私がはじめて自分で着物を誂えたのは、25、6歳くらいの時だった。
それまでは、振袖や訪問着などの礼装は親が誂えてくれていたし、色無地や付け下げも母からもらったものがあったので、いざという時には困らなかった。
しかし、芝居を観に行くようになってからというもの、歌舞伎座できれいな着物を着ている女性を見ては「私も着物を着て来たいなあ」と思うようになった。
しかし、お正月でもない限り、歌舞伎を観に行くのに振袖や訪問着はちょっと大げさだし、色無地も紋が入っているから格が高くなってしまうし……と思い、小紋が欲しくなった。
叔母からもらった小紋もあったのだが、桜と蝶々の柄なので、季節が限られてしまう(桜は日本の花なので一年中着てもよいとも言われているようだが、桜の花だけを描いた着物だったらやっぱりそれ相応の時期に着たほうがいいのではないかなあ、と個人的には思う)。
そこで、意を決して、自分で小紋を誂えることにした。
はじめて自分で買う着物、失敗や後悔のないように選びたい……。
ちょうどそのころ、着物雑誌で小紋特集のようなものをやっていたので、さっそく買って読んでみた(思うに、これが着物雑誌愛読の始まりだったかも……)。
小紋と一口に言っても、柄ゆきによって総柄小紋、飛び柄小紋、江戸小紋など、いろいろな種類があり、格もそれぞれ微妙に異なるのだと、その時初めて知った。なかには、付け下げ小紋とか絵羽小紋なんてのもある。小紋って奥が深いなあ……。
そんななかで気になったのが、花の丸模様の飛び柄小紋であった。
ご存じの方も多いと思うが、「花の丸」とは、文字どおり、円形に花をあしらって図案化したものである。描かれる花は、桜や梅、牡丹や菖蒲といった古典的なものが主流だが、蘭など洋風の花をあしらったものもある。
もともと花柄の好きだった私は、花の丸の模様の何とも言えない「はんなり」とした感じが気に入り、「よし、初めての小紋は、花の丸模様にしよう!」と決意したのだった。
それから、呉服店やデパートの前を通りかかるたびに、花の丸の小紋がないかと探していた。
しかし、最近ではあまり流行らないのか、意外と見つからない。
たまに花の丸模様を見つけても、洋風の花があしらわれていたりして、イメージに合わなかった。
いろいろとデパートを見て回ってもなかなか収穫がなかった私は、ある日、意を決して、「最後の砦」日本橋三越の呉服売り場へ向かった。
なぜそれまで三越へ行かなかったのかというと……ズバリ、「三越の呉服売り場は高そう、店員さんもすぐ寄って来そう……」と思っていたからである(笑)。
おそるおそる足を踏み入れてみると……たしかに、値段が高いものもあるが、お手頃な品もあり、売り場の雰囲気自体はそれほど近寄りがたくなかった。店員さんも、すぐには寄ってこないので、ゆっくり見ていられる。
しかし、お目当ての花の丸小紋はないなあ……と思っていた時、売り場の端のほうにあったガラスケースに目がとまった(初めのうちは、これはお店の在庫管理用のショーケースかと思っていたくらい、存在感のないショーケースだったのだ)。
あ、この中の反物も売り物なのね、と思ってのぞきこんだその時、私のイメージしていた柄の反物が発見されたのだ。
反物についている商標を見てみると、何と京都の「
千總(ちそう)」という有名染元の品だった。
「わあ、いいなあ、でも千總の反物なんて、高いんだろうなあ……」と、おそるおそる値札を見てみると……、何とそこには「SALE」の文字が!
定価だと、反物価格で14~15万する品が、10万円をゆうに切る価格になっていたのだ。
これなら、八掛や胴裏、仕立て代を入れても、反物価格以内でおさまってしまう。
迷わず決めた私は、接客をしてくれた番頭さん(「店員さん」というよりも「番頭さん」という表現がぴったりの、和服姿のベテラン男性店員であった)に、今回初めて自分で着物を誂えるのだということを告げ、採寸をしてもらった。
番頭さんは、着物の仕立てについてまだよくわからない私の質問にも快く答えてくれ、八掛選びにもいろいろとアドバイスをしてくれた。
最後に番頭さんに「千總さんの反物がこんなにお買い得になっているなんて、びっくりしました」と言ったら、「ありがとうございます。つい最近、メーカーさんのほうで新柄が出たので、旧柄の品がだいぶお安くなったのです」とのこと。
何と、いいタイミング! もう少し早い時期だったら、こんなにお買い得にはなっていなかったのだ。もし正札だったら、買うのをあきらめていたかもしれない……、安くなった後でよかった……と、しみじみと思った。
別に新柄でなくても、好きな柄ならそれでいいのだし。
こうして出来上がった着物には、内側に小さく「三越」のタグが縫い付けられていた。店の名前を入れるだけあって、仕立てはすばらしかった。さすがに、かつて呉服屋さんだっただけのことはある(三越のルーツは、江戸時代初期に三井高利という人によって創業された「越後屋」という呉服屋さん。武士を得意客としていたが、明治時代になって得意客である武士がいなくなってしまったため、「株式会社三越呉服店」として「日本で最初のデパートメントストア」となったのである。ちなみに「三越」の名は創設者の名前「三井」と「越後屋」をつめたもの)。
飽きのこない柄であること、派手な色ではないこと、生地がいいこと、仕立てがよいことを考えると、きっと長く着られるので、決して高すぎる買い物ではなかったと思う。
実際、気に入って何度も着ているし、いろんな場面で着られて便利なので、それなりに元もとれていると思う。
この、記念すべき「初誂え」で学んだことは、
1. 店のイメージや外観だけで敬遠せず、気になったらとにかく中に入ってみるべし
2. 途中であきらめず、売り場はとにかくすみずみまで見てみるべし
3. デパートの場合、「呉服扱い」に慣れている店なのかどうか、売り場の雰囲気や品揃え、店員さんの様子から判断すべし
4. 仕立て代、胴裏代、八掛代など、反物以外にかかる金額も含めて、冷静に算盤をはじくべし
5. わからないことや不安なことはとにかく店員さんに聞いてみるべし(もしも店員さんがあまり呉服に詳しくなさそうだったら、買うことを見送るという選択もあり)
そしてもう一つ、
6. とにかく自分の気に入ったもの、納得のいくものを買うべし(これが基本! 出会う時は出会うものなので、あせって妥協するべからず)
こうして考えてみると、着物との出会いは人との出会いに似ていて、奥が深い。