maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



この本、なかなか的確に日本(人)の問題点を的確に言語化していて、びっくりしました。
幾つかの医療専門家が良かったとSNSで出していたので読みました。SNSも使いようで、芸能人なんかの自慢話を見るだけなら暇つぶしで終わるけれど、ちゃんとした専門家の発信を見れるのは大きい。

ワクチンを題材にしていますが、内容は全体主義への警戒から政治・専門家・メディア・日本人の特性を指摘していて、自分の思っている事そのままが書いてありました。

この本は、序盤こそコロナ患者数のデータなどを引き合いにだして、そこまで恐れる必要があったのか、ワクチンなどの過剰な対策を見直す事が中心になっていますが、中盤以降はワクチンの是非もさることながら、全体主義への警告の本に仕上がっています。

コロナで過激な事(今ではそう思わないが、そういえば話題になったなあと思い出しました)を発言していたイタリアの哲学者アガンベンを始め、多くの著名な哲学者・・・フーコー、ハンナ・アーレントやオルテガなどの本から引用し、過去・現在の学者が警告していた事が、実際に起きているのではないかと問いかけます。

多分・・・世間を観察していても、そういう危機感を持っている人はまだ少ないと思います。(ただ世界は先に進んでいます。日本が遅れているだけです)

色々な名著からの引用など、あーこれこれっていう感じになって楽しいのですが、古典を読んでいなくても、この本は読みやすいので誰でも読めます。

保守、リベラルについては色々あるのですが、最近起こっているリベラルの暴走の説明は的を得ていると感じました。少数側にいるときは、よさそうな事を言うけれど、多数派になると決まりを守れと上から命じてきて、厳しく取り締まる側になってしまうのがリベラルのコワさというのは納得です。フランス革命でもそうですね。

こういうときに、保守がブレーキを踏み、調整を行うはずなのですが、コロナではブレーキは壊れた感がありました。その原因をフーコーの指摘した生権力という概念を用いて、問題点を露わにしています。

コロナ初期、大勢の人は何の疑問も持たず、いろいろ行動や仕事を制限されても、お願いと言う名の半強制にも、生権力という生きる事に対する執着を利用した見えない権力による世の中の流れにあっさり従いました。

この、見えないけれど確かに感じる力の作用は、システマチックで何か特別な権力者が仕組んでいるようにも見え、陰謀論が出てくるの原因にもなっているという指摘も納得。

だからこそ、国にしろ専門家にしろ、製薬会社がこう言う事や提出されたデータを右から左に言い張るのではなく、ちょっとデータをみて考えれば疑問だらけなのだから、慎重に検討すべきだった。そして納得の行く説明をすればよかった。けれど疑念を持つだけで陰謀論者扱いされる・・・(この本とは別ですが、最近DNA混入疑惑が出ている・・・疑惑ですが・・・スゴイ疑惑です)

実際には製薬会社との契約により、内容は公開しないとか、ワクチンを解析してはいけないという条件があり、メディアもスルーするから、何か秘密を隠していると疑われても仕方ない。

ところが、専門家・メディアも国も、アーレントの言う「凡庸な悪」になり下がり、命を守るため、あなたの健康のためと称して、人々の自由であり人権を奪ってきたのがここ数年の出来事。

この異常な出来事に惑わされなかった人は、とても息苦しい感覚で生きているはずです。どう考えても正しいそうな事が、陰謀論扱いされてしまうのだから。そして、周りの人はテレビ情報を自分は正しいと思って信じ切って話が合わない。

コロナの恐怖やワクチンの意義、マスク社会の不愉快さで他人と意見が合わないという事を経験していたら、この本を読めば、いろいろ納得させてくれます。

ただ、これからも大変ですけどね。これは以前ここでも触れた本ですが・・・「責任と判断」の中でアーレントの言う、ナチス下のドイツを引き合いに出し、全体主義社会でも従わなかった人がいた事を紹介していますが、不利益があっても、自分を裏切らないという姿勢を持てるかどうかです。

自分を裏切って生きると、表面上楽に生きられるのは分かっています。その場合、どこかで後悔しそうかなと思っているのですが・・・スピノザの生き方も、自分を裏切らない生き方を貫いた・・・ソクラテスも同じですね。

東京駅の丸善で買いましたが、この本が並んでいたのは、医学倫理とか、医学読み物というコーナーでしたが、そこには、何故人はワクチンデマを信じるのか?みたいな本が多いのですよ。ああ、なんと言う事か・・・

これから、こういうコロナを振り返っての、哲学者・社会学者からの批判本が増えてくる事を期待します。

先月読んでいた、「ニーチェのふんどし」という表紙が面白い本があるのですが、これはコロナだけでなく広い意味で似たような主張でした。行過ぎた見た目至上主義のルッキズムやポリコレ重視の生きにくい偽善社会(ホワイト社会)について、ニーチェを引き合いに出して書かれています。

全体主義に飲み込まれ畜群・末人となるか、超人となる道を選ぶか。そういう選択を突き付けられる気がします。



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