寝台特急「あさかぜ」と「さくら」が、ダイヤ改正に伴い、本日をもって廃止された。
「あさかぜ」は、1956年、日本で最初の寝台特急として、東京~博多間で運行を開始した。
「さくら」は、その3年後の1959年に運行を開始した。
当然、まだ新幹線などなかった時代である。
これらの寝台特急は、またたくまに一世を風靡(ふうび)した。
今年古稀を迎える私の父は、東京で大学生活を送った。
早くに夫を亡くし、女手一つで子どもを育て上げた祖母は、当時にしては教育熱心で、3人の子どもを東京の大学に行かせた。
しかし、もちろん家計は楽ではなく、父は学費を稼ぎながら苦労して大学へ通った。
寝台特急に乗るだけの経済的な余裕もなかった当時、父は急行列車に乗って上京してきたという。
そして、大学を卒業するとき、さまざまな夢を残したまま「あさかぜ」に乗って東京を離れ、故郷に戻った。
苦学生だった父は、わが子には同じ苦労をさせまいと、不自由のない生活を送らせてくれた。
東京での大学生活にも、多くの援助をしてくれた。
自分が東京で夢をかなえられなかったぶん、私たちには好きなようにさせてくれている。
そんな父のためにも、私は、東京駅を出る「あさかぜ」の写真を撮りたいと思った。
最終運転日の今日は平日だから行けそうもないし、大勢の人がつめかけて満足に撮れないだろうと思ったので、先週末のうちに東京駅へ行って撮ってきた。それでもかなり多くの人がつめかけていて、もみくちゃになりながら撮影をした。
何とか写真が撮れたので、インターネット上にアップロードして父も見られるようにしておいた。
元来「新しもの好き」の父は、割に早くからワープロやパソコンを使っていた。今も、インターネットをやる程度には、パソコンを使いこなしている。
50年近く前に作られた車両を撮影した写真を、現代ならではの手法で撮影・保存するというのは、何だか不思議な感じがした。
かつて一世を風靡した「ブルートレイン」も、新幹線の開業や航空網の整備といった時代の移り変わりとともに、その人気が衰えていった。
新幹線のスピードもどんどんアップし、日帰りの出張や旅行も当たり前のように行われる時代になった。
しかし、それとともに、人々の意識も変わってきてしまったような気がする。
普通列車や急行列車、寝台特急で移動していた時代、遠く離れた土地へ行くのには非常に多くの時間を費やした。
そしてそれは、自分が生まれ育った土地とは別の「異文化の世界」へ行くための、長い長い旅だったのだ。
だからこそ、新しい土地へ足を踏み入れることへのおそれ、不安、緊張、そして期待があった。
簡単に帰ることもできないから、覚悟をして新しい土地になじもうとした。そして、時間をかけてその土地の住人になっていった。
500キロ離れたところにも新幹線でわずか3時間足らずで行けてしまう今、人々は簡単にいろいろな土地へ移動できる。
それはたしかに便利だが、そのぶん、異なる文化をもつ土地へ行くことに対するおそれ、緊張、覚悟といったものが薄れていないだろうか。
旅先で傍若無人にふるまう観光客などを見ると、そう思わずにはいられない。
よその土地へ行って、一朝一夕にその土地の住人になれるはずはない。
10年、20年と経たなければ、その土地のことなど完全にはわからないし、ましてや「その土地の人間」にはなれない。
観光客に限らず、そういった自覚なしに「わがもの顔」をしてふるまうことは、その土地で生まれ育った人々の誇りを傷つけることにほかならない。
その土地の人々の生活に土足で踏み込むようなまねをする人たちが増えたのは、新幹線のスピードアップと時を同じくしているのではないだろうか。
鉄道に限らず、「スピードアップ」はたしかに大切だと思うけれど、そればかりに目を向けて大切なものが失われないよう、祈るばかりである。
今日午後7時、日本で最初の寝台特急「あさかぜ」は、もう戻って来ることのない東京駅を出発していった。
時代の流れとともに引退していく「あさかぜ」の姿を見て何とも言えずさびしい気持ちになるのは、老いた父の姿を重ね合わせてしまうからなのかもしれない。
![東京駅ホームの表示](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/3b/f772a687aa1b73b435bb14fac7a80f7b.jpg)
東京駅のホームの発車案内にこの文字が並ぶのも最後
先頭車両(電気機関車)
![あさかぜ号後部プレート](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/48/fee772f7d68e27946e4713bc831cdc9a.jpg)
最後部車両(寝台車)
行き先表示。「あさかぜ」は当初博多行きだったが、2000年12月をもって東京~博多間の列車がすべて廃止され、東京~下関間の運行になった。
![発車直前のあさかぜ号](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/93/38a6512b9d1bffc2b0ad8d2a9d004926.jpg)
発車直前の「あさかぜ」の最後部寝台車。後ろに見えるのは、東京駅ホームに入ってくる「あさかぜ」を車庫から牽引してきた特急「出雲」の電気機関車。
![東京駅を出るあさかぜ号](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/bd/b317acf697ecf48cab9f04ea7a17e371.jpg)
東京駅を出て行く「あさかぜ」
さよならさくら・あさかぜ記念弁当。東京駅で限定発売されていた。
![さくら・あさかぜ記念弁当中身](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ac/7462f040e2c665270e15b7b22ab023e2.jpg)
中は幕の内風。「さくら」にちなんで、桜の形にくりぬいたさつまいもの天ぷらとさつま揚げが入っている。
「あさかぜ」はどこにいるのか謎……。
「あさかぜ」は、1956年、日本で最初の寝台特急として、東京~博多間で運行を開始した。
「さくら」は、その3年後の1959年に運行を開始した。
当然、まだ新幹線などなかった時代である。
これらの寝台特急は、またたくまに一世を風靡(ふうび)した。
今年古稀を迎える私の父は、東京で大学生活を送った。
早くに夫を亡くし、女手一つで子どもを育て上げた祖母は、当時にしては教育熱心で、3人の子どもを東京の大学に行かせた。
しかし、もちろん家計は楽ではなく、父は学費を稼ぎながら苦労して大学へ通った。
寝台特急に乗るだけの経済的な余裕もなかった当時、父は急行列車に乗って上京してきたという。
そして、大学を卒業するとき、さまざまな夢を残したまま「あさかぜ」に乗って東京を離れ、故郷に戻った。
苦学生だった父は、わが子には同じ苦労をさせまいと、不自由のない生活を送らせてくれた。
東京での大学生活にも、多くの援助をしてくれた。
自分が東京で夢をかなえられなかったぶん、私たちには好きなようにさせてくれている。
そんな父のためにも、私は、東京駅を出る「あさかぜ」の写真を撮りたいと思った。
最終運転日の今日は平日だから行けそうもないし、大勢の人がつめかけて満足に撮れないだろうと思ったので、先週末のうちに東京駅へ行って撮ってきた。それでもかなり多くの人がつめかけていて、もみくちゃになりながら撮影をした。
何とか写真が撮れたので、インターネット上にアップロードして父も見られるようにしておいた。
元来「新しもの好き」の父は、割に早くからワープロやパソコンを使っていた。今も、インターネットをやる程度には、パソコンを使いこなしている。
50年近く前に作られた車両を撮影した写真を、現代ならではの手法で撮影・保存するというのは、何だか不思議な感じがした。
かつて一世を風靡した「ブルートレイン」も、新幹線の開業や航空網の整備といった時代の移り変わりとともに、その人気が衰えていった。
新幹線のスピードもどんどんアップし、日帰りの出張や旅行も当たり前のように行われる時代になった。
しかし、それとともに、人々の意識も変わってきてしまったような気がする。
普通列車や急行列車、寝台特急で移動していた時代、遠く離れた土地へ行くのには非常に多くの時間を費やした。
そしてそれは、自分が生まれ育った土地とは別の「異文化の世界」へ行くための、長い長い旅だったのだ。
だからこそ、新しい土地へ足を踏み入れることへのおそれ、不安、緊張、そして期待があった。
簡単に帰ることもできないから、覚悟をして新しい土地になじもうとした。そして、時間をかけてその土地の住人になっていった。
500キロ離れたところにも新幹線でわずか3時間足らずで行けてしまう今、人々は簡単にいろいろな土地へ移動できる。
それはたしかに便利だが、そのぶん、異なる文化をもつ土地へ行くことに対するおそれ、緊張、覚悟といったものが薄れていないだろうか。
旅先で傍若無人にふるまう観光客などを見ると、そう思わずにはいられない。
よその土地へ行って、一朝一夕にその土地の住人になれるはずはない。
10年、20年と経たなければ、その土地のことなど完全にはわからないし、ましてや「その土地の人間」にはなれない。
観光客に限らず、そういった自覚なしに「わがもの顔」をしてふるまうことは、その土地で生まれ育った人々の誇りを傷つけることにほかならない。
その土地の人々の生活に土足で踏み込むようなまねをする人たちが増えたのは、新幹線のスピードアップと時を同じくしているのではないだろうか。
鉄道に限らず、「スピードアップ」はたしかに大切だと思うけれど、そればかりに目を向けて大切なものが失われないよう、祈るばかりである。
今日午後7時、日本で最初の寝台特急「あさかぜ」は、もう戻って来ることのない東京駅を出発していった。
時代の流れとともに引退していく「あさかぜ」の姿を見て何とも言えずさびしい気持ちになるのは、老いた父の姿を重ね合わせてしまうからなのかもしれない。
![東京駅ホームの表示](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/3b/f772a687aa1b73b435bb14fac7a80f7b.jpg)
東京駅のホームの発車案内にこの文字が並ぶのも最後
![さくら号ヘッドプレート](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/8e/66946c79bc07d123ce888279c84f40d6.jpg)
![あさかぜ号ヘッドプレート](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/bf/ef43ac34240b0892d716b1a482571840.jpg)
先頭車両(電気機関車)
![さくら号後部プレート](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/04/09c0ca2e0da2e2d91edfa77297d33f77.jpg)
![あさかぜ号後部プレート](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/48/fee772f7d68e27946e4713bc831cdc9a.jpg)
最後部車両(寝台車)
![さくら号行き先表示](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/1b/3dc6b099e32a636f212a9f7947ca5373.jpg)
![あさかぜ号行き先表示](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e5/f13d9f5bfc94b39e339193b37e0ec549.jpg)
行き先表示。「あさかぜ」は当初博多行きだったが、2000年12月をもって東京~博多間の列車がすべて廃止され、東京~下関間の運行になった。
![発車直前のあさかぜ号](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/93/38a6512b9d1bffc2b0ad8d2a9d004926.jpg)
発車直前の「あさかぜ」の最後部寝台車。後ろに見えるのは、東京駅ホームに入ってくる「あさかぜ」を車庫から牽引してきた特急「出雲」の電気機関車。
![東京駅を出るあさかぜ号](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/bd/b317acf697ecf48cab9f04ea7a17e371.jpg)
東京駅を出て行く「あさかぜ」
![さくら・あさかぜ記念弁当](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/41/01a23fda710dc96fb8fc74ff427722b2.jpg)
さよならさくら・あさかぜ記念弁当。東京駅で限定発売されていた。
![さくら・あさかぜ記念弁当中身](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ac/7462f040e2c665270e15b7b22ab023e2.jpg)
中は幕の内風。「さくら」にちなんで、桜の形にくりぬいたさつまいもの天ぷらとさつま揚げが入っている。
「あさかぜ」はどこにいるのか謎……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)