鈴本演芸場の余一会で柳家小三治師匠の独演会が行われたので、行ってきました。
寄席の定席興行は、毎月1日~10日、11日~20日、21日~30日の10日間ずつ行われます。
そのため、31日まである月は1日余ってしまいます。そこで、その日はさまざまな会が催されます。これを「余一会(よいちかい)」といいます。
鈴本演芸場の余一会では、年に2回柳家小三治師匠の独演会が行われます。
毎回発売と同時にチケットが売り切れる盛況ぶりで、すっかり恒例となっている会ですが、今回はいつもの独演会とひと味ちがっていました。
もちろん、チケットがすぐに売り切れるのはいつもどおりです。では、何がちがっていたのかというと……。
今回の独演会では、小三治師匠は落語をやらないのです。
落語をやらずに何をやるのかというと……、「コンサート」です。
落語をやらず歌を歌う独演会です。
小三治師匠の落語は定席でいつも聴いているので、独演会にはほとんど行ったことがありませんでした。
しかし今回は、定席ではおそらくあり得ないことなので、がんばって発売と同時にチケットをとりました。
当日。
鈴本演芸場へ入ると、高座にグランドピアノが置かれ、調律師の方が調律をしていました。寄席では、当然ながらまず見たことのない光景です。
高座にグランドピアノが置かれたのは、鈴本演芸場史上初めてだそうです(笑)。
![鈴本演芸場の高座に置かれたピアノ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/73/f1a60291c31890508484ba67a3987994.jpg)
調律も済み、いよいよ開演の時間です。
今回は落語をやらないにもかかわらず、お囃子さんたちはちゃんと控えていて、出囃子を弾いていました。
出囃子の後、小三治師匠の登場です。さすがに着物ではなく洋服姿でした。
小三治師匠とともに高座へ出ていらっしゃったのは、ピアニストの岡田知子さん。岡田さんは、東京芸術大学を卒業後、ドイツのデトモルト音楽大学に留学し主席で卒業したそうです。
岡田さんのピアノ伴奏で、小三治師匠は童謡から流行歌、ミュージカル曲、外国民謡まで計13曲、アンコールも入れると計15曲を熱唱されました。
小三治師匠は、数年前から岡田さんに歌のレッスンをしていただいているそうで、発声もしっかりとしていてなかなか素晴らしい歌声でした。
岡田さんのピアノは、とても情感があってやわらかくて、小三治師匠の言う「まるでピアノが歌っているようだ」という表現が本当にぴったりでした。
岡田さんは、伴奏をなさる時でも必ず詩をきちんと理解したうえで、詩の世界を大切にしながら弾いていらっしゃるそうです。そんな岡田さんのピアノは、歌の世界をさらに広げてくれる感じでした。
高い技術をもったピアニストはもちろんたくさんいますが、本当の意味で心に響く演奏ができる人というのは、そう多くはいないと思います。とても高度な演奏をしているのになぜか聴いていて退屈するケースもあります。
しかし岡田さんの演奏は、存在感があるのだけれどとても自然で、そして聴き手の胸を打つものでした。
ピアニストとして素晴らしい感性と技術をお持ちの岡田さんですが、ご幼少の頃は三味線を習っておられたそうです。
意外なことと思えますが、私はそれを聞いて「なるほど」と思いました。邦楽の世界というのは、長唄にしても清元にしても義太夫にしても常磐津にしても端唄にしても、情感や詩の世界を非常に大切にするものです。その世界を知っているからこそ出せる音があるような気がしました。
私は、5歳から18歳までずっとピアノをやっていました。もちろん、ピアノのレッスンに付随して「コールユーブンゲン」を使った声楽レッスンもしていました。
両親の主義で、いろいろな習い事に手を出すことはせず、高校を卒業して実家を離れるまでとにかくピアノだけを習っていました。出かけるのもほとんどがクラシックコンサートで、邦楽の世界をまったく知らずにきました。
しかしその私が、今は三味線を習い、ご存じのとおりことあるごとに古典芸能鑑賞に出かけています(笑)。
邦楽の「ほ」の字も知らなかった私は、高校卒業の直前にふとしたことから能楽に興味を持ち(なぜ突然興味を持ったのかはまた別の機会に述べることとします)、大学生になって能のサークルに入り、謡と仕舞を習い始めました。
それまで知っていた世界とはまったく違った邦楽の世界にふれ、「こんな世界があったのか」と新鮮な感動をおぼえるとともに、「なぜ自分は今まで邦楽の世界を知らずにきてしまったのだろう」と思いました。
でもそれは決してそれまでの世界を否定するものではありません。邦楽の世界を知ったことによってクラシックの世界もよく見えるようになってきたのです。「邦楽の世界を知っていたら、これまでクラシックをもっと楽しめたかもしれない」と思いました。
それからは、能、オペラ、歌舞伎、人形浄瑠璃、落語など様々なものに興味をもてるようになりました。クラシックのコンサートも、昔よりずっと楽しんで聴けるようになりました。
それに面白いことに、昔はあまり得意ではなかった歌が、謡をやってからすっかり得意になったのです。
学生時代、ほぼ毎日謡の稽古をしていた私。初めはあの独特の声がなかなか出せず、細い声しか出ていませんでした。しかしある時、それまでノドのあたりにあったフタがとれたかのような感覚とともに、お腹から出した声がポーンと外に出て、それまでとはまったく違う声が出せるようになっていたのです。
すると、ほかの歌を歌ってもそれまでとはまったく違う声が出せるようになりました。
考えてみれば、声楽であろうが邦楽であろうが、お腹から声を出すことには変わりありません。それまでの私は、わかっているつもりでもそのことが実践できていなかったのでしょう。
ひとつのことをきちんとやるというのはとても大事なことだと思いますし、それを教えてくれた両親にも感謝しています。
でも、別の世界にふれてみて、「ひとつのことをやり遂げる」というのと「周りを見ないでやみくもにやる」というのとは違うことにも気づきました。後者の場合はともすると自己満足に陥りがちだし、それではある一定のラインを超えることはできないのだと思います。
ほかの世界に目を向け、いろいろなものを見聞してこそ、自分の見識や感性も高まり、それが糧になっていくのだと思います。
クラシックと邦楽、一見両極にある2つの世界を知った今なら、ピアノも昔とは違った気持ちで弾ける気がします(もう弾く機会はほとんどありませんが……)。
寄席の定席興行は、毎月1日~10日、11日~20日、21日~30日の10日間ずつ行われます。
そのため、31日まである月は1日余ってしまいます。そこで、その日はさまざまな会が催されます。これを「余一会(よいちかい)」といいます。
鈴本演芸場の余一会では、年に2回柳家小三治師匠の独演会が行われます。
毎回発売と同時にチケットが売り切れる盛況ぶりで、すっかり恒例となっている会ですが、今回はいつもの独演会とひと味ちがっていました。
もちろん、チケットがすぐに売り切れるのはいつもどおりです。では、何がちがっていたのかというと……。
今回の独演会では、小三治師匠は落語をやらないのです。
落語をやらずに何をやるのかというと……、「コンサート」です。
落語をやらず歌を歌う独演会です。
小三治師匠の落語は定席でいつも聴いているので、独演会にはほとんど行ったことがありませんでした。
しかし今回は、定席ではおそらくあり得ないことなので、がんばって発売と同時にチケットをとりました。
当日。
鈴本演芸場へ入ると、高座にグランドピアノが置かれ、調律師の方が調律をしていました。寄席では、当然ながらまず見たことのない光景です。
高座にグランドピアノが置かれたのは、鈴本演芸場史上初めてだそうです(笑)。
![鈴本演芸場の高座に置かれたピアノ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/73/f1a60291c31890508484ba67a3987994.jpg)
調律も済み、いよいよ開演の時間です。
今回は落語をやらないにもかかわらず、お囃子さんたちはちゃんと控えていて、出囃子を弾いていました。
出囃子の後、小三治師匠の登場です。さすがに着物ではなく洋服姿でした。
小三治師匠とともに高座へ出ていらっしゃったのは、ピアニストの岡田知子さん。岡田さんは、東京芸術大学を卒業後、ドイツのデトモルト音楽大学に留学し主席で卒業したそうです。
岡田さんのピアノ伴奏で、小三治師匠は童謡から流行歌、ミュージカル曲、外国民謡まで計13曲、アンコールも入れると計15曲を熱唱されました。
小三治師匠は、数年前から岡田さんに歌のレッスンをしていただいているそうで、発声もしっかりとしていてなかなか素晴らしい歌声でした。
岡田さんのピアノは、とても情感があってやわらかくて、小三治師匠の言う「まるでピアノが歌っているようだ」という表現が本当にぴったりでした。
岡田さんは、伴奏をなさる時でも必ず詩をきちんと理解したうえで、詩の世界を大切にしながら弾いていらっしゃるそうです。そんな岡田さんのピアノは、歌の世界をさらに広げてくれる感じでした。
高い技術をもったピアニストはもちろんたくさんいますが、本当の意味で心に響く演奏ができる人というのは、そう多くはいないと思います。とても高度な演奏をしているのになぜか聴いていて退屈するケースもあります。
しかし岡田さんの演奏は、存在感があるのだけれどとても自然で、そして聴き手の胸を打つものでした。
ピアニストとして素晴らしい感性と技術をお持ちの岡田さんですが、ご幼少の頃は三味線を習っておられたそうです。
意外なことと思えますが、私はそれを聞いて「なるほど」と思いました。邦楽の世界というのは、長唄にしても清元にしても義太夫にしても常磐津にしても端唄にしても、情感や詩の世界を非常に大切にするものです。その世界を知っているからこそ出せる音があるような気がしました。
私は、5歳から18歳までずっとピアノをやっていました。もちろん、ピアノのレッスンに付随して「コールユーブンゲン」を使った声楽レッスンもしていました。
両親の主義で、いろいろな習い事に手を出すことはせず、高校を卒業して実家を離れるまでとにかくピアノだけを習っていました。出かけるのもほとんどがクラシックコンサートで、邦楽の世界をまったく知らずにきました。
しかしその私が、今は三味線を習い、ご存じのとおりことあるごとに古典芸能鑑賞に出かけています(笑)。
邦楽の「ほ」の字も知らなかった私は、高校卒業の直前にふとしたことから能楽に興味を持ち(なぜ突然興味を持ったのかはまた別の機会に述べることとします)、大学生になって能のサークルに入り、謡と仕舞を習い始めました。
それまで知っていた世界とはまったく違った邦楽の世界にふれ、「こんな世界があったのか」と新鮮な感動をおぼえるとともに、「なぜ自分は今まで邦楽の世界を知らずにきてしまったのだろう」と思いました。
でもそれは決してそれまでの世界を否定するものではありません。邦楽の世界を知ったことによってクラシックの世界もよく見えるようになってきたのです。「邦楽の世界を知っていたら、これまでクラシックをもっと楽しめたかもしれない」と思いました。
それからは、能、オペラ、歌舞伎、人形浄瑠璃、落語など様々なものに興味をもてるようになりました。クラシックのコンサートも、昔よりずっと楽しんで聴けるようになりました。
それに面白いことに、昔はあまり得意ではなかった歌が、謡をやってからすっかり得意になったのです。
学生時代、ほぼ毎日謡の稽古をしていた私。初めはあの独特の声がなかなか出せず、細い声しか出ていませんでした。しかしある時、それまでノドのあたりにあったフタがとれたかのような感覚とともに、お腹から出した声がポーンと外に出て、それまでとはまったく違う声が出せるようになっていたのです。
すると、ほかの歌を歌ってもそれまでとはまったく違う声が出せるようになりました。
考えてみれば、声楽であろうが邦楽であろうが、お腹から声を出すことには変わりありません。それまでの私は、わかっているつもりでもそのことが実践できていなかったのでしょう。
ひとつのことをきちんとやるというのはとても大事なことだと思いますし、それを教えてくれた両親にも感謝しています。
でも、別の世界にふれてみて、「ひとつのことをやり遂げる」というのと「周りを見ないでやみくもにやる」というのとは違うことにも気づきました。後者の場合はともすると自己満足に陥りがちだし、それではある一定のラインを超えることはできないのだと思います。
ほかの世界に目を向け、いろいろなものを見聞してこそ、自分の見識や感性も高まり、それが糧になっていくのだと思います。
クラシックと邦楽、一見両極にある2つの世界を知った今なら、ピアノも昔とは違った気持ちで弾ける気がします(もう弾く機会はほとんどありませんが……)。
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