なかなか哲学的で、それなりに考えさせられる言葉ではなかろうか。
観察者が認識することで初めて事象が確定する、という「シュレディンガーの猫」の命題に少し似ている。
一面の真理があるように思われるが、我が家では奥方が良く使う。
年齢とともに視力が衰えて来て、近くも遠くもよく見えなくなってきた。
そこで、掃除の時に「見えないゴミは存在しない」。
食器を洗う時に「見えない汚れは存在しない」ということになるのだ。
なかなか便利な言葉である。
私も使ってみたいところだが、そうもいかない。
「まずいつまみは存在しない」とか、「まずいおかずは存在しない」とかにはならない。
その方面の実在に関しては、妥協を許さない真理が存在するのだ。
だが、あまりうるさいことばかり言うのもマズイかも知れない。
そのうちに、「夫も見えない」などと言い出しかねないからである。