本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

思い立ったが吉日

2006年01月31日 | つれづれ
現在の会社に転職して、まもなく2年が経ちます。

転職の際、「新しい仕事に慣れるまでは」ということから、それまで習っていた三味線(長唄の三味線)のお稽古をお休みさせていただいていました。
新しい環境に慣れたら再開を……と思っていたのですが、なかなかきっかけがつかめず、ずるずるとお休みの状態が続いていたのです。

もちろん、その間も盆暮れ、お正月のご挨拶だけはしていましたが(といっても別に強制されていたわけでも何でもなく、自分の気持ちの中の問題で)、いざお稽古となると、仕事との兼ね合いも気になってなかなか再開できずにいました。
でも、丸2年経ってちょうどいい節目かなと思ったのと、「時間は“できる”のを待っていたのではいつまでもできない、時間は“作る”ものだ」と気づいたので、思いきってお稽古を再開することにしました。

「思い立ったが吉日」で、昨日さっそく師匠に電話し、「来月からまたお稽古にうかがいたいので、その前にご挨拶にうかがいたいのですが……」と相談。
実際に行動に出てみればトントンと進むもので、「明日はお稽古日じゃないけど家にいるからいつでも来て」とのことだったので、今日、仕事帰りにさっそくご挨拶に行ってまいりました。

ご挨拶の品をお渡しして、最初にやる曲目やお月謝のことなどをうかがったら玄関先で失礼しようと思っていたのですが、師匠の奥様から「この後何か予定はあるの? 何もないなら、ぜひご飯を食べて行って」とありがたいお言葉。
「いえいえ、そんな、どうぞおかまいなく……」と一度は辞退しましたが、ご夫婦2人のお宅で「たまにはにぎやかにごはん食べたいのよ~。お酒飲めるでしょ?」とおっしゃってくださったので、あつかましくもご相伴にあずかり……。

奥様も、お仕事をしながらずっと長唄を習って来られた方なので、勤め人の気持ちや事情もよく理解してくださるのです。
お食事をいただきながら、近況報告などをして盛り上がりました。
その合間に、さりげなくお月謝のことも教えてくださったので(こちらに気を遣わせないように本当にさりげなくサラっと言ってくださったので、さすがだなあ~と思いました)、こちらもそれを逃さず聞いて、その場で「頭の中にメモメモ」です。

有閑マダムでない素人弟子にもやさしいコストなので(長唄三味線の世界ではなかなかの大御所であるにもかかわらず)、本当にありがたいです(涙)。
素人弟子にも「細く長く続けてもらえるように」とあらゆる面で配慮してくださっているのが、本当にすごいと思います。
幼いころから芸の世界で生きて来られた方ならではの「余裕」というか、懐の深さを感じます。

奥様は唄の師匠なのですが、「自分の勉強のためでもあるから」と、格安のお月謝で唄を教授されています。
唄が頭の中に入っていないと三味線の手もなかなか覚えられないので、三味線のお稽古に慣れたら唄もぜひ習いたいと思います。

師匠も奥様も本当に気さくな方で、そういった師匠にめぐり会えたことは本当にありがたいなあ……と思います。
芸事ってやっぱり、その師匠の「芸」と「人柄」に引かれることが、長続きの秘訣ですから。
仕事が忙しい時はお稽古が中断してしまうこともあるかもしれませんが、師匠がおっしゃったように「細く長く」続けていこうと思います。

そんなわけで、「お稽古日記」も加えて、ブログを近くリニューアルする予定です。
リニューアル後も、どうぞよろしくお願いいたします。


無題

2006年01月29日 | つれづれ
この土日は、ほとんど家から出ず、ひたすらブログ記事を執筆していました。
たった5つくらいの記事だからすぐ終わってもいいような気がしますが、ちゃんと書こうと思うと、結構時間がかかるものです。

「あれも書こうこれも書こう」といろいろ書きたいことがでてくるのはもちろんですが、ただ脈絡なく書いていては意味がない。
もちろん、書籍やほかのサイトから勝手に文章を転載するわけにはいきませんから、自分で文章をきちんと考えなければいけない。
「自分の意見を述べる」ということを、ただの文句や愚痴と混同してもいけない。
それなりに筋道を立てて、より的確な言葉を探して、日本語としておかしくないかどうか考えながら文を組み立てて、漢字の変換ミスやタイプミスがないかチェックして、記憶があいまいなところがあれば調べて、文章を推敲して……など、さまざまな作業が発生します。

著作権や版権、肖像権などのことも考えなければいけません。
書籍やパンフレットに掲載されている写真を転載しているようなブログを時々見かけますが、もしも版元などの許可なく掲載しているのだとしたらNGです。
歌舞伎座などで販売されている舞台写真やタレントのブロマイドをそのまま勝手に掲載するのもNGです。
もちろん、ほかのサイトに掲載されている画像も同様です。
自分で撮影した写真でも、見物客や通行人が写っている場合は、顔がはっきりわからない(個人が特定されない)ものを選ばなければなりません。
文章などは、著作権が消滅していても「版権」が残っている場合があります(著作権と版権は別のものですので)。

1つの記事を書くのに、やらなければならないこと、考えなければならないことはたくさんあります。
でも、人の目にふれる文章を書くというのはそういうことだと私は思っています。だから、たとえブログ記事でも、おろそかにはできません。

諸々のことを考えなから作業していくと、1つの記事を書くのに、私の場合、優に1時間くらいはかかってしまいます(もちろん、遅筆のせいもありますが……)。ちょっと長い記事だと、文章を考える時間もあわせると2時間くらいかかることも。
さらに、画像をデジカメからPCに移して、掲載しても問題なさそうな写真を選んで、選んだ写真をアップロードして、htmlタグを入れて……などとやっていると、気づいたら夕方ということも。
合間に洗濯物を干したりご飯を食べたり、何となくつけているテレビを思わず見てしまったりして、中断することもあります。
次の一文がなかなか思い浮かばなくて、筆がとまってしまうこともしょっちゅうです。

そんなこんなで面倒くさくなって更新が滞ってしまいがちなのですが(言い訳……)、でも、たとえ匿名の文章でも、不特定多数の人が読むからにはプライドと責任を持つべきで、だから時間をかけてきちんと書いて自分の考えを発信したいと思っています。
紙媒体で育った世代としては。

でも、ブログの記事を書くために休日を丸ごとつぶしてしまうというのも、いかがなものかと感じています。
この2日間で、もっとほかにできることやしなければいけないことがあったのではないか……とも思ったりします(家事にしろレジャーにしろ)。
ブログに対する取り組み方をちょっと考えてみたほうがいいのかもしれません。

今日も、旧暦の元日「春節」を祝うイベントを見に横浜の中華街へ行こうかと思ったのですが、ブログ記事の執筆に没頭していたのでやめてしまいました。ちょっと後悔……(うちから横浜までは遠いので面倒くさくなったというのもありますが……笑)。

何にしても、休日に家からほとんど出ず一日じゅうパソコンの前に座っているという状態は、自分にとってはよくないと思いました。
この2日間のような状態を、今風の表現にすると「引きこもる」と言うのでしょうか?
私の場合は、「引きこもり」ではなく単なる「出不精」ではないかと思いますが(笑)。

一日じゅう家の中にいると、外へ出かけるよりも却って疲れる気がします。じっとしているから体内の乳酸値が上がってしまうのでしょうか……。
「書を捨てよ、町へ出よう」という作品がありました。
活字離れの進んだ世代には、この言葉もなじみがうすいかもしれません。今風の言い方に直すと、次のような感じでしょうか。
「ノートパソコンを閉じよ、町へ出よう」

とは言っても、出かけたらまたそれをもとにブログ記事を書いてしまいたくなると思うので、おんなじことなのかも……。



歌舞伎座 寿初春大歌舞伎(昼の部再び)

2006年01月21日 | 歌舞伎
1月21日。前日からの予報にたがわず雪が降りました。
しかし、雪にも負けずにまたまた歌舞伎座へ。今月は昼夜あわせてこれで4回目です。
もはや藤十郎襲名披露の「追っかけ」と化しています……。

朝起きた時には雪が降り始めており、屋根や木の上にはすでに積もっていました。道路にはまだ積もっていないけれど、時間の問題。やはり、前日に「雨雪用草履」を入手しておいて正解でした。
雪で電車が遅れる可能性もあるので、早めに支度をして出かけることに。
雨ゴートを着て、ファーマフラーで首をガードして、替えの足袋と劇場内用の草履をバッグに入れ、前日に買った雨雪用草履を履いて、いざ出陣!

幸い、交通機関はまだ乱れていなかったので、開場時間ちょうどに歌舞伎座へ着きました。
歌舞伎座もうっすらと雪化粧です(冒頭写真)。
席に着いたら、1)裾をまくるのに使っていた着物クリップをはずし、裾を下ろす、2)雨ゴートとその下に着ていた道行コートを脱いで袖だたみにする、3)雨雪用草履を普通の草履に履き替える、4)コートやマフラー、履き替えた草履をコインロッカーに入れる、という一連の作業があります。そのためにも、雨や雪の日は早めに会場に着いておくのが大切。

準備も万端に整え、お弁当の予約をしたり舞台写真を買ったりしながら開演を待ちました。
雪だから着物の方は少ないかなあ……と思っていたのですが、意外と着物姿の方が目立ちました。

まもなく開演……というその時、思わぬ問題に直面。前の席に座られた男性が、やたらとデカイ……。隣に座っていた女性と、頭1つぶん違います。しかも体格もがっちり。
舞台を斜めから見る席だったら、前の人が大きくてもほとんど支障がないのですが、あいにく真正面の席。
でも「背低くしてください」とは言えないし(笑)、自分で何とか工夫して見えるようにするしかありません。ほかの席が空いていれば、係員に頼んで席を替えてもらうこともできるかもしれませんが、あいにく席はうまっている様子。

余談ですが、以前、失礼ながらすごく体臭の強い(あるいはものすごく汗かきの)方の隣に座ったことがあります。その時もあいにく席がうまっていたので「私風邪引いてます」みたいな顔をして、ハンカチで鼻を押さえてひたすらガマンしました。
そうしたら、芝居を見て泣いてるように見えてしまったのか(もちろん芝居にも感動しましたが、泣いてはいなかった……)、花道にいた團十郎丈と思いっきり目が合ったことがあります(笑)。ケガの功名というか、思わぬところで得をしました。

そんなわけで、自分一人で劇場を貸し切っているわけじゃないから何が起こるかわからないし、相手を責めても仕方ないので(ずっとしゃべってるとかイヤホンガイドの音が思いっきりもれてるとか、言ってすぐに直してもらえることなら別ですが……)、座る位置を微妙にずらしながら対応。
舞台の中央で座って所作をすることは意外に少ないので、まったく見えなくなってしまうことはまずありませんでした(腰はちょっと痛くなったけど……)。結構なんとかなるものです。


話を芝居に戻して……。
各演目のストーリーや説明は、1月7日の記事をご参照いただくことで割愛させていただきます。

「鶴寿千歳」は、やはり中村梅玉丈と中村時蔵丈のお二人がとても優雅できれいでした。この幕が終わった後、またロビーに行って「鶴寿千歳」の舞台写真を追加購入したほどです(笑)。

坂田藤十郎襲名披露狂言「夕霧名残の正月」も、とにかく素晴らしかったです。
何とも言えない幻想的な雰囲気に、今回も客席が引きつけられているのがわかりました。
劇中口上では、藤十郎丈が「本日は雪の降るなかをお越しくださいまして、まことにありがとうございます」と挨拶をしてくださって、客席もわきました。

「奥州安達原」には、雪の降るなかで親子が抱き合う場面があるのですが、雪の日なので一層雰囲気が盛り上がった感じです。
中村吉右衛門丈の迫力あるダイナミックな演技と、市川段四郎丈、中村吉之丞丈、中村歌昇丈などベテラン勢のどっしりした演技で、観ていて気持ちのいい、とても印象に残るお芝居だと思います。

「万才」は、お正月らしくて軽快な義太夫の詞章と節が、何度聴いてもいいものです。
踊りも華やかできれいで、とにかく楽しい気持ちになる一幕でした。

そして、「曽根崎心中」。
ズバリ言います! 今回の襲名披露興行で「曽根崎心中」を観るのは、南座から通算して3回目でしたが、この日に観たのが私はいちばん好きです!
今を去ること約7年前、歌舞伎座の一幕見で毎日のように観た、あの時の「曽根崎心中」でした。あの時の感動がよみがえりました。

はじめからおしまいまで、あらゆる意味で「絶妙のバランス」のお芝居でした。
お初、徳兵衛、九平次、そのほかありとあらゆる登場人物、そして義太夫と、すべての調和がとれているのです。決して主役のお初だけが目立っているわけではない。だから、どの場面も印象に残る。

昨年12月24日に南座で観た時と1月7日に歌舞伎座で観た時は、お初を演じる藤十郎丈がやや浮いてしまっている感じがしたのですが、今回は違いました。
特にそれを感じたのは、お初と徳兵衛が生玉神社の境内で語り合う場面と、天満屋の中でお初が徳兵衛とともに自害することを決意する場面です。

生玉神社でお初と語り合っていた徳兵衛は、主人の勧める縁談を断ってタンカを切った時の様子を話します。喜んだお初は「もう一度聞かせてくださんせ」と少女のようにはしゃぎます。
ここで力んでしまうと、お初のかわいらしさが消えてしまうなあ……と気になっていたのですが、今回はそのかわいらしさがとてもよく出ていました。

天満屋の場では、敵役の九平次の前で静かな怒りをあらわし、徳兵衛とともに自害する決意を固める場面があります。台詞を張り上げたり間(ま)を多くとったりしない抑えた演技でしたが、それによってお初の強い意志と覚悟がより伝わってきました。

いざ心中する時のお初と徳兵衛も、死に向かう者の静かな覚悟がよく表れていました。そして静かななかにも鬼気迫るものが感じられて、息をのみました。
ほかにも印象に残った場面は枚挙にいとまがありませんが、とにかく感動しました。無意識に涙をこらえていたようで、終わったとたんに鼻水が出てきました……(本当)。
今回はとにかく素晴らしい舞台だったと思います。がんばって何度も劇場へ足を運んで、本当によかったと思いました。

それにしても、お初は19歳という設定の役なのですが、74歳の藤十郎丈が演じてそのかわいらしさがとてもよく伝わってくるのです。本当にすごいです。
「年を取ると若い女性の役をやるのには無理があるのではないか」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。なぜなら、歌舞伎は「究極のバーチャル&デフォルメ」だと思うからです。
映画やドラマの世界では、実年齢や性別にあった配役をしなければリアリティーが出せない。しかし歌舞伎(ほかの芝居や落語も同様ですが)では、それらを超えたところで人物を表現できる。だからおもしろいし、様々な可能性があるのだと思います。
「年を取ったら若い役はできない」というなら、男性が女性の役をやることだってできなくなってしまいます。

藤十郎丈はまだまだお初を演じ続けられると思いますし、まだまだ演じ続けていってほしいです!
またどこかの劇場で(できればまた歌舞伎座でやっていただきたいですが……)、「曽根崎心中」を観て今日と同じ感動を味わえることを、今から楽しみにしています。


<本日のキモノ>

花の丸の小紋に星梅鉢の帯

花の丸模様の緑色の小紋に、星梅鉢の帯です。
小紋は千總で帯は川島織物という、「京都」なコーディネートです(笑)。
初代坂田藤十郎が京都で活躍した役者であり、現藤十郎丈も京都のお生まれなので、それにちなんでみました。
扇子も京都・宮脇賣扇庵のものです。藤十郎の名前にちなんで藤の柄にしました。

藤の柄の扇子

寒い日なので扇子を開いて使うことはありませんでしたが、たとえ見えなくても細かなところに凝った日は不思議と気分がいいです。

雪対策として、外を歩く時は着物の裾を下の写真のように処理しました。
この上から雨ゴートを着ます。雨ゴートは足元までの長さがあるので、外からは全然わかりません。
目的地に着いたら、雨ゴートを脱ぐ前にクリップをはずします。そのまま裾が下に落ちるので、着物の裾を整えてから雨ゴートを脱ぎます。

雨や雪の時の裾処理

ちなみに、前日に買った雨雪用草履、なかなかのスグレモノでした。
雪が積もった道やシャーベット状の道をツカツカ歩いても、滑りませんでした。
さすがに雪国では無理だと思いますが、5~10センチ程度の積雪なら大丈夫そうです。



雪対策

2006年01月20日 | 着物
明日21日は、関東地方の平野部でもうっすらと積雪があるかもしれない、との予報が出ています。

明日は、またまた歌舞伎座へ行くことになっていて当然着物を着る予定。
いつもなら、雪が積もる時はさすがに洋服で行くことを考えるのですが、坂田藤十郎襲名披露興行なので何としても着物で行きたい!

「雨の日の着物」は何度も経験してすっかり慣れています。しかし、雪となると勝手が違うのが「足元」。
雨の時は草履カバーを使えば、普通の草履を雨用草履として使えます。しかし、草履カバーはビニール製なので、雪の上を歩くと安定感が悪そう……。
それに、ある程度草履の高さがないと、雪を踏んだ時に足が濡れてしまうし……。

うーむ、やはり「備えあれば憂いなし」、少々の雪に対応できる履物を探してみるべし!

……と考えたまではいいのですが、銀座や浅草の履物屋さんは、仕事が終わってからでは間に合いません。
かといって、会社の周辺には若い人向けのおしゃれな「靴屋さん」はあれど、「履物屋さん」なんて粋なものは見当たりません。
さてどうしたものか……。

そこでふと思いついたのが「麻布十番商店街」です。
麻布十番は、繁華街六本木の近くにありながら、老舗や地域密着型のお店が並ぶ商店街があって何となく落ち着ける雰囲気の街です。
商店街なら、きっと履物屋さんの一軒くらいあるはず!

ランチを食べながら、さっそくケンサク、検索。
ちゃんと、麻布十番商店街のホームページがありました。
しかも、なかなかしっかりと作られているホームページです。見やすいし、情報も探しやすいし、きれい。
さっそく履物屋さんを探してみたら……ありました!「だいこくや」さんというお店です。

お昼休みはもうすぐ終わってしまうから行ってこられないし……よし、今日は何としてでも仕事を定時で終えてだいこくやさんへ行くのだ! と決意して、サクサクと仕事。しかし、打ち合わせなどが入ったため、会社を出るのが7時半になってしまいました。
急げば10分ちょっとで麻布十番商店街に着けるはず、お店は8時までだから、道に迷わなければ間に合うはず!
会社を出て、とにかく走る、走る、走る……。
途中、イルミネーション輝く「けやき坂」を転がるように駆け下りていたら、若いカップルからけげんそうに見られましたが、なりふりかまっちゃいられません。
それもこれも、みんな着物のためや!(←「浪花恋しぐれ」風)

やはり気合いの入り方が違ったのか、方向音痴の私が、夜目にもかかわらず迷うことなく麻布十番商店街へたどり着きました。
夏に「麻布十番納涼まつり」へ行っておいて本当によかったです……。
「豆源」さんで揚げおかきを買ったついでに、だいこくやさんの場所を聞きました(本当はそれが主目的……)。
豆源さんから目と鼻の先だったので、すぐにたどり着きました。よかった、まだ開いてる……。

さっそくお店に飛び込んで、「雨用草履で、雪にも使えるもの」を尋ねてみました。
すると、ありました!

雨雪用草履

雨草履と同様、ビニールのつま先カバーがついていますが、普通の雨草履と違う点は、草履の底です。
真ん中の部分が少しくびれた右近下駄のような形になっていて、底面には滑り止めのゴムが貼ってあります。つま先に比べてかかとの部分が高くなっています。

時雨下駄(雨用の下駄)とどちらにしようか迷ったのですが、履いてみるとやはり下駄よりもずっと安定感があったので、こちらにしました。

これで、雪でも槍でもかかってこい! という感じです(笑)。
襦袢の裾は残して着物の裾をまくり、帯の上部に着物クリップでとめます。
その上から道行コート(寒いのでベルベットのコート)を着て、さらに上から雨コートを着ます。
衿も、ショールなどでガード。
足元は、まず足袋の上に「足袋カバー」を履きます。そしてこの雨雪用草履で完全武装。
普通の草履を持っていき、劇場に着いたら履き替えます。
足袋も、濡れてしまった時のために替えを持っていきます。
雨や雪の日は、荷物が多くなって面倒だけれど、やはり「備えあれば憂いなし」です。

だいこくやさんのおかげで、明日は心おきなく着物で出かけられます。
応対してくださったおかみさんもとても気さくな感じで、気持ちよく買い物ができました。やっぱり商店街っていいなあ……。

それにしても、麻布十番商店街までダッシュしたら、その後しばらく足がガクガクしていました……。寄る年波には勝てない……。

そういえば、明日は大学入試センター試験が行われる日なのだとか。
受験生のみなさん、お家を早めに出て、気を付けて試験会場へ行ってくださいね。サクラサク! 健闘を祈ります!



初春の賑わい・花のお座敷芸

2006年01月15日 | 伝統文化あれこれ
小正月の1月15日、有楽町のよみうりホールで「初春の賑わい・花のお座敷芸」という公演が催され、向島の芸者さんたちの踊り、幇間のお座敷芸、江戸曲ごまなどが披露されました。

お正月らしい「出の衣装」(黒紋付で裾を引いた着付け)に身を包んだ芸者さんや、後見結びの帯に「楽屋銀杏」の髪型という男舞姿の芸者さん、振袖姿のかわいらしい半玉(はんぎょく)さんなどが登場しました。もちろん、三味線は地方(じかた)の芸者さんが担当します。

以前にも書いたことがありますが、半玉さんというのは、京都でいう舞妓さんにあたるものです。
一人前の芸者さんになる前の見習い少女のことです。
関西では、芸妓さんや舞妓さんに払うお座敷代のことを「花代(はなだい)」といいますが、東京では「玉代(ぎょくだい)」といいます。一人前の芸者さんになる前は玉代が半分なので「半玉さん」なのです。

現在の東京の半玉さんは、京都の舞妓さんのように肩上げをした振袖を着ますが、舞妓さんと違って裾は引きません。帯も「だらりの帯」ではなく「後見結び」というすっきりした結び方です。
京都の舞妓さんは今でも地毛で日本髪を結っていますが、東京の半玉さんは「かづら(かつら)」を使う方がほとんどです。
半玉さんの髪型は桃割れが多く、ちょっとおねえさんになると結綿になります。

髪飾りも、京都の舞妓さんと東京の半玉さんでは細かなところでいろいろな違いがあります。
東京のほうは全体的にやや派手な感じで、平打ち(後ろにさす平たいかんざし)もつまみ細工になります。京都のほうが、どちらかというとシンプルです。
京都では、デビューして1年未満の新人舞妓さんは「ぶら」のついた花かんざしをつけるのですが、東京では新人さんでなくても「ぶら」をつけていることが多いです。
実はこの「ぶら」付きかんざしというのは、京都の舞妓さんはもともと使っていなかったのですが、女形の役者さんが始めたのがきっかけとなって東京で流行し、それが京都にも移っていったのだそうです。戦前の舞妓さんの写真などを見ると、幼い舞妓さんでも「ぶら」のついていない、丸いシンプルな花かんざしを使っています。

日本髪と舞妓さんの話になるとつい熱が入ってしまっていけません(笑)、閑話休題。
向島の芸者さんたちは、お正月らしい踊りを吹き寄せで披露してくださいました。
半玉さんは「梅にも春」や「獅子わ」などおなじみの曲を、かわいらしく舞ってくれました。基本をきちんと押さえた、しっかりした踊りでした。


芸者さんたちの華やかな舞台の後は、幇間(ほうかん)による楽しい踊りとお座敷芸です。
「幇間」とは、お座敷でお客の要望に応じてさまざまな芸をやったり、楽しい話でお座敷を盛り上げたりする役目の男性です。「男芸者」とも呼ばれていました。
かつては全国にたくさんいたそうなのですが、現在は数名のみです。
とにかくお客さんに気持ち良く楽しんでもらえるように気を配らなければなりませんから、「旦那の命令は絶対」なのだそうです。
昔はいろいろな無理難題をしかけて芸をやらせる(そしてそのぶんハンパじゃないご祝儀をくれる)お客さんもたくさんいたそうなのですが、今はさすがにそんなことはないようです(笑)。
でも、巧みな話術で場を和ませてお客を楽しませてくれるという点では今ももちろん変わっていません。

今回出演された幇間衆は、櫻川七好さんと悠玄亭玉八さん。
七好さんは、楽しい踊りや屏風芸のほか、狂言仕立ての芸まで、盛りだくさんに披露してくださいました。
玉八さんは、三味線を片手に登場し、都々逸(どどいつ)や声色(こわいろ:ものまねのこと)を次々と披露してくださいました。長唄のパロディーを盛り込んだ「あんこ入り都々逸」もあって、とても楽しかったです。
昔は、お座敷でリクエストされる芸の代表的なものが「役者の声色」(歌舞伎役者のものまね)だったそうですが(寄席でも声色をやる芸人さんがいたそうです)、今はなかなかそんなお客さんもいないようです。歌舞伎を観たことのないお客さんも多いのかもしれないし、仕方ないのでしょうか……。


そのほか、「江戸の遊芸」として曲ごまを披露してくださったのが、やなぎ南玉さん。
曲ごまは江戸の代表的な芸です。もともとは大道芸でしたが、現在は寄席芸としても定番になっています。
大道芸に由来しているということで、南玉さんは曲ごまの前に「口上」を披露してくださいます。大道芸の場合は往来の人を引き止めなければなりませんから、口上を述べるのです。
口上の後は、扇子の上にこまを立てる「末広がり」や、煙管(きせる)の上にこまを立ててくるくる回す「かざぐるま」など寄席でもおなじみのさまざまな芸を、楽しい話術とともに披露してくださいました。

ちなみに、大道芸から始まって寄席芸として定着したものは、ほかにも太神楽曲芸などたくさんあります。そしてそれらは、今でも大道芸と寄席芸という2つの側面を持っています。

たとえば太神楽曲芸では獅子舞をやりますが、これは今でも門付けの芸能として行われています。ご祝儀をあげてお獅子に頭をかんでもらい、厄を払う。門付けの芸能としては当たり前のことですが、門付け芸としての獅子舞を見たことのない人だと「その場でご祝儀を渡す」ということを思いつかないことも多いようです。
同様に、大道芸を見てお金を払わない人も最近は多いようです。寄席で芸を見るときには木戸銭を払うように、大道芸を見る時も「おあし」(お金)は払うのですが……。

1月14日の記事のなかでも書きましたが、古くから伝えられた芸能というのは、ジャンルを超えて影響しあいながら、さまざまな流れを汲んで今日に至っています。だから、1つの側面からだけで見ていたのでは、その真の意味もおもしろさも、完全にはわからないのです。
いろいろなものを幅広く「自分の目で」見て、文化の「引き出し」の数を増やしてこそ、真に「文化的趣味をもった人」になるのだと思います。

と、またまた話がそれてしまいましたが、芸者さんの華やかな踊りと粋なお座敷芸で、「初春の賑わい」のタイトルにふさわしい楽しいひとときを過ごすことができました。


<本日のキモノ>

無地結城紬に梅柄の塩瀬帯

無地の結城紬に、梅の柄の塩瀬帯です。
着物は淡い緑色、帯は朱という、洋服だとあり得ないような組み合わせですが、着物だと「赤と緑」の組み合わせはわりと定番で、意外と合うので不思議です。



語りの世界

2006年01月14日 | 伝統文化あれこれ
1月14日、国立劇場で「語りの世界」と題した特別企画公演が行われました。
昼夜2回の公演で、それぞれ声明(しょうみょう)、平家琵琶、節談説教、絵解きが演目を変えて披露されます。
私は、昼の部へ行ってきました。

「語りの芸能」と一口に言っても、語り部、僧侶による説教、義太夫節から落語、浪花節まで多種多様です。
しかしそれらの間には少なからず関わりがあります。

たとえば、僧侶の説教と落語。お寺と落語には深い関わりがあります。
噺家さんたちが上がる舞台のことを「高座」と呼びますが、もともとは、お寺で僧侶が説法などをする時に座る、一段高い席のことです。
また、僧侶の説法にも、落語や浪花節のようにユーモアや節を交えたものがあります。それが、今回の公演でも演じられた「節談説教」です。

民衆に仏法を説く時に、難しい理念を語ってもなかなか伝わりません。そこで、仏教の教えをわかりやすく説くための手法の一つとして「節談説教」が生まれました。そしてそれが、落語や講談、浪花節(浪曲)へとつながっていったのです。

「節談説教」はもともと浄土真宗で盛んに行われていたのですが、最近は他宗派でもその手法を取り入れられているお坊さんがいらっしゃるそうです。
今回の公演に出演されたのも真言宗のお坊さんで、空海上人(弘法大師)の入定(にゅうじょう:高僧が亡くなること)の話を語ってくださいました。
噺家さんも顔負けの堂々とした「高座」で、お説法というよりも講談や浪曲、落語を聴いているように楽しめました。もちろん、随所に空海上人の教えが盛り込まれていて、印象に残りました。

「仏教の教えをわかりやすく」説くための別の手法が「絵解き」です。
曼陀羅や仏教絵巻などを見ながら、ユーモアや節も交えて解説をしていく、いわば紙芝居のようなものです。
今回見たのは、奈良・當麻寺(たえまでら)の曼陀羅絵解きです。當麻寺の建立者である中将姫の話やお釈迦様の話を、わかりやすく伝えてくださいました。

平家琵琶(平曲)も、仏教と密接な関係があります。
もともと、平家琵琶を語っていたのは目の見えない僧侶(琵琶法師)で、以後、琴や三味線音楽など様々な方面において、目の不自由な僧侶が座を組んで活躍しました。

芸能や鍼灸を生業とする盲人僧侶のなかで最も高い官位とされるのが「検校(けんぎょう)」です。「検校」の下に「別当」「勾当(こうとう)」「座頭」と続きます。
江戸時代には、これらの官位がお金と引き換えに授与されるケースが多かったようで、芝居や時代劇などでもそういった場面がよく出てきます。
歌舞伎の「蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)」では、貧しい按摩・文弥が座頭の官位を得られるようにと、姉が身売りしてお金を整えます。お金を盗まれ殺された文弥が、恨みを晴らそうと化けて出てくる場面は有名です。

閑話休題。
今回の公演でもわかるように、宗教と芸能との間、ジャンルの異なる種々の芸能の間には、少なからぬ結びつきがあります。
僧侶の説法から落語や講談、浪花節が生まれていったように、能、狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃、義太夫節、浪花節、講談、落語……ほかにも枚挙にいとまがありませんが、さまざまなジャンルの芸能には相関性があるのです。

このように、長い歴史のなかでいろいろな流れをたどり、ある時は形を変え、ある時は発展しながら連綿と続いてきている芸能の多くは「古典芸能」と呼ばれています。
「古典芸能」という言葉の響きから「堅いもの、高尚なもの」と思って、食わず嫌いになっている方も多いと思います。「古典芸能」と「娯楽」は相反するものだと思っている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし「古典芸能」とは読んで字のごとく「古くから伝わっている芸能」、ただそれだけのことです。たとえば新派だって新劇だって、あと100年もすれば「古典芸能」になっているでしょう。

「歌舞伎は演劇だ」「歌舞伎は娯楽だ」「落語はお笑いだ」、そうです、そのとおりです。でもそれだけではない。
「昔から伝わっている演劇や娯楽やお笑いそのほかいろいろ」を包括した定義が「古典芸能」なのですから、歌舞伎は「古典芸能であり演劇であり娯楽」、落語は「古典芸能でありお笑いであり娯楽」なのです。
「歌舞伎は演劇ではなくて古典芸能」「落語はお笑いでなくて古典芸能」という考えが片手落ちであるように、その逆もまた然りなのです。

日本でも海外でも、「芸能」にはさまざまなものがあります。劇場で行われるものだけではなく、大道芸や門付の芸能もみな「芸能」です。そしてそれらはみなお互いに影響しあっており、1つの定義でくくれるような単純なものではありません。だからおもしろいのです。


<本日のキモノ>

染大島に白の塩瀬帯

この日は雨でしたが、「雨が降ろうと槍が降ろうと」の意気込みでキモノで出かけました。
普段用の染大島に、白地の塩瀬帯です。同じ着物でも、帯が白地になるとガラっと雰囲気が変わります。
「語りの世界」という公演にちなんで、文机と書物が描かれた帯にしました。
根付も、三味線の撥(ばち)をかたどったものをあわせて気分を出してみました。

白地に文机・書物柄の塩瀬帯

三味線の撥をかたどったべっ甲の根付

雨に備えて、厚手の雨ゴート着用&足袋カバー着用&草履カバー持参で完全防備です。

雨ゴート



歌舞伎座 寿初春大歌舞伎(夜の部再び)

2006年01月10日 | 歌舞伎
1月10日に歌舞伎座へ行ってきました。夜の部の招待券をいただいたのですが、4時45分開演なので午後半休をとって会社を早退(ごめんなさい……)。

会社を出るのがギリギリになったので、大急ぎで歌舞伎座へ。着いたのは開演5分前でした。
2階の桟敷で舞台にもわりと近い位置だったので、1階席とはまた違った角度で楽しめました。上から見るぶん、1階席よりもむしろ舞台が間近に感じられて、観ているほうも緊張しました。

各演目の紹介については、1月3日の記事をごらんください。

「伽羅先代萩」の子役2人(中村虎之介くん、中村鶴松くん)の熱演が印象的でした。
千松役の虎之介くんと、千松の母・政岡役の藤十郎丈とは祖父・孫の関係なので、お互いに信頼しあっている様子もよく伝わってきました。

虎之介くんは、緊張のためか思わずごはんを落としてしまうハプニングがありましたが、却ってリアルでよかったと思います。年端の行かない子どもが、涙が出るほどの空腹に耐えてやっとごはんを食べる。空腹だからお箸を持つ手にも力が入らないけれど、食べたい気持ちははやる……という感じが出ていました。それに、かわいかったし(笑)。
生の舞台だから失敗はつきもの。でも、今回の舞台のように一生懸命演じていれば失敗もよい方向に進むと思うので、気にしないでね、虎之介くん。

夜の部は、口上の後の30分の幕間(弁当幕)までで売店が閉まってしまうので、お弁当を急いで食べてロビーへお土産を買いに行きました。有休をとらせてもらったので、会社の人たちへのお土産に襲名披露記念菓子を……。
舞台写真も出ているかなあ……と思ったら、この日はまだ出ていませんでした。いつもだと出ているころなんですが、お正月だからいつもより遅めだったのかも?
私はこの後もう一度観に行く予定があったので「その時でいいか」と思ったのですが、そんなに何度も来ないという人も多いと思うので(というかそのほうが普通……笑)、できるだけ早くから売るとよいんじゃないかなあ……。筋書(パンフレット)には興行後半にならないと舞台写真が入らないし……。



歌舞伎座 寿初春大歌舞伎(昼の部)

2006年01月07日 | 歌舞伎
お正月に続いて、七草の日に歌舞伎座へ行ってきました。今度は昼の部です。

昼の部の1幕目は、箏曲舞踊の「鶴寿千歳(かくじゅせんざい)」。
曲名から見てもわかるとおり、ご祝儀舞踊です。
緞帳が上がると、舞台上手(かみて)に箏曲のみなさんが並んでいました。女性ばかりです。歌舞伎の舞台に女性が上がるのは、「助六由縁江戸桜」の一中節や、今回のような箏曲など限られた時だけなのです。

踊るのは、中村梅玉丈と中村時蔵丈。
白と赤を基調とした王朝風装束に身を包んだお二人がせり上がってくると、客席から「きれいねえ~」というため息がもれていました。
ベテランのお二人だけあって、ゆったりと落ち着いた格調高い舞で、まるで一枚の美しい絵を見ているような素敵なひとときでした。


2幕目は、坂田藤十郎襲名披露狂言の一つ「夕霧名残の正月」。
昨年末の京都・南座での襲名披露興行と同じ配役です。
演目についての詳細は、南座での観劇記をごらんいただくことにして……。
当月も、南座の時と同様、坂田藤十郎丈、片岡我當丈、片岡秀太郎丈による劇中口上が行われました。

放蕩の末勘当された藤屋伊左衛門(坂田藤十郎丈)のもとへ、病で亡くなったなじみの遊女夕霧(中村雀右衛門丈)の幻が現れます。
夕霧が去り、伊左衛門が我に返ったところへ、夕霧のいた店の主人(片岡我當丈)と女将(片岡秀太郎丈)がやってきます。
「夢の中とはいえ、若旦那が夕霧と会えたことはおめでたい」という主人。そこで女将が「おめでたいといえば、若旦那、襲名のご披露をみなさまの前で……」と話を切り出します。
そこで「とざい、とーざい」と声がかかり、三人が居ずまいを正して、口上に移ります。

我當丈は、藤十郎丈が着ている衣装「紙衣(かみご)」についての解説も交えながら口上を披露してくださいました。
秀太郎丈は、ユーモアを交えての口上で客席をわかせてくださいました。また、「上方歌舞伎ということで、後ろに控えている者たちもみな上方の役者なのでございます」と大部屋の役者さんたちも紹介してくださいました。客席からもエールのこもった拍手が起こりました。

この日はちょうど我當丈のお誕生日だったそうで、秀太郎丈が「おめでたついでにもう一つ、実は今日は兄・我當のお誕生日でございます」と披露し、客席からは祝福の拍手が起こりました。
弟さんからの意表をついた口上で、我當丈は平伏したまま照れ笑いしておられました(笑)。
藤十郎丈も我當丈のほうを向いて「お誕生日おめでとうございます」とお祝いを述べ、我當丈も「ありがとうございます」と返していたのがあまりにも自然で、おもしろかったです。
共演を重ねている三人の息の合った口上で、ほのぼのとした楽しい雰囲気になりました。

それにしても、藤十郎丈演じる伊左衛門と雀右衛門丈演じる夕霧が織り成す世界は、本当に幻想的でした。まるで別世界のものを見ている感じでありながら、舞台に引き込まれていくのです。
二人が一緒に月を見上げるシーンがとても印象的でした。客席も一瞬息をつめてしまうような、美しくせつない一場面でした。


お昼をはさんで、3幕目は「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)環宮明御殿の場」。
「奥州安達原」は、全5段からなる義太夫狂言で、「環宮明御殿」はその3段目です。

親の反対を押し切って駆け落ちした武家の娘・袖萩。夫との間に一人娘・お君をもうけますが、夫と生き別れになった挙げ句に失明してしまいます。
お君に手を引かれて諸国を回り、三味線を引いて芸を披露しながら生計を立てる身の上となった袖萩は、ある時、父・直方が切腹の危機に面していることを知って両親の元へかけつけます。
しかし、勘当した娘を父は屋敷内に入れてはくれません。
不孝な自分を悔やみ嘆く袖萩と、幼いながらも一生懸命親を助けようとするお君のいじらしい姿を見て、袖萩の母・浜夕は涙にくれ、何とか直方との間をとりもとうとしますが、直方は聞き入れようとはしません。
そのうえ、自分の娘の夫が朝敵・安倍頼時の息子安倍貞任(さだとう)であると知った直方は、いよいよ娘を許さず、切腹の覚悟を固めます。
一方、直方の屋敷で捕えられていた義弟・宗任から直方を討ってほしいと頼まれた袖萩も、苦渋に迫って自害を決意します。
切腹の際、直方は袖萩に、来世で親子の対面をしようと言って娘を許します。しかしそれと時を同じくして、袖萩は庭先で自害していたのです。娘の自害を知った母・浜夕は、孫のお君を抱いて嘆き悲しみます。
そこへ、上使として直方の屋敷へ来ていた桂中納言が現れるのですが、実はそれは安倍貞任の変装で……。

前半の、袖萩が直方の屋敷を訪れる場面では、袖萩を演じる福助丈が自ら三味線を弾くのが見どころの一つです。
袖萩の三味線と唄を聞きながら涙を流す浜夕(中村吉之丞丈)が、とても印象的でした。抑えた演技なのに、娘や孫を思う母親の心がひしひしと伝わってくるのです。娘や孫が不憫でも、武士の妻であるがゆえに思うようにできないというつらさがとてもよく表現されていました。
お君役の山口千春ちゃんの熱演も、観客の心を打ちました。

後半の大きな見せ場は、正体を見破られた貞任(中村吉右衛門丈)が、桂中納言の公家姿から「ぶっかえり」で一気に侍の姿になるところです。
吉右衛門丈の迫力ある演技に、客席も魅了されていました。
荒々しい姿の貞任が、袖萩とお君を抱きかかえて涙を流す場面も印象的で、客席から拍手が起こっていました。夫婦や親子の情愛は、やはり義太夫の基本という感じです。

貞任の弟宗任を演じる中村歌昇丈も、形がビシっと決まって声もよく通って、すごくカッコイイなあ……と思います。「これぞ歌舞伎役者」といった感じです。こういう人がいるとお芝居がとても引き立ちます。


4幕目は、義太夫舞踊の「万才」。
踊るのは中村扇雀丈と中村福助丈。東西の成駒屋の競演です。
福助丈は中村芝翫丈の代演を務めるのですが、1つ前の幕にも大きな役で出演しているので大変だろうなあ……と思います。でも、前の幕の疲れも感じさせずに優雅に舞っておられる様子はさすがプロです。
扇雀丈の踊りも、きっちりとしていてとてもきれいでした。
義太夫の節や詞も軽快で、お正月のおめでたい雰囲気がよく伝わってきます。


昼の部の喜利は「曽根崎心中」。こちらも、京都・南座に続いて上演される坂田藤十郎襲名披露狂言です。
南座では3階席でこの芝居を観たのですが、今回は1階席だったので、役者さんの表情もよく見えて、一層迫力が伝わってきました。観客が引き込まれていくのがよくわかりました。

坂田藤十郎丈は、さまざまなインタビューで「役の心を大切にして演じる」ことを語っておられます。役の心になって演じれば、演技は自然とついてくるというのです。
私が藤十郎丈ファンである一番の理由は、まさにそこなのです。

鴈治郎時代から何度も舞台を見ていますが、彼はどんな時でも手を抜かない。役になりきって、役を大切にして演じている。たとえお客さんの入りが少ない日でも、あまり拍手をしないお客さんの前でも、役の心を大切にして芝居をしているから「手を抜く」ことはありえないのです。
だからこそ役の心情が伝わり、観客は心を打たれるのだと思います。

私は、平成11年4月の歌舞伎座で「恋飛脚大和往来 封印切」とこの「曽根崎心中」を観て、藤十郎丈(当時・鴈治郎)の「役の心を大切にした芝居」を目の当たりにし、心を打たれました。「人間」がよく伝わってくるのです。歌舞伎を観て涙が出てきたのは初めてでした。「歌舞伎ってこんなにおもしろいものだったのか」と思いました。

それから何年も経っているのに、藤十郎丈の舞台に対する意気込みは衰えるところを見せない。すごいことだと思います。


すごいと言えば、藤十郎丈の奥様の扇千景さん。
この日も、多忙ななか歌舞伎座へお越しになり、お客様の応対をされていました。
終演後には出口付近で観客を丁寧に見送っておられました。ご贔屓の方や顔見知りの方だけでなく、一般のお客さんにも同じように笑顔を向けて「ありがとうございました」と挨拶をしておられるのです。私もそうやって声をかけていただけて、とてもうれしくなりました。当たり前のことのように見えるけれど、なかなかできないことだと思います。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」小泉チルドレンとして国会デビューした新人議員の先生たちも、ぜひこれからのお手本にしてもらいなあ……と思います。


<本日のキモノ>

紺の鮫小紋に星梅鉢の帯。
12月24日の南座の時と同じコーディネートです。



歌舞伎座 寿初春大歌舞伎(夜の部)

2006年01月03日 | 歌舞伎
1月3日、歌舞伎座へ行きました。今年の「初芝居」です。

これまでにもお伝えしたとおり今月の歌舞伎座は、先月の京都・南座に続いての、中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露興行です。

初春興行なので、歌舞伎座の前には大きな門松が立てられ、繭玉も飾られて、お正月らしい雰囲気になっています。
夜の部の開場を待っていると、歌舞伎座前には着物姿の女性がたくさんいらっしゃいました。
お正月なので、訪問着をお召しの方もたくさんいらっしゃいます。
振袖姿のお嬢さんもちらほらと見られました。若い方の振袖姿は、その場の雰囲気を華やかにしてくださって、本当に良いものです。

お正月だし、坂田藤十郎襲名披露興行だし、今回はフンパツして桟敷席をとりました。
といっても、1等席と2000円しか差がないので、お茶が用意されていてテーブルがあってゆったり座れることを考えると、お得だと思います。

場内に入ってまず目に入ってきたのは、藤十郎襲名の祝幕。
南座で使われていた祝幕と同じ色ですが、藤十郎丈の定紋「星梅鉢」と替紋「向かい藤菱」の配置が微妙に異なり、背景には祇園祭の鉾や葵祭の牛車が描かれています。

坂田藤十郎襲名の祝幕


場内の提灯も、普段は歌舞伎座の紋「鳳凰丸」が描かれているものが使われていますが、今回はそのなかに「星梅鉢」の提灯も混じっています。
至るところに繭玉が飾られ、お正月ムードも満点でした。

星梅鉢の紋の提灯

歌舞伎座の場内に飾られた凧と繭玉


2階ロビーには、南座の時と同様「紙衣」が展示されていたほか、祝幕の箱(下の写真)も飾られていました。

坂田藤十郎襲名祝幕の箱


場内の華やいだ雰囲気を味わっているうちに、いよいよ開演です。

1幕目は「藤十郎の恋」。
初代坂田藤十郎のことを題材にしたお芝居で、菊池寛の同名小説をもとに作られ、大正8年に初代中村鴈治郎によって初演されました。
中村鴈治郎家の「家の芸」である「玩辞楼十二曲」の一つです。
今回、初代藤十郎の役を演じるのは中村扇雀丈。

お父様である3代目中村鴈治郎丈が坂田藤十郎を襲名され、「成駒屋」から「山城屋」に移ったため、関西の「成駒屋」は中村翫雀丈・扇雀丈のお二人がしょって立たなければなりません。
「藤十郎の恋」でも、扇雀丈の姿からその気概が感じとれました。


2幕目は、坂田藤十郎襲名披露の「口上」。
南座に引き続き中村雀右衛門丈を筆頭に、幹部俳優がずらりと並んでの口上です。
今月は、藤十郎丈のお孫さんである中村壱太郎くんと中村虎之介くんも列座していました。
口上は、華やかでおめでたくて、何度観ても気持ちの良いものです。


2幕目の後が食事の幕間です。
開演前に予約しておいた「襲名弁当」を、歌舞伎座内の食堂でいただきました。
襲名を祝うおめでたい献立で、坂田藤十郎襲名記念の「一筆箋」もついています。この一筆箋が欲しくて予約しました(笑)。
お弁当を食べ終わった直後に、開演5分前を知らせるブザーが鳴ったので、急いで席に戻りました。
ロビーでお土産も見てみようと思ったのですが、断念しました。


3幕目は「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」。
人形浄瑠璃の演目を題材にした「丸本歌舞伎」のなかでもとりわけ有名な作品です。
今回は「御殿」「床下」の2場が演じられました。

お家騒動の渦中、若君・鶴千代を必死で守ろうとする乳母・政岡を、藤十郎丈が演じます。
政岡の息子で政岡とともに若君の側に仕える千松を、中村扇雀丈のご長男・中村虎之介くんが演じます。虎之介くんは、これが「中村虎之介」としての初舞台となります。

毒殺をおそれて、他の者が持ってきた食べ物は絶対に若君に食べさせない政岡。
若君と千松の食事は、政岡自らが米をといで作っています。
お腹をすかせた若君と千松をなだめながら米をといで炊く「飯炊き(ままたき)」の場面は、このお芝居の見どころの一つ。
健気に空腹に耐え、ご飯が炊けるのを待つ千松と若君の姿が、とてもかわいらしかったです。
千松を演じる虎之介くんは、一つ一つ丁寧な表情や所作で、役の心を見事に表現していました。行く末が楽しみです。
鶴千代役の中村鶴松くんも、幼いながらも主君の風格を備えた若君を見事に表現していました。
子どもというのは、本当に大きな可能性を秘めているなあ……と感心しました。

続く「床下」の場では、中村吉右衛門丈が荒獅子男之助、松本幸四郎丈が仁木弾正(にっきだんじょう)を演じ、藤十郎襲名披露のお芝居に花を添えました。
御殿の床下で忠臣・男之助が、仁木弾正が化けたネズミを捕まえ「あら、怪しやな~!」と叫ぶ場面は有名です。
前の「御殿」の場からこの「床下」の場に移る時の舞台転換も、歌舞伎ならではの手法で見応えがあります。


4幕目は「島の千歳(しまのせんざい)」「関三奴(せきさんやっこ)」の舞踊二本立てです。
「島の千歳」は中村芝翫丈が踊る予定だったのですが、病気休演のため中村福助丈が代わりを務めます。丁寧に踊っておられて、ご祝儀舞踊の品格がとてもよく表されていたと思います。
「関三奴」を踊るのは中村橋之助丈と市川染五郎丈。橋之助さんの踊りは丁寧かつ軽快で、とてもきれいでした。染五郎さんの若さあふれる踊りとの調和で、大喜利にふさわしい華やかな舞踊に仕上がっていたと思います。


お正月休みの締めくくりに、初春興行と襲名披露興行が重なった歌舞伎座でおめでたい雰囲気を堪能でき、大満足でした。


<本日のキモノ>

12月23日に南座で観劇した時と同じコーディネートです。

大みそかに結った日本髪が残念ながらこの日までもたなかったのですが、せっかく桟敷もとったのだし……と思い、3日から営業している美容院で新日本髪を結っていただきました。

新日本髪

新日本髪(後ろ)

今回結っていただいたのは、浅草の美容院です。日本髪も結えるお店ですが、翌日から仕事だったので、くずしやすくて結髪料も安い新日本髪にしました。

「新日本髪」というと「日本髪を現代風にアレンジした髪型」と考えておられる方が多いようですが、実はそうではないのです。形の違いではなく、結い方の違いなのです。
新日本髪は、鬢付けや「かもじ」を使わず、「逆毛」を立てることによって髪にボリュームを出しながら形を作っていきます。
それに対して、いわゆる古典的な「日本髪」の場合は逆毛は立てません。
今回結っていただいたのも、結い方は「新日本髪」ですが形は古典的でした。

浅草のお店だけあって、形はやはり江戸風でした。
前髪は大きくて前にせり出し、鬢(びん:顔の横の部分の髪)も大きく作られています。
大みそかに結っていただいた京風の髪型とは、かなり違いがあります。

美容院に着いた時、ちょうど日本髪の結い直しにいらしていた方を見かけたのですが、芸者さんのカツラのような本格的な島田で、粋な感じでした。

江戸風の髪型もいいのですが、背の高くない私にはいささか大きすぎたかもしれません(ウルトラの母みたいになってしまう)……。やっぱり京風の小ぶりな形のほうが、自分には合っている気がします……。

歌舞伎座の前に早めに着いて写真を撮っていたら、外国人観光客の団体さんが乗った「はとバス」が到着し、「写真を撮らせてください」攻勢にあいました(笑)。でも、みなさんとても喜んでくださっていたので、うれしかったです。



新春国立名人会

2006年01月02日 | 落語
正月2日、またまた寄席へ。
今度は国立演芸場です。

国立演芸場の「初席」である「新春国立名人会」は、1月2日から6日まで行われ、2日と3日は1日2回興行となります。出演者は毎回変わります。
落語、講談、漫才、漫談、浪曲、奇術、曲芸など、所属団体を問わずさまざまな芸人さんが一堂に介する、バラエティーに富んだ構成です。

今回行ったのは、1月2日の2回目の公演。
出演者は三笑亭可楽師匠、古今亭円菊師匠、林家木久蔵師匠、三遊亭楽太郎師匠、柳家喬太郎師匠、三味線漫談の玉川スミ師匠、講談の神田松鯉先生、漫才の青空球児・好児師匠、あやつり人形の「ニューマリオネット」と、ベテランがずらりと並びます。若山胤雄社中による寿獅子も披露されました。

とりわけ目を引いたのは、玉川スミ師匠。
玉川スミ師匠は、芸歴80年以上の大ベテラン。幼いころは女歌舞伎の一座に入っておられたそうです。
そのため、芸人さんの伝統にのっとった、お正月ならではの趣向で登場してくださいました。
黒留袖を着て、島田のカツラをつけた、芸者さん風のこしらえです。髪にはもちろん、お正月にしか挿さない稲穂のかんざしが。
これだけでも十分にお正月気分を楽しめるのですが、そこからがさらにスゴイ。

使う三味線は、「白紅木(しろこうぎ)」で作られたもの。
「紅木(こうぎ)」は、三味線の材料としては一般的な木です。しかし「白紅木」で作った三味線は特別で、お正月などにしか使いません。

さらに、三味線の糸も「松竹梅」という特別なものを使用。
三味線の糸は三本あって、太さがそれぞれ違います。いちばん太い糸が「一の糸」、次が「二の糸」、いちばん細いのが「三の糸」です。
通常はすべて黄色なのですが、「松竹梅」の糸というのは、一の糸が深緑(松)、二の糸が若草色(竹)、三の糸がピンク(梅)になっているのです。
元日から七草までの間やおめでたい席でしか使わない、めずらしいものです。

お正月のおめでたい雰囲気を楽しむと同時に、玉川スミ師匠の「芸人の心意気」を感じました。
芸歴80年を超えてもなお若々しい高座には、いつも感服します。
85周年の時には記念の会が開催されるとのこと、今からとても楽しみです。


幕開きの獅子舞からトリの可楽師匠まで、見どころ・聴きどころ満載の新春国立名人会で、元日に続いてとても楽しいお正月を過ごせました。


<本日のキモノ>

紺の鮫小紋に梅の朱地塩瀬帯

梅の柄の朱地塩瀬帯(お太鼓部分)

紺の鮫小紋に、梅の花を描いた朱色の塩瀬帯をあわせました。
自分で買う帯は、黒地や白地、金糸のものがほとんどだったので、朱地の帯はこれが初めてです。
これまで朱地の帯なんて考えもしていなかったのですが、一見主張が強いようで実はいろいろな着物にあわせやすく、シンプルな着物も華やかにしてくれる便利アイテムだということを実感しました。
梅の柄なので締める時期は限られますが、お正月から2月中旬ごろまでは楽しめそうなので、これから出番を増やしていきたいと思います。
派手にならないうちに存分に締めなくては。

私は梅の花が大好きで、前々から「梅を描いた染め帯が欲しい」と思っていました。
でも、呉服屋さんやデパートで「いいな」と思うものを見つけても、高くてなかなか手が出せませんでした。
そんな時、インターネット呉服店のセールでこの帯を見つけました。とにかく柄が、イメージしていたものにぴったりだったのと、梅の時期が終わる頃のセールだったため値段も非常に安くなっていたことから、迷わず購入。翌年の梅の時期になったら締めようと、楽しみにしていました。

季節ものの着物や帯の場合、シーズン終了時のセールをうまく利用すると、かなりお値打ちに買うことができます。自分の好きな柄や、流行に左右されない柄なら、次のシーズンからでも十分使えるのでお得だと思います。