嵐山の部屋は1階で、庭がある。周囲が松で囲われているけれど、右端に1本、大きな琵琶の木が。
先日、大家さんに伺ったところ、別荘として時々大勢の子どもや友人を連れて来ていたこのお庭ではよくバーベキューパーティーをしていたのだそう。その時、彼が琵琶の実を食べて種を、プッと吐き出した。それが10年ほど前のこと。気づいたら、とても大きな木になっていて、「昔はこんな木なかったよなぁ」と、吐き出した種のことを思い出したそう。
その話を聞いて、ざわざわと鳥肌がたってしまったわたし。
わたしが初めて琵琶の実を食べたのは、小学校1年生か2年生のころ、札幌の叔母に連れられて市場に行ったとき、「あれ、なあに?」と聞いて「琵琶よ。知らないの?」「うん」「美味しいよ。買ってあげよう」と。それがほの甘くて柔らかくて、とても好きになった。住んでいた町に、琵琶はなかったのかもしれない。流通がまだ悪い時代だったから。叔母は「そんなに好きなら、この種を庭にまいたら、木になって実がつくかもしれないよ」と言った。わたしは、後生大事に琵琶の種を持ち帰り、ひとりで庭に埋めた。とてもとても楽しみだった。その週末、遊びから帰ったら、父が庭仕事をしていた。父は、薔薇が大好きで、寒い地域に耐える薔薇を通信販売で取り寄せては植えていた。けれど、そこは、わたしが琵琶の種を埋めた場所だった。父に伝えても、こんな寒冷地では琵琶は育たないと、父は取り合わない。わたしは、泣いて泣いて泣きまくった覚えがある。
全国各地の部屋を探して、嵐山に決まったのは、父の導きではないかと思っている。父は、山と川が大好きなひとだった。札幌に新居を建てるときも、山が見えること、川が近くにあることを条件に、街中に出るのは不自由な土地を選び、母の顰蹙をかった。嵐山は、山が目前に迫り、桂川が豊かな水流を絶やさない、しかも、ひとの暮らしにも不便はない土地だ。母への罪滅ぼしに、父はこの地へわたしたちを導いたのではないかと思っている。そして、「ほら、山や川の近くで暮らすのはいいだろう!?」と、毎日話しかけてきているように思う。
大家さんが、実らそうとも思わずにプッと捨てた琵琶の木が、4mもの大木に育ったのは、小学生のわたしの思いが届いたからではないかしら?父が、あのことを申し訳なく思って、琵琶の木の家に連れてきてくれたのではないかしら?
嵐山は、そんな妄想をふくらまさせる異界めいた土地なのだ。