本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

さようなら「あさかぜ」「さくら」

2005年02月28日 | つれづれ
寝台特急「あさかぜ」と「さくら」が、ダイヤ改正に伴い、本日をもって廃止された。

「あさかぜ」は、1956年、日本で最初の寝台特急として、東京~博多間で運行を開始した。
「さくら」は、その3年後の1959年に運行を開始した。

当然、まだ新幹線などなかった時代である。
これらの寝台特急は、またたくまに一世を風靡(ふうび)した。


今年古稀を迎える私の父は、東京で大学生活を送った。
早くに夫を亡くし、女手一つで子どもを育て上げた祖母は、当時にしては教育熱心で、3人の子どもを東京の大学に行かせた。
しかし、もちろん家計は楽ではなく、父は学費を稼ぎながら苦労して大学へ通った。

寝台特急に乗るだけの経済的な余裕もなかった当時、父は急行列車に乗って上京してきたという。
そして、大学を卒業するとき、さまざまな夢を残したまま「あさかぜ」に乗って東京を離れ、故郷に戻った。

苦学生だった父は、わが子には同じ苦労をさせまいと、不自由のない生活を送らせてくれた。
東京での大学生活にも、多くの援助をしてくれた。
自分が東京で夢をかなえられなかったぶん、私たちには好きなようにさせてくれている。

そんな父のためにも、私は、東京駅を出る「あさかぜ」の写真を撮りたいと思った。

最終運転日の今日は平日だから行けそうもないし、大勢の人がつめかけて満足に撮れないだろうと思ったので、先週末のうちに東京駅へ行って撮ってきた。それでもかなり多くの人がつめかけていて、もみくちゃになりながら撮影をした。
何とか写真が撮れたので、インターネット上にアップロードして父も見られるようにしておいた。
元来「新しもの好き」の父は、割に早くからワープロやパソコンを使っていた。今も、インターネットをやる程度には、パソコンを使いこなしている。
50年近く前に作られた車両を撮影した写真を、現代ならではの手法で撮影・保存するというのは、何だか不思議な感じがした。


かつて一世を風靡した「ブルートレイン」も、新幹線の開業や航空網の整備といった時代の移り変わりとともに、その人気が衰えていった。

新幹線のスピードもどんどんアップし、日帰りの出張や旅行も当たり前のように行われる時代になった。
しかし、それとともに、人々の意識も変わってきてしまったような気がする。

普通列車や急行列車、寝台特急で移動していた時代、遠く離れた土地へ行くのには非常に多くの時間を費やした。
そしてそれは、自分が生まれ育った土地とは別の「異文化の世界」へ行くための、長い長い旅だったのだ。
だからこそ、新しい土地へ足を踏み入れることへのおそれ、不安、緊張、そして期待があった。
簡単に帰ることもできないから、覚悟をして新しい土地になじもうとした。そして、時間をかけてその土地の住人になっていった。

500キロ離れたところにも新幹線でわずか3時間足らずで行けてしまう今、人々は簡単にいろいろな土地へ移動できる。
それはたしかに便利だが、そのぶん、異なる文化をもつ土地へ行くことに対するおそれ、緊張、覚悟といったものが薄れていないだろうか。
旅先で傍若無人にふるまう観光客などを見ると、そう思わずにはいられない。

よその土地へ行って、一朝一夕にその土地の住人になれるはずはない。
10年、20年と経たなければ、その土地のことなど完全にはわからないし、ましてや「その土地の人間」にはなれない。
観光客に限らず、そういった自覚なしに「わがもの顔」をしてふるまうことは、その土地で生まれ育った人々の誇りを傷つけることにほかならない。
その土地の人々の生活に土足で踏み込むようなまねをする人たちが増えたのは、新幹線のスピードアップと時を同じくしているのではないだろうか。

鉄道に限らず、「スピードアップ」はたしかに大切だと思うけれど、そればかりに目を向けて大切なものが失われないよう、祈るばかりである。


今日午後7時、日本で最初の寝台特急「あさかぜ」は、もう戻って来ることのない東京駅を出発していった。
時代の流れとともに引退していく「あさかぜ」の姿を見て何とも言えずさびしい気持ちになるのは、老いた父の姿を重ね合わせてしまうからなのかもしれない。



東京駅ホームの表示
東京駅のホームの発車案内にこの文字が並ぶのも最後

さくら号ヘッドプレート あさかぜ号ヘッドプレート
先頭車両(電気機関車)

さくら号後部プレート あさかぜ号後部プレート
最後部車両(寝台車)

さくら号行き先表示 あさかぜ号行き先表示 
行き先表示。「あさかぜ」は当初博多行きだったが、2000年12月をもって東京~博多間の列車がすべて廃止され、東京~下関間の運行になった。

発車直前のあさかぜ号
発車直前の「あさかぜ」の最後部寝台車。後ろに見えるのは、東京駅ホームに入ってくる「あさかぜ」を車庫から牽引してきた特急「出雲」の電気機関車。

東京駅を出るあさかぜ号
東京駅を出て行く「あさかぜ」

さくら・あさかぜ記念弁当 
さよならさくら・あさかぜ記念弁当。東京駅で限定発売されていた。

さくら・あさかぜ記念弁当中身
中は幕の内風。「さくら」にちなんで、桜の形にくりぬいたさつまいもの天ぷらとさつま揚げが入っている。
「あさかぜ」はどこにいるのか謎……。



星梅鉢

2005年02月26日 | 歌舞伎
とうとう、やってしまった……。

といっても、別に悪いことをやらかしたわけではない。
ではいったい何をやってしまったのかというと……、

ついに「ひいきの役者にちなんだ柄」の帯を、仕立ててしまったのだ……。

前にもこのブログの記事で少しふれたかもしれないが、今年、中村鴈治郎さんが坂田藤十郎を襲名するのである。
東京では、中村勘九郎さんの「十八代目中村勘三郎」襲名が注目されているようだが、関西ではもっぱら藤十郎襲名が話題になっているようだ。

「坂田藤十郎」は、「上方和事(わごと)の祖」と呼ばれ、関西歌舞伎を代表する大きな名跡(みょうせき)。
「和事」というのは、江戸歌舞伎の「荒事」(武士や鬼神などの荒々しさを誇張した芝居)に対して、柔弱な色男の恋愛描写を中心とした芝居のことで、上方(関西)歌舞伎独特のものである。

坂田藤十郎の名跡は、1774年に三代目藤十郎が亡くなって以来、230年にわたり継承されていなかった。
上方歌舞伎にとって、いや、歌舞伎界全体にとっても貴重な名跡である「坂田藤十郎」の襲名を、鴈治郎さんはずっと目標にされ、上方和事に熱心に取り組んで、関西歌舞伎を支えてこられた。

その鴈治郎さんが、念願かなってやっと藤十郎を襲名されるのだ。
ご本人はもちろんうれしいと思うが、鴈治郎ファンにとっても大きな喜びである。
そこで、新しい坂田藤十郎にちなんだ柄の帯をあつらえて、襲名披露興行に締めていこうと思ったのだ。

現在、鴈治郎さんの屋号は「成駒屋(なりこまや)」、定紋は「イ菱(いびし)」であるが、坂田藤十郎を襲名すると、屋号は「山城屋(やましろや)」、紋は「星梅鉢(ほしうめばち)」になる予定とのこと。

「星梅鉢」は、着物や帯の文様としてもよく用いられているので、わざわざ染めたり織ったりしてもらわなくても何か見つかるかも。
そう思ってインターネットで探していたところ、ちょうど入荷されたばかりの帯が目にとまった。

その帯は、何と、京都の「川島織物」(着物好きなら知らない人はいないであろう老舗織元)のものだったのだ。
デパートや呉服店で売られている川島織物製品の値段を見ては(もちろん「見てるだけ」)、何度もためいきをついた経験のある私は、おそるおそる値段を見てみた。
すると!
「えっ!? 本当に川島織物の帯がこの値段!? ちょっと待てよ、ケタ数え間違えてないよね、ケタを間違えて買っちゃったらしゃれにならん」と思って何度も見直したくらい、お値打ち価格だったのだ。
写真を見てみると、たしかに帯反物の端にちゃんと「川島織物」の文字と川島織物のマークが織られている。
デパートだったら、おそらくケタが一つはちがっていただろう。

しかも、星梅鉢をあしらった柄で、地色もいいとしたら、これはもう、買うしかないでしょう!
そう思った次の瞬間には「購入する」ボタンを押してしまっていた(笑)。
ただしローンだけれど……(涙)。
わざわざローンを組むほどの額ではないのかもしれないが(そのくらいお値打ちだった)、何せ計画性がなくそれこそ「宵越しのゼニは持たない」的にボーナスを右から左に使ってしまう私なので、無難にローンを組んでおいたのだ。
ローンを払い終えたころ、藤十郎襲名披露興行へその帯を締めていくという計算である。がんばって働こう……。

川島織物製 星梅鉢の名古屋帯

これが、買った帯。
金茶色の地色も、いろいろな着物に合いそうでよいけれど、いちばん気に入ったのはこの星梅鉢の柄。
本当は、星梅鉢は、丸が梅の花のように5つ並んでいて、真ん中にもう一つ丸があるという、幾何学的なデザインなのだ。
しかし、この帯の柄は、その星梅鉢の形をわざとくずしてデフォルメしている。ここがポイント。

役者の紋にちなんだ柄の場合、その紋とまったく同じ柄にするのは避けたほうがよいと言われている。
なぜなら、その紋はあくまでも役者のものだからだ。
星梅鉢などは、紋だけでなく着物や帯の文様としても定着している柄なので、紋とまったく同じ柄でも違和感はないかもしれないが、役者さんの定紋にはユニークなものも多く、自分の家の紋が同じという場合以外は、関係者や後援会でない限りまったく同じ紋をあしらうのは少し気が引けてしまう。

これなら、星梅鉢をあしらっているけれど「いかにも」という感じではないし、観劇以外の場面でも違和感なく締められる感じだ。
そして何より、あこがれだった川島織物の帯が超お値打ち価格で買えたのがうれしい限り。

藤十郎襲名披露興行に、仕立ておろしたこの帯を締めて出かけるのが、今から楽しみである。
そのためにも、ちゃんと貯金をしよう……。



2005年02月24日 | つれづれ
東京地方は夜遅くから雪が降り始めた。
しかも、昨年大みそかのような大雪である。

会社を出たときはみぞれという感じだったのだが、地下鉄を降りて、JRに乗り換えるためホームにあがったら、雪になっていた。
その後、車窓から外の様子を見ていたら、はじめのうちは道路が濡れているだけだったのに、そのうち道端にうっすらと積もってきて、みるみるうちに線路にも積もってきて、あっというまに雪景色になっていった。
電車を降りたころには、銀世界だった。

最寄り駅にはタクシー待ちの行列ができていることが予測されたので、一つ前の駅で降りてタクシーに乗ろうとしたのだが、そこも長蛇の列になっていた。
しかし、台数が多くて回転が早いのか、そんなに長いこと待たずに乗れた。

私が乗ったタクシーは後輪をスタッドレスタイヤにしていたそうだが、それでも運転手さんは慎重に走ってくれていた。
車を運転する人ならおわかりだと思うが、雪道でバックをするのはかなりあぶないので、家の少し手前の、元きた道に戻りやすそうなところでとめてもらい、家へかけこんだ。まさか雪が降るとは思っていなかったため、スカートに革靴といういでたちだったので、歩きにくいうえに寒い……。
タクシーの運転手さんには、雪のなか、一駅となりの町まで来てもらったので、当たり前だがお釣りはチップにした。ゆっくり走らないといけないので、元の駅まで戻るのには少し時間がかかるだろうし(5000円も1万円もかかるような距離ならともかく、1000円を超すくらいの中途半端な距離で、しかもタクシー待ちの行列ができているようなときなどは、1メーターの距離まで行ってまたすぐに戻ってきて次のお客さんを乗せるほうが、運転手さんにとっては効率がいいのだ)。


最近は、タクシーに乗ってもお釣りをチップにする人が少ないのか、お釣りは結構ですのでと言うと運転手さんに驚かれることが多い。別に、たいそうな額を出しているわけではなく、キリのいい額で払ってお釣り分はとっておいてもらうというだけなのだが……。

一度、不祝儀のときに乗ったタクシーでチップを払ったら、「えっ、いいんですか?」と驚かれたので、逆にこっちがびっくりしてしまった。
私の親の世代くらいだと、身内の祝儀・不祝儀のときはもちろん、ひとさまの通夜やお葬式に参列した帰り、病人や大きな荷物を乗せてもらったときなど、当然のように心付けを渡すし、それを見てきたので自分もそうしている。
とくに不祝儀のときは、お通夜やお葬式の帰りの人を乗せるのは誰しもあまり気持ちがよいものではないだろうから、気を配らなければいけない。
喪主だったら、火葬場の職員のかたや霊きゅう車やマイクロバスの運転手さんなどにも心付けを渡す必要がある。
タクシーの運転手さんの反応を見ていると、最近はそういった習慣が薄れてきているのかもしれない、と、ちょっと不安になってしまう。

いくら合理主義の世の中でも、気持ちを形であらわすことはそれなりに意味があるのだと思う。
私だって、決して経済的に余裕があるわけではない。むしろいつもかなりピーピーである(衝動買いをするのがいけないのかもしれないが……)。
しかし、落語の世界にもあるように、たとえ長屋住まいであっても祝儀不祝儀の際のつきあいは必要なのだ。いわゆる「義理とふんどしは欠かせない」というやつである(さすがにふんどしは締めないけど 笑)。チップは海外やお金持ちの人だけの習慣というわけでは、決してない。


それにしても、今年は雪が多い。
雪が多い年は豊作と言われるが、昨年の新潟県中越地震で米どころも被害を受けているので、大変だろうなあ……。




またまたまた二月大歌舞伎

2005年02月20日 | 歌舞伎
また、歌舞伎座二月大歌舞伎(夜の部)へ……。

どうしても、もう一度「野崎村」を観ておきたかったのだ……。

何度観ても、いいものはいいなあ……。
最後の場面の三味線も、何度聴いても感動してしまう。

それにしても、人間国宝がそろった豪華な舞台だけに、芝居の最中、どこを観ようかいつも迷ってしまう。
台詞をしゃべっていない時の所作や表情にも、それぞれの役のその時の心情がよく表れているのだ。これはかなり重要なポイントで、ここがきちんとしていると、舞台全体からの「気」のようなものが感じられて、観客もおのずと引き込まれていく感じだ。

最後の場面などは、両花道と舞台、義太夫の床(ゆか)、それぞれをかわるがわる観て忙しかった(笑)。でもやっぱりついつい鴈治郎さんのほうに目がいってしまったかも……。

筋書(プログラム)も、舞台写真が入ったものになっていたので、結局また買ってしまった……。
この筋書はまさに「保存版」といった感じである。

いつも「野崎村」の話ばかりしてしまっているが、夜の部の一幕目「ぢいさんばあさん」も、個人的には結構好きである。
森鴎外原作の小説を戯曲化したものだが、台詞もわかりやすく、初めて歌舞伎を観る方も楽しめる演目ではないかと思う。
菊五郎さん演じる女性の、控えめでありながら凛(りん)とした様子、その女性が年齢を重ねたときの品位と貫禄、そして、若い時にも年をとった時にも共通するかわいらしさが、よく表れていた。
菊五郎さんは、立役だけでなく女形も見事にこなすなあ、と、あらためて思った。


それにしても、今月は「歌舞伎三昧」の月だった。
散財してしまったが、今しか観られない貴重なものだと思えば、高くはないのかも。
今年の目標「貯金」は、当分できそうもない……。


<本日のキモノ>
鮫小紋とパステルカラーの七宝柄の袋帯
紺の鮫小紋(江戸小紋の柄のうちの一つ)に、七宝の柄の袋帯。
鮫小紋は、遠目に見ると無地に見えるが、実は非常に細かな点が染められている。
正絹だが仕立て上がりで買ったものなので、気軽に着ている。
今回も1階席だし、私の持っているなかではいい着物を着ていこうかなあ、と考えたのだが、何となく迷って結局この江戸小紋にして、正解だった。
天気予報では晴れるようなことを言っていたのだが、いざ出かけるときになったら、小雨が降り出したのだ。
幸い、しばらくして止んだが、出がけにあわてて雨コートを出すはめになった。



誕生日

2005年02月18日 | つれづれ
また一つ、年を重ねてしまった。
「重ねてしまった」といっても、私は、20代のころから「早く30代になりたい」と思っていたくらいなので、年を重ねるのが嫌だというわけではない。

日々のあわただしさで、気がついたら誕生日を迎え、一つ年を重ねてしまっていた、ということなのだ。
前日まで、自分の誕生日のことなどすっかり忘れていたし、前日の夜になって「あれ、そういや明日は誕生日か、後厄だなあ……早く厄よけ祈願に行かなくちゃ」と思ったくらいで、当日になったらまた仕事でバタバタしていて忘れていた。
去年の誕生日も、転職して間もなかったので、あわただしい日々のなかですっかり忘れてしまっており、数日後になって「あ、一つ年をとってた」と思ったのだ。

大厄の年だった去年は、母から「厄年で、しかも転職で環境が変わるんだから、きちんと厄よけ祈願をしてもらうように」と言われていたにもかかわらず、ずるずると引き延ばし、6月ごろになってやっと本格的な厄よけ祈願をしてもらった。
そもそも、男性の場合も女性の場合も、一生のなかで体調をくずしやすい時期だから厄年とされているのだ、と言われている。だから、大きな病気やケガをしなかったのが何よりだと思う。
それ以外の細かなことは、厄年じゃなくたって起き得ることだし、気にしても仕方がない。

「十人十色の着物がたり」(主婦と生活社)という本のなかで、「30代、40代は『着物ざかり』」という、着物スタイリストさんの言葉が紹介されている。
「20代に比べ、心も体もやや丸みをおび、落ち着いた雰囲気を醸す年代」なので「どんな着物をも着こなせ、いろいろな着方に挑戦できる」ときなのだそうだ。

私は、心はまだあんまり丸くなってないかもしれないが(笑)、言われてみるとたしかに、20代のときと比べて、着物姿が少し自然に見えるようになった気がする。
ほかの人の着物姿を見ていても、30代の女性には、「着物が体になじんでいる」といった雰囲気があるように思う。
もちろん、20代の女性の着物姿は、はつらつとした華やかな魅力があって素敵だと思うが、それとはまた違ったよさが出ている感じだ。
20代のときに漠然と「早く30代になりたい」と思っていた原因の一つも、もしかしたらこんなところにあったのかもしれない。

さらに、50代、60代と進むにつれ、また違った雰囲気が出てくるのも、着物のよいところである。
たとえば、この年代の女性の着こなしを真似しようと思っても、全体から醸し出される雰囲気が全然ちがうので、うまく真似できない。やはり、50代、60代だからこそできる着こなしというのがあるのだ。
そう思うと、年を重ねることが楽しみになってくるから、不思議である。

「十人十色の着物がたり」では、20代、30~40代、50代~60代それぞれの年代のよさと、それを生かした着こなし方や着付けの仕方を、コラムで紹介している。
それぞれの年代ならではの体型や雰囲気があるので、その雰囲気を大切にした着こなしが必要ということらしい。
たとえば、おばあさんになって体のラインが変わったときに、それを生かしたゆったりとした着方をしていると、とてもなじんで見えるが、同じような着方を20代や30代の女性がしていたら、やはりしっくりこないものがある、ということのようだ。

実際、若い人の着物姿で、身八つ口(女性用の着物で、袖のつけ根が三角に開いている部分)が帯の上から出てしまって上半身がゆるい感じになっていたりすると、老けて見える感じがする。
20代の若い女性は、やはり帯を胸高に締めてきっちりと着るほうが、せっかくの若さを殺さずにすむのではないかなあ、と思う。

50代~60代になると、お太鼓をわざと斜めに作るというのも、粋に見えていいらしいが、これを20代や30代の人がやると、ややもすると野暮に見えてしまうかもしれない。
お太鼓の大きさも、若いときは大きめにして、年代が進むにつれ小さめにするのが、身長とのバランスもとれていいのだろう。

着物は、立体裁断される洋服とちがい、直線裁ちされているので、体型が変わっても着物のほうが体型にあわせてくれる。だから、それぞれの年代ならではの雰囲気が出てくるのだろう。
その人の年輪を生かしてくれる、着物。そのすばらしさを知ると、年を重ねるのが楽しみになってくるのかもしれない。



またまた歌舞伎座二月大歌舞伎

2005年02月13日 | 歌舞伎
またまた、歌舞伎座の二月大歌舞伎(夜の部)へ……。

今度は、1階席の後ろのほうの席で。
役者さんが花道を進んできて揚幕の内に入るところまで見られるので、「野崎村」の両花道を楽しむにはうってつけ。
舞台に向かってちょうど真ん中あたりの位置だったので、舞台も見やすかった。

何たって、こんなに豪華な顔ぶれはしばらくないと思うので、存分に観ておかないと……。
ひと月のうちにこんなに何度も通ったのは、平成11年4月の歌舞伎座・中村会で鴈治郎さんの「封印切」と「曾根崎心中」が出たとき以来である。
あのときは、昼の部(「封印切」)を1階席で3回、夜の部(「曾根崎心中」)を一幕見でほぼ毎日観たなあ……。
(このときの「封印切」は、忠兵衛を鴈治郎さん、梅川を扇雀さん、八右衛門を我當さん、井筒屋の旦那を富十郎さん、井筒屋の女将を秀太郎さんというすばらしいキャスティングで、皆さんの息の合った演技がとてもすばらしかった。今まででいちばん印象に残っている芝居の一つである。最近、このときの公演を収録した「封印切」のDVD・ビデオが出たので、さっそく買ってしまった)


話はそれたが、そんなわけで、歴史に残るであろう豪華キャストの舞台を目に焼きつけるべく、先週に引き続き再び足を運んだのである。
初日から数日しか経っていなかった先週に比べて、全体的に台詞も板につき、完成度が高くなっていたのではないかと思う。
ベテラン勢の舞台というのは、「さりげなくどっしりしている」という感じで、観ているほうも気負わず自然体で観ていられて、それでいてひきつけられるのだなあ、と思った。
だから何度も観ても飽きないのかもしれない。


筋書(プログラム)にまだ舞台写真が入っていなかったので、ロビーで売っている舞台写真を何枚も買ったら、もうちょっとでチケットがもう一枚買えそうな額になってしまった……。
でも、貴重な舞台の様子をおさめた写真なので仕方ない。
ほかにも、菊五郎さんや三津五郎さんが写っている「どんつく」の写真(菊五郎さんが籠毬をやっているところなど)や、菊之助さんの「どんつく」の可愛らしい町娘の写真があったので、ついそれも買ってしまった……。
菊之助さんの町娘は、本当にきれいで可愛らしかった。見た目はもちろん、仕草も恥じらいがある感じで、本当に町娘のように見えた。こういうのを「時分の花」と言うのだなあ、と思った。「時分の花」というのは、世阿弥の「風姿花伝」に出てくる言葉で、簡単に言うと、役者には年齢に応じた「花」があるのだ、というようなこと。今の菊之助さんは、若いときならではの「花」があるなあ、と思う。

余談だが、後ろの列に座っていたおばさまが結構うるさくて、少し参ってしまった。
芝居の途中で役者を見て「○○さんよ」と言うのはまあいいとしても、芝居が始まる直前(というか、もう下座音楽が鳴って芝居が始まってる)や一つの芝居の幕間(休憩時間ではない)に、芝居と全然関係ない話(たとえばご近所の悪口とか)をするのは、勘弁していただきたい。
たまにいるんですよ、こういうおばさま……。休憩時間に弁当食べながらお嫁さんの悪口言って、それをそのまま引きずって、次の幕が開いて浄瑠璃が始まってるのにまだお嫁さんの悪口言ってるとか……。ご近所やお嫁さんの悪口は、芝居がハネてから、喫茶店にでも入ってゆっくり言ってください、と言いたい……。
そもそも、芝居小屋まで来てそんな話をしていたのでは、何のために現実を離れて芝居を観に来たのだかわからなさそうだけれど……。本人たちはそれでもいいのだろうけど、周りはいい迷惑である。芝居の世界を台無しにされる感じがして(涙)。

「野崎村」のときも、最後のいいところ、義太夫の名曲にのってお染と久松が両花道を進んでいくところで、「あら、(三味線が)合わなくなっちゃった」と大きな声で言い出したので、せっかくの名場面をこわされた感じがして、ゲンナリした……。というか、合わなくなってるのではありません、ああいう弾き方なんです……と言ってやりたかった……。

「芝居はお客が作るもの」と言われるように、いいお客さんが、いい役者、いい芝居を作っていくのだと思う。もちろん、楽しみ方は人それぞれだから、芝居のことや役者のことを知らなくたって構わないと思う。しかし、テレビを見ているのとはちがって、生身の人間を目の前にしているのだということだけは心に留めて観てもらわないと……。

まあ、でも、そのような周囲の雑音にもめげず。全体的には楽しめたのでよかったと思う。
三連休(木曜日の午後半休も入れると三連休半)も終わり……。
芝居で現実逃避してリフレッシュしたこの頭も、また明日から現実に引き戻されてしまうのか、と思うと悲しい……。


ラグビー日本選手権

2005年02月12日 | つれづれ
ラグビー日本選手権を観に、秩父宮ラグビー場へ行った。

第一試合のNEC対福岡サニックスの試合を途中から観て、その後、お目当ての早稲田大学対トヨタ自動車の試合を観た。

以前の記事でも書いたが、この日本選手権で学生が社会人に勝ったのは、1988年に早稲田が東芝府中を下して日本一に輝いたのが最後となってしまっている。
社会人選手は体格もいいし力もあるので、学生はなかなか勝てない。
しかし、今年の早稲田はかなり力をつけていたので、「もしかしたら」と期待が集まっていた。

試合開始後、早稲田はペナルティーゴールで先制点を決めたが、なかなかトライを奪えなかった。
ドロップゴールでの得点を狙った場面が何度かあったが、失敗してしまった。
後になって考えてみると、このドロップゴールが成功していれば、ひょっとすると勝てたかもしれない。
ほかにも、せっかく相手ゴール目前まで行っているのにちょっとしたミスや反則でチャンスを逃してしまった場面が何度かあった。それが残念だった。
ラグビーは、ちょっとしたことで一気に形勢が逆転してしまうスポーツであり、それが面白いところでもある。

しかし、体格のいい選手がそろい、外国人選手が何人も入っている社会人チームを相手に、よく守っていたと思う。すばらしいディフェンスだった。
社会人チームが学生相手にあれだけ本気になっていたのも、早稲田にとっては名誉なことだと思う。
途中、トヨタの選手のなかにフェアプレー精神にあるまじき行為があったのが残念だったが、全体的にはとても良い試合だったと思う。

試合後、涙を流しながらグランドを出る早稲田の選手を、トヨタの選手が肩をたたき激励しながら見送る様子が、とても感動的だった。
学生ながら社会人に善戦した早稲田に、トヨタの選手もエールを送ってくれたのだと思う。
これが「ノーサイドの精神」のすばらしいところである。

社会人の壁は厚いかもしれないが、今年の経験をバネにして、また来シーズンもがんばってほしい。
大きな相手に対してひるまず、精一杯ぶつかっていく早稲田の選手に、大きな感動と勇気を与えられた一日だった。
アカクロジャージ、バンザイ!


ちなみに、テレビなどの報道でご存じの方も多いと思うが、この早稲田対トヨタ自動車の試合のテレビ中継に関してすったもんだがあったようだ。
当初、NHKが試合の生中継を予定していたのだが、日本ラグビー協会と協賛企業である朝日新聞の契約で、レフリーやタッチジャッジのジャージに朝日新聞のロゴを入れることになったので、「企業名の過度な露出を避ける」ため、NHKが生中継をとりやめることを発表したのだ。
日本ラグビー協会が事前にNHKの了承を得ないまま事を進めてしまったのもまずかったらしい。結局、直前になって日本ラグビー協会が落ち度を認めたため、予定どおり生中継をすることが決まった。
生中継をすることに落ち着いたのが直前だったため、中継が行われたことを知らなかった人も多かったようだ。

たしかに、日本ラグビー協会の落ち度もあったのかもしれないが、NHKは、民放とちがって「視聴者からの受信料と税金で番組を運営している」放送局である。
だからこそ、最も視聴者のことを考えて番組制作をしなければいけないのではないのか。
「企業名の過度な露出を避ける」などともっともらしい理由をつけている場合ではない。
そりゃあ、民放の場合は、スポンサーのライバル会社の企業名を露出させたら大問題だが、NHKの場合はスポンサーがついていないのだから、企業名が出て来ようがどうしようが関係ないと思うが。

東京にいれば、スポーツの試合でも芸術的なイベントでも、比較的簡単に見ることができる。
しかし、地方にいる人にとっては、テレビでの中継が大きな頼りなのだ。
録画中継で見ることもできるのだろうが、やはり、リアルタイムで見る感動とはちがうと思う。

情報通信網がこれだけ発達した現代、本当にその恩恵を必要としている人たちのことを考えたら、企業同士のつまらないプライドなど、捨てるべきではないのか。


余談だが、NHKには歌舞伎の生中継ももっとやってもらえるといいのに、と思う。
地方にいると、例えば襲名披露興行などは、東京から一年くらい遅れてしまうところもある。
それに、地方の場合、チケットも高くなるし、すぐに売り切れてしまったりして手に入らないことも多い。
もっと生中継をしてくれれば、地方にいる人たちも感動を共有できる場が持てるのに。
それが、日本の文化水準のさらなる向上にもつながるのではないのだろうか。
番組を粗製乱造する前に、メディアの使命とは何なのか、もう一度よく考えてほしい。
私たちの受信料と税金を、むだにしないでください。



再び歌舞伎座二月大歌舞伎

2005年02月11日 | 歌舞伎
歌舞伎座の二月大歌舞伎を観に行った。
今度は、昼の部である。

昼の部の演目は、「番町皿屋敷」「五斗三番叟(ごとさんばそう)」「隅田川」「どんつく」の4本。
そのなかで、私が特にお目当てにしていたのが「どんつく」。
「神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり)」という題名の舞踊なのだが、通称「どんつく」と呼ばれている。
現在は寄席芸としても知られている「太神楽(だいかぐら)」という曲芸の親方と、その荷物持ちの男を中心に、白酒売りや見物客などが次々に踊りを披露していく構成。
この荷物持ちの男が、少々不器用で「鈍な」男なため親方から「どんつく」と呼ばれるところと、太鼓をたたくときの音を「どんつく」と表現するところからきている。

荷物持ちを坂東三津五郎さん、親方を尾上菊五郎さんが演じるのだが、周りをかためるのも、片岡仁左衛門さん、市川左團次さん、中村魁春さん、中村時蔵さん、坂東秀調さん、中村翫雀さん、坂東弥十郎さん、尾上松緑さん、尾上菊之助さん、坂東巳之助さんと、超豪華オールスターキャストである。

見せ場の一つに、菊五郎さん扮する太神楽の親方が、「籠毬(かごまり)」という曲芸を披露する場面がある。
「籠毬」は、筒状になった籠の上に高さのちがう3つの台と針のついた輪がついている独特の道具を使い、それに次々と玉を乗せて操っていくという、太神楽の伝統的な曲芸。寄席では現在でも時々、太神楽曲芸の芸人さんたちがこの「籠毬」を披露している。

菊五郎さんは、籠の上の台に毬を3つ投げて乗せるところを見事に披露していた。
うまく乗っからず毬が落ちてしまったけれど、もちろんそれはご愛嬌ということで。
ほかにも、時々、太鼓の撥(ばち)を操るちょっとした曲芸を地味に(?)披露していたので、ついつい菊五郎さんのほうに目が行ってしまった(笑)。

荷物持ちを演じる坂東三津五郎さんは、言わずと知れた舞踊の名手。
「おかめ」の踊りなどは大きな見どころの一つである。
今回の「どんつく」は、三津五郎さんのお父さんである九世坂東三津五郎さんの七回忌追善でもあるのだが、九世三津五郎さんも「どんつく」を得意としていたので、追善にふさわしいすばらしい舞台となったのではないかと思う。

オールスターキャストの華やかな舞台とすばらしい踊りで観客の目を楽しませてくれる、大喜利にふさわしい楽しい芝居だった。


芝居がハネたあと、ありがたいことに、何と、このブログを読んでくださっている方が声をかけてくださった。
先日の記事に写真を出していた「貝合わせの帯」を見て気づいてくださったとのこと。本当にありがとうございます!
こうして、インターネットをきっかけにして交流がひろがっていくのはとてもうれしい。
ブログをはじめてよかったなあ。


本日のキモノ
緑の飛び柄小紋と貝合わせの帯
以前このブログの記事で書いた、初めて自分で誂えた小紋(今回は、後ろのほうとはいえ1階席だったので、ちょっと気合いを入れてみました 笑)。帯は、先日と同じ(汗)、貝合わせの帯。根付は、先日、歌舞伎座ロビーで買ったお雛さまの根付。

東宝名人会「さよなら芸術座 お名残り公演」

2005年02月10日 | 落語
東京・日比谷の「芸術座」が、老朽化による建て替えのため3月をもって閉鎖される。

3月に上演される森光子さんの「放浪記」が「芸術座さよなら公演」となるのだが、それに先立ち、「さよなら芸術座 お名残り公演」と冠して、芸術座最後の「東宝名人会」が行われた。

「芸術座お名残り公演 東宝名人会」パンフレット


「東宝名人会」は、落語をはじめとする演芸界の「名人」たちを集めた公演である。
その歴史は長く、今回の公演で何と1260回を数える。
日本で最初に「名人会」と名のつけられた公演で、芸人さんたちにとって、この「東宝名人会」に出演することは、一つのステータスとされていたほど、由緒ある公演なのである。

誤解のないように言っておくが、「東宝名人会」自体が終わってしまうということではなく、今回の公演は、あくまでも「現在の芸術座では最後の『東宝名人会』」ということらしい。
芸術座が建て替えられて新規オープンするまでの間の「小休止」に入るといったところか。

仕事が終わってからだと開演時刻に間に合わないので、あらかじめ午後半休をとっておいた。
午後半休をとったといっても、何やかやで結局4時すぎに会社を出ることになってしまい、そそくさと日比谷へ。軽く食事をすませてから芸術座へ向かった。

芸術座の向かいにある東京宝塚劇場の公演が終わったところだったらしく、いわゆる「出待ち」の人たちがたくさんいた。
ひいきの役者ごとに色わけされたマフラーやセーターなどを身に付けて、若い女性がたくさん並んでいた。

こっちは、同じ若い女性でも(といっても、もうそんなに若くもないので、同じにしたらそのお嬢さんたちに怒られてしまうかもしれないが)「若年寄り」なので(笑)、「出待ち」でにぎわうタカラヅカの脇を抜けて、「東宝名人会」へ。
「東宝名人会」の看板は、芸術座のビルの玄関を入ったところにひっそりと立てられていたので、こっちからタカラヅカの「出待ち」の人たちを見て「ああ、タカラヅカの公演がハネた(終わった)んだな」というのはわかっても、向こうからこっちを見て、これから「東宝名人会」なるものが行われようとしているということはわからなかっただろう……。

芸術座最後の東宝名人会の看板
↑東宝名人会の看板。「芸術座4階」と書かれた案内の横に立てられている様子も、これで見納め。


今回の出演者は、落語協会会長の三遊亭圓歌師匠、落語芸術協会会長の桂歌丸師匠、漫才協団会長の内海桂子師匠、奇術協会会長の北見マキ師匠と、演芸各協会の会長がそろった豪華なメンバー。
あざやかなマジックや円熟の話芸で、「芸術座お名残り公演」にふさわしい華やかな高座となっていた。
客席も大いに盛り上がり、大盛況のうちに幕を閉じた。
トリの圓歌師匠が、往年の東宝名人会のエピソードを語ってくれたのも、興味深かった。

新しい芸術座で「東宝名人会」が再開される日を楽しみに待ちたい。
できれば、それまでの間にも何らかの形で開催されるとよいのだけれど。



人間国宝そろいぶみ

2005年02月05日 | 歌舞伎
歌舞伎座の二月大歌舞伎を観に行った。

今回は、顔見世興行にも負けないくらいの豪華な顔ぶれなのだが、そのなかでも特に注目なのが、夜の部の「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん) 野崎村の場」。
「新版歌祭文」は、もともと義太夫の曲で、人形浄瑠璃で演じられていたのだが、それが歌舞伎の世界にも入ったのだ。
「お染・久松」の話といえば、わかる方も多いのではないかと思う。
この「野崎村」の最後の場面の三味線は、名曲として知られている。
義太夫名曲集などのCDで収録されていることが多いので、まだ聴いたことのない方はぜひ一度聴いてみてください。

今回の「野崎村」は、歌舞伎の世界の人間国宝がそろった、豪華な顔ぶれである。
お染を中村雀右衛門さん、久松を中村鴈治郎さん、お染の恋敵であるお光を中村芝翫さん、お光の養父の久作を中村富十郎さん、お染の母親を澤村田之助さんが演じている。

この芝居では、「両花道」といって、通常の花道のほかにもう一本花道が作られ、二本の花道が使われる。
最後の場面で、世間の目をはばかってお染は舟、久松は駕篭に乗って別々に帰ってゆくのだが、ここで二つの花道が使われるのだ。
義太夫の名曲にのってお染と久松が両花道を進んでいく場面は、何とも言えず感動的である。

今回は、両花道が使われる「野崎村」が上演されるため、後ろの席のほうがいいと思い、2階席の最前列をとっておいた。
舞台に向かってちょうど真ん中の位置だったので、舞台と両花道を全体的に、俯瞰的に見られてよかった。
1階の前のほうの席だと、振り向かないと花道が見えないので、この名場面を存分に楽しめない。桟敷席も、舞台に向かって両脇に設置されているため、両花道の場合は必ずどちらかの花道を後ろから見ることになってしまう。
映画と違い、座る席によって構図がちがって見えるので、演目や自分の好みにあわせて座る席を選び、いろいろな楽しみ方ができるのも、芝居の面白いところである。

私が座っていた2階席最前列に、外国人の男性と日本人の女性のグループがいた。
男性は、日本語が堪能だったようで、台詞もわりとよく理解していたようなのだが、「大向こう」から一斉にかかる掛け声や、歌舞伎特有の台詞まわしなどが奇異に感じられたらしく、クスクスと笑っていたので少し気になってしまった。
外国の人から見ると、芝居の最中に客席から声がかかるというのは、たしかに奇妙に感じられるのかもしれない。
この「かけ声」も、単に自分のひいきの役者に声をかけるだけでなく、立派な舞台効果としての役割も担っている。役者が形や台詞を決めたところでビシッとかけ声が入ると、芝居がいっそう盛り上がって見えるのだ。
こんなふうに、客席が演出に一役買っているのも、日本の古典芸能の特徴なのかもしれない。

というようなことを、一緒にいた日本人の女性が教えてあげればいいのになあ、と思ったのだが、その女性も歌舞伎は初めてという感じだったので仕方ないのかな。

余談だが、この芝居を前々から楽しみにしていた私は、心おきなくこの芝居を観に行けるよう、前日の金曜の夜に必死で仕事を片づけたため、睡眠時間わずか2~3時間(しかもうたた寝)という状態だった。楽しみにしていたのに芝居の途中で寝てしまったらどうしようと不安だったが、全然眠くならなかった。
どんなに前の晩よく寝ても眠くなってしまうこともあるし、ほとんど寝ていなくても全然眠くならないこともある。やはり芝居の中身でちがってくるのかも。

追伸:今日のキモノ
貝合わせの帯
2階席なので、楽なように毎度おなじみの(笑)縞の小紋。
雛まつりの前なので、貝合わせの帯を合わせた。
義太夫狂言だったので、三味線の撥(ばち)をあしらったべっ甲の根付をつけていったのだが、歌舞伎座のロビーでお雛さまの形のかわいい根付を売っていたので、つい買ってしまった。