Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

由良子さんと過ごした夏

2018年08月30日 21時58分50秒 | 母親のこと

由良子さん。


ママと呼んでいた幼いわたしは、何時のときからか、
彼女のことを、あなた、もしくは名前で呼ぶようになった。

あーたね、いい加減にしなさいよ。

由良子さん、わかってないんだから、、、


そんな風にいうわたしを、彼女は子供のときのように呼びつづけ、びくともどうじない。そして、ガチャンときる電話の向こうで絶妙なタイミングで舌をだしわたしを嘲る。毒を吐くようにわたしのまっすぐな心臓につばをかける。

おっとり美しい猛女。

わたしは、彼女が嫌いだった。

嫌いだったのか、、、
辛かったのか、、、

彼女の強さたくましさ、その何度も立ち上がる強さが辛かった。過酷な道に行こうとする。もっと楽に生きられたのに。見てるのが辛いから私は逃げたのかもしれない。

そんな由良子さんは、物言わね骨となって、ちいさな遺骨だけで我が家にきた。

二人暮らしの我が家がひと夏三人になった。

花をかい、お菓子を供え、毎朝目覚めたらお線香をあげる。夫も彼のリズムで同じことをしていた。

お線香が消えるまでが会話の時間。

わたしの心は振り子のように、さまざまな思いで乱れた毎日だった。

今さらね、
と自嘲しながらも、
由良子さんが、わたしにのこした、フェイスタオルを花火や映画や大阪の街につれていった。
なぜかフェイスタオル二枚とカップひとつ。これが、彼女の形見。

何かの荷物を送るついでに入っていた上等のフェイスタオル。

今さらそんな殊勝なことしても、彼女はもういないのにね。

だけどね、
色々と自問自答してわかったよ。

私は由良子さんの子供で似あっている。
また、生まれ変わってもあなたの子供でいたい。多分、。不思議、あんなにきらいだったのに、ひと夏色々めぐり、今はそうおもう。

だけど、次はもっとまったく別の生活をしようよ、普通の楽しみ、穏やかな安らぎの生活をしてみようよ、由良子さん。

あなたが、多分いちずに愛した父親は違うほうがきっといいよ。

彼だと、またおなじ波乱の人生になるよ。






京都の大文字を見ながら、哲学の道をあるき、金と銀で金箔ソフトクリームたべてたころ、由良子さんの身体はもう判別がつかないほど腐敗がすすんでいた。

その夜、
初めてわたしのスマホがなった。

娘、りこちゃん

と書いてたんだね。
アドレスに。

苦しまずに逝けて、それだけがわたしの救いだよ。
神様はみていたのかな、あなたの苦労を。

ソファーで眠ったままいったんだよね。

電話をかけた形跡も、かけようとした形跡も、くるしんで倒れた形跡もなにもなく、
それは、あなたが、本当に安らかな最期だったあかしだね。

ありがとう、苦しまず。
ありがとう、、、今は全てをそう受け止めてるよ。

由良子さんと過ごした夏って、初めてだね。

生きてるときはないもんだね。




この卵焼きは由良子さんがつくる甘い卵焼きににてたよ。

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4 コメント

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素敵なお名前 (ポー)
2018-08-31 08:00:16
お母様は由良子さんっておっしゃったんですね。
私の若い友人が3年前に男児を産んで、「由良」くんと名付けたんですよ。
「自由に生きて良いんだよ」という意味を込めたんだそうです。
リコさんのお母様もきっと自由に生きて
幸せだったんじゃないかなあ、
と思います。
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Unknown (てこな)
2018-08-31 10:04:24
ぽーさんが上梓された歌集『母の娘』を読ませてもらったとき、母子のあまやかな関係をうらやましく思いました。
リコさまとお母さま、私と母、
本当にいろいろのかたちがあるものですね。
私はずっと母が加害者、私は被害者。そう思っていました。
ところが、最近わからなくなってきました。
双方が年を取り、母が弱者になっていくと、気持ちは揺らぎます。

あまりお苦しみなく逝かれたことが、なによりのこととお察しします。
リコさまがこれから年をかさねるごとに、好き嫌いは別にしても、お母さまと同じDNAを自分の中にみることでしょう。私、母が嫌いなんですが、私の中の母を感じ、複雑な心境です。


ちょっと意味不明な文章になってしまったわね、ごめん。
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Unknown (蒔絵リコ)
2018-08-31 20:15:23
ポーさん

ありがとうございます。
本当に、彼女は自由に自分に自信を持って生き抜いたと思います。
とても美人でしたが、男に媚びず誰とでも対立しましたし、コンプレックスがないんですよ。
だけど、わたしにだけは晩年媚びていた、そう感じたりするのが、とても嫌だったひとつ。
ま、終わってみたら、わたしにもいっさいの迷惑もなく、自由に謳歌した人生だったのかな。
幸せなんて、本人しかわからないところありますよね。

まだ、とりともないところもあるんですが、
私はこの夏彼女と過ごして、はじめて、由良子さんと向き合い、今の年だからわかることもありました。良かったです。
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Unknown (蒔絵リコ)
2018-08-31 20:36:48
てこなさま

雷ちゃん本当に良かったですね。

お母様も、転んだようですが、大事にならずに、、、なにより。

てこなさまは被害者と思われていたんですね、、、
わたしは、母とは運命共同体と思っていたんですが、いつしか被害者と思うようになりました。

それならそれで、ずっと彼女が加害者をやりつづければまだ気持ちは楽だったかもしれませんが、彼女のプライドか、歪んだ形で私には魔女になりましたよ。

私は人の親にはならなかった、娘ももたなかった、だけど、もし、わたしに、私のような娘がいたら、。

やはり、迷惑かけず、幸せな人生を生きていてくれたらと、考えたでしょう。

母に、あなたいくつだと思っているの?先のことかんがえて、と強く訴えた年、彼女が50になって事業をはじめようとしたとき。
思えば私は50で今の仕事はじめました。

彼女が歩んだ年齢をわたしもなぞっていくわけですが、てこなさまのおっしゃるとおり、DNAというか、お互い様親子と思うことあるし、似てると思うことあるし、、、

違うのは、、、
夫選びでしょうか。あと、わたしにはコンプレックスもあり、少しだけ丸い気持ちがあります。そして、よい友人がこうしていてくれたことかな、、、

長くなりましたね。

母娘は本当にそれぞれですね。当事者の中に強いなにかがあるのでしょう。あわせ鏡のように、自分に拘るように。

この夏は特別でした。

ポーさんの[母の娘]という表現は本当に特別。私は私の母の娘なんですよね。
みなさんも。
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