していた「死霊」の世界がパカンと開いてしまった。すると、埴谷氏が、なぜ、言語化しようと努めたのかが、すんなりわかった。若い頃、わたしは、自分さえわかればいいと思っていた。だから、わかっている者がそれを伝えようとか、この世に置いていこうとする気持ちが全くわからなかったのだ。
今一度、「死霊」を読み返さなくてはと、しみじみ思った。ダンディズムに関しては、年とともに、笑ってすませることくらいはできるようになったし。