Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

43歳の私

2011年05月30日 19時54分39秒 | 着物コレクション10年史

さて43歳の私は乳がん闘病の日々でした。術前ケモでほぼ髪の毛無し、まつ毛無し、体毛無しですごした1年。そんな状態でも、さすがリコちゃん!きもの姿、あるんですね~~なんと、ウィッグをかぶり、それにさらに付け毛を付けてシニオンのスタイルを作り、着ていたのよ~~

あの頃、悲劇の妻の気分でヨヨッ・・・とダンナッチにぶら下がり、ちょこっと外食して、夜桜はいかがかいな~って車で回ってもらって帰ってきただけ。

まだ、蕾だったわ!わかっちゃいるけど、見たいっていう病気乙女心ね。それが、この日だったのよん。

これは、第1回目のFECを終え13日め。なぜこんなにはっきり言えるかというと、この次の日からいよいよ脱毛が始まるというまさに前日に、記念!?に着たのです。脱毛はぴったり14日目からはじまったので、よく覚えているの。脱毛に備えて、小学校以来のショートカットにしました。でも、今から見れば、これでも充分長い!と思うわ~~まじめに。ケモが終わって、1年半だけど、前髪だけはこの長さの半分にもならない~~。あとは長さはおいついてるけど、とにかく少ない、薄い、軟い

 

ジャ~~ン!で、これが、ウィッグオン付け毛の髪型ロングのレイヤーのウィッグの後ろを縛ってまるめ、その上からシニオンにする付け毛を付けてるの。ちょっとサイドを垂らしているのは、乱れではなくって、もみあげの無いのをいかに自然に見せるかの苦労のたまものなの。前のブログを知ってる方には、既に見た事ある写真ですね。

 

横から見るとこんな感じ。きものは、大島紬!日光東照宮の柄が織り込まれていて、実物はとても素敵で、私の中では大島でもこれは特別に好き帯は掬いの帯で、黒猫が影絵のように対照的に織り込まれているの

しかしまぁ、抗がん剤もこの1回目~2回目くらいまではこうして体力もまだ多少あったのね~と思う、FECはきついイメージがあったけど、

振り返れば、タキソテールの方が酷かった。前も書いたけどね。また書くけど、いまだに、指先と足の痺れ・マヒはあります。

それでも、なぜか今はもう随分前の事のようにも思える。この2年、めまぐるしかった~~ 

 

 


来週はどうなるのだろう~~

2011年05月30日 00時08分28秒 | 日々の事

野風さんが 乳がんだという設定を初めて知って、よけいにのめりこんでしまった~~


ドラマのお話しね。安藤名津のね。


そう言えば、前回、再建の手術の前日も日曜で当時はまっていた、「冬のサクラ」のドラマを観てから安定剤と眠剤を飲んでねたっけ。


今度は、「仁」を観て同じになりそうだわ・・・・・


しかし・・・・・ドラマの世界の話だけど、あの時代でも転移乳がんで2年生存できるというセリフには驚いた。


そして、2年あれば子供を産み、その子供をとおして、自分の生きた証と生きたかった時を永久に生きられるというセリフにはなぜか泣けた。



ドラマと解っていても・・・・・・来週も見てしばし涙するのかな~~。野風さん危険な感じだし・・・・・・


で、また、あ~~、オペだぁ~~と思いながら安定剤と眠剤ダブルで寝るのかしら。