maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



感じたことの二つ目、メンタルの問題、そして正義マン問題。

あの人は、可哀そうなくらいメンタルやられてるなあと思いました。前回も触れましたが、見えないウイルスの粒々が見えてしまうかのような感じになるようでは、カウンセリングとか必要なんじゃないのかなあと思います。

そのうち、コロナ恐怖症のカウンセリングとか治療をするクリニックとか出てくるのでは? そちらの出番です。というか、考えてる人はいそうだなあ。大体、マスクを信じているなら彼らは守られているはずで、ワクチンも打ってれば安心安全状態なので、他人がどうしようが構わないはずです。他人に文句をいうのが意味不明です。

ある種の潔癖症なのかも知れませんが、そこまで来ると電車には乗れないとは思うので、それとは別の何かです。コロナ恐怖症、ノーマスク恐怖症とかでしょうか。じゃあノーマスクの人がコワイという可哀そうな人がいるので、みんなでマスクしましょうなんて言い出したら、世の中はおかしくなります。下手な同情はすべきではありません。もしくは、皆やってるんだからお前もやれというのなら、そういう意味では弱者のルサンチマンとは言えます。それなら尚更な事に、そういう人に迎合する社会は危険です。ねじれた被害者意識から復讐してるだけの人に合わせこむ社会はろくなもんじゃない。

国が責任感じるなら、こういう人に対するカウンセリングとか治療に補助金出したらどうでしょう。PCRを無料にするとか、旅行割引とか、ワクチンとか、そんな事に税金を数百兆円も無駄金使ったこと考えたら安いものだし、実際に役に立ちそうですよ。無用なトラブルは減るし、社会にとって間違いなく良いと思います。コロナ対策も矛盾だらけで論理性のかけらもないのだから。(3回打ってたら帰国時にスルーで入国とか旅行支援も意味不明。3回でも罹る人はいる。マスクもワクチンも効果なし。)

さらに、メンタルの問題として、正義マンがあります。あの人の中では、マスクしてない悪い人が来たという認識がまず起ったと思います。ここから、いまの世の中に蔓延してる善悪二元論な世界そのままの事が起っていると思います。コワイことだと思っています。

まず、あの人にとってこちらが悪であると(勝手に)認識した事でしょう。すると自動的に、意識する・しないにかかわらず、自分は正義になります。相対的にそうなってしまうだけなんですが、世にはびこる正義マンの誕生です。

マスク警察はまさにこれ。成敗してやらなければと、自分の体力や格闘技をやっている訳でもないのに、他人にちょっかいを出す程無敵になれてしまうコワイものです。心の中ではスーパーサイヤ人。そして実際に成敗すると快感を感じるそうです。だから、あの人が電車から降りるとき、してやったりの顔をしていたのが良く分かります。

最悪の場合は両者激突する場合です。確かマスク警察の高齢者が、注意した若い人に逆襲を受けた話がありました。最初の高齢者は若者が悪に見え、何か一言言ってやらなきゃという正義マンになったのでしょうが、言われた側とすると、いきなりこんな布切れごときで説教くらった時点で、自分は別に悪くないのに何か文句を言ってきたとなります。今度は言われた方が、正義は我にあり状態でしょうから結局両者激突し、事件にまで発展する。それもあるから、自分の場合無視してて正解かなとも思ってます。悟空とベジータになってしまう。

煽り運転する人も、ある意味正義マンです。割り込みとか、自分は急いているのに遅いのはムカつくとか、追い越し車線から遅いくせにどかないとかがきっかけで、あいつは悪であるという感情・認識が起り、自動的に自分は正義になります(やってる事は悪ですが)。それが実際に正義かどうか、自分で正義と思っているとかは全く関係ないです。そして一回痛い目みるまで繰り返すのも快感が得られるから。もしかすると、あの人もまたどっかでやらかすかも知れません。

怖いのは、正義の側に立つと、相手にどんなことをしても許されるという感覚になる事です。勿論歪んだ正義です。コンビニ店員に土下座させた人、モンスターペアレンツもそう。何かあったとき、一言いってやりたいとか、制裁を加えてやりたいとか、そういう場面を想像するだけで普通は終わりますが、それを抑えられないメンタルの人がまれにいる。

コロナ初期には、駄菓子屋に「コドモ アツメルナ オミセ シメロ マスクノムダ」と貼り紙したり、飲食店に「店閉めろ」とか、ゴミ収集の人に対する嫌がらせもありました。忘れてませんか? こういう人にとって対象相手は悪なので、理不尽な要求や差別をしても構わないと思い込む。完全にメンタルがおかしい。それはメディアの煽りを真に受けた人達なのですが、その責任はメディアだけにあるのではありません(これについてはまた後日)。

最近ではスマホの弊害も言われていますが、いずれにしても感情が先走りすぎである事は間違いないです。今回の人も同じメンタルをしていますただ、その正義とやらの元になっている道徳観は、奴隷道徳ですね(これについては次あたりで)。

ただ、日本にはまだマスクしないと本気でコワイと思っている人がそれなりにいそうという事で、擁護者が少なからずいると思います。メディアが流すストーリーを信じ易いのは人間の性質ですが、一旦それを受け入れると、データを見せられても、正しい情報を聞いても、マスクやワクチンの効果を疑う事実があっても、脳内をアップデート出来ない。論理性より感情が先に来る。自分と同じ考えの人が批判されると、応援したくなったり、自分が批判されたようにもなるものです。

専門家など、どの分野でもあてになる人と、ならない人がいます。テレビに出てくるのは、あてにならない人です(最近では劣化ウラン弾は問題ないとか言いだした専門家もいるとか)。でもコロナ脳にとっては、信じたいのはテレビの専門家。自分の信じた事を強化してくれる先生。まあ人間信じたいものしか信じれないという性質があるのですが、日本人は世界に比べてテレビに全てを依存しすぎで、そのメンタルも危険です(これについても後日)。

戦時中に協力的でない人達を非国民と呼んで責めていた人達とも似ていると思います。戦後になったら、国にぶーぶー文句言ったり、あの時は仕方なかったとか言う卑怯者。状況次第でコロコロ変わるこのメンタルが日本人は海外に比べて多いのではないかと思っています。

話が大きくなってしまいましたが、まあ、白い布で感染が収まるなら、世界一の感染者は出ませんって。逆に付けてない国々が悲惨ね目にあってないとおかしい。ただそんな中で、下手すると日本はコロナ脳の望む清潔社会のような、全体主義の世の中になってしまいかねない。今だって、みんなが顔にパンツを付けてるか監視しあって生きている、しかも自主的に・・・

そういう3年間が終わるのか続くのかの境目に差し掛かっている。異常なんですよ、これ。自分が奴隷状態になっている事に気づけていない。奴隷から抜け出ようとしている人を反逆者のように扱う。お前もいい子でいなさいよって引っぱり下ろす。ただ、いつの時代もそういったものから脱却しようという精神が新しい世を作っていく・・・

ジョージ・オーウェルの「1984」や「動物農場」を読んでない人は、読むといいです。テレスクリーンから自粛しろとか、マスクしろとか、今の日本はみずからそういう世界に向かっている。嫌われないように、皆でいい子ぶりっこしてた。これに気付けない日本人のメンタルも非常に危険。たかがマスクではないんです。ちょっとくらい我慢すればって、ものではないんです。今後もそうなるかどうかは日本人次第なのですが・・・今のままでは危ういかも。

 

と、今回はここまで。

次は感じたこと3つ目へ。

 

 



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