本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

更新が滞りがち……

2004年09月30日 | つれづれ
ここのところ忙しくて、ブログの更新を怠りがちである……。

とりあえず、ブログ開始から三日以上は続いているので、文字どおりの「三日坊主」はまぬがれたが、ほかのブログを見ると、みなさんちゃんと毎日更新している……。敬服。

ちゃんと更新した時は、PV数もそれなりにあるんだなあ、こんなブログでも見てくださっている人がいるのか、アリガタヤアリガタヤ……このままではいけない、ちゃんとマメに更新せねば! と思い、深夜残業で疲労コンパイした体と眠い目にむち打って、パソコンに向かったところである。
現在、深夜1時。明日も朝早く起きて会社へ行かねば……。

現在勤務している会社は、ただでさえ定時が遅いうえに、ほぼ毎日残業である。
午前様になることもままある。
そんなわけで、平日の夜に予定を入れることはかなり難しくなっている。
平日の夜に行きたい公演があったら、あきらめるか、もったいないが半日有休をとることになる。
会社帰りに寄席へ落語を聴きにいくこともほぼ不可能(都心だが寄席からは遠い場所にあるので、定時であがって急いでかけつけても、着く頃には終わっているのだ)。
お稽古事も、現在休止状態である。

転職する前は出版社に勤めていたが、その時のほうがずっと、アフター5を自由に使えた。忙しい時は連日午前様だが、忙しくない時は定時でさっさと帰れた。

いくら生活のためとはいえ、一度しかない人生、仕事のために大切なものを犠牲にするのはばかばかしい。もっと自分の時間を大切にしなければ、と思う。

今期は、「お稽古事を再開する」「なるべく休みをとる」を目標にしよう……。



着付け

2004年09月25日 | 着物
私は、「着付け教室」なるものに通ったことがない。

母は着付け師範をしていると書いたが、師範の免状をとるために母が着付け教室に通い始めたのは、仕事を定年退職してからのことである。

着付け教室に通ったことはなくても、母は昔から自分で着物を着ていたし、私にも着せてくれていた。
昔の人は、母親から教えてもらったり自分で着たりしているうちに、自然に覚えていったのだろう。

私も、子どもの頃に母から着せてもらっていたおかげで、着物を着る時の「基本」はわかっていた。おはしょりをとるとか、衿を合わせる時は右身頃が下になっていないといけないとか、そういうごく基本的なことである。
しかし、最近、このごく基本的なことがわかっていない人が目立つ。特に、花火大会の時の浴衣。おはしょりをとっていないために前がはだけていたり、衿の合わせ方が逆になっていたり……。

それはさておき、私は、そういう基本的なことは理解していたが、高校生の頃までは自分で着付けなどできなかった。

そうこうしているうちに大学に入って、サークルで能楽を習い始めた。能楽というと、普通は能面をかぶって能装束を着ている姿を思い浮かべるが、能の曲の一部を抜き出し、紋付に袴というシンプルないでたちで舞う「仕舞(しまい)」というものがある。
通常、能のお稽古はこの「仕舞」と「謡」が中心である。
発表会でも、おおむね「仕舞」をやることが多い。

この発表会の時に、当然、自分で着物と袴を着なければならない。
仕舞では、女性でも、男性用と同じ仕立ての袴をはく。つまり、スカート上ではなく、足の部分が割れているタイプのものである。

母から教えてもらった方法を思い出しながら、着付けをはじめたが、はじめのうちは時間もかなりかかったし、仕上がりも決してきれいではなかったと思う。
しかし、何度か発表会を繰り返すうちに、時間もかからなくなり、コツもつかめて仕上がりもまずまずになってきた。
大学4年間で、袴をつけた着物の着付けはマスターし、これで私の「着付け第1フェーズ」が終了した。

しかし、このあと、はたと困った。今までは能を「やる側」だったのが、今度は「観る側」になったのである。能楽堂へ袴をはいて能を観に行くわけにはいかない。
それに、お稽古事以外の場面では、女性の正装は袴ではなく「帯付き」、つまり帯を結んだ姿になるので、あらたまったところへ着物を着て行くにはどうしても「お太鼓」の結び方をマスターする必要があった。

それでも、20代前半までは、あらたまったところへは振袖を着ていけばまちがいなかったし、振袖はふつう自分で着付けるものではないので、必要な時に美容院で着付けてもらっていればすんだ。

しかし、20代も半ばを過ぎたころからは、いつまでも振袖を着ているわけにもゆかなくなり、やっとお尻に火のついた私は、本腰を入れて「お太鼓」の結び方を練習しようと決意したのである。
ここからが私の「着付け第2フェーズ」である。

まず、書店で「自分でできる着付け」というような本をいろいろと見てみた。
すると、同じ「お太鼓」の結び方でも、やり方が微妙にちがうことに気づいた。
その中で、「これなら自分でもできそう」と思う方法が紹介されている本を選んで購入した。「仮ひも」を使った方法である。

「お太鼓」は、前で結んで後ろに回すというわけにいかないので、背中に手を回した状態でいかにして楽に、うまく結べるかが、初心者には重要なポイントである。
仮ひもを使った方法なら、不器用な私にも楽にできそうだったし、帯を傷めずにすむと思ったので、さっそく本を見ながらやってみた。
はじめはかなり苦心したが、回数を重ねていくうちに、コツがつかめ、だんだんと早く結べるようになった。

ひととおり着付けができるようになった今でも、ああ、ここはこういうふうにすればもっと楽だなとか、ここをもう少しきれいにするにはどうすればいいんだろうと、試行錯誤を繰り返しながら、よりよい方法を模索している。
これから先は、自分なりのやり方で「いかに早く、美しく着られるか」を目標として、着付け第3フェーズに入っていこうと思う。

帯結びだけでなく、補正の方法も、いろいろと試した結果、結局「晒(さらし)を巻く」というシンプルな方法に落ち着いている。
着付け教室の場合、往々にして「補正用下着」などの小物類を使用するようである。私も、親が買ってくれた補正用小物を使用したことがあったが、どうも私には機能的ではなかった。
そんな時に知ったのが、昔からの方法「晒を巻く」である。
いろいろな物を使わなくてすむから楽だし、夏は汗取り、冬は保温の効果がある。
それに簡単なので時間もかからないから、「着付けは面倒」という感覚がなくなった。
夏は晒を巻いた上から麻の二部式襦袢を直にはおるので、「夏の着物は暑い」という先入観もすっかり消え去った。今では、「夏こそ着物のほうが楽」と思っているほどである。

自分で試行錯誤を繰り返してきたことによって、「自分に合った方法」ができあがってきたと思う。それに、失敗したり考えたりしながら身に付けていった方法は、体で覚えているのでなかなか忘れない。

そう考えると、着付け教室に通うよりは時間がかかったかもしれないが、結果的によかったのではないかと思う。
着付けの極意は「習うより慣れろ」なのかもしれない。

まだ本格的に着物を着たことがないという人も、「帯の結び方がわからないから」「着付けを習っていないから」と不安に思わず、どんどん練習してチャレンジしてもらえるといいなあ、と思う。



船旅ドレスコードの傾向と対策

2004年09月23日 | 着物
両親が、今度、客船「飛鳥」に乗って屋久島へ行くツアーに参加するらしい。

当然のことだが、この手の船旅には「ドレスコード」をはじめとする様々な決まりがある。そのため、ツアー参加者を対象として事前に説明会が開かれたそうだ。
「説明会なんて」と思う方もいるかもしれないが、どうやら、こういった説明会を開くのにはそれなりの理由があるようだ。

最近、日本人観光客の船旅でのマナーが問題になっているらしい。
若い人の中には船旅の「ドレスコード」を理解していない人も結構いるらしく、船中での食事の際に、フォーマルウェアではなくおしゃれ着用キャミソールファッション(ドレスではない)などの平服で出向いてしまうケースがあるそうだ。
当然、そのままでは中に入れないので、着替えるようにさりげなく注意されるが、フォーマルの条件を満たすような衣装を持ってきていないというのである。

そのお嬢さんたちとしては、「おしゃれ着」「おめかし着」としてよそゆきの格好にしているのだとは思うのだが、「おしゃれ着」=「フォーマル」ではない、ということがわかっていなかったらしい。
洋装におけるフォーマルは、女性の場合、昼なら肌の露出の少ないドレス、夜なら肩を出したドレスである。
最近の船旅では、ランチの席では正装でなくてよいとされている場合も多いようだが、それでもせめてスーツを着用しなければならないだろう。「ちょっとおしゃれをして遊びに行く時の格好」ではダメなのである。

こういう時、着物は便利だなあ、と思う。
洋服とちがって昼夜の区別がなく、細分化されていないので、着物の種類の基本さえきちんとおさえていれば、失敗がない。フォーマルドレスと比べてもまったく遜色(そんしょく)がない。

洋装のドレスコードを参考にして考えれば、着物の種類もおのずと判断できる。
「正装」の色留袖か「盛装」の訪問着であれば、まず間違いはない。
昼なら、正装を指定されていなければ、付け下げや色無地でもよいだろう。
未婚女性の場合は昼夜ともに振袖でもよいと思う。振袖は未婚女性の第一正装である。ちなみに、色留袖は未婚女性も着られるので、食事の時に長い袂(たもと)がじゃまになるようなら、色留袖を着てもまったく問題ない。
小紋は正装・盛装ではないので、たとえ絹のものでも船旅における食事の場では避けたほうがよいだろう。紬や木綿・麻の着物はふだん着なのでNGである。

つまり、結婚披露宴に招待された時のために用意した着物があれば、それを着ていけばまずまちがいないのである(ただし黒留袖は、パーティーに着るものではないので、船旅にはそぐわない)。

数日間の旅であれば、昼用・夜用それぞれ一着ずつ用意すれば帯は同じでもかまわないだろうから楽だし、自国の民族衣装なので外国の人たちに対しても礼を尽くせる。

船旅以外でも、例えばドレスコードのあるレストランで食事をする時など、着物は便利である。
洋服だと見た目でフォーマル度がはっきりとわかってしまうが、着物の場合、もしも小紋を着ていたとしても、それを見てカジュアルととられることはほとんどないであろう。

着物は、着回しがきいて、ある程度ごまかしもきいて、基本さえおさえていれば安心して堂々とフォーマルな場に出て行ける、とても便利な代物である。

着付けの師範をしている母にも、「船中では絶対に着物がいいわよ!」と強く勧めておいた。



キモノ雑誌について思うこと

2004年09月21日 | 着物
私は、季刊の着物雑誌を2冊、毎号購読している。
うち1冊は、重いので定期購読を申し込んで毎号自宅に配送してもらっているほどだ。
どちらも年に4回、季節の変わり目に合わせて発行されるのだが、読み終わってしまうと、「早く次の号が出ないかなあ」と待ち遠しくなる。

同じ着物雑誌でも、ターゲットにしている読者層が微妙に異なるのか、一見似たようなテーマを扱っているように見えても、よく読んでいくと全体の構成や記事の内容がけっこう異なっているから面白い。

1冊は、どちらかというと少し高い年齢層の女性(だいたい40代後半以上)、しかも、いわゆる「マダム」という世代の人を中心にしている感じだ。あとは、着付けをはじめ、お茶やお花、踊りなどのお稽古をしている人、あるいはそのお師匠さんといったところか。

もう1冊は、もう少し下の世代、30代くらいの人から、職業も、独身貴族(?)のOLまで念頭においている感じだ。

両誌の表紙にとりあげられる女優やタレントにも、それが表れているように思う。

どちらも、着物に関する知識と「いいものを見分ける目」を身に付けるためには、とてもよい材料だと思う。

しかし、一つ気になっていることがある。
対象とする読者の年齢層が上であればあるほど、往々にして、「どう考えても普通の人には縁遠い材料」が大々的にとりあげられているように思える。これはいかがなものだろう。
普通の人(自称・他称を問わずいわゆる「中流」といわれる層の人々)にはそうそうしょっちゅうは買えないであろうと思われるような着物、ブルジョワジーの奥様やお嬢様方の着物生活(注:この場合の「着物生活」とは、日常的に着物を着ている人の生活様式を指す場合もあるが、普段は着物をお召しにならないお嬢さんの豪華な「晴れ着」アイテムを指す場合もある)を大々的に掲載されても、実感がわかないばかりか、「やっぱり着物ってお金がかかって大変なのね……」と、せっかく着物に興味を持ち始めてくれた人々を、着物から遠のかせてしまうことになりかねない。

そういう雑誌も、いちおう「着物初心者の方も読者対象にしております」といわんばかりに「着物初心者のための着物の常識」とか「ふだん着の着物」といった特集をたびたび組んでいるが、「ふだん着の着物」といって大島紬や結城紬、夏物なら芭蕉布や上布のような高価なものを紹介されても、目が回ってしまうだけである(そりゃあ、たしかに紬や芭蕉布は、どんなに高価でも普段着にしかならないが)。
「着物の常識」についても、着物初心者が本当に知りたいと思うであろうこと、「ここだけは外せないよ」ということと「ここはこういうふうに応用できるよ、ふだんから着物を着慣れた人ならこういう着こなしをしてるよ」ということが、バランスよく書かれていないように思う。
しかも、「高価な着物を何枚も作ってもらう」ことにも主眼を置いているのか、わざわざそれに合わせたかのような「常識」が作られているきらいもある。

前にも書いたが、私は、「着物の常識」の原則は「季節を守ること」と「TPOを考えること」の二つだけだと思っている(これは、洋服の場合とまったく同じであろう。むしろ私は、洋服よりも着物の決まり事のほうが、よっぽど緩いと思っている)。「この季節にはこれを着る=この季節にこれはダメ」ということと「こういう場合にはこれを着る=こういう場合にはこういう格好はだめ」ということを、身近なものでいいから実例を細かく挙げて説明していくほうが、よほどわかりやすいのではないだろうか。

「着物を着慣れた人は、この季節やこういう場では、こういう着こなしをしているよ」というのを、高い着物ではなくて、普通の人に手が届くような着物を使って説明していくほうが、よほど役に立つと思う。

もちろん、ファッション雑誌と同じで、商品の宣伝という大きな目的もあるのだろうし、広告料などの大きな問題もあるのだろうから、高級な商品を掲載してはいけないというつもりは毛頭ない。
しかし、等身大の記事がもう少し増えてもいいのではないか、と思うのである。
ファッション雑誌で、ブランド物の高価な洋服ばかりが載っているページよりも、「1か月の着回しパターン」というような記事のほうが面白いのと同じである。


最近の若い人の中には、「着物」=「浴衣」と思っている人も多いと聞く。だから、夏になると浴衣姿で電車に乗って遠くに出かけてしまったりするのである。本来、「浴衣」は「入浴の際の衣」で、それが発達して「湯上がりに着る衣」になった。つまり、「浴衣」は、どんなにがんばっても、洋服にたとえるとパジャマかジャージなのである。だから本来、町内を離れて着る物ではない(花火大会や夏祭りの時なら、着ている人がたくさんいるから今は全然問題ないのかもしれないが)。
しかし、「普通の人にも手が届きそうな商品」が掲載されているのが、年に一度の「浴衣」の特集、という着物雑誌のありかたを見ていると、そういった若い人の勘違いを責められないのではないかと思う。
着物に興味を持ってくれる若い世代に着物の良さをわかってもらえるよう、着物雑誌には、着物好きの人たちのオピニオンリーダーとしてもっとがんばってもらいたい。


追伸:
着物を着こなしたいと思う人は、まずは基本である「季節」と「TPO」を雑誌や本で押さえて、あとは街で着物を「きちんと」着こなしている方々の装いを、自分の目でたくさん見ていくのがいいのではないだろうか。
私も、電車の中や街の中で着物を着ている年配の(かつ「着慣れてるな」というのがわかる)女性を見かけると、思わずじーっと目で追ってしまう。これによって「ああ、こういう時は、こういう着物にこういう帯のとりあわせでもいいんだな」というのがよくわかってくる。逆に、「きちんとした着こなし」を見なれてくると、「マナー違反の着こなし」もわかってくる。
「百聞は一見に如かず」なのかもしれない。



またまた羽織を……

2004年09月20日 | 着物
また、羽織を買ってしまった……。

といっても、今度は、インターネットのオークションで落札したのである。
あるインターネットの呉服販売店のなかでオークションをやっていて、そこに仕立て上がりの羽織が出ていた。
何度かそのページにアクセスしてみたのだが、なぜかうまくページがダウンロードできなかった。ページ容量がすごく重いのか、ページが途中から表示されなくなってしまうのだ。
しかし、たまたま一度だけ、そのページがうまく表示された。
見てみると、なかなかよい羽織が一枚あった。
まだ一撃価格に達していなかったので、迷わず一撃価格で入札した。

先日買った羽織は、正絹の長羽織だが、小紋柄だった。
今回のは、正絹の絵羽(えば。模様が途中で切れず一続きになっているもの。訪問着や留袖などと同じ柄付け)羽織なので、よそゆき着として着られる(ただし、女性の場合、羽織は礼装にはならない)。
色も、落ち着いたピンク色で、柄もひかえめだが華やかさがあり、いろいろな着物に合わせやすそうだ。

以前から、歌舞伎座で素敵な絵羽羽織を着ている女性を見かけて、「素敵だなあ」と思っていた。しかし、絵羽羽織は、作るとなるとかなりコストがかかるので、まだまだ無理かなあ、と思っていた。

そこへ今回のめぐりあわせなので、とてもうれしい。何よりも格安で手に入るのがありがたい。
安さの理由は、「蔵出し商品のためやや傷や難があるかもしれないから」ということらしい。
「蔵出し商品」とは、文字どおり、在庫として眠っていたものを出してきたということで、いわゆる「新古品」というのと同じような感じだろう。
ユーズドというわけではないし、多少の傷や難があっても、格安だから割り切れる。
サイズもとくに問題なさそうだし、なかなかよい買い物だったと思っている(まだ実物を見ていないので何とも言えないが)。

入札した後、もう一度その商品のところを見てみたいと思ってアクセスしたのだが、不思議なことに、その後はまたうまくページが表示されなかった。

着物とのめぐりあわせは、まさに「一期一会」、不思議な縁である。


追伸:
先日買った羽織紐は、小紋羽織用のおしゃれ羽織紐だったため、今度は、絵羽羽織用の羽織紐を買わなくてはならない……。さっそくインターネットで探している。着物の決まり事はいろいろあって大変だが、要は「バランス」である。このバランスをうまくとりつつ、決まり事のなかでおしゃれを考えるのは、けっこう楽しい。こうして、どんどんと深みにはまっていくのである……。


アークヒルズ秋まつり

2004年09月19日 | 伝統文化あれこれ
アークヒルズ秋まつりに行った。

アーク・カラヤン広場で、屋台が並ぶとともに、技が冴える指人形、昔懐かしい紙芝居、江戸の伝統芸「曲ごま」(こまの曲芸)、越中国(えっちゅうのくに)富山で300年以上の伝統を持つ「おわら風の盆」など、様々なパフォーマンスが行われていた。

指人形は、もともと油絵画家だった作者による、手作りの人形を使ったパフォーマンス。人形の緻密な作りもさることながら、指で操作しているとは思えないほどの細やかな動き。
酔っ払いや夫婦げんか、釣りなど、ユーモアあふれる小劇で、観客を楽しませていた。

紙芝居は、ふだんは浅草で人力車を引いているというおねえさんが一生懸命やっていた。子どもたちもたくさん集まっていた。
今の子どもたちは、昔とちがって物や娯楽に不自由していないので、はたして紙芝居に興味を示すのだろうか、と思っていたのだが、みんなかなり真剣に見ていた。
パソコンやテレビゲームに慣れている今の子どもには、却って新鮮だったのかもしれない。
子どもの情操教育には、生身の人間が演じるものを目の前で見ることがいちばんだと思う。演劇でも、音楽でも。

江戸曲ごまをやっていたのは、三増流江戸曲独楽宗家である三増紋也師匠とお弟子さんの三増れ紋さんだった。
扇の上でこまを回したり、刀の刃の上でこまを渡らせたり、糸の上を渡らせたり、キセルの上で風車のように回したり、江戸前の伝統の芸を披露していた。

パフォーマンスのなかでいちばん人気を集めていたのが「おわら風の盆」(写真)。
富山の山里、八尾(やつお)で300年以上の歴史を持ち、民謡「おわら」の唄や、三味線や胡弓の音色に合わせ、編笠をかぶった男女が踊りながら歩く。
唄は、静かな、どこかさびしげな感じのする節回しで、踊りもそれによく合った、美しく優雅なものだった。
「おわら風の盆」は、富山では毎年9月のはじめに行われるが、現地の人々は、この行事が終わると稲刈りに入るらしい。

ビルの谷間で、古きよき日本の伝統と人間らしい心を感じることのできた一日だった。


追伸:
もちろん着物で出かけた。9月なので、当然のことながら、単(ひとえ。裏地のついていない着物)である。屋外にいるので、汚れてもいいように、洗えるポリエステルの着物にした。気軽な場へ行く時にふだん着として着るなら、ポリエステルの着物は手軽でいい。単の着物は、6月と9月にしか着ないためぜいたくだと言われていたが、今はインターネットで、洗える着物だけでなく、正絹の仕立て上がりでお手軽なものもけっこう売られている。
着物を着る時にいちばん大切なのは、「季節感」と「TPO」である。季節と場に合ったものでなければ、どんなに本人がいいと思っていても、恥をかいてしまうし、結果的に周りの人に失礼になってしまう。着物を着て街を歩こうという人は、まず着物の本で決まり事をお勉強しましょう。
アークヒルズには、京都物産館もある。京都では10月1日から12月15日まで、着物で観光をする人にさまざまな特典があるキャンペーンをやるらしい。
旅行シーズンの秋、着物で京都にでも行ってみようかな。
ちなみに私は、京都に行く時と歌舞伎座などへ観劇に行く時だけは、絶対にポリエステルの着物は着ていかない。夏以外は、絶対に絹の着物を着て絹の帯をお太鼓に締めるし、夏でも、浴衣に下駄ばきなどでは絶対に歩かず、悪くても麻や綿絽のものに半衿・襦袢を合わせ、お太鼓の帯を締めて足袋と草履を履く。
着物通の人がたくさんいるところで、うかつなかっこうではこわくて歩けません。




羽織 その2

2004年09月14日 | 着物
コートは室内では脱がなければならないが、羽織は脱がなくてよい。
洋服に例えると、コートとジャケットの違いと同じである。

男性の場合、洋服で正式な場所へ行くには必ずジャケットを着なければならないように、昔、男性は冠婚葬祭などの場には羽織を着ていかなければならなかった。

では女性はどうだったのかというと、……女性は、もともと羽織を着る習慣はなかった。
昔、羽織は男性のものだったのである。
洋服に例えると、女性のフォーマルウェアはジャケットではなくあくまでもドレスである、というのと同じことかもしれない。

では、なぜ女性も羽織を着るようになったのかというと……、そもそもの始まりは「芸者さん」である。

今は残っていないようだが、昔、江戸の深川にも芸者さんがいた。
この深川の芸者さんたちが、女性で初めて羽織を着たと言われている。
芸者さんの格好だが、上から羽織をはおっているのである。
バランスが悪いと思われるかもしれないが、意外としっくりと調和しているのである。
この格好から、深川芸者は「羽織芸者」とも呼ばれた。

昔の流行は、着物にしても髪型にしても、芸者さんたちから始まっていることが多かった。
ちょうど、現代の流行がモデルやタレントから発信されているのと同じである。

深川芸者が着始めた羽織も、一般の女性の間に流行していき、明治から大正時代にかけて、ごく一般的に羽織が着られるようになったらしい。

その後、洋服が主流になって羽織もあまり着られないようになったが、昨今のレトロブームで、羽織を着る若い女性が増えたようだ。

レトロブームといえば、最近、アンティークの着物がはやっているようで、街中でもアンティーク風の着物を着ている女性をよく見かけるが、アンティークの着物は、ある程度着物に慣れてからでないと、痛い目を見かねない。

だいぶ前、リサイクル着物店にふらりと立ち寄ってみたところ、羽織がたくさん並んでいた。
値段もかなり安かったのでついつい見たのだが、案の定、安いのには理由があった。

保存状態がよいかどうかというのももちろんあるのだが、それと同時にポイントになっているのが「寸法」である。
昔の人は今の人に比べると体が小さい。
その店で売られていた羽織も、決して背が高くない私でさえ小さいと思われるような寸法であった。
私は即座に買うことをあきらめたが、そこへやってきた別のお客さんが、羽織を興味深げに手にとって見ている。
「おねえさん、やめたほうがいいですよ、絶対にサイズが小さすぎますよ、“安物買いの銭失い”ですよ」と思わず言いたくなったが、そこで実際に口に出して言うほどの勇気もおせっかいさも持ち合わせない私は、成り行きだけ見守っていた。

たいてい、着物に詳しいスタッフがいるきちんとしたリサイクル着物店ならば、ここでお店の人が寸法のことなどの注意をそれとなく言ってくれる。
黙っておいて後でもめたら、お店のほうだって損をしかねないからだ。
何と言っても今は、消費者の立場のほうが強いご時世なのだから。

しかし、こともあろうにそのお店の人は、手放しでその羽織を勧めたあげく、そのお客さんが羽織を試着した段階になってもなお、寸法のことにはふれず、ひたすら「いいですよ」「おすすめですよ」を連発している。

ちょっとちょっと、店員さんもおねえさんも、それかなり「つんつるてん」ですよ、そんなんじゃ、羽織の袖口から着物の袖が思いっきり出ちゃいますよ、だめだめ、おねえさん、よしたほうがいいですよ、お店の人もちゃんと教えておやんなさいな……などと、ハラハラしながら見ていた。

もちろん、寸法直しをすれば多少は袖が長くなると思うのだが、それでも足りないのは明らかなほどの袖の短さであった。
羽織というよりも、まるで「ちゃんちゃんこ」といった体(てい)である。

しかし、私の心のなかの突っ込みは残念ながら相手に届かず、おねえさんはその羽織を買っていったのだった。
数千円の品だったので、惜しくはないのかもしれないが、だからと言って、着られないものを数千円出して買うのは、いくら何でもちょっと高いのではないかと……。

ここのところのアンティークばやりで、やたらと袖の短い着物を着ている人も見かけるが、いいと思っているのは当人だけで、着物を着慣れた人からは、「???」という目で見られてしまうだろう。
普段着として着ているぶんにはぜんぜんかまわないけれど、お願いだからそれで改まった場には出ないように、と、そんな若い人たちを見ながら心の中で祈っている私である。

余談だが、アンティーク風の着物を着るときは、柄にもじゅうぶん注意が必要である。
一つ間違えると、大変なことになる(時代が時代なら、袖が短くておかしいくらいの話では済まない)。
これについては、またの機会に述べることにしよう。



羽織

2004年09月12日 | 着物
インターネットで、初めて羽織を買った。

インターネットの呉服販売というと、洗える化繊の着物が中心かと思われるかもしれないが、なんのなんの、正絹の、結構良い品がたくさんある。
しかも値段もお手ごろなので、私は最近、着物はもっぱらインターネットで買っている。

今回買った羽織も、表地・裏地共に正絹。
しかも、仕立て上がりの状態だったので、仕立て代もかからず、かなりお買い得だった。

なぜ私が今まで羽織を作らなかったかというと……、ズバリ、「お金がかかるから」。

羽織は通常、「羽尺」と呼ばれる羽織用の反物や、小紋や色無地などの着物の反物を使い、袷(あわせ=裏地が付いた仕立て)羽織の場合は「羽裏」(はうら)と呼ばれる裏地をつけて仕立てるのだが、まず、仕立て代自体、普通の着物と同じくらいかそれよりも高いことが多い。

そして何と言っても「羽裏」、これがクセ者。
昔から、見えないところに凝るのが江戸っ子の粋とされ、お洒落な人は羽裏に凝っていたそうだ。
たとえば、表は無地なのに、羽裏は絵羽模様(柄が切れることなく、ひと続きの絵のようになっているもの)になっていて洒落心のある絵が描かれており、生地も高級なものを使っている、というように。
羽裏に凝り出したらキリがなく、それこそ表地よりも羽裏にお金がかかってしまうことも十分にあり得る。
でも、わざわざ仕立てるとなると、それなりに凝らないともったいないし、でもそんなお金はないし……ということで、「まあ、防寒用だったら羽織はなくてもコートがあればかまわないし、いいや」と思っていた。

そうこうしているうちに、たまたま、今回の羽織にめぐりあった。生地も正絹で柄もなかなか良くて、しかもお手ごろ価格、とくれば、私の「着物欲」が黙っているはずがない。
何よりも、仕立て上がりだから、羽裏についてもあきらめがつく(笑)。「まず手始めは仕立て上がりで気軽に着ておいて、もっと羽織に慣れてきて、経済力もついたら(←こっちのほうが重要)、そのときは羽裏に凝って仕立てればいいよね」と。

そんなわけで、売り切れる前にさっそく注文し、先日、商品が届いた。色や柄も、画面で見るのとかけ離れていたわけでもなく、生地もとりたてて悪くはなかったので、結構気に入っている。

仕立て上がりだとサイズは大丈夫?と思うかもしれないが、標準的な体型ならとくに問題ないはず。
ただ、羽織の場合、「下に着る着物のサイズと合っているか」に注意しなければならない。着物とサイズが合っていないと、羽織の下から着物の袖が飛び出したりして、とても格好が悪くなってしまう。
今回の場合、「この羽織にはこの着物を合わせよう」と思っている着物もちょうど標準サイズの仕立て上がりなので、まったくのサイズちがいということはなさそうだ。

羽織を着る時には、「羽織紐」が必要だ。
洋服で言うと、ボタンがないと着られないのと同じである。
そこで今日は、銀座の和装小物店に行って、羽織紐を購入した。

この羽織が着られる袷の着物の時期まであと少し。今から楽しみだ。


<羽織 その2へ続く>



ブログ初挑戦

2004年09月12日 | つれづれ
最近、一般の方が作っているホームページを見ていて、間違った内容が書かれていることが結構多いのが気になっていました。
「そうじゃないのになあ」と思いながらも、わざわざメールを送ってまで間違いの指摘をするほどマメではない私。

そこで、私も思いきって、興味ある分野について知っていることや、感じたこと、自分にとっての新しい発見などをつらつらと書いてみようかなあ、と考え、手はじめにブログを作成してみました。

思い起こせば、今を去ること十年以上前、まだ高校生だった頃、家族旅行で訪れた京都が大好きになりました。それから何十回も足を運んでいますが、行くたびに新鮮な感動があります。

高校卒業後、大学のサークル活動で能楽を習い始めたのがきっかけとなり、古典芸能に興味を持った私。それからというもの、歌舞伎、人形浄瑠璃、落語など様々な古典芸能を見るようになりました。すると必然的に着物を着る機会もふえ、和のお稽古事にも首を突っ込んできました。

飽きっぽかった私が長い間興味を持ち続けているのは、これらのことと、阪神タイガースだけです(笑)。

このブログは、「着物」「古典芸能」「京都」「阪神タイガース」その他についての蘊蓄(うんちく)や、とりとめのない考えを書き綴っていくものです。
そのため、必ずしも日記的な内容にはならないかもしれません。気が向いた時に気が向いたことを書き込むという、大ざっぱなものになるかもしれません。
テーマとはまったく関係のない話も出てくるかもしれません。
そこは、なにぶんブログ初心者のため、ご笑覧いただければ幸いです。