本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

梅の開花

2005年01月30日 | つれづれ
熱も下がったので、数日前から上京していた母と、妹夫婦と食事をするために出かけた。

東京宝塚劇場の地下にある資生堂パーラーでランチを食べた。
ここは、ランチだと結構リーズナブルなのでよい。

ゆっくりランチを食べた後、早稲田の「穴八幡宮」へ。
なぜそんなところへ行ったのかというと、来たるべき節分に備えて「一陽来復(いちようらいふく)」のお守りを買いに行くためである。

この「一陽来復」のお守りは、穴八幡宮で冬至から節分の間に売られるお守りなのだが、これを、節分の日の夜中の12時に、その年の「恵方(えほう。縁起のよい方角)」へ向けて家の中に貼るのだ。

「節分」とはもともと、立春・立夏・立秋・立冬の前日をそれぞれ指していたのだが、そのなかでも特に、一年の始まりとされる「立春」の前日が重要視されていた。この節分と立春の間には、年の変わりめとして、邪気を払うために「追儺(ついな)」の行事が行われるようになった。この「追儺」の行事が、現在でも豆まきとして残っているのである。

このような変わり目の時期には運勢も変わると考え、人々は昔からいろいろな方法で厄を払った。
以前の記事でも書いたが、昔の女性は厄払いのために、節分にいつもとちがう髪型を結ったりしたのである。今でもその習慣は京都の花街で残っていて、節分の日には舞妓さんは普段と違う髪型に結い、芸妓さんたちは、思い思いの仮装をしてお座敷を回る。この仮装の習慣を「お化け」と言って、東京の花柳界でも行われている。
普段とはちがう格好をして、邪気を払おうというのだ。

「厄年」も、立春の日を起点として考える。
そのため、前厄、本厄、後厄の年には、立春の前の節分の日に厄よけ・厄払いをしておくのがよいのだそうだ。

こういった風習も単に気分の問題と思うかもしれないが、それなりに根拠もあるような気がする。
立春を過ぎて日差しが春めいてきたころ、その日差しの明るさとは逆に何となくけだるい、鬱々としたような気分になることがある。私だけかと思って周りに聞いてみたところ、同じような経験をしている人は結構多いことがわかった。
よく「陽気の変わり目」という言い方をするがまさにそれで、季節の変わり目には、体調をくずしやすくなったり、何となく気分がふさぎこんだりするものだ。
だから昔の人は、厄払いのための行事をして、無病息災を願ったり、気分転換をはかったりしたのかもしれない。昔の人はよく考えたものだなあ、と、いつものことながら感心してしまう。


穴八幡宮で一陽来復のお守りを買ったあと、梅が開花したという小石川後楽園へ行ってみた。
たしかに、何本かの木が開花していた。
とくに、紅梅・白梅が並んで開花しているところがあって、とてもきれいだった(写真)。
桜の花よりも梅の花のほうが好きな私としては、これからの時期が楽しみである。



風邪

2005年01月29日 | つれづれ
風邪をひいた。どうやら、風邪がかなりはやっているらしい。

3日前、鼻がぐずぐずしてくしゃみが出てきたので、やばいと思って残業もほとんどせず早めに家に帰ったのだが、翌朝起きたら38度まで熱が上がっていた。
仕事を休みたかったのだが、どうしてもやっておかないといけない仕事があったので、それを片付けてから午後休みをとって帰った。
家に帰り着いたら熱が38度5分まで上がっていて、頭が痛いわだるいわでふらふらになっていたので、とりあえず軽く何か食べて薬を飲み、そのままひたすら寝続けた。

寝ていたのがよかったのか、翌朝には37度5分まで下がっていた。
まだ平熱にはほど遠いが、38度を上回るのと下回るのとでは、しんどさがかなりちがう。
仕事を休める状況ではなかったので、「今日一日行けばまた休みだし、定時であがって早く帰ろう」と思って会社へ行った。
しかし、行くと結局いろいろな仕事が舞い込んでくるので、結局定時にはあがれず、それどころか、手こずる内容の仕事が一つ入ってきてしまったので、あろうことか終電で帰るはめになった。

普段は、乗り換えの少ない経路で通勤しているのだが、最終電車ぎりぎりの時間になったので、乗り換えの多い経路を使った最終手段をとった。
途中、他の路線に遅れが生じていたためそれを待って発車というのが何回かあって、そうこうしているうちに自分の乗る最終電車に間に合わなくなるのでは、とあせったが、どの乗り換え駅でもちゃんと接続を待ってくれていたのでよかった。
風邪をひいているというのに乗り換えのたびに全速力で走ったので、乗ったあとはぜーぜーしていた。
走って汗をかいたせいか、会社を出るときは熱っぽかったのが、少し熱が下がってすっきりした(笑)。

今朝起きたらすっかり熱が下がっていたのでよかった。
熱がわりとすぐ下がったのでインフルエンザではないようだが、油断は大敵なので、とりあえず今日は家で安静にしておこう。


またまた歌舞伎座初春大歌舞伎

2005年01月23日 | 歌舞伎
友人がくれたチケットで、またまた歌舞伎座初春大歌舞伎(今度は昼の部)へ。

その友人は、「歌舞伎会」という、いわゆる「歌舞伎友の会」のようなものに入っており、チケットの先行販売を利用できるのだが、年に一定数以上のチケットを買わないと先行販売の権利がなくなってしまうため、観に行くかどうかわからない月には3階席のチケットを買っておいて、行けないときには家族や友人にあげているらしい(私も、その恩恵をこうむった一人)。

今回の席は3階の横のほうだったので、舞台の端と花道が見えないのだが、まあ、話の筋や場面はわかっているし、花道も「今役者が出て来たな」というのは、揚幕がチャリンと鳴る音でわかるので、あとは「心の目」で観ればよいというもの(笑)。

でも不思議なことに、上から観ていると、1階席で観ているときよりも却って芝居がよーく見える。

3階席だけれど、何となく着物を着たい気分だったので、着物で出かけた。
3階席は狭いし椅子も低めなので、汚れてもいいように縞の着物である。でも初春興行なので、帯は松竹梅の染め帯。着物が安くても帯がまあまあだとそれなりに見えるのが、和装のよいところ(笑)。
朝、うっかり寝坊したのだが、かなり早く(たぶん今までで最速)着付けられたので、却って早く着いたくらいだった。しかも帯がきれいに結べたので、なかなか気持ちがよかった。やはり、着付けの良し悪しでその日の気分まで違ってくるので、おろそかにはできないところ。

私の隣の席に座っていたおばさま二人も着物を着ていたのだが、そのうち芝居に熱が入ってしまったのか、前の手すりにひじをついて見ていたので、腕が丸出しになっていた。
いくら何でもその格好はちょっと……と、見ているほうがヒヤヒヤしてしまった。
ちなみに私は、着物を着ているときは電車の吊り革にもつかまらない(当たり前だけど)。
やっぱり、着物を着て二の腕が見えているというのは、形がよくないからなあ……。

天気予報では、当初は「雨」と言っていた予報が覆って「曇り時々晴れ」と言っていたので、雨コートの用意をしていかなかったのだが、芝居がハネて外に出たらみぞれになっていた。
出かける時の雲の様子を見て、「もしかして降るかなあ」と思っていたのだが、案の定だった。
やはり、天気予報よりも自分の経験と勘を信じるべきだった、と反省。

幸い、歌舞伎座の前はすぐ地下鉄の入り口になっているので、そこへかけこんだ。
途中で傘と食べ物を買って、今度は浅草演芸ホールへ。
また、歌舞伎と落語のハシゴである。
桂文朝師匠という、小学生のときに初高座をふんでウン十年という、超ベテランの師匠がトリをとっているのだ。

浅草に着いたときはみぞれもやんでいて、よかったよかったと思っていたのだが、寄席がハネて外へ出たら、また雨が降っていた。
仕方がないので、裾が濡れないよう着物の褄(つま)をとって持ち上げ、傘をさして歩いた。
長襦袢を濃い地色のものにしておいたので、あまりみっともなくならずにすんでよかった……。
やはり、こういうときのためにも(?)長襦袢は洒落ておかなければならない(笑)。

歌舞伎座へ向かう途中に見かけたお嬢さんたちにも、雨コートを着ている人はほとんどいなかった。
せっかくの芝居見物なのでいい着物を着てきた人もいただろうに、大丈夫だったかしら……。
ここのところ、「天気予報当たらない率」ほんとに高いなあ……。



結城紬

2005年01月22日 | 着物
インターネットショッピングのバーゲンで買った結城紬の反物が届いた。

無地の結城が格安だったので「チャンス!」とばかりに買ったのだが(無地の結城の人気は高いらしく、バーゲンではいつもすぐに売り切れている。私が購入したときすでにピンク系の色は売り切れていて、そのあと他の色もすぐに売り切れてしまったようだ)、安いだけあって、生地はちょっと薄いかなあ、という感じ。
まあいいか、安かったし。どうせ袷に仕立てるので、何とかなるでしょう。

私はこれまで、いわゆる「やわらかもの」(染めの着物)しか着ないタチだった。
叔母からもらった大島も、まったく袖を通さないままになっていた。
しかし、昨年の夏に小千谷縮(おぢやちぢみ。新潟県小千谷で作られる麻織物)を着てから、何となく「織りの着物」もいいなあ、と思いはじめたのだ。

最近の着物エッセイストの皆さんの本を読んでいると、必ずといっていいほど無地の結城が出てくる。
無地の紬は、紋を入れると、金糸の入っていない織りの帯をあわせてカジュアルなお茶会にも着ていけるらしい。観劇やちょっとあらたまった場所にも、昼間なら着ていけるとのこと。
これまで、「織りの着物は普段着。織りの着物には染めの帯」と思っていたのだが、割に自由になるらしいことがわかり、バーゲンで見つけたのを幸いにさっそく購入したのだ。
まあ、どんなに高価でも、紬は「フォーマルな場に着ていけない」という意味ではやはり普段着なので、最初は安いものからでいいかな、と思っている。

でも、不思議なことに、織りの着物の反物を手にしたときは、やわらかものの反物を手にしたときとはまたちがったうれしさがある。何となくあたたかい感じがするのは気のせいだろうか。


そういえば今日は、中村勘九郎さんの、勘三郎襲名記念の「お練り」が浅草で行われたらしい。
私はチェックが甘くて、夕方のニュースで初めて知った。
観に行けばよかったなあ……残念!
でもまあ、午前中はどうせ反物やら芝居のチケットやらが届くのを待っていたので、どっちにしても行かれなかったかな。



ネットばかりやってないで……

2005年01月16日 | つれづれ
雨の日曜日。

今日は、だらだらしているうちに、何となく一日が終わってしまった。
今年の目標の一つ「マメにしっかりとそうじをする」を実行しようとしたのだが……。

朝起きて、インターネットで芝居のチケットをとろうとパソコンに向かったのが運の尽き。
そのまま何となくネットサーフィンをしているうちに、あっというまに昼になってしまった。
これではいかん、と思ったのだが、午前中だらだらと過ごしてしまうと、午後になってもなかなか気合いが入らない。
結局、テレビを見たりぼんやりしたり、思い立ってまたパソコンに向かったりしているうちに、夕方になってしまった。

私は、はっきり言って、積極的にネットサーフィンをするほうではない。
掲示板も、あの閉鎖性がいやであまりのぞかないし、自分のホームページも開設していない。
主にブログの更新をしたり、他の方のブログを拝見したり、着物のサイトを見たりしているくらいなのだが、それでもあっという間に時間が過ぎてしまう。

インターネットをし続けて終わった日は、何となく疲れている気がするし、他のことも全然はかどらないからなお倦怠感がただよう。
テレビやラジオ、CDだと、見ながら、聴きながらそうじもできるが、インターネットだとそうはいかない。だからなおさら「何もしなかった感」が強くなるのだ。

ネットの掲示板にしょっちゅう書き込んでいる人なんかがいるが、そういう人たちって、ほんとにずっとパソコンに向かい続けているんだろうなあ……。私だったら、そんなことしてたら倦怠感に押しつぶされそうだが。

インターネットは確かに便利だ。
自宅にいながらにしてチケットをとったり、買い物をしたり、旅行の手配をしたり、情報を収集したりできる。
反面、目的もないのにぼんやりと使っていると、貴重な時間を失ってしまうことになりかねない。
やはり「両刃の剣」、使い方に気をつけなくては、と思う。
そういえば子どものころ、親から「テレビは1時間までよ」などと言われた時期があったが、これからは自分で自分に「インターネットは1時間までよ」と言い聞かせなくては。
あと、「インターネットで衝動買いをしちゃだめよ」というのも(笑)。

そういえば、今日、テレビに楽天の三木谷社長が出演していた。
三木谷社長は、楽天ショップから提供されたプレゼントをスタジオに持ってきていたのだが(もちろん視聴者へのプレゼントもあり)、そのなかに加賀友禅の着物があった。
三木谷社長いわく、「初めはインターネットで着物なんか売れないだろうと思っていたのですが、これが意外や意外、すごく売れまして、今ではうちの売れ筋商品の一つなんですよ」とのこと。
たしかに、そうでしょうねえ……(ここに、のべつインターネットで着物を衝動買いしている消費者が約1名 笑)。でも私は、初めてインターネットで着物が売られているのを見た時、「これは絶対にヒットする」と思いましたよ、三木谷さん。だって、やっぱり安いんだもの。なんだかんだ言ってもこのご時世、商品選びの最大の基準は「価格」ですからね。あとは品揃えかなあ。
これからのインターネット呉服販売店に求められるのは、「仕立ての質」だと思う。
現状では、海外へ縫製を依頼していることが多いため、柄の出方がめちゃくちゃなど、仕立てをめぐるトラブルも多いようだ。このあたりをクリアできれば、インターネット呉服店はまだまだ伸びると思うのだけれど。

ところで、前々から疑問に思っていたことが一つ。同じインターネット呉服販売店が楽天市場とYahoo! JAPANそれぞれに店を出していることがあるのだが、楽天市場で扱っている商品の数とYahoo! JAPANで扱っている商品の数が全然ちがうのだ。やはり楽天市場のほうが圧倒的に多い。
このようなちがいが出る原因は、店にあるのだろうか、それとも、サイトを運営する楽天やヤフーなのだろうか。

Yahoo! JAPANでも、もう少し着物をたくさん扱ってくれるといいのになあ。
若い人向けの「洗える着物」系や「リサイクル着物」系のお店だけではなく、そこそこの品をそこそこの値段で売っているお店やその品数をもっと増やせばいいのに。
デジタルの世界で働いている人たちは、アナログの世界を敬遠しがちなのかもしれないが、世の中発想の転換が大事です。というか、異質なものを組み合わせると案外うまくいくことがあるものです。インターネットによる着物販売は、まさにその成功例でしょう。
まあ、もうすでに機を逸した感がありますが、今ならまだ間に合うかも。



歌舞伎座初春大歌舞伎リベンジ

2005年01月15日 | 歌舞伎
先日仕事のため最後の一幕しか観られなかった、歌舞伎座の「初春大歌舞伎」を、もう一度観に行った。
今回は3階席だが、チケットはタナボタで友人からもらったものなので、充分ありがたい。

3階席だし、雨が結構激しいうえもしかしたら雪になるかもしれないとのことだったので、洋服にした。雨だけなら、着物や草履を汚さないようにする方法はいくらでもあるのだが、雪の場合は積もると面倒。

1幕めの「鳴神」は、歌舞伎十八番の一つとなっている古典だが、ユーモラスな場面や台詞も多く、楽しめる。坂東三津五郎さん扮する「鳴神上人」を誘惑しようとする「雲の絶間姫」を、中村時蔵さんがなかなかよくがんばって演じていて、最後まで飽きずに楽しめるお芝居になっていた。

2幕めの「土蜘(つちぐも)」は、能の「土蜘蛛」を題材にしたものなので、台詞や所作も能がかりになっているところが多い。学生時代に能のお稽古をしていた私としては、能との共通点と相違点を見ているだけでも結構楽しめる。
歌舞伎には、能や人形浄瑠璃から題材を得たものも多いので(反対に、歌舞伎から人形浄瑠璃にいったものもある)、そういった演目を観るときには、能や人形浄瑠璃(文楽)についての基本知識を予習しておくと、初心者のみなさんでもよりいっそう楽しめると思います。歌舞伎で観た作品が能や文楽で上演されることがあれば、ぜひそれも観に行ってみてください。
私は、そうやっているううちに能から歌舞伎、人形浄瑠璃、落語、浪曲と、とめどもなくエリアが広がってしまった……。でも、こんなふうに「横のつながり」から世界を広げていけるのも、古典芸能の楽しいところであり、奥が深いところ。点と点をつないで線にしていくと、作品本来の面白さがわかってくる。
「土蜘」では、中村芝翫さん、福助さん、児太郎くんの、親子三代の共演も見ものだった。児太郎くんはとても堂々とした演技をしていて、頼もしかった。行く末が楽しみ。


劇場内で、おしゃれな着物を着ている女性を見た。
中村芝翫さんや中村福助さんのところの定紋になっている「裏梅」(梅の花を裏側から見た形を描いたもの)の柄の小紋なのだ。
ひいきの役者さんにゆかりの柄をあしらった着物を誂えて、その役者さんが出演する公演に着てくるなんて、上級者の着こなし。
いいなあ、と思わずじいっと見てしまった。
帯の一巻き目と二巻き目を微妙にずらしてきりっと締めているのも、その間の部分から出ている根付も、粋な感じだった。
舞台はもちろんだが、客席やロビーも目の保養になるので楽しい。



小正月

2005年01月15日 | 伝統文化あれこれ
1月15日は小正月。

古代において満月の日を月の初めと定めていたのにならって、1月15日を元日としたのが「小正月」。
1日を月の初めとするようになってからも、この小正月の風習は民間で残っていた。
小正月には豊作祈願の行事が行われることが多いため、今でも地域によっては、1月1日よりも小正月に重きをおくところがある。

現在はお正月飾りとして年末から年始にかけて飾られることの多い「もち花」も、もとは小正月の飾りであった。
小正月の前日に紅白の餅をつき、それを小さくちぎって木の枝につけて飾ったのだ。
ちなみに、小正月の飾りであった「もち花」を正月の飾りとして使うようになったのは、京都の「俵屋旅館」が始めたのがきっかけという説がある。

今でも小正月に行事のあるところは多い。
私が子どもだったころは、小正月の前にしめ飾りや門松をはずし、小正月に焚き上げていた。
そういえば、今はしめ飾りや門松を1月7日までではずしてしまうところも多いが、昔は小正月まで飾ってたところが結構多かったよなあ……(地域によってちがうのかもしれないけど)。

現代、特に都会では、1月15日ともなるともうすっかり日常生活に戻されてしまっていて、ちょっとのんびりしていると「まだお正月気分が抜けないのか」などと言われたりするのだろうが、本来は「まだお正月気分」で良い時期だったのだ(と、都合よく解釈する)。
ああ、古き良きニッポンのお正月よ、もう一度……。
真面目な話、そういうのをもっと大事にしないと、日本人はどんどんゆとりをなくしてだめになっていくのではないだろうか。
元日から店が開いてるなんて、便利だけどやっぱり興ざめだと思う。

幸い今年の小正月は土曜日なので、少しはゆっくりとお正月気分を味わえるかな。


上前の裾

2005年01月13日 | 着物
着物の着付け方にも、「江戸風」と「京風」がある。

上前(体の前で着物をうちあわせた時、外側になっているほう)の裾を斜めにきゅっと上げて着るのが江戸前。
7~8センチくらい、多い人だと10センチくらい上げて着付けている。

これが京都へ行くと、上前はそれほどもち上げず、ほぼまっすぐにしている場合が多い。

私は、着物によって変えることにしている。
たとえば縞の着物や江戸小紋なら、江戸前の着付け。
京友禅の着物やはんなりした柄の着物なら、京風の着付け、といった具合に。

個人的には、上前を少し上げて着るのが好きなのだが(そのほうが裾がしぼられるので、裾が広がったいわゆる「行灯」状態にならなくてすむ)、やはり着物の雰囲気とのバランスがあるので。

いちど、両親が上京した時に縞の着物の上前をきゅっと上げて着ていたら、江戸風の着付けが母には違和感があったらしく「それはちょっと上げ過ぎとちがう?」と言われたので、おかしかった。



鏡開き

2005年01月11日 | つれづれ
1月11日。鏡開き。

といっても、実家を離れてからというもの、杵つきの「ちゃんとした鏡餅」は飾っていない。
しかし、何も飾らないのも味気がないので、「鏡餅の形をしたプラスチックの作り物の中に、個別包装されたお餅が入っているもの」を飾っている。

鏡餅

ふつうの鏡餅は、鏡開きのころにはカビが生えていたり、固くなっていたりして、開くのに大変な手間がかかるが、これだとフィルムをはがすだけですむ。
中のお餅も個別包装されているので、カビも生えない。食べたい時に個別包装の袋から出して焼けばよいので、むだも出ない。
うーん、「文明のリキ」だなあ……。

しかもこの鏡餅は、だんだん進化している気がする。
三宝(さんぼう。お餅の乗ってる台です)や御幣(前に垂れている、紙を切り折りして作った紅白の細長い飾りです)、だいだいなどの飾り物がついているのだが、この組み立てが年々楽になってきているのだ。
今回買ったのは、三宝も組み立てられた状態、御幣も最初から折られた状態で入っていた。ほとんど箱から出すだけといった感じでらくらくだった。

さらにうれしいことにこの鏡餅、中に入っているパックのお餅が「丸餅」になっているものと「切り餅」になっているものと、2種類売られているのだ。
私の実家は西日本なので、餅は「丸餅」である。
私は、お餅だけはいまだに「丸餅」にこだわる。
この鏡餅の中身も、もちろん丸餅。

丸餅

長い東京生活のなかで、着物をはじめさまざまなものにおいて「江戸風」も好きになってきた私だが、「丸餅」と「出汁(だし)の味」だけは、いまだに譲れない。そばも、東京ではかけそばのつゆは濃いので、つけそばしか食べない(京都や大阪に行ったらかけそばやかけうどんを食べてつゆまで飲み干すが 笑)。

「丸餅」が手に入りにくい東京で、この「丸餅入り鏡餅」を見つけたときは、天にも昇る心地だった。一も二もなく買ったのをおぼえている。
ただしこの「丸餅入り鏡餅」、どのお店でも売っているというわけではない。
これまでの調査の結果(笑)、当然のことながら関西・西日本資本のスーパーやコンビ二で売られている場合がほとんど。関東資本のスーパーやコンビ二では、必ずと言っていいほど「切り餅パック入り鏡餅」だけが売られている。
蛇足だが、カップめんのスープも、東日本と西日本とで濃さがちがうのだ(メーカーによるが、某大手カップめんメーカーは、同じ商品でもスープの味を変えて「東日本用」と「西日本用」を作っている)。

もちろん、「切り餅」が嫌いなわけではない。たとえば、磯辺巻きにする場合などはやはり切り餅のほうがよい。
しかし、お雑煮に入れる餅だけは、何としてでも「丸餅」でなければ嫌なのだ。
ビジュアル的に、やはり「丸餅」が入っていないと、「うちのお雑煮」という気がしないのだ。
たとえ汁の味付けが同じでも、切り餅が入っていたのでは、他人様の家のお雑煮のように思えてしまう。

お餅の形やだしの味だけでなく、東日本と西日本とでは、いろいろなものがちがう。
もちろん、そのなかでさらに細かく分けて見ていくと、たとえ目と鼻ほどしか離れていない地域でも言葉や生活習慣などさまざまなちがいがある。
日本は、狭いようで広い。
海外を旅行するのももちろん楽しいとは思うが、私が国内旅行にこだわるのは、こういう発見が楽しいからだ。
海外に出ていく人たちのなかに、外国の人に対して日本のことを正確に伝えられる人はどのくらいいるのだろうか。


追伸:

鏡開きにあわせて、こういうのも開いて中身を出してみた。

獅子舞のお菓子

獅子舞のお獅子の形をした入れ物のなかに、お正月らしいデザインのお菓子が入っているのだ(本当はもっと入っていたのだが、撮影する前にうっかり食べてしまった 笑)。
しかもこのお獅子、袋の部分から手を入れて、獅子頭をちゃんと「カチカチ」と動かせるのだ。
こういうのを見ていると、日本に生まれてよかったなあと思う。



ラグビー大学選手権決勝

2005年01月09日 | つれづれ
連休2日目。

先週末にやり残した仕事をすませてから、ラグビー大学選手権の決勝戦を観に、国立競技場へ。

決勝に進出したのは、関東学院と早稲田。
いまや大学選手権決勝では定番の顔合わせだが、昨年は早稲田が関東学院に敗れた。

今回の試合は、前半では早稲田が2トライ1ゴール、関東学院が1トライ1ゴールで早稲田がリードしていたのだが、後半に入って関東学院が2トライを奪い、逆転。
一時はどうなることかと気が気でなかったが、その直後、早稲田が1トライを奪い、またまた逆転。その後さらに2トライを決め、勝ち越した。

これで早稲田は、明大に並ぶ史上最多タイ12度目の大学日本一に輝いた。

昨年の雪辱を果たした早稲田ラガーたちは、大いに喜んでいた。
表彰式が終わると、部員全員が輪になって、早稲田ラグビー部の部歌「荒ぶる」を歌っていた。

部歌「荒ぶる」を歌う早稲田ラガー

この「荒ぶる」は、大学日本一になった時にのみ歌われる。
歌っている部員たちの表情は、晴れやかだった。
「荒ぶる」の熱唱の後、胴上げが行われ、清宮監督が宙に舞った。

清宮監督の胴上げ

今回の決勝の試合は、両校ともに実力を十二分に発揮した、いい試合だったと思う。
今回惜しくも敗れてしまった関東学院も、大学王者の常連校にふさわしい底力を見せてくれた。
来年もまた、精進を重ねてそれぞれすばらしい試合をやってほしい。

両校はこの後、社会人と対戦する日本選手権に臨む。

残念ながらこの日本選手権で学生が優勝したのは、1988年に早稲田が東芝府中を下して日本一に輝いたのが最後となってしまっている。
社会人は体格もいいし、力もあるので、そうそう簡単には勝てないかもしれないが、小さい者が大きい者を倒すことができるのも、ラグビーの良いところ。ぜひがんばってほしい。
小さな学生選手が大きな相手に体当たりしていく様子を見ていると、不思議と自分も励まされる感じがする。

追伸:冒頭の写真にアップでうつっているのは、早稲田のラグビージャージを着たわが家のスクラムハーフ(笑)。早稲田の試合を観に行くときは必ず連れていくのだが、大学選手権決勝では手荷物検査が行われるので、ちょっと恥ずかしかった……。普通にこの荷物を見てにこやかに「いいですよ」と言ってくださった警備員さん、ありがとうございます……。
ラッキーなことに、この試合を一緒に観に行った学生時代の友人が、自分は行かれないし3階席で安いからと、歌舞伎座正月興行のチケットをくれた。先日、仕事が終わらなかったため少ししか見られなかった、例の興行である。ありがたい!