本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

錦繍の京都~清水寺夜景

2004年11月28日 | 京都
清水寺は、夜間特別拝観にも大勢の人が来ていた。
拝観券売り場にも長い列ができていた。

ライトアップされた山門や塔と紅葉が、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

清水寺を出て京都駅へ向かい、駅にあるホテルのラウンジでお茶を飲んで一息つき、最終の新幹線で帰京した。

新幹線の中では熟睡してしまったくらいなので、きっと体は疲れていたのだろうが、美しい紅葉を堪能できたので疲れを感じなかった。
まさに「命の洗濯」ができたという感じである。

(しかし、翌日は週明けからいきなり終電近くまで残業になってしまったので、早くも命が汚れてきたかも……笑)

そういえば、結局「京都きものパスポート」の特典があるところはほとんど行かなかったような気がする。
永観堂で、しおりをもらったくらいかな……。まあ、それもまたよしとしよう(笑)。

錦繍の京都~常寂光寺

2004年11月28日 | 京都
嵐山・嵯峨野では、祇王寺、二尊院などを見た後、常寂光寺へ。

常寂光寺は、日蓮宗の寺院で、京都でも屈指の紅葉の名所と言われている。

境内一面が紅葉という感じで、まるで別世界にいるようだった。
特に、苔の生えた茅葺き屋根の山門と紅葉の組み合わせは、何ともいえない趣があった(写真)。

常寂光寺を見たところで夕方になったので、少し早めの夕食をとるために、市街地へ向かった。

行きつけの和食店がこれまた早くも満席になってしまっていたので、四条河原町から少し離れたところにある小じんまりとした洋食店へ行った。
観光客があまり来ない店なので、ゆったりと食事ができた。

食事を終えた後、清水寺の夜間ライトアップを見に行った。

錦繍の京都~東福寺

2004年11月28日 | 京都
京都滞在2日目の28日は、朝一番で東福寺へ出かけた。
ここは、京都の中でも有数の紅葉の名所である。
紅葉はまさにピークで、赤、オレンジ、黄色、そして時折混じる緑の葉が織りなす景色が、見事だった。
開門からまもない時間だったが、かなりの人出だった。

東福寺を出て、今度は嵐山・嵯峨野方面へ。
嵯峨野でお昼に立ち寄った湯豆腐屋さんで、10人くらいの着物姿の女性のグループと遭遇。
半幅帯よりも少し広めの幅の帯を変わり文庫に結んでいる人が多かった。
この帯は「一条帯」という。
半幅帯よりは広いが、袋帯やなごや帯よりは細い。
袋帯やなごや帯とちがって体の前で結んで後ろに回せるため、手軽に結べる。
(お太鼓結びもできるらしいが、お太鼓の部分は帯を少しずらしてつくることになるので、きっちりしたお太鼓結びにはならない。角出しならいいかも)
この「一条帯」は、なるべく気軽に帯を結んでもらえるようにと、割と最近になって西陣の織元が開発したのだ。
このご時世、着物離れに何とか歯止めをかけて生き残るためのアイディアだったのであろう。
これは功を奏したようで、京都滞在の間、この「一条帯」を結んでいる人を多く見かけた。

京都の人は、伝統にうるさいと思われがちだが、実はむしろその逆で、昔から「新しもの好き」だった。様々な流行が、京都から発信されたのである。
この「一条帯」も、京都の人の進取の気風を象徴していると思う。

お昼を食べた後、通りがかりに見つけた小さな庵が特別公開されていたので、「着物姿の方は拝観料100円引き」に引かれて入ったところ、湯豆腐屋さんで会った着物の女性たちがいた。
どうやらその人たちは着付け教室のみなさんだったようで、「目かくし着付け」なるイベントを行っていたのだ。
イベントは、1回目がちょうど終わったところだったので残念ながら見ていないが、目かくしをして着付けたとはとても思えないほどきちんと黒留袖を着ていたので、驚いた。
「目かくし着付け」……、鏡のないところで着付けをしなければならないときに役立つのかなあ……。



錦繍の京都~清水寺

2004年11月27日 | 京都
祇園から清水寺へ行く途中の東山通は、大渋滞だった。

歩いたほうが早いくらいなので、東山安井で降り、八坂の塔の前を通って産寧坂から上がっていった。

予測していたことだが、清水寺はやはりものすごい人出だった。
清水の舞台から下を見ると、眼下に紅葉が広がっていて、さすがに圧巻だった。
(しかし、人が多すぎて、ゆっくりと眺めるどころの騒ぎではなかった)

清水寺の境内を一回りすると、いろいろなところでいろいろな角度から美しい紅葉が楽しめた。

清水寺を出る頃には夕方になっていたので、食事をしに先斗町(ぽんとちょう)へ行った。
先斗町もまた人が多く、せまい路地が人で埋め尽くされていた。
ずっと前のほうを、割れしのぶに髪を結った(まだ年数が浅い)舞妓さんが歩いているのが見えた。
行きつけの洋食店が予約で満席になってしまっていたので、通りがかりに見つけたお店に入った。
メニューは正統派の和食のコースなのだが、店内はカウンターバーのような感じのモダンな造りで、ジャズが流れていた。
女将さんもご主人も若く、女将さんが心のこもったもてなしをしているのが印象的だった。
隣の席には、やはり着物を着た女性が座っていた。
連れの男性は関西の人だったが、女性のほうは関東の人だったようである。
黒地に雪輪模様の紬を着ていて、素敵だった。

食事をすませた後、永観堂へと向かった。
永観堂はこの時期、夜間特別拝観として、紅葉のライトアップを行っている。
たどり着いたら、拝観券売り場に長い列ができていて驚いた。
今から約5~6年前は、夜間特別拝観に来る人はまだそれほど多くなかったのに、年々人が増えてきているようだ。
昼間見ると、ピークを過ぎている木もあるのだろうが、ライトアップの光の下で見ると美しく見えるので、夜行って正解だった。
水鳥も寝静まって穏やかな水面に、真っ赤な紅葉が映っており、幻想的な雰囲気だった。



錦繍の京都~実相院

2004年11月27日 | 京都
北大路バスターミナルでバスを乗り換え、実相院へ。
バスの車内もかなり混んでいた。

実相院も、多くの人でにぎわっていた。
少し前に、テレビで実相院の紅葉が紹介されていたせいもあるのかもしれない。

ここの紅葉は、「床もみじ」というのが有名。
外の紅葉が、室内の磨きあげられた漆塗りの床に美しく映るのである。
真っ赤な紅葉が床に映る様子は、まるで一幅の絵のようで、しばし見とれてしまった。

残念ながら、室内は撮影不可だったため「床もみじ」の写真はないが、庭園の紅葉もまた美しく、枯山水の庭の白ともみじの赤が美しく調和していた(写真)。

実相院を出た後、叡山電車で出町柳まで行って京阪に乗り換え、四条へ出た。祇園のとあるおそば屋さんで「鳥なんば」(この店では「鳥なんばん」ではなく「鳥なんば」という。やわらかな鶏肉と歯ざわりのよいネギ、山椒の香り、関西風のダシが絶妙のバランスで、この店に行くと必ずこれを食べる)を食べてから、清水寺へと向かった。

余談だが、叡山電車に久々に乗ったら、車両が新しくなっていてびっくりした。

錦繍の京都~高桐院

2004年11月27日 | 京都
27日、早朝の新幹線で東京を発ち、一路京都へ。

ホテルに荷物を置き、すぐに向かったのが、大徳寺塔頭(たっちゅう)の高桐院。
細川忠興によって建てられ、細川家代々のお墓もある閑静なお寺だが、紅葉の名所なのでこの時期は多くの人が訪れる。

早い時間だったのでまださほど混んではいなかったが、それでも結構人がいた。

外側の門を入ってすぐの細長い通路(写真)のところはまだ少し黄色い感じ、内側の門のあたりは赤やオレンジ、黄色が混ざり合うまさに最盛期という感じだった。
このお寺で有名なのが、庭の「敷きもみじ」。落葉したもみじが、庭の苔の上を敷き詰めるのだ。ちょうどこの「敷きもみじ」になろうとしているところで、美しかった。
同じお寺の中でこんなにいろいろな紅葉を楽しめたのがうれしかった。

京都へは、予定どおり着物を着て行った。
以前の記事でも書いたが、紺色の江戸小紋に灰藤色の長羽織という組み合わせ。
江戸小紋は正絹ながら仕立て上がりで安く手に入れたものなので、ちょっと出かける時にも気軽に着ている。
長羽織の柄が楓と菊の柄だったので、この時とばかりに着てみた。
本当は、柄に書かれている花などがピークの時はその柄は避けるのがよいらしいのだが、この羽織は楓や菊の柄の部分がエンジや紫と落ち着いた色になっているので、紅葉の色を邪魔しなくてすむ。
足元は、四谷・三栄製のお気に入りの黒の草履で締めた。鼻緒に少し赤が入っており、光沢があるので、お葬式用とまちがわれることはない。台も低く、江戸前の細身の草履なので、しゃれ着用にはちょうどよい。
草履にあわせてカバンも黒にした。一応和装用として売られていたのだが、洋服にも合わせられるようなデザインのスエード調のバッグで、物もたくさん入るので重宝している。

高桐院は、この時期ももちろんよいが、夏もまた落ち着いた風情があってよい。
高桐院の紅葉を堪能した後、今宮神社へ寄ってあぶり餅を食べ、次の目的地・岩倉の実相院へ向かった。



明日から……

2004年11月26日 | 京都
京都へ行ってきます。

土日でしかも紅葉の時期なので、おそらくものすごい人出が予想され……。
でも、紅葉もちょうど見ごろのようなので、楽しみ。

明日は、朝早い新幹線で行くため、今日は都内のビジネスホテルに宿泊。
朝早く(というより夜中過ぎ?)に起きて、がんばって着物を着て行く予定。
(というわけで、今日は着物入りの大きなかばんを持って出社)

「京都きものパスポート」を活用したいと思います。



着物との不思議な縁~小紋編1

2004年11月25日 | 着物
私がはじめて自分で着物を誂えたのは、25、6歳くらいの時だった。

それまでは、振袖や訪問着などの礼装は親が誂えてくれていたし、色無地や付け下げも母からもらったものがあったので、いざという時には困らなかった。

しかし、芝居を観に行くようになってからというもの、歌舞伎座できれいな着物を着ている女性を見ては「私も着物を着て来たいなあ」と思うようになった。
しかし、お正月でもない限り、歌舞伎を観に行くのに振袖や訪問着はちょっと大げさだし、色無地も紋が入っているから格が高くなってしまうし……と思い、小紋が欲しくなった。

叔母からもらった小紋もあったのだが、桜と蝶々の柄なので、季節が限られてしまう(桜は日本の花なので一年中着てもよいとも言われているようだが、桜の花だけを描いた着物だったらやっぱりそれ相応の時期に着たほうがいいのではないかなあ、と個人的には思う)。

そこで、意を決して、自分で小紋を誂えることにした。
はじめて自分で買う着物、失敗や後悔のないように選びたい……。

ちょうどそのころ、着物雑誌で小紋特集のようなものをやっていたので、さっそく買って読んでみた(思うに、これが着物雑誌愛読の始まりだったかも……)。

小紋と一口に言っても、柄ゆきによって総柄小紋、飛び柄小紋、江戸小紋など、いろいろな種類があり、格もそれぞれ微妙に異なるのだと、その時初めて知った。なかには、付け下げ小紋とか絵羽小紋なんてのもある。小紋って奥が深いなあ……。

そんななかで気になったのが、花の丸模様の飛び柄小紋であった。
ご存じの方も多いと思うが、「花の丸」とは、文字どおり、円形に花をあしらって図案化したものである。描かれる花は、桜や梅、牡丹や菖蒲といった古典的なものが主流だが、蘭など洋風の花をあしらったものもある。
もともと花柄の好きだった私は、花の丸の模様の何とも言えない「はんなり」とした感じが気に入り、「よし、初めての小紋は、花の丸模様にしよう!」と決意したのだった。

それから、呉服店やデパートの前を通りかかるたびに、花の丸の小紋がないかと探していた。
しかし、最近ではあまり流行らないのか、意外と見つからない。
たまに花の丸模様を見つけても、洋風の花があしらわれていたりして、イメージに合わなかった。

いろいろとデパートを見て回ってもなかなか収穫がなかった私は、ある日、意を決して、「最後の砦」日本橋三越の呉服売り場へ向かった。
なぜそれまで三越へ行かなかったのかというと……ズバリ、「三越の呉服売り場は高そう、店員さんもすぐ寄って来そう……」と思っていたからである(笑)。

おそるおそる足を踏み入れてみると……たしかに、値段が高いものもあるが、お手頃な品もあり、売り場の雰囲気自体はそれほど近寄りがたくなかった。店員さんも、すぐには寄ってこないので、ゆっくり見ていられる。
しかし、お目当ての花の丸小紋はないなあ……と思っていた時、売り場の端のほうにあったガラスケースに目がとまった(初めのうちは、これはお店の在庫管理用のショーケースかと思っていたくらい、存在感のないショーケースだったのだ)。

あ、この中の反物も売り物なのね、と思ってのぞきこんだその時、私のイメージしていた柄の反物が発見されたのだ。
反物についている商標を見てみると、何と京都の「千總(ちそう)」という有名染元の品だった。

「わあ、いいなあ、でも千總の反物なんて、高いんだろうなあ……」と、おそるおそる値札を見てみると……、何とそこには「SALE」の文字が!
定価だと、反物価格で14~15万する品が、10万円をゆうに切る価格になっていたのだ。
これなら、八掛や胴裏、仕立て代を入れても、反物価格以内でおさまってしまう。
迷わず決めた私は、接客をしてくれた番頭さん(「店員さん」というよりも「番頭さん」という表現がぴったりの、和服姿のベテラン男性店員であった)に、今回初めて自分で着物を誂えるのだということを告げ、採寸をしてもらった。
番頭さんは、着物の仕立てについてまだよくわからない私の質問にも快く答えてくれ、八掛選びにもいろいろとアドバイスをしてくれた。

最後に番頭さんに「千總さんの反物がこんなにお買い得になっているなんて、びっくりしました」と言ったら、「ありがとうございます。つい最近、メーカーさんのほうで新柄が出たので、旧柄の品がだいぶお安くなったのです」とのこと。
何と、いいタイミング! もう少し早い時期だったら、こんなにお買い得にはなっていなかったのだ。もし正札だったら、買うのをあきらめていたかもしれない……、安くなった後でよかった……と、しみじみと思った。
別に新柄でなくても、好きな柄ならそれでいいのだし。

こうして出来上がった着物には、内側に小さく「三越」のタグが縫い付けられていた。店の名前を入れるだけあって、仕立てはすばらしかった。さすがに、かつて呉服屋さんだっただけのことはある(三越のルーツは、江戸時代初期に三井高利という人によって創業された「越後屋」という呉服屋さん。武士を得意客としていたが、明治時代になって得意客である武士がいなくなってしまったため、「株式会社三越呉服店」として「日本で最初のデパートメントストア」となったのである。ちなみに「三越」の名は創設者の名前「三井」と「越後屋」をつめたもの)。

飽きのこない柄であること、派手な色ではないこと、生地がいいこと、仕立てがよいことを考えると、きっと長く着られるので、決して高すぎる買い物ではなかったと思う。
実際、気に入って何度も着ているし、いろんな場面で着られて便利なので、それなりに元もとれていると思う。

この、記念すべき「初誂え」で学んだことは、

1. 店のイメージや外観だけで敬遠せず、気になったらとにかく中に入ってみるべし
2. 途中であきらめず、売り場はとにかくすみずみまで見てみるべし
3. デパートの場合、「呉服扱い」に慣れている店なのかどうか、売り場の雰囲気や品揃え、店員さんの様子から判断すべし
4. 仕立て代、胴裏代、八掛代など、反物以外にかかる金額も含めて、冷静に算盤をはじくべし
5. わからないことや不安なことはとにかく店員さんに聞いてみるべし(もしも店員さんがあまり呉服に詳しくなさそうだったら、買うことを見送るという選択もあり)

そしてもう一つ、

6. とにかく自分の気に入ったもの、納得のいくものを買うべし(これが基本! 出会う時は出会うものなので、あせって妥協するべからず)

こうして考えてみると、着物との出会いは人との出会いに似ていて、奥が深い。



着物との不思議な縁~振袖編

2004年11月24日 | 着物
私が、初めて着物との出会いに「縁」を感じたのは、成人式の振袖を選んだ時である。

当時の私は、今ほど着物に対して興味を持っておらず、「成人式に振袖なんて着なくていいわ。第一、成人式に出るつもりなんかないし。振袖を買ってくれるくらいなら、洋服のイイヤツを買ってくれればいいのに」などという不届きなことを考えていた。

それゆえ、振袖選びにも消極的で、なかなか買いに行かないままずるずると引き延ばしており、あわよくばそのまま時間切れを狙って洋服を買ってもらおうくらいに思っていた。

成人式の前の夏が終わり、成人式商戦もほぼ終わりにさしかかってきたころ、母にせかされ「とりあえず見るだけね」という感じで呉服店とデパートへ出かけた。

1軒め、2軒め、3軒め……、次々と見ていくが、どうも気に入ったものが見つからない。
夕方になり、いいかげん疲れてきた私たちは、ここで最後の1軒にしよう、もしもここで見つからなかったら振袖は買わないでおこう、と決めて、あるデパートへ入った。
そのデパートは、老舗ではあったのだが、他の大手デパートに押されて客も少なく、こじんまりとした店だった(ちなみに、今はもうこの店はない)。
正直言って「この店では見つからないと思うなあ……」と思っていた私は、いろいろな品物をひっぱり出してきてくれる店員さんの説明も、うわの空で聞いていた。

母も私も、口にこそ出さないが「やっぱりここにはないよ、もういいんじゃない、帰ろうか」というような雰囲気になっていたその時、仮縫い状態で畳んで置かれているたくさんの振袖のなかの一着が、ふと私の目にとまった。
濃い地色の振袖が多いなかで、クリーム色のやわらかな色調が、何となく目についたのである。
「すみません、ちょっとあれを見せていただいてもいいですか」

広げてみるとそれは、クリーム色の地色に、ピンクや白のしだれ梅、蝶、能の橋掛りのようなものが描かれている、古典調の振袖だった。
生地は波頭の地紋の入った綸子(りんず)で、梅や蝶の部分には刺繍や箔(金箔)が施されていた。
手のこんだ良い品であることは、すぐにわかった。
しかしそれ以上に、その地色の何ともいえないやわらかい感じと、能の「胡蝶」という曲を彷佛(ほうふつ)とさせる柄に、私はひかれた。
以前の記事でも書いたが、私は当時、大学のサークル活動で能を習っていた。
「胡蝶」は、梅の花の盛りのころ、梅の香に誘われた胡蝶の精がどこからともなくあらわれ舞を舞うという美しい曲で、私の好きな曲の一つであった。

「これだ!」と思った私は、それまでの気乗りしない態度から一変し、積極的に店員さんに質問をしはじめた。
不思議なことに、その振袖を店員さんが私に着せてくれたとたん、打って変わって気分が昂揚してきたのである。
その時点で私の気持ちはほぼ決まっていたのだが、我が家の大蔵大臣(当時)の意向を聞かないことにはどうにもならない。
値段を聞いてみると、これがまた驚き。それまで見て来たどの店の価格よりも安いのだ。
どうやらその店では、成人式商戦も終わりに近づいてきたためかなり値下げをしていたようなのだ。
しかも、帯や小物などがすべてセットになった価格である。帯も好きなものを選べるという。

この品物でこの値段なら安い! めでたく大蔵大臣の決済が下り、私は帯を選び始めた。
着物の地色が淡いので、帯は黒にして引き締めたいと思い、黒地に金糸や色糸で蝶の柄が織り出されたものを選んだ。

あれほど「振袖なんて」と思っていた私は、まるで人が変わったように熱心になり、買い物が終わった後もほくほくしていた。
母も、私がやっと振袖着用に乗り気になったので喜んでいた。

成人式にこそ出席しなかったが、その年のお正月にその振袖を着ていわゆる「前撮り」といわれる写真撮影をした。
当時、赤や緑などはっきりした色の振袖を着ている人が多いなか、私の振袖の淡い地色は、却って新鮮だった。

その後も、友人や親戚の結婚式に必ず着て行ったほど、私はこの振袖が気に入っていた。
着ている本人が気に入っている着物は、不思議と周囲の評判も良い。
評判が良いのがうれしくて、私は着物を着ることがだんだん楽しくなっていった。

今でも、この振袖は実家に大切にしまってある。

もしもこの振袖に出会わないまま店を後にしていたら、私は一生、着物好きになっていなかったかもしれない。



また、やってしまいました……

2004年11月23日 | 着物
ううう、また、買ってしまった……羽織を……。

正確に言うと、インターネットオークションで落札し、これから代金を振り込んで品物が届くという流れなのだが……。

あれほど、「しばらく着物と帯は買わない」と言っていたのにーー!
(あ、でも、「羽織は買わない」とは言ってなかったかも(笑)。って、そういう問題じゃないだろーー!)

でも、でも、これが本当にお買い得だったのだ……。

黒の絵羽羽織で、背中の部分と前身頃に、絞りで染められた梅の絵が描かれている。
梅の絵は、やや抽象的だが、そのぶんかわいらしい感じがする。それでいて、斜め上に向かって伸びた枝とそこに咲く梅の花の構図が、大人びた雰囲気もかもし出してくれている。
写真で見るかぎり、羽裏もかなり良いものが使われているようだ。

しかも、未使用しつけ糸付きで、インターネットオークションで出ている黒の着物にありがちな変色もなさそう。
(黒の着物は、染料の関係で、通常、長い年数が立つと色あせていわゆる「羊羹色」になったり、色むらができたりする)

しかも、「希望落札価格」(いわゆる「一撃価格」)が設定されているので、着物のインターネットオークションにありがちな「開始価格は低いけど、そのうち値段がどんどんあがっていって、最終的には新品で買うのとたいして変わらなくなっている」ということもない!
しかも、その「希望落札価格」が、とってもお買い得な価格だったのだ!

と来れば、これはもう、落札するしかないでしょう!

たまたま、会社で休憩中にオークションのページを見ていて気が付いたのだが、「これは早く落とすしかない!」と思い、会社の終業時間が過ぎると同時に入札してしまった。
(会社のパソコンを使って入札すること自体そもそも間違ってるのはよくわかっているのだが……、だって、夜遅くまで残業して一時間半近くかかって家に帰り着くまでの間に、他の人に落札されたら泣くに泣けないんだもの……昼休みもあまりとらずに仕事してたんだから、このくらい許して……)

ここのところ、インターネットオークションのページもほとんど見ていなかったのに、なぜか今日は、何となく見てたんだよなあ……。やっぱりこれも何かの縁なのかも。

「まさかぁ」と思う方もいらっしゃるかもしれないが、着物を買う時というのは、本当に「縁」のようなものがある。
私は今まで、気に入った着物にめぐりあう時、必ず不思議な縁じみたことがあった。

やっぱりこれは、出会うべくして出会った羽織なのだ、だから買わなければならなかったのだ……、と、自分に言い聞かせている私なのであった……。

でも本当にいい買い物だったと思う(まだ実物は見ていないが)。

そうだ、「縁」ついでに、今までにお気に入りの着物と出会った時の「縁」がどのようなものだったのか、次回から連載でお届けします。どうぞお楽しみに(笑)