社員のおしゃべり

日々の生活の中でのできごと

体験に基づくもの

2015-09-07 09:55:57 | 日々の生活で・・・
 長期の休みがあると、休み前には全校集会で必ず生徒指導から、生活についての話があったものだ。 そして当時たびたび聞いた内容で思い出すのが、「休みになって10日前後が事故が一番多い」ということだった。 「そうなんだあ…浮かれてはしゃいで、事故も起こしやすいのかと」思ったものだ。 だから未だに持って近くの川のそばを通過すると心のどこかで、事故がありませんようにと祈っている。

 でも昨今は、休み明けに「自殺が多い」と言う話題をよく耳にする。 本当に悲しいことだ・・・。 何とかならなかったのか・・・。 
 
 そして青少年による事件・・・しかも「人の命を奪う」という事件が多い。

 一体「死」と言うものがきちんと理解できているのだろうかと思う。 

 もう35年以上前にもなろうか、「お墓参りはしない」と言う保護者の方がおられて愕然とした経験がある。 「まあそんな時代がやってきたんだあ・・・」とついつい思ってしまったものだ。 その生徒の顔も今だに良く覚えている。 またその時思ったのは、「お葬儀にも参列したことがない生徒もいるのかなあ・・・、身内の死を見届けたことがない生徒もいるのかなあ・・・大事な家族同然の動物の死を見たことがない生徒がいるのかなあ」と言うことだった。

 その当時も何かおかしいと思っていたが、「ゲーム感覚で、ゲームのようにリセットすれば生き返れると考える子供がいるのではないか」と。 「映画やドラマで死んだ人が再び別の話の中で活躍しているように、又生き返って再び普通に生活することができる・・・とでも思っているのだろうか」と。 体験がなければこのおかしな感覚を持ちあわせていても何ら妙ではない。

 誰もが絶対に逃れることのできない「死」と言うものを、別世界への出口あるいは入口、逃げ場所と思っているのではないか。 だから自殺が多くなったり、人の命をいとも簡単に安易に奪ったりするのではないか・・・。 

 自分を可愛がってくれた人が亡くなり、身体が氷よりも冷たくなっていく。 火葬場で見送り、白骨になる・・・。 自分が可愛がったペットが死に、冷たくなっていく。 全く違う世界に行ってしまったような静寂の中にある。 

 そんな身内の死を通して一連の経験から、死と言うものに対する恐れと同時に、今生きている素晴らしさも学ぶのではないだろうか。  「死の恐怖」「この世から消えゆく悲しさ」を経験することで人は今を生きていることの喜び、大切さを感じるのではないだろうか。 誰もが逃れることができない、誰にでも平等に必ずやってくる「死」。 病いも老いもやって来る。 そして死も・・・。

 でも「終りがあるから、今を大切に生きなければいけない」。 「死に対してのリセットはきかない」と言うことを大人は子供たちにきちんと教えなくてはいけないと思う。





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