本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

お待たせいたしました

2005年07月31日 | お知らせ
大変遅くなりましたが、7月16日、17日の祇園祭宵山、山鉾巡行、神幸祭、7月24日の花傘巡行、還幸祭関連の記事をアップしました。
ご高覧いただければ幸いです。


隅田川花火大会

2005年07月30日 | 東京下町
東京の夏の風物詩、隅田川花火大会が行われた。
当初、雷雨の予報も出ていて天気が心配されたが、幸い、良いほうに予報がはずれた。
やはり、浅草寺・四万六千日で出される雷よけのお札の御利益なのだろうか……。

隅田川花火大会の歴史は古く、その起源は、江戸時代にさかのぼる。
亨保年間に起こった大飢饉と疫病で多数の死者が出たため、徳川吉宗の発案により大川(今の隅田川)で慰霊祭が行われ、両岸の水茶屋では、川開きの日に川施餓鬼(かわせがき)が行われた。
その翌年には、川開きの花火大会が行われ、以降、年中行事として定着したのだという。

隅田川の花火は、川をはさんで浅草側と向島側から見ることができるが、浅草側は、かなりの人出になる。
かといって向島側は、川に近いところだと高速道路や桜並木に遮られて見えない。

そこで私は、向島側の、川から少し離れた位置で見ることにしている。
それでも、間にいろいろな建物があるため、多少の障害物が入ってしまうことはやむを得ない。
今回見た場所も、花火の打ち上げ方向にビール会社の看板があった。高く打ち上げられる花火の場合は問題ないのだが、低い位置に上がる花火だと、看板の後ろになってしまう。
花火がまったく欠けない状態で見られるところは、屋形船か高層ホテルの上層階、あるいはヘリコプターくらいしかないだろう。
しかし、建物と建物の間や、看板の向こうに見える花火も、下町情緒があふれていてなかなかオツなものである。

江戸時代の花火を再現したものから最新の花火まで、合計2万発の花火が下町の夜空を彩った。


<余話>花火の掛け声

花火を見るときに掛け声をかける人がいます。今回の隅田川花火大会でも大人から子どもまであちこちで掛け声をかけていましたが、そのほとんどが「玉屋ぁ~」というものでした。
しかし、玉屋以外にもう一つ、花火の代表的な掛け声があるのをご存じですか?
「鍵屋ぁ~」です。
江戸での花火製造元の元祖は、実は鍵屋なのです。
玉屋は、鍵屋から暖簾分けした店ですが、鍵屋に負けずとも劣らない技術を持っており、両店はお互い腕を競い合って花火を盛り上げていました。
しかし玉屋は、火事を出してしまったことにより幕府から処罰され、江戸から追放されて廃業してしまったのです。
鍵屋は今でも残っているのですが、それなのに玉屋の掛け声ばかりがかかってしまうのは、ちょっとかわいそうですね。
ちなみに、鍵屋の現当主は女性です。まだまだ男社会である花火師の世界のなかで女性が当主としてがんばっているのですから、「鍵屋ぁ~」の掛け声も、もっとかかるといいのですが。

江戸時代の狂歌に、こんなしゃれたものがあります。

橋の上 玉屋玉屋の声ばかり なぜに鍵屋と言わぬ情(錠)なし


<本日のキモノ>

小千谷縮に紗献上の八寸帯

花火大会に行く前に用事があったので、浴衣ではなく小千谷縮にしました。
麻織物なので花火大会にも仰々しくならないし、浴衣ほどカジュアルすぎないので着用範囲が比較的広く、便利なのです。しかも、麻の薄物なので涼しいし、自宅で洗えます。

7月24日と同じコーディネートで、紗献上の八寸帯に、金魚の帯留です。
電車の中で、この帯留を見て「あら、まあ、金魚なのね~!」と声をかけてくださった方がいました。結構よく見てくださっているのだなあと、ちょっとうれしくなりました。小物に凝る甲斐があるというものです。

この小千谷縮は、昨年買ったのですが、竺仙が仕立て上がりで売っていたものです。反物から買うよりもかなりリーズナブルでした。
しかし、今年は新潟県中越地震の影響で小千谷縮が品薄になっているため値段が高騰しているようで、仕立て上がりのものはほとんど出ていません。
ほとぼりが冷めてまた値段が落ち着くまで、小千谷縮を買うのはお預けです。それまで大事に着なければ……。
小千谷縮は、細かな縦シボが特徴です。これを見て通りすがりに「あら、何だかあの着物、シワシワだわ……」というような視線で見る人が時々います(涙)。まあ、そんな視線は意に介しませんが……。



祇園祭~還幸祭

2005年07月24日 | 京都
舞妓花の席がおひらきになった後、四条のお旅所へ。
ちょうどよい具合に、お神輿の出発の時間が近づいていました。

お旅所の前には、すでに人が集まり始めていました。
まもなく、中御座のお神輿を担ぐ「三若」の人たちがやってきました。
シンバルのように鳴る金具を手にした人が、掛け声をかけながらお旅所の前へ到着しました。お神輿を担ぐための棒にこの金具をつけ、これが鳴るようにうまくお神輿を揺らすのです。

三若がお旅所に到着


三若の人たちが集まると、さっそくお旅所からお神輿が運び出されました。

お旅所から運び出される中御座


お神輿がお旅所から運び出されると、神事が執り行われます。

お旅所出発の神事


神事が終わると、お旅所の前でお神輿を3回まわして出発します。
続いて東御座、西御座もお旅所から出されました。

お旅所から運び出される西御座


東御座を担ぐのは「四若」、西御座を担ぐのは「錦」の人たちです。
どちらも、お神輿をいったんお旅所から出した後でお神輿の飾りや担ぎ棒を取り付けなければならず、出発までにはかなり時間がかかりました。
最後の西御座は、準備が整って神事が行われた後、お旅所の前で3回大きくまわってから出発しました。

3基のお神輿は町内をまわった後、夜遅くに八坂神社へ戻ります。
八坂神社の境内に到着したお神輿は、舞殿の周囲を思いきりまわって、舞殿のなかに納められます。
その後、お神輿から神社本殿に御神体が戻される「みたま移し」という儀式が行われるのです。
今回は日帰りだったのでお旅所出発までしか見られませんでしたが、次に行くときは、ぜひ「みたま移し」まで見たいと思います。

お旅所出発を見た後、先斗町にある洋食屋さんで夕食をとってから、京都駅へ向かいました。
洋食屋さんではちょうど床(ゆか)の席が空いていたので、宵山の日に続いてまた床が楽しめました。

日帰り強行軍でしたが、時間も有効に使えて充実した一日でした。
後の祭りが終わり、祇園祭の提灯が街に飾られるのもあと少しだと思うと、少しさびしい気がしました(冒頭写真)。

祇園祭~祇園で一服その2

2005年07月24日 | 京都
花傘巡行と奉納舞の間に、祇園で昼食をとりました。

JR東海ツアーズが発売している日帰りプラン「1day京都」には、昼食のクーポンがついています。お店は指定のところから選べます。私は美登幸という京料理のお店を予約しておきました。

美登幸さんでは、このクーポンを使うと「舞御膳」という料理をいただけます。
花かごに入った様々な小鉢のほか、お造り、揚げ物、湯豆腐、ご飯、赤出し、デザート、抹茶など、盛りだくさんの内容です。

せっかくの料理をさらに楽しむため、別料金で冷酒を注文しました。「桃の滴」という、伏見のお酒です。
このお酒には、「純米吟醸」と「純米大吟醸」の2種類があり、純米吟醸は少し辛口、純米大吟醸はフルーティーな口当たりです。今回のは少し辛口だったので、純米吟醸のほうだと思います。
運ばれてきたお酒を見て、びっくりしました。青竹の筒にお酒を入れ、氷をたくさん入れた器のなかに立てていたのです。
見た目にも涼しげで、料理と同様「目と舌で楽しめる」という感じでした。

竹筒に入った冷酒


美登幸さんでおいしい料理とお酒を堪能した後、奉納舞を見てから、祇園の丸梅さんというお店へ行きました。
ここは、もともとお茶屋さんだった建物ですが、現在は、夜はバーとして営業しています。
昼は舞妓花の席というのをやっていて、お抹茶とお菓子付きで、舞妓さんの京舞を見たり、舞妓さんと話したりできるのです。
宵山の日に行った「かにかくに」さんの京舞鑑賞会に比べるとお値段はやや高くなりますが、少人数で1時間弱、舞妓さんと結構ゆっくり話せます。

来てくださった舞妓さんは、舞妓になってまだ半年という初々しい方でした。
でも、受け答えもすごくしっかりしていて、落ち着いた雰囲気でした。
新潟出身だそうで、細面できれいな顔立ちです。
お客さんのなかから、「きれいねえ~」という声が何度もあがっていました。

祇園甲部では、舞妓さんになって最初の一年は、紅を下唇にしかさせないことになっています。アイメイクも、アイラインやマスカラは使用不可で、目尻に紅をさすだけです。
お姉さん舞妓さんになるとアイラインやマスカラを使ってもよいのですが、個人的にはアイラインなしのほうが好きです。
やはり、白塗りにはシンプルな和化粧のほうが合うと思います。
アイラインやマスカラでばっちりアイメイクした舞妓さんは、ちょっと「えずくろしい」と思います。そういうのんは、芸妓さんになってからで十分です。
でも今の舞妓さんは、お姉さん舞妓さんになるとなぜかみんな「ばっちりアイメイク」になってしまいます。
今回の舞妓さんは、すっきりした端正な顔立ちだったので、お姉さん舞妓さんになってもぜひ、紅だけのシンプルなアイメイクで通してもらいたいなあ……と思います。

舞妓さんの着物は、黄色の地に桔梗の柄の、絽の振袖でした。
「だらりの帯」を結んでいる丸帯も、もちろん絽です。

だらりの帯


舞妓さんの帯の左下には、屋形(置屋さんのこと)の紋が入っています。
児童福祉法のなかった昔は、10歳に満たないような幼い舞妓さんがたくさんいました。そのため、お座敷の帰りに迷子になってしまったり、お座敷で眠りこんでしまうこともあったそうです。
そういった時、近所の人やお客さんが置屋さんに舞妓さんを送り届けられるよう、目印として帯に紋を入れていたのだそうです。
今の舞妓さんはみんな中学を卒業しているので、迷子になる人はいないと思いますが、昔の名残で今でも帯に紋が入れられているのです。

夏の暑い一日、舞妓さんの涼やかな舞姿を見て、何よりの納涼になりました。

舞妓さんと記念撮影
↑舞妓さんとの記念撮影もしてもらえました。舞妓さんの着物は、絽の振袖です。
「ぽっちり」と呼ばれる帯留は、サンゴやヒスイを使った、とても大きくて高価なもの。それぞれの置屋さんに代々伝わる家宝だそうです。
私のこの日のキモノは、青のぼかしの小千谷縮に、紗献上の八寸名古屋帯。小千谷縮は、新潟県小千谷地方で作られる麻織物ですが、奇遇にも、この日の舞妓さんの出身地は新潟。新潟と一口に言っても広く、舞妓さんのご実家は震災の被害も特になかったとのことでよかったです。



祇園祭~花傘巡行

2005年07月24日 | 京都
祇園祭の「花傘巡行」を見に、日帰りで京都へ行ってきました。

花傘巡行は、毎年7月24日に行われます。同じ日に、お神輿が八坂神社へ戻る「還幸祭」も行われます。
今年は24日が日曜日でしたが、次にこの日が土休日と重なるのはずいぶん先になってしまうので、急きょ京都行きを実行しました。

早朝の新幹線で、一路京都へ。
日帰りなので、着物を着てハンドバッグだけ持って新幹線に乗りました。

京都に着いたら、すぐにバスに乗って八坂神社へ向かいました。
すでに多くの人が、花傘巡行を見るために四条通沿いに集まっていました。
八坂神社前は結構混み合っていたので、四条通を少し西に行ったところで行列を待ちました。
山鉾巡行と比べ、花傘巡行のことはあまりよく知られていないようで、たまたま観光で来ていた人が「あの、すみません、今日は何があるんですか?」と尋ねておられました。

昔は、「先の祭り」「後の祭り」と2回にわけて山鉾巡行が行われていたのですが、山鉾巡行が7月17日の1日だけに統合されてしまったため、「後の祭り」の山鉾巡行に代わって花傘巡行が行われるようになったのです。
花傘巡行は、山鉾ができあがる前の古い「祇園会(ぎおんえ)」の形をもとにしているそうです。

行列は、花傘をかぶった女性や鷺舞、獅子舞などのほか、芸妓さん・舞妓さんなど様々な構成です。
八坂神社の氏子になっている花街は、祇園甲部、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町、祇園東の4か所で、毎年2か所ずつ交代で花傘巡行に参加します。今年は祇園東と先斗町でした。

花傘巡行 鷺舞
↑花傘巡行(鷺舞)

花傘巡行 先斗町
↑花傘巡行(先斗町):巡行の後に行われる奉納舞「歌舞伎踊り」のいでたち

花傘巡行 函谷鉾
↑花傘巡行(函谷鉾のお囃子)


巡行に参加するお姐さんを見るために、置屋のお母さんに連れられて「仕込みさん」が沿道に来ていました。
仕込みさんとは、舞妓としてデビューする前の見習いさんのことです。まだ舞妓さんではないので、日本髪は結わず、普通のまとめ髪にしています。舞妓さんの夏の普段着と同様、浴衣を着て、赤い名古屋帯をお太鼓に締めていました。浴衣は、袖丈を少し長めにしていました。その昔、舞妓さんのほとんどが小学生くらいの子どもだった時代の名残です。

花傘巡行が終わると、今度は八坂神社境内の舞殿で「奉納舞」が行われます。
鷺舞、田楽、祇園太鼓、獅子舞、六斎念仏、花街の踊り、万灯踊りが奉納されました。

獅子舞
↑獅子舞:雄獅子と雌獅子が仲睦まじく舞う様子を描いている


花街の踊りは、巡行に参加した祇園東と先斗町によるものです。
祇園東は「小町踊り」、先斗町は「歌舞伎踊り」を奉納していました。

祇園東の芸舞妓による小町踊り
↑祇園東の芸舞妓による「小町踊り」

先斗町の芸舞妓による歌舞伎踊り
↑先斗町の芸舞妓による「歌舞伎踊り」:出雲の阿国の「かぶき踊り」をモチーフにしているといわれる


「万灯踊り」というのは、割と最近になって始められたもののようで、小学生くらいの子どもたちによる踊りです。みんなしっかりと踊っていたので感心しました。

舞殿の正面には、早くからアマチュアカメラマンが場所取りをしていたようですが、それでも神幸祭の日に比べればずっと人も少なく、ゆったりと見ることができました。
ギャラリーのなかには、浴衣に赤の名古屋帯という、普段着姿の舞妓さんもいました。



地震

2005年07月23日 | つれづれ
関東地方で、震度5強の強い地震が発生。

京都への日帰り旅行プラン「1day京都」を申し込みに東京駅のJR東海ツアーズへ行く途中、電車が上野で止まってしまった。
「関東地方で強い地震がありましたので、運転を見合わせます」というアナウンス。
電車に乗っている最中だったので全然気が付かなかったけれど、そういえば少し「ガクン」と揺れたかも……。

線路の点検が終わったらすぐ動きだすだろう、動きだしちゃえば、上野から東京まではすぐだし、座れてるし、まあいいや……。
と、のんきに構えて本を読んでいたのだが、しばらく経っても一向に動きださない。
ま、まずい、このままではJR東海ツアーズの営業時間が終わってしまう……。
急いで電話をかけて、とりあえず注文だけすませた。注文を受けてくださった方に事情を話し、電車がとまっているので少し遅れるかもしれないことを告げて、そのまま車内で待つ。

電車が止まってから、早1時間が経過。まだ動きだす気配はない。
JR東海ツアーズの閉店時間が迫ってきたので、タクシーに乗って行こうと思っていったん駅の外へ出たが、空車はまったくつかまらず、タクシー乗り場には長蛇の列。いつもはタクシーの長い列ができているというのに……。
しかたがないのでまた駅に戻って、しばらく待つ。
しかし、構内アナウンスによると、運転再開までにはまだ当分かかりそうだという。

遅れることを電話で知らせているとはいえ、あまりにも遅い時間になってしまったらどうしよう……。遅くまで待たせておくのも悪いし、出発は翌日の早朝なので、どうしても今日受け取っておかなければ困るし……。

地震発生から約1時間半後、やっと、地下鉄銀座線が運転を再開した。
やはり、東京で最初に開通した地下鉄だけあって、こういう時いちばん最初に運転を再開させるのだろうか。
渋谷から浅草までの区間、主要な駅をいくつも通っている路線なので、銀座線の運転再開はかなり重要かも。

JRの駅でアナウンスを聞いて、急いで銀座線の駅へ移動。
人がおおぜい詰めかけているのでは? と思ったが、それほどでもなく、スムーズに乗れた。
銀座線の日本橋駅からJR東京駅八重洲口までは歩いて10分もかからない。

午後7時ちょっと前に、JR東海ツアーズに到着。
休日は6時までの営業なのでカウンターはすでに閉まっていたが、店の入口はまだ開けてくれていた。
新幹線の切符の払い戻しや乗車変更をしに来たと思われる人たちも、店にある券売機の前にかなり並んでいた。
無事に切符を受け取ったが、JR線はまだ運転を再開していない。
仕方がないのでまた日本橋へ。
上野に戻って、少しずつ運転を再開した路線を使いながら帰途についたが、山手線でも運転再開までに3時間かかったようだ。
すべての路線が運転を再開するのに、JRでは最大で7時間かかったという。
これが平日だったり、もっと大きな直下型地震だったりしたら、いったいどうなってしまうのだろう……と思うと、ちょっと心配である。



京の夏の味覚

2005年07月18日 | 京都
祇園祭は、別名「鱧(はも)祭り」と言われています。
ちょうどこのころ、鱧が旬を迎えるのです。

今は鮎もおいしい時期です。
鴨川では、鮎を釣る人の姿が見られます。

鴨川の床(ゆか)や貴船の川床(かわどこ)で鱧や鮎を食べるのももちろん楽しいのですが、もう少し手軽に夏の京の味覚を楽しみたいという人には、甘味がおすすめです。

この時期、京都ではあちこちの和菓子屋さんで、竹筒入りの水ようかんが売られています。
なかでも最もよく知られているのが、祇園・四条通沿いにある鍵善の「甘露竹」(冒頭写真)です。
付属のキリを竹筒の底に刺して小さな穴を開けると、竹筒から水ようかんがツルンと出てくるのです。

鍵善の「甘露竹」


青竹のみずみずしい色と、水ようかんのなめらかな舌ざわりが、涼しさを演出してくれます。よく冷やして食べるとおいしさが倍増します。
クール宅急便で地方発送もしてくれますが、生ものですので賞味期限は短いです。店頭ではバラ売りもしています。

また、竹筒入りではありませんが、祇園の「甘泉堂」という和菓子屋さんの水ようかんも絶品です。
甘泉堂さんでは4月から9月まで水ようかんを売っていますが、それ以外の時期は栗ようかんになります。
四条通からとても細い路地を入ったところにありますので、初めての方はちょっと見つけにくいかもしれません。
このお店の水ようかんは、地元の方や花街の方の間では有名で、夏の手土産としてよく使われているようです。
最近は、観光客の間でもだいぶ広まってきたようです。

そのほかにも、老松(おいまつ)の「夏柑糖」など、京の夏の和菓子は枚挙にいとまがありませんが、そんななか鍵善さんで、祇園祭ならではのお菓子を見つけました。
「祇園守(ぎおんまもり)」というお菓子です。

期間限定の和菓子「祇園守」


求肥(ぎゅうひ)を焼き皮で包んだだけのシンプルなお菓子で、表面に祇園守の紋の焼き印が押されています。
あっさりとした味わいなので、甘い物が苦手な方でも食べやすいと思います。
このお菓子は、祇園祭の神幸祭から還幸祭までの1週間だけ売られます。


祇園祭~神幸祭

2005年07月17日 | 京都
祇園祭の行事は、宵山と山鉾巡行が注目されがちですが、それだけではありません。

町方のお祭りである山鉾巡行が終わった後、八坂神社では「神幸祭」が執り行われます。
3基の神輿が八坂神社から出て、四条通の「お旅所(おたびしょ)」に入るのです。
神輿は、24日に行われる「還幸祭」までの1週間、お旅所にとどまります。

祇園界隈の花街の舞妓さんや芸妓さんの間では、「無言詣り」という習慣があります。
今はほとんど行われていないようですが、神輿がお旅所にとどまっている間、毎日無言でお旅所へおまいりに行くと願いが叶う、というものです。
途中、誰と会っても口をきいてはいけない、目を合わせてもいけない、笑ってもいけないのです。
なじみの舞妓や芸妓が無言詣りをしているのを見つけると、わざと「いけず」(意地悪)をして声をかけて面白がるお客さんもいたそうです。

神幸祭は、7月17日の夕方から行われます。
八坂神社の本殿で神事が執り行われた後、境内の舞殿に安置されていた神輿が出発します。
神輿は、中御座、東御座、西御座の3基で、まずは中御座から担ぎだされます。

八坂神社舞殿から出される神輿
↑八坂神社舞殿から出される神輿


舞殿から運び出された後、神輿の上の飾り、神輿を担ぐための長い棒などを据え付ける作業が行われていました。そのため、3基すべての神輿が八坂神社を出ていくまでには、かなりの時間がかかりました。
西陽が射し、しかも風の通りにくい八坂神社の境内はまさに「蒸し風呂」状態で、そのなかで長時間立っていたのでかなり疲れました。
しかも、足よりも小さい下駄(足よりも2~3センチ小さい下駄を履くのが江戸前の履き方なのです)を履いて長時間立っていると、下駄の縁が足の裏にくいこんできて痛いのなんの……。

ともあれ、作業も無事に終わり、神輿は舞殿の周囲をまわってから八坂神社を出発しました(冒頭写真)。


神輿の出発を見届けた私たちは、鴨川沿いにあるお店へ向かいました。鴨川の夏の風物詩、床(ゆか)を予約しておいたのです。
川べりは風も通るので、さきほどの蒸し風呂状態とは打って変わった涼しさでした。
鱧(はも)の「おとし」や鮎(あゆ)の炭火焼きといった旬の味とともに、夏の風情を満喫できました。

鴨川納涼床

ちなみに京都では、鴨川沿いだけでなく貴船(きぶね)でも川床料理をやっていますが、鴨川沿いでは「床(ゆか)」と呼ぶのに対して、貴船のほうは「川床(かわどこ)」と呼びます。
床(ゆか)は高い位置で組まれているのですが、川床(かわどこ)は、川の上にせり出すようにして低い位置で組まれています。

床を堪能した後、四条のお旅所に行きました。
ちょうど、1基目のお神輿がお旅所に到着するところでした。
そのあと2基目、3基目も続々と到着しました。
お旅所の前でお神輿を3回まわしてから、中へ納めていました。
すべてのお神輿がお旅所の中へ納められたのは、夜の11時近くでした。


翌日再び四条へ行ってみると、お神輿の前に奉納のお神酒が並べられ、献灯台も設置されて、立派なお旅所がつくられていました。

四条お旅所
↑四条お旅所

お旅所に飾られた宝刀
↑お旅所に飾られた宝刀

祇園祭~山鉾巡行

2005年07月17日 | 京都
京都旅行2日目。
祇園祭最大のイベントとも言える山鉾巡行が行われる日です。

本当は、巡行の順番を確かめる「くじ改め」の儀式や、長刀鉾のお稚児さんによる「注連縄(しめなわ)切り」も見たかったのですが、前日の夜が遅かったためゆっくりホテルを出て、御池通に設置された有料観覧席へ向かいました。
新町通からさほど離れていない場所だったので、巡行の最大の見せ場「辻回し」で鉾が方向転換するところも見えました(鉾の下の車輪などはさすがに見えませんでしたが)。

山鉾巡行の順番は、毎年「くじ」で決められます。
ただし長刀鉾(なぎなたほこ)だけは、くじを引くことなく、毎年先頭と決まっています。

また、長刀鉾の上には、生身の人間の稚児が乗ります(冒頭写真)。
ほかの鉾でも昔はすべて人間の稚児が乗っていたのですが、次々と人形に変わってしまいました。
現在では長刀鉾だけが唯一、人間の稚児を乗せています。
稚児は、祇園祭の様々な神事に臨み、禊ぎ(みそぎ)を行います。
祇園祭の間、長刀鉾の稚児の身の回りの世話はすべて父親がします。母親は稚児に触れることはおろか、食事を運ぶことも許されません。
長刀鉾の稚児を出す家は、様々な寄進をしたり、町衆の揃いの浴衣をあつらえたりせねばならず、莫大な費用がかかるそうです。それだけの財力のある家でなければ、お稚児さんを出せないのでしょう。

先頭の長刀鉾が目の前を通り過ぎる時、鉾の上で太刀を持った稚児の動きを見て、沿道から歓声がわき起こりました。お稚児さんは、かわいらしくも堂々とした姿で、立派に役目を果たしていました。

長刀鉾に続いて、鉾や山が次々と巡行します。目の前を山鉾が通り過ぎるたびに、沿道のあちこちから歓声があがっていました。

蒸し暑い日でしたが、祇園囃子の響きが心地よく都大路に響いていました。



祇園祭~宵山

2005年07月16日 | 京都
鷺舞を見た後、祇園のおそば屋さんで軽く夕食をとりました。
腹ごしらえをしてから、いよいよこの日のメインイベント、宵山へ繰り出しました。

四条通はちょうど自動車通行止めになった直後だったのですが、早くも人、人、人の波になっていました。
今年の宵山、山鉾巡行は連休と重なったせいもあって、昨年を大きく上回る53万人という人出だったそうです。
人の多さは東京の隅田川花火大会(毎年約90万人以上)などで慣れているはずなのですが、それでも、限られたエリアにあれだけの人が集まるとかなりの混雑ぶりで、「うわぁ……」という感じでした。

長刀鉾を横目に見てから月鉾に行ってみたのですが、すでに粽が売り切れてしまっていたため、残念ながら鉾には上がれませんでした。
仕方がないので外から存分に眺めた後、鉾町を歩いて回りました。

山鉾の提灯に灯りがともり、祇園囃子が流れて、何とも言えず風情がありました。
どの鉾も山も、とてもきれいでした。
放下鉾(ほうかほこ)の近くに出ていたお茶屋さん(この場合は、お茶を売っているお店のこと)の前でグリーンティーを飲みながら一休みしていたら、鉾の上に月が出ているのが見えました(冒頭写真)。

鉾町にある町家では、祇園祭の時期になると、屏風や家宝などを外から見えるところに飾ります。「屏風祭」といわれています。
あちらこちらで、立派な屏風が立てられていました。
特に、呉服商が集まる室町通の屏風祭は見応えがありました。

屏風と武具 松に鶴の屏風と琴


南観音山にも上がってみました。ここは、拝観料を払うと上げてもらえます。
町会所の2階の広間に、南観音山の御神体である楊柳観音(ようりゅうかんのん)が祀られていました。

南観音山の御神体「楊柳観音」
↑南観音山の御神体、楊柳観音


町会所の2階から渡り廊下がつくられ、外の南観音山につながっています。
私たちが南観音山に上がったとき、ちょうど祇園囃子が奏でられているところでした。提灯の灯りと祇園囃子の音が間近に迫って、幻想的な雰囲気でした。

南観音山の祇園囃子


一通り山鉾を見てから、夜11時ごろ、再び南観音山に戻りました。
御神体の楊柳観音に布を巻き、台座に乗せて担いで走り回る、「あばれ観音」という行事が行われるのです。
いつごろから始まったのかは定かでないそうですが、翌日の山鉾巡行の無事を祈願して行われるのだそうです。

あばれ観音
↑南観音山の「あばれ観音」


南観音山が立てられている通りを、観音さまを担いだ男衆さんたちが走って何往復かするのですが、一風変わった行事で見応えがありました。
ガードマンさんが「端に寄ってくださーい、観音さまが通りまーす」と言って交通整理をしていたのが、ほほえましく感じられました。
道端に寄って「観音さまのお通り」を待っている時、何と、2人の舞妓さんが私の目の前で止まりました。「割れしのぶ」を結っている舞妓さんでした。
舞妓さんたちは宵山の時、ごひいきの呉服屋さんなどの屏風祭へ挨拶に行くので、その帰り道だったのかもしれません。
鬢(びん)付け油の香りがわかるくらい間近で舞妓さんを見られて、ラッキーでした。

あばれ観音を見た後、だんだん人が少なくなってきた鉾町を後にして、ホテルへ戻りました。