本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

浴衣の着こなし(2)

2005年06月30日 | 着物
絵羽模様(広げるとひと続きの絵になっている柄ゆき)の浴衣は「最近のもの」のように感じられるかもしれませんが、なんと、江戸時代からあったのです。

入浴の時や湯上がりに着るものだった浴衣が、お祭りなどの際のおしゃれ着として着られるようになったのも、江戸時代からだと言われています。
それに伴い、浴衣の柄や染め方にも様々なこだわりが出てくるようになりました。

裏にも色柄がきれいに通っている「注染(ちゅうせん)」という技法で染めた浴衣や、表と裏で違う柄を染めた浴衣など、「浴衣なのに凝っている」ものが、江戸で流行したのです。
これらの技法を使った浴衣は、今もなお、竺仙などの老舗で染められています。
度重なる「ぜいたく禁止令」に対する抵抗という意味もあったようですが、「さりげないところに凝るのが粋」とする江戸の人々の美意識も影響しているのだと思います。

そんな「凝った浴衣」として、絵羽模様の浴衣も登場しました。
「首抜き浴衣」と呼ばれるものです。
首回りに役者の紋などの模様が大きく染められており、裾にも模様が染められています。

「首抜き」の柄の衣装は、歌舞伎の世界から始まったものですが、しだいに一般の人の間でも流行し、おしゃれな江戸っ子は、ひいきの役者の紋などを染めた「首抜き浴衣」をあつらえ、祭礼の時に着たりしました。祭礼、つまり「ハレ」の日に着る、よそゆきの浴衣だったわけです。
現代の「よそゆき浴衣」の着こなしに、通じるところがあるのではないかと思います。
祭礼のたびに、わざわざ首抜きの浴衣を染めさせるのですから、ぜいたくなものです。
江戸時代にはすでに、浴衣が単なる寝間着ではなく、「おしゃれ着」となっていたのです。

現代でも、東京のお祭りで、首抜き浴衣を着ている方を時々見かけます。
今年の三社祭でも、首抜き浴衣を着ている女性を見ました。もちろん、氏子として参加している人でした。

江戸の三大祭の一つ「神田祭」の時、老舗うなぎ店「神田川」の女将さんは、必ず首抜き浴衣を新調してきたそうです。
この「神田川」の女将さんの首抜き浴衣の着こなしは、これまでにも何度か着物雑誌で紹介されていますので、興味のある方はぜひごらんください。
ひいきの役者の紋や、その役者にゆかりの柄などを染めている首抜き浴衣を、すらっと粋に着こなしていて、とても素敵です。

現代では、役者の紋を染めてしまうと着こなしが難しいというせいもあるのでしょうか、それ以外の柄を染めた首抜き浴衣も作られているようです。
「らくや」の首抜き浴衣
千鳥の柄がとても素敵です。
しかし、高い……。着物と同じくらい、いや、それ以上にかかりますね。
(私が持っている絵羽模様の浴衣は、もちろん、これよりもず~~っと安いです)

「首抜き浴衣」には、「たかが浴衣」にお金と手間をかけておしゃれを楽しむという、江戸の人々の心意気が感じとれます。

それを考えると、「浴衣=花火大会に着て行くもの」という図式が成り立ってしまっていた現代において、「おしゃれ着としての浴衣の着こなし」が注目されつつあるのは、「最近のブーム」というよりもむしろ「古典回帰」なのかもしれないなあ、と思います。



明月院

2005年06月26日 | つれづれ
鎌倉の明月院へ行った。

このお寺はあじさいの名所で、この時期はいつも人が多いのだが、今年は「義経ブーム」のせいか、いつにも増してすごい人出になっていた。

花のほうは、今年は雨が少ないせいか数も少なく、小さめだった。

境内には、あじさいの花を抱えたかわいらしいお地蔵さんが(冒頭写真)。
このお地蔵さん、数年前から登場したのだが、パステルカラーのイヤリング(?)のようなものがついていて、かわいらしい。見ていて何となくほのぼのする感じだ。

この後、新宿の末廣亭へ行ったのだが、長蛇の列ができていたので、入場を断念。
ドラマの影響なのか、最近、寄席にはずいぶんとお客さんが増えているようだ。

しかたがないので、伊勢丹デパートで、浴衣売り場を見てから帰った。
浴衣売り場は多くの人でにぎわっていた。店員さんたちも、みんな浴衣を着ている。
私もキモノを着ていたので、店員さんにやたらと声をかけられずにすんで楽だった(笑)。


<本日のキモノ>

麻の葉の浴衣に博多織の献上八寸名古屋帯

麻の葉模様の綿麻浴衣を、半衿・襦袢・足袋とあわせてキモノ風に。
襦袢は、麻の二部式襦袢を使用。夏は、下に着るものを調節して、少しでも涼しくなるようにしなければ……。
帯は、博多織の献上八寸名古屋帯。
根付は、前日に歌舞伎座のロビーで購入した、金平糖をかたどった根付。アップの写真を撮り忘れたので残念なのだが、まるで本物の金平糖みたいなのだ。パッケージには「まちがっても食べないでください」との注が書かれていた(笑)。
金平糖の色が、あじさいをイメージさせる感じで、この時期にはちょうどよかったかも。

暑かったので、足袋は早くも麻足袋に。木綿の足袋と比べると、とても涼しい。
前日に買った、右近型の焼き桐下駄をさっそくおろした。



歌舞伎座六月大歌舞伎(夜の部)

2005年06月25日 | 歌舞伎
浅草を後にして、歌舞伎座へ。

3か月間続いた襲名披露興行も終わり、落ち着いた雰囲気の戻った歌舞伎座だったが、それでも、土曜の夜の部だけあって、多くの人が集まっていた。

時節柄か、着物を着ている人は先月までよりもぐっと少なくなっていた。
暑い日だったため、浴衣を着ている人も何人か見かけた。
綿紅梅の浴衣に半衿をつけて、裸足に下駄ばきといういでたちの人もいたが、全体的なバランスとしてはちょっと違和感があるかなあ……と思った。近所に出かけるだけなら特に違和感はないと思うけれど、さすがに歌舞伎座だと……。
地下鉄のフリーペーパー(6月24日のブログ記事を参照)を読んで勘違いしてしまったのかしら……と、ひとごとながらちょっと心配してしまった。
こういうことがあるから、情報を発信する側にもきちんと勉強して正しい情報を書くようにしてもらいたいものだが……。
歌舞伎座で、浴衣に半巾帯、素足に下駄だと、ちょっと浮いてしまう感じは否めないかも。個人的には、爽やかな感じで着こなせていればそれはそれで素敵じゃないかなあ……と思うが、周囲とのバランスを気にしてしまうと、着ているほうも落ち着かないかもしれない。
もちろん、「浴衣で観劇の日」などのご趣向があって、周りもみんなそのいでたちという場合ならいいのだろうけど。
キモノの場合、やはり周囲との調和は重要かもしれない。洋服だと、ジーパンでも違和感がないのに、不思議だ……。

閑話休題。

夜の部の演目は、「通し狂言 盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」「良寛と子守」「教草吉原雀(おしえぐさよしわらすずめ)」。

「盟三五大切」は、江戸時代の狂言作者、鶴屋南北の作。演じるのは、吉右衛門丈、仁左衛門丈、時蔵さん。
この話は、忠臣蔵や四谷怪談との関連性が随所にちりばめられている。それがこの話の面白いところの一つなのだろうが、四谷怪談の初演をリアルタイムで観た人々がそれと関連する話を観て「面白い」と思う感覚には、後世の我々はどうやってもかなわないのではないかと思う。
それにしても、時蔵さんは、きれいだし芝居も丁寧だし、いつ観ても良いなあ、と思う。

梅玉さんと魁春さんの舞踊「吉原雀」も、華やかで、それでいて落ち着きがあって、とても良かった。

今回の一番のお目当ては、「良寛と子守」。
良寛を演じる富十郎丈の長女・愛子ちゃんが、初舞台を踏んでいるのだ。
まだ2歳に満たない愛子ちゃんは、ほかの人の踊りや台詞の間は所在ないのか、舞台から出たり入ったり。
でも、自分が所作をしなければならないときには、きちんとやっている。さすがだ……。
時折、お父さんの富十郎丈の所作を真似て同じように一生懸命やっている様子が、とてもかわいかった。やはり子どもは覚えが早いのだろうか……。
長男の大ちゃんも出演していた。小さいながらもおにいちゃんらしく、堂々と演技する様子がとてもかわいらしかった。
子守役の尾上右近さんの踊りは、きっちりとしていて素晴らしかった。きれいな踊りを見たなあ……という感じだ。
子どもの無邪気な心と、子どもを慈しみ敬う良寛の人間性がよく伝わって来る、観ていてやさしい気持ちになれるような舞踊劇だった。歌舞伎座では25年ぶりの上演とのこと。


<本日のキモノ>

単の紋御召にあじさいの絽塩瀬帯 あじさいの絽塩瀬帯

暑い日だったが、まだ6月なのでがんばって単(ひとえ)の着物にした。
襦袢を二部式にしたので、それほど暑く感じずにすんだ。
二部式襦袢の上半身は、身頃の部分が木綿になっていて、袖の部分はポリエステルの絽になっている。下半身の裾よけも、絽。
帯は、あじさい柄の絽塩瀬の染め帯。写真では白っぽく写っているが、実際は、淡いグリーン。今年は、あじさいの開花が遅かったため、この時期に締めても違和感がなかったのでよかった。
駅のエスカレーターで、後ろに立っていたご婦人が帯をほめてくださった。気に入っている帯や着物をほめていただけるのは、やはりうれしいものだ。



お座敷舞踊 浅草12か月

2005年06月25日 | 伝統文化あれこれ
浅草見番の2階広間で、芸者さんたちによる踊りの会「お座敷舞踊 浅草12か月」が行われた。
浅間神社・通称「お富士さん」の植木市に協賛して行われている会で、今年で7回を数える。

芸者さんたちがふだんお座敷で舞っている曲を、季節に沿って追った構成。1時間強の公演だが、曲数も多く、間に幇間(ほうかん)衆の芸や踊りもあって、盛りだくさんの内容だ。

いつもは、三味線や唄、鳴り物も生演奏で行われるのだが、今年は「地方(じかた)さん」(三味線や唄を担当する人)が体調を崩してしまい、人数がそろわなかったそうで、テープによる演奏だった。
テープだと、立方(たちかた。舞い手のこと)も間をとりにくくなってしまい、踊りにも微妙に影響が出てしまうので、少し残念だ。

その代わりに、終演後お客さん一人一人に、お姐さんたちからお土産が渡された。
お土産は人形焼だったのだが、パッケージに芸者さんたちの千社札シールが貼られているのがちょっとうれしい。
ましてや、お姐さんたちに手渡ししてもらえるのだから、願ってもないことである。
これだけでも十分うれしいのだが、さらにうれしいことが。
10名に限り、お土産の人形焼のなかに「当たりくじ」が入っているとのことだったのだが、何と、見事に当たったのだ。
いつもはくじ運が良くない私だが、たまにはこういうこともあるんだなあ……。

当たりくじの内容は、見番で行われる芸者さんたちのイベントへのご招待一回分。わーい。

浅草芸者さんの千社札シール付き人形焼

芸者さんの名前入りの千社札シールが貼られた、お土産の人形焼。
この千社札シールも、私の好きなお姐さんのものだったので、うれしい。
大きい(=ベテランの)お姐さんで、踊りがとても上手なのだ。いかにも下町っ子という感じの、ちゃきちゃきしたところも実にカッコイイ。
今回も、このお姐さんが唯一、男踊りをやっていた。女踊りよりも男踊りのほうが難しいのだ。「槍さび」という曲をキリリと踊っていて、かっこよかった。
着物も、白に藍の濃淡の縞(かつお縞のさっぱりしたもの、という感じ)の着物に、うちわの柄の青の染め帯で、素敵だった。
写真撮影可だったのだが、踊りに見とれてそれどころではなかった……。残念……。


会が終わった後、浅草の下駄屋さんに寄って、兼ねてより欲しいと思っていた右近型の焼き桐下駄を購入。

浅草・富士屋の右近焼き桐下駄

これまで、夏は黒塗りの千両下駄を愛用していたのだが、ゴム張りではないので歯が欠けやすく、ほぼ毎年買い換えなければならなかった。裏にゴムの貼られている右近型の下駄も一足あると、歩きやすくて便利そうだなあと思ったのだ。
実際、履いてみるととても楽。草履よりも歩きやすい感じだ。「おでかけ浴衣」のときにはちょうどよさそう。



浴衣の着こなし

2005年06月24日 | 着物
先日、地下鉄の駅に置かれているフリーペーパーのなかに、浴衣に関する記事がありました。
読んでみると、どうやら、「これまでと違った、ワンランク上の浴衣の着こなしをしよう」というような主旨のものでした。

しかし……。残念ながら、その記事を書かれた人は、どうやら、「浴衣の着こなし」について正しく理解できていないようでした。なぜなら、次のような言葉があったからです。
「半衿をつければ、ちょっとあらたまったところへも着て行ける」

これは、まったくの間違いではないけれど、正しくもありません。
着物ビギナーが万一、この記述を鵜呑みにしてしまうと、とんだ恥をかいてしまうことになりかねません(もちろん、誰でもビギナーのうちは失敗するし、失敗に気づくことによってしだいに着こなし上手になれるのだけれど)。

そこで今回は、盛夏を目前にして「今年は浴衣で夏キモノ気分を楽しもう!」と思っている「夏着物ビギナー」の方のために、「夏のふだん着キモノとしての浴衣の着こなし」についてご説明したいと思います。

さきの記述で出てきた、「半衿をつければ、ちょっとあらたまったところへも着て行ける」
この言葉がなぜ正しくない(あるいは言葉が足りない)のかと言いますと……。

1)浴衣は、本来「あらたまった」ところへ着ていくものではない
2)どんな浴衣でもよいというわけではない
3)半衿をつければよいというわけではない

からです。


まず、1)について。
ご周知のとおりかと思いますが、浴衣はもともと「湯帷子(ゆかたびら)」といって、入浴(湯浴み)のときに着る衣服だったのです。それが発展して、湯上がりに着る、寝間着兼部屋着になりました。
洋服に例えるなら、「パジャマ兼用のジャージ」とでもいったところでしょうか。
ジャージを着て出かけるところというのは、限られていますよね。
スポーツの試合に行くようなときでもない限り、ジャージのまま電車に乗って出かけるという人はあまりいないと思います。せいぜい、近くのコンビニくらいまででしょう。
浴衣も同じで、本来は、家の中や、せいぜい町内を歩くときくらいしか着ないものだったのです。

今でも、「浴衣を着て電車に乗るもんじゃない」という方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、現代において、そこまで厳しく考える必要はないのでは、と、個人的には思います。
だって、花火大会に電車に乗らずに行けることなんて、ほぼないですよね。

電車に乗っちゃいけないとまでは言わないけれど、「本来はジャージみたいなもの」と考えればおのずと、「あらたまったところへは、普通は着て行けないもの」ということは想像できますよね。
それを大前提として理解しておくことは大切だと思います。


次に、2)について。
「本来はあらたまったところへは着て行けない」浴衣ですが、最近では、いろいろな浴衣があって、なかには「着方しだいでは、カジュアルなおでかけ着として、ちょっとした場所に着て行ける」もの、つまり、ジーンズかチノパンくらいの役割を果たせるものがあるのです。

浴衣は、生地の織り方や素材によって主に次の7つに分けられます。

ア)綿コーマ
イ)綿絽(めんろ)
ウ)綿紅梅(めんこうばい)
エ)奥州紬(おうしゅうつむぎ)または綿紬、綿麻
オ)絞り
カ)縮(ちぢみ)
キ)絹紅梅(きぬこうばい)

このうち、1つだけ、半衿などをつけて着ないものがあります。
ア)の綿コーマです。これは、いわゆる「普通の浴衣」です。温泉旅館などで出てくる浴衣と、素材や生地の織り方は同じです(もちろん、生地の厚さや柄の染め方などによってピンキリですが)。
浴衣売り場で売られているものの大半は、この綿コーマです。

綿コーマは、素肌の上か、浴衣用スリップなどの下着の上にじかに着るものです。当然、半衿や長襦袢はつけません。したがって、「ちょっとしたおでかけ着」にはできません。
綿コーマは、花火大会やお稽古、近所へちょっと買い物、といった場面だけで着ます。

しかし、綿コーマ以外の6種類の浴衣は、「高級浴衣」とされていて、これならば、着方によっては「ちょっとしたおでかけ着」にできるのです。


最後に、3)について。
上で述べたとおり、綿コーマ以外の6種類の浴衣ならば、着方によっては「ちょっとしたおでかけ着」にできます。
しかし、この場合に必要な4つの条件があります。

・半衿をつける
・襦袢(袖のあるもの)をつける
・足袋をはく
・名古屋帯を締める

この4つの条件をすべて満たしてはじめて、浴衣が「ちょっとあらたまった場所にも着ていける」ものに昇格するのです。
これらの条件を満たせば、ちょっとしたレストランでの食事や旅行などにも十分着て行くことが可能です。
縮や絹紅梅なら、観劇にも通用します(ただし、公演の種類や座席、着物の柄ゆきなどにもよります)。

レストランや観劇に着ていくならば、履き物にもそれなりに配慮をしなければいけません。
レストランや劇場は本来、下駄履きでは入れないところですので、草履を履くのが望ましいでしょう。
どうしても下駄を履く場合は、右近型や草履型で、裏にゴムの貼られているものにします。
草履は、夏向きの淡い色で、台の高くないものを合わせます(しょせんは浴衣ですから、礼装用の台の高い草履だとバランスが合いません)。

帯とのバランスも必要です。
木綿にあわせてもおかしくないもの、博多の献上帯や麻の帯などが定番です。


これまでの話を要約すると、

・綿コーマ「以外の」浴衣に、半衿、袖つき襦袢、足袋を合わせてはじめて、「ちょっとあらたまった」場所へも着て行ける。
・そうは言っても、しょせんは浴衣。着て行ける場所には上限がある。
・着て行く場所にあわせて、素材や小物を選ぶ必要がある。
・全体のコーディネートのバランス、周囲との調和を考えることが大切。

というのが、「夏のカジュアルキモノ」として浴衣を着る際におぼえておくべき基本事項と言えるでしょう。


「いろいろメンドウだなあ」と思うかもしれませんが、浴衣以外の着物を着るときも、着物の素材や種類によって、合わせる帯や履き物、着て行く場所などのバランスを考えますよね。それと同じですので、着物に関する基本的な知識を身に付けて、普通のセンスがあれば、着こなしは決して難しいものではありません。

浴衣の素材はほとんどは木綿や麻ですので、家庭で洗うことができ、しかも、天然素材ですので肌触りもよくて快適です。麻などは、ほかの素材に比べるとやはり涼しいです。
バランスやTPOをきちんと考えて着れば、こんなに便利な夏の外出着はありません。

「基本的知識」をもとに、まずはとにかく着てみましょう。
いきなり高級レストランや観劇に着て行くのではなく、ちょっとした外出からチャレンジすれば安心できると思います。
いろいろなところに着て行って、場の雰囲気とのバランスを見れば、しだいに要領がつかめてきて「こういうところへも着て行けそうだな」というのがわかってくると思います。


夏に絹を着るのはちょっと……と思っている方は多いと思います。
もちろん、ポリエステル着物という選択肢もあると思いますが、ポリエステルだけが「洗える着物」というわけではないのですから、選択肢は多いに越したことはないでしょう。
暑さの度合いや着て行く場面に応じていろいろな素材の着物を使い分けられれば、さらに快適な夏のキモノライフが楽しめるはずです。






菖蒲

2005年06月19日 | つれづれ
葛飾区にある、堀切菖蒲園へ行った。

今年は、菖蒲や紫陽花の咲き始めが遅かったようで、6月の中旬を過ぎているというのに、ちょうど見ごろという感じだった。
例年の花期にあわせているのか、堀切菖蒲園の開園期間は、この翌日までとなっていた。
せっかく見ごろになっているのに、ちょっともったいないなあ、と思った。

のんびりと午後から出かけて、京成電鉄・堀切菖蒲園駅に到着。駅の近くにあった「お持ち帰り寿司」のお店で茶巾寿司と穴子きゅうり巻きと箱寿司を買い、菖蒲園へ向かった。
このお持ち帰り寿司のお店は、大将とおかみさんだけで切り盛りしているような、小さなお店だった。店先のガラス窓の向こうで、大将が酢飯を作っている。
注文を聞いて、大将が酢飯をつくる手をとめておかみさんを呼ぶと、すぐに奥からおかみさんが登場。
大将は、すでにできあがっていた茶巾すしと箱寿司を手早くパックに入れ、そのあと、手早く穴子きゅうり巻きにとりかかる。
その間、おかみさんは時々酢飯をしゃもじでかきまぜながら、大将から渡されたパックのふたをしてビニール袋に入れていく。
すばらしい連携プレーだ。寿司をさわるような作業は必ず大将が行い、寿司をさわるのに妨げとなる作業はうまく女将さんが引き継いでいく。
良い状態のものを手早く出そうとする大将の考えがよく伝わってくる感じだった。
ちなみに、寿司の内容からわかるとおり、関西寿司(京風寿司)のお店である。

菖蒲園に着いて、まずは「花より団子」、さっそくお寿司を食べてみた。
穴子きゅうり巻きも、箱寿司も、ふんわりと絶妙の力加減で作られている。
茶巾寿司の玉子は、ふわっとしていてなめらか。
おいしくて、あっというまにたいらげてしまった。
持ち帰り寿司にしろコーヒーショップにしろ、チェーン店が立ち並ぶ駅の多い昨今だが、堀切菖蒲園の駅前には、こういった昔ながらのお店が、まだたくさん残っていた。

おいしいお寿司でお腹を満たした後は、不思議とゆったりとした気分で菖蒲を見ることができた。

紫陽花「隅田の花火」
↑堀切菖蒲園へ行く途中、紫陽花(あじさい)の小径があった。これは、「隅田の花火」という品種。


<本日のキモノ>

単の綿紬に博多織の八寸名古屋帯 千鳥の裾模様

あっという間に6月も半ばを過ぎ、あと半月足らずで薄物<盛夏(=7、8月)に着る、透ける着物>の季節になってしまう。今のうちに、6月の着物をもっと楽しまなければ! というわけで、着物で出かけることに。
今日は、外を歩いて回るので、木綿の単(ひとえ)に。実はこれ、浴衣なのだ。
しかし、いわゆる普通の浴衣とは生地の織り方が異なり、柄も絵羽付け(広げると一枚の絵のように柄がつながっているもの)になっている。裾模様は千鳥の柄。
盛夏に浴衣として着ることはもちろんだが、透け感も少ないので、6月下旬や9月上旬に、半衿・襦袢をあわせて単(ひとえ)の綿紬の着物としても着られるようになっていて便利。

6月なので、襦袢は夏物、半衿・帯揚げもすべて絽に。
人によっては、6月の初旬は半衿を塩瀬にすることもあるようだ。半衿が塩瀬なら、帯揚げも絽ではなく普通のものにする。半衿を絽にしたら、帯揚げも絽に。
6月の半衿の用い方については諸説あるようだが、6月に入ったら、半衿も帯揚げもすべて絽にするのが一般的なようだ。もちろん、襦袢も単(ひとえ)ではなく絽などの夏物に。

帯は、博多織の「やたら縞」の八寸名古屋帯。
帯締めは、涼しげに見えるよう、幅の細い三分紐にして、帯留を使用。



つきじ獅子祭

2005年06月11日 | 伝統文化あれこれ
東京・築地卸売市場近くに、「波除(なみよけ)稲荷神社」という神社がある。

神社の名前からもわかるとおり、築地一帯は、かつては海だったのだ。
徳川4代将軍家綱の時代、築地の埋め立てが行われた際、堤防を築いてもすぐに激しい波にさらわれ、その工事には困難を極めたという。
そんなとき、海面を漂っていた稲荷大神の像を見つけた人々が、それを引き上げ、社殿を作って丁重に祀ったところ、波風がやんで、埋め立て工事を無事に終えることができたのだという。

そんな稲荷大神のご神徳をあがめて始まったとされるのが、「つきじ獅子祭」。
人々が奉納した獅子頭や竜、虎の像などを担いで回ったのだそうだ。

現在は、3年に一度の本祭(ほんまつり)と、その間2年の陰祭(かげまつり)とに分けて行われている。
本祭では、宮神輿と獅子頭の渡御が同時にとり行われ、町内の神輿も出される。
陰祭の年は、宮神輿か獅子頭どちらか1基だけの巡行で、町内の神輿も出ない。
今年は本祭の年なので、宮神輿と獅子頭の両方が出されるのだ。日は異なるが町内の神輿も出るので、各町内に神輿を安置する「御仮屋」が建てられ、お祭りの雰囲気も盛り上がっている。

築地4丁目町会の御仮屋


今日は、宮神輿と獅子頭の渡御の日。
お昼すぎに、神社前で神事が行われた後、宮神輿の宮出し。

宮神輿の宮出し

その約1時間後、今度は獅子頭の宮出し。
今年担がれた獅子頭は「お歯黒獅子(おはぐろじし)」。

お歯黒獅子

普通、お獅子の歯は金色なのだが、このお獅子の場合は黒。お歯黒を塗っているのだ。
お歯黒を塗っているということは、このお獅子は雌(めす)。昔は、女性は結婚するとお歯黒を塗っていた。
お歯黒獅子の後ろには、弁財天の絵姿が祀られている。

お歯黒獅子後部の弁財天像

弁財天もまた、女性の神様である。
そのためなのか、このお歯黒獅子は、女性だけで担がれ(冒頭写真)、宮出しと宮入りも女性によって行われる。


宮出しと巡行を少し見た後、少し時間をつぶしてから、夕食をとりに築地場外市場のおすし屋さんへ。
場外市場のなかに数軒の店を構えているおすし屋さんなのだが、どこも行列ができていた。
1カンあたりの値段がかなりリーズナブルなのが人気の秘密らしい。
営業時間も24時間。おすし屋さんとしては画期的である。
私が行ったときは、幸い時間帯がよかったのか、少し待っただけで入れた。

場外市場には、この店以外にもたくさんおすし屋さんがあり、近海本マグロの専門店もあったりする。
近海本マグロも捨てがたいが、今日は何となく「光りもの」(青魚)が食べたい気分だったので、本マグロ専門店はまた別の機会に。
もちろん、今回入った店でも本マグロを使用しているらしい。

禁煙フロアはテーブル席しか空いていなかったのだが、おすし屋さんで周りにタバコを吸われることほど嫌なものはないので、禁煙フロアのテーブル席に。
テーブル席には、注文票がおいてあって、食べたいネタとその数を記入し、お店の人に渡す。

まずは、「光りもの」。
本当はコハダといきたいところなのだが、ちょっと苦手なので、アジ、サバ、イワシ、カツオを注文。
ビールを飲みながらお通しを食べていると、注文したにぎりが到着。
アジは身がしまっていたし、イワシは脂がのっていたし、どれもなかなかの美味。
にぎりなので手でつまんで一口でパクリ。この、女性でも「一口でパクリ」といけるサイズでにぎっているのが、江戸のすしなのだ。江戸っ子は、シャリが大きいのは好まないらしい。
またたくまに光りものをたいらげ、今度はサヨリや、マグロの赤身・中トロ・大トロあぶりを食べる。
マグロもおいしかった。中トロも脂がのっていて、なめらかな舌ざわりだ。

そのあと、青ノリのみそ汁を頼み、もう一度、サヨリと、光りもののなかで気に入ったネタをいくつかと、中トロを食べて締め。

これだけ食べて、ビールも飲んだのに、一人あたりの値段は3500円くらい。
やはり、築地市場ならではのリーズナブルさだ。


店を出て再び波除稲荷神社の前へ行くと、ちょうどお歯黒獅子が戻ってくるところだった。
お歯黒獅子の宮入りの後、少し経ってから宮神輿が宮入りし、無事おひらき。

宮神輿の宮入り

こぢんまりとしたお祭りだが、各町内が協力し、「酒を飲んで神輿を担がない」「喧嘩をしない」などといった決めごとを守って、楽しく祭りをやろうとする姿勢があらわれている、良いお祭りだった。


ところで、波除稲荷神社の境内には、生き物の供養塚がたくさんある。
「活魚塚」のほか、「海老塚」「玉子塚」「鮟鱇(あんこう)塚」、「すし塚」まである。

玉子塚 すし塚 

魚河岸の人たちが、自分たちが売っている生き物を供養するために奉納したもののようだ。
生き物の命をもらうことに対する感謝の念が、よくあらわれている。

日本にはあちこちにこういった供養塚がある。
「鯨塚」もそうだ。
日本人は古来より捕鯨を行ってきたが、捕えたクジラについては、その肉を大切に食べることはもちろん、ヒゲや油、皮、骨など、ありとあらゆる部分を無駄なく使ったうえで、鯨塚を建立して供養した。
これが日本の「食文化」というものだ。
高価な油をとるためだけにクジラを乱獲していた欧米人に、捕鯨という日本の食文化のことをあれこれと言う権利が、果たしてあるのだろうか。



高層ビルとキモノ

2005年06月10日 | 着物
今朝、会社の最寄り駅の改札を出たら、いきなり、袴をつけた男性が立っていた。
手には、「○○会会場→」と書かれた案内板。
品のよい単(ひとえ)の色無地を着た女性も近くに立っている。
ふだん、着物を着て歩く人にめったに出くわさない駅なので、ちょっと驚いた。

そのまま進んでいくと、ビルに向かうエスカレーターの下、エスカレーターを上がりきったところ、さらには、ビルの入り口付近にも数名。
女性はほとんどみな単の色無地、男性は紬の着物と紬の袴だったので「もしやお茶会?」と思っていたら、案の定、帯に袱紗(ふくさ)をはさんでいる方が。

それにしても、案内の人の数も多くて、ずいぶん盛大な会だなあ……、しかも、みんな正統派のお茶席の装いだし……と思っていたら、それもそのはず、その会は、某流儀の宗家直轄の団体によるものだった。
きっと、その流儀の師範クラス以上の人が一堂に会する、盛大な会なのであろう。

やはり、お茶を長年やっている人の着こなしや身のこなしは、どこか違う。
それは踊りをやっている人にも言えることだとは思うが、お茶の世界はまた独特な感じだ。
踊りの人は「はんなり」(上品な華やかさがあること)、お茶の人は「しっとり」といったところ。

そういった人たちの着こなしを見ていると、とても勉強になるので、失礼を承知で「チラ見」。
歩きながら横目で見るだけだったが、それでも、ほんの一瞬目をやっただけで、洗練されていることがわかる着こなし。

高層ビルの下に、しっとりとしたキモノ姿の人々。
一見、似つかわしくないようだが、不思議と溶け込んでいた。

品のよい着物姿を見た後は、高速エレベーターの重力も普段より軽く感じられた。


 関東地方は今日梅雨入り

襲名披露ポスター

2005年06月08日 | 歌舞伎
かねてより歌舞伎座のロビーに貼り出されていた、中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露のポスターが、地下鉄の駅にも登場。
これを見たいがために、わざわざその駅を通る経路で通勤している今日このごろ。

その駅は乗り換え駅ではないので、ポスターの前でじっくりと立ち止まって見ることはできない。電車の中から見るだけなのだが、ぴったりの位置に乗り合わせるのはなかなか難しい。
乗るときに「だいたいこの辺かな~」とアタリをつけるのだが、いつも少し位置がずれていて、なかなかポスターの目の前で止まってくれない。
しかたがないので、電車が発車した際に、目の前を流れていくポスターを一生懸命目で追っている次第。
おかげで、動体視力が良くなりそうだ(笑)。

※この後、乗り換え駅でもポスターが貼られているのを発見(冒頭写真)。やった! これで少しはゆっくり見られる!


とにかくいいポスターなのだ。
赤の背景に、藤の花房が垂れ下がっていて、その前に、藤色の裃をつけた鴈治郎丈が座っている。
この鴈治郎丈の容貌(かたち)がまた何とも言えず良い……。

鴈治郎ファンの私としては、このポスター、とってもとっても欲しいのだけれど、もしも市販されているものならばぜひ買いたいのだけれど、さすがに販売はされていないのだろうか……。
もしも、もしも、このブログをご覧になっている方のなかに松竹関係者の方がいらしたら……教えてください、お願いします!!



上方寄席囃子の会in横浜にぎわい座

2005年06月04日 | 落語
大阪の噺家・桂文我さんによる「上方寄席囃子の会」を聴きに、横浜にぎわい座 へ行った。

横浜にぎわい座は、桜木町駅からほど近い、野毛(のげ)にある。近くには横浜能楽堂もある。
その昔、横浜には、寄席や芝居小屋が数多くあったらしい。
そういった雰囲気を復活させようと、玉置宏さんを館長として数年前にオープンしたのだ。
落語の定席(じょうせき)のほか、独演会などの落語会、浪曲の会や大道芸など、公演の内容は多岐にわたる。

今回行われた「上方寄席囃子の会」は、桂文我さんの「上方寄席囃子大全集」刊行を記念したもの。

東京の寄席でも、噺家さんが出てくるときに「出囃子」が演奏されるが、これはもともと上方のものであった。
さらに、上方落語には「はめもの」といって、噺のなかにお囃子が入ることが多い。歌舞伎の下座音楽と同じで、一種の演出効果である。
それだけ、上方落語と寄席囃子は縁が深いのだ。
そもそも上方落語の発祥は、路上で人に話を聞かせる、いわば大道芸のようなものであったと言われる。
往来を行き交う人を引き付けるために、にぎやかなお囃子が必要だったのであろう。

今回の会は、「はめもの」入りの上方落語と、寄席囃子の解説・実演から成る構成であった。
「はめもの」に乗って芝居や踊りの一場面、大道芸の口上などが織りまぜられる、楽しくも格調ある上方落語はもちろん、客席からはふだん見ることのできないお囃子の様子が見られたことも楽しかった。
およそ2時間半の充実した公演は、あっという間に過ぎた。


にぎわい座を出た後、せっかく横浜へ来たので中華街で夕食をとることに。
「楊州茶楼」で、青島ビールを飲みながら、海の幸や季節の野菜を生かした料理を楽しんだ。
この店の料理は、普通に比べると小さいお皿に盛られており、そのぶん一品の値段も安い。少人数でいろいろな料理を食べたいときにはちょうどよい感じだ。

店を出た後まだ時間もあったので、中華街のなかの洋服屋さんをのぞいてみた。
チャイナドレスとアオザイの専門店を見てみると、なんと「浴衣アオザイ」なるものが売られていた。文字どおり、浴衣の生地で作ったアオザイである。
しかも白生地から染めさせているそうで、絵羽(一枚の絵のように柄が一続きになっている状態)になっているものもあった。
綿紅梅(めんこうばい。格子状に織られた、少し透け感のある木綿の生地)のものもある。

黒の綿紅梅生地で、裾の部分にぐるりと菖蒲が描かれているものが、とても華やかで目を引いたのだが、店員さんに促されて試着してみると、背の高くない私には残念ながらちょっと重い感じがした。
以前同じ店を訪れた際に見つけて「いいなあ」と思っていた、生成地に藍染めで小花の柄を描いたアオザイがあったのだが、そちらのほうが自分には合うような気がした。
しかし店員さんは、浴衣地アオザイのほうを熱心に勧めてくる。そっちのほうが値段が高かったからかもしれない……。
やたらとなれなれしく押しの強い店員のおばさまにやや辟易していた私は、「今年はこれを着て花火大会に行ってよ~」という店員さんに向かって、ついに一言。
「あー、浴衣は5、6枚あるんですよねー、下に襦袢着てキモノっぽく着られるのも含めて」

その瞬間から微妙に大人しくなった店員さんを尻目に、当初の目的であった「生成地に藍の小花柄のアオザイ」のほうを頑なに選んだのであった。

もちろん、「浴衣アオザイ」が気に入らなかったわけではない。
試着したものも、柄がとても気に入っていたのだが、着てみると自分にはちょっと似合わないかなあと思ったのだ。私にもう少し背があったら、迷わず買っていたかも。
すらりと背の高い方が、あの菖蒲柄の浴衣アオザイをかっこよく着てあげてくれるといいなあ、と思う。
目移りするくらいいろいろな柄があったので、そのなかにはたぶん私くらいの背丈の人にも着こなせるものがたくさんあると思う。
そのお店では、浴衣アオザイのみならず、なんと着物の生地を使ったアオザイも作っているそうだ。