本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

新春国立名人会

2006年01月02日 | 落語
正月2日、またまた寄席へ。
今度は国立演芸場です。

国立演芸場の「初席」である「新春国立名人会」は、1月2日から6日まで行われ、2日と3日は1日2回興行となります。出演者は毎回変わります。
落語、講談、漫才、漫談、浪曲、奇術、曲芸など、所属団体を問わずさまざまな芸人さんが一堂に介する、バラエティーに富んだ構成です。

今回行ったのは、1月2日の2回目の公演。
出演者は三笑亭可楽師匠、古今亭円菊師匠、林家木久蔵師匠、三遊亭楽太郎師匠、柳家喬太郎師匠、三味線漫談の玉川スミ師匠、講談の神田松鯉先生、漫才の青空球児・好児師匠、あやつり人形の「ニューマリオネット」と、ベテランがずらりと並びます。若山胤雄社中による寿獅子も披露されました。

とりわけ目を引いたのは、玉川スミ師匠。
玉川スミ師匠は、芸歴80年以上の大ベテラン。幼いころは女歌舞伎の一座に入っておられたそうです。
そのため、芸人さんの伝統にのっとった、お正月ならではの趣向で登場してくださいました。
黒留袖を着て、島田のカツラをつけた、芸者さん風のこしらえです。髪にはもちろん、お正月にしか挿さない稲穂のかんざしが。
これだけでも十分にお正月気分を楽しめるのですが、そこからがさらにスゴイ。

使う三味線は、「白紅木(しろこうぎ)」で作られたもの。
「紅木(こうぎ)」は、三味線の材料としては一般的な木です。しかし「白紅木」で作った三味線は特別で、お正月などにしか使いません。

さらに、三味線の糸も「松竹梅」という特別なものを使用。
三味線の糸は三本あって、太さがそれぞれ違います。いちばん太い糸が「一の糸」、次が「二の糸」、いちばん細いのが「三の糸」です。
通常はすべて黄色なのですが、「松竹梅」の糸というのは、一の糸が深緑(松)、二の糸が若草色(竹)、三の糸がピンク(梅)になっているのです。
元日から七草までの間やおめでたい席でしか使わない、めずらしいものです。

お正月のおめでたい雰囲気を楽しむと同時に、玉川スミ師匠の「芸人の心意気」を感じました。
芸歴80年を超えてもなお若々しい高座には、いつも感服します。
85周年の時には記念の会が開催されるとのこと、今からとても楽しみです。


幕開きの獅子舞からトリの可楽師匠まで、見どころ・聴きどころ満載の新春国立名人会で、元日に続いてとても楽しいお正月を過ごせました。


<本日のキモノ>

紺の鮫小紋に梅の朱地塩瀬帯

梅の柄の朱地塩瀬帯(お太鼓部分)

紺の鮫小紋に、梅の花を描いた朱色の塩瀬帯をあわせました。
自分で買う帯は、黒地や白地、金糸のものがほとんどだったので、朱地の帯はこれが初めてです。
これまで朱地の帯なんて考えもしていなかったのですが、一見主張が強いようで実はいろいろな着物にあわせやすく、シンプルな着物も華やかにしてくれる便利アイテムだということを実感しました。
梅の柄なので締める時期は限られますが、お正月から2月中旬ごろまでは楽しめそうなので、これから出番を増やしていきたいと思います。
派手にならないうちに存分に締めなくては。

私は梅の花が大好きで、前々から「梅を描いた染め帯が欲しい」と思っていました。
でも、呉服屋さんやデパートで「いいな」と思うものを見つけても、高くてなかなか手が出せませんでした。
そんな時、インターネット呉服店のセールでこの帯を見つけました。とにかく柄が、イメージしていたものにぴったりだったのと、梅の時期が終わる頃のセールだったため値段も非常に安くなっていたことから、迷わず購入。翌年の梅の時期になったら締めようと、楽しみにしていました。

季節ものの着物や帯の場合、シーズン終了時のセールをうまく利用すると、かなりお値打ちに買うことができます。自分の好きな柄や、流行に左右されない柄なら、次のシーズンからでも十分使えるのでお得だと思います。



初笑いin鈴本演芸場

2006年01月01日 | 落語
元日に、鈴本演芸場の「初席」へ行きました。

寄席では、毎月1日から10日までの興行を「上席(かみせき)」、11日から20日までの興行を「中席(なかせき)」、21日から30日までの興行を「下席(しもせき)」と呼んでいます。
しかし、1月1日から1月10日までの10日間に限っては「初席」、1月11日から1月20日までは「二之席」と呼ばれます。

初席と二之席の間は、高座に鏡餅などが飾られ、お正月ムード満点になります。
噺家さんが座る座布団も、お正月に新調されるのです。
寄席によっては、背景の板戸やふすまもお正月仕様になります。

寄席の「初席」は、お芝居で言うと「顔見世」のようなものです。「今年一年、こういったメンバーが出ますよ」というのを知らせる目的があるので、出演者も非常に多くなります。
そうなると当然、一人あたりの高座は短くなりますが、新年らしい噺を披露する方や、自作の新しい小噺(こばなし)を披露する方なども多く、盛りだくさんの内容を楽しめます。
太神楽曲芸のみなさんによる「獅子舞」も披露されます。

噺家さんは、普段の高座では着流しに羽織といういでたちが一般的ですが(前座さんは羽織を着られません)、この日は元日だったので、袴をつけた正装が多くなっていました。

お正月ならではの雰囲気に包まれた寄席で「初笑い」して、気持ち良く新年を迎えることができました。
「一年の計」である元日を明るく笑って過ごす、まさに「こいつぁ春から縁起がいいわい」といった感じです。

毎日生きていれば、楽なことや楽しいことばかりで済まないのは当たり前。でも、どんな時でも「笑おうとする」気持ちを忘れず、前向きに楽しく一年を過ごしたいものです。


<本日のキモノ>

無地の結城紬に松竹梅の塩瀬帯

無地の結城紬に、松竹梅の塩瀬帯です。

松竹梅の帯にうさぎの帯留

うさぎの帯留、絵馬の形の根付と、小物も縁起のよいものをあわせてみました(うさぎは「はねあがる」といって縁起がよいとされています)。

刺繍入りのクリーム色のちりめん帯揚は、何年も前に京都・四条の井澤屋さんで買ったものです。これまであまり使うことがなかったのですが、ちりめんの「こっくり」とした感じが無地の紬に合ったので、これから出番が多くなりそうです。
小さな刺繍がところどころに入っているので、せっかくの刺繍が見えるように、少し多めに帯揚を出しました。



鹿芝居

2005年12月28日 | 落語
歌舞伎座前で坂田藤十郎襲名披露セレモニーを見物した後、上野の鈴本演芸場へ「鹿芝居」を観に行きました。

「鹿芝居」というのは、落語家さんが演じるお芝居のことです。
「噺家(はなしか)の芝居」が詰まって「しかしばい」というわけです。

鈴本演芸場では、年末の吉例として鹿芝居が演じられてきました。
今は亡き古今亭志ん生師匠や三遊亭圓生師匠も鹿芝居をなさっていたのです。

鹿芝居の演目には歌舞伎の演目が使われることも多いのですが、そこは噺家さんのことですから、笑いを取り入れて演じてくれます。

今回の演目は「芝浜の革財布」。
落語の「芝浜」をもとに作られた歌舞伎の演目です。
それを、鹿芝居で落語界に逆輸入してきたというわけです。

林家正雀師匠を座長とし、金原亭馬生師匠、蝶花楼馬楽師匠、金原亭世之介師匠、古今亭菊春師匠、林家彦丸さん、金原亭馬治さんが熱演されました。
金原亭馬生師匠は木挽町(歌舞伎座付近の旧町名)の生まれで、子どものころからお芝居が大好きだったそうです。
林家正雀師匠は、普段から高座で芝居噺を多く手がけていらっしゃいます。

衣装やカツラをつけ、白塗りもして、要所要所でミエをきって形を決める様子は、歌舞伎役者さながらです。
もちろん、噺家さんとしての観客サービスも忘れずに、途中で「なぞかけ」や役者の声色(こわいろ:物まねのこと)などを披露して楽しませてくださいました。
みなさんとてもよく稽古をされていて素晴らしい演技でしたが、なかでもとりわけ蝶花楼馬楽師匠は、役者顔負けといった感じの、味のある演技をされていました。
世之介師匠と菊春師匠による「声色」もとても楽しかったです。


鹿芝居のほかに獅子舞(これも噺家さんが舞っておられました)、寄席囃子の演奏、柳亭市馬師匠オンステージと、盛りだくさんの番組構成でした。市馬師匠の歌唱力には脱帽です。

あわただしい年の瀬、「笑い納め」でとても楽しいひとときを過ごすことができました。


2月11日~2月20日、国立演芸場でも鹿芝居が行われます。演目は歌舞伎でもおなじみの「文七元結(ぶんしちもっとい)」です。
お時間とご興味のある方は、ぜひ足を運んでみてください。


<おまけ>

しめ飾りの屋台

鈴本演芸場の近くに、お正月用のしめ飾りを売る屋台が出ていました。
東京や近郊の古い街では、鳶頭によって町内ごとにこしらえられた屋台でしめ飾りが売られます。



三遊亭円丈古典落語の会

2005年11月05日 | 落語
11月5日、横浜にぎわい座で三遊亭円丈師匠の「古典落語」の会が行われました。

円丈師匠は新作落語をメインにしておられるのですが、今回はめずらしく(?)古典落語を披露なさるというので、ぜひ聴いてみたいと思い行ってきました。
円丈師匠は、あの故・6代目三遊亭円生師匠のお弟子さんです。

会場に着くと、たくさんの人が来ていました。
幕が開くと、二ツ目の三遊亭ぬう生さんが出てきました。
二ツ目だけど今回は彼が前座をつとめるのかな、と思っていたら……あれれ?
座布団には座らず、前に立ってしゃべりはじめました。
そうです、この会の前座をつとめるのは彼ではないのです。では誰かというと……ズバリ円丈師匠その人です!

ぬう生さんの「前説」の後、前座の「円丈くん」の登場です。
ちゃんと前座さんっぽい着物を着て(前座さんは羽織を着ることが許されず、「やわらかもの」の着物も着られません)、「金明竹」を披露してくださいました。
「金明竹」は、江戸の人のところへ上方の商人がやって来て言付けをするのだけれど、上方言葉が通じないために勘違いが起きるという噺ですが、名古屋ご出身の円丈師匠はこれを名古屋弁にして演じます。
前座噺が終わったら、本物の前座さんのようにちゃんと自分で座布団と「めくり」を返していました(笑)。楽しいファンサービスでした。

その後、ぬう生さんの落語に続いて再び円丈師匠の登場、「茶の湯」という噺を披露してくださいました。
中入り(寄席では休憩時間のこと)の後、いよいよトリの円丈師匠の登場。トリでは、「小言幸兵衛」という噺を「キレやすい幸兵衛モード」(笑)で演じていました。

ふだんはあまり聴くことのない、円丈師匠の古典落語。
故・円生師匠のもとで修行をされていただけあって、さすがにきっちりとした落語でした。
そのなかに円丈師匠ならではのエッセンスがちりばめられ、より楽しめました。


柳家小三治独演会

2005年10月31日 | 落語
鈴本演芸場の余一会で柳家小三治師匠の独演会が行われたので、行ってきました。

寄席の定席興行は、毎月1日~10日、11日~20日、21日~30日の10日間ずつ行われます。
そのため、31日まである月は1日余ってしまいます。そこで、その日はさまざまな会が催されます。これを「余一会(よいちかい)」といいます。

鈴本演芸場の余一会では、年に2回柳家小三治師匠の独演会が行われます。
毎回発売と同時にチケットが売り切れる盛況ぶりで、すっかり恒例となっている会ですが、今回はいつもの独演会とひと味ちがっていました。

もちろん、チケットがすぐに売り切れるのはいつもどおりです。では、何がちがっていたのかというと……。
今回の独演会では、小三治師匠は落語をやらないのです。
落語をやらずに何をやるのかというと……、「コンサート」です。
落語をやらず歌を歌う独演会です。

小三治師匠の落語は定席でいつも聴いているので、独演会にはほとんど行ったことがありませんでした。
しかし今回は、定席ではおそらくあり得ないことなので、がんばって発売と同時にチケットをとりました。

当日。
鈴本演芸場へ入ると、高座にグランドピアノが置かれ、調律師の方が調律をしていました。寄席では、当然ながらまず見たことのない光景です。
高座にグランドピアノが置かれたのは、鈴本演芸場史上初めてだそうです(笑)。

鈴本演芸場の高座に置かれたピアノ

調律も済み、いよいよ開演の時間です。
今回は落語をやらないにもかかわらず、お囃子さんたちはちゃんと控えていて、出囃子を弾いていました。
出囃子の後、小三治師匠の登場です。さすがに着物ではなく洋服姿でした。
小三治師匠とともに高座へ出ていらっしゃったのは、ピアニストの岡田知子さん。岡田さんは、東京芸術大学を卒業後、ドイツのデトモルト音楽大学に留学し主席で卒業したそうです。
岡田さんのピアノ伴奏で、小三治師匠は童謡から流行歌、ミュージカル曲、外国民謡まで計13曲、アンコールも入れると計15曲を熱唱されました。

小三治師匠は、数年前から岡田さんに歌のレッスンをしていただいているそうで、発声もしっかりとしていてなかなか素晴らしい歌声でした。
岡田さんのピアノは、とても情感があってやわらかくて、小三治師匠の言う「まるでピアノが歌っているようだ」という表現が本当にぴったりでした。
岡田さんは、伴奏をなさる時でも必ず詩をきちんと理解したうえで、詩の世界を大切にしながら弾いていらっしゃるそうです。そんな岡田さんのピアノは、歌の世界をさらに広げてくれる感じでした。
高い技術をもったピアニストはもちろんたくさんいますが、本当の意味で心に響く演奏ができる人というのは、そう多くはいないと思います。とても高度な演奏をしているのになぜか聴いていて退屈するケースもあります。
しかし岡田さんの演奏は、存在感があるのだけれどとても自然で、そして聴き手の胸を打つものでした。

ピアニストとして素晴らしい感性と技術をお持ちの岡田さんですが、ご幼少の頃は三味線を習っておられたそうです。
意外なことと思えますが、私はそれを聞いて「なるほど」と思いました。邦楽の世界というのは、長唄にしても清元にしても義太夫にしても常磐津にしても端唄にしても、情感や詩の世界を非常に大切にするものです。その世界を知っているからこそ出せる音があるような気がしました。

私は、5歳から18歳までずっとピアノをやっていました。もちろん、ピアノのレッスンに付随して「コールユーブンゲン」を使った声楽レッスンもしていました。
両親の主義で、いろいろな習い事に手を出すことはせず、高校を卒業して実家を離れるまでとにかくピアノだけを習っていました。出かけるのもほとんどがクラシックコンサートで、邦楽の世界をまったく知らずにきました。
しかしその私が、今は三味線を習い、ご存じのとおりことあるごとに古典芸能鑑賞に出かけています(笑)。

邦楽の「ほ」の字も知らなかった私は、高校卒業の直前にふとしたことから能楽に興味を持ち(なぜ突然興味を持ったのかはまた別の機会に述べることとします)、大学生になって能のサークルに入り、謡と仕舞を習い始めました。
それまで知っていた世界とはまったく違った邦楽の世界にふれ、「こんな世界があったのか」と新鮮な感動をおぼえるとともに、「なぜ自分は今まで邦楽の世界を知らずにきてしまったのだろう」と思いました。
でもそれは決してそれまでの世界を否定するものではありません。邦楽の世界を知ったことによってクラシックの世界もよく見えるようになってきたのです。「邦楽の世界を知っていたら、これまでクラシックをもっと楽しめたかもしれない」と思いました。
それからは、能、オペラ、歌舞伎、人形浄瑠璃、落語など様々なものに興味をもてるようになりました。クラシックのコンサートも、昔よりずっと楽しんで聴けるようになりました。

それに面白いことに、昔はあまり得意ではなかった歌が、謡をやってからすっかり得意になったのです。
学生時代、ほぼ毎日謡の稽古をしていた私。初めはあの独特の声がなかなか出せず、細い声しか出ていませんでした。しかしある時、それまでノドのあたりにあったフタがとれたかのような感覚とともに、お腹から出した声がポーンと外に出て、それまでとはまったく違う声が出せるようになっていたのです。
すると、ほかの歌を歌ってもそれまでとはまったく違う声が出せるようになりました。
考えてみれば、声楽であろうが邦楽であろうが、お腹から声を出すことには変わりありません。それまでの私は、わかっているつもりでもそのことが実践できていなかったのでしょう。

ひとつのことをきちんとやるというのはとても大事なことだと思いますし、それを教えてくれた両親にも感謝しています。
でも、別の世界にふれてみて、「ひとつのことをやり遂げる」というのと「周りを見ないでやみくもにやる」というのとは違うことにも気づきました。後者の場合はともすると自己満足に陥りがちだし、それではある一定のラインを超えることはできないのだと思います。
ほかの世界に目を向け、いろいろなものを見聞してこそ、自分の見識や感性も高まり、それが糧になっていくのだと思います。
クラシックと邦楽、一見両極にある2つの世界を知った今なら、ピアノも昔とは違った気持ちで弾ける気がします(もう弾く機会はほとんどありませんが……)。



二世露の五郎兵衛襲名披露

2005年10月21日 | 落語
10月21日~23日、またまた大阪・京都へ行ってきました……。

今回の旅の第一の目的は、「露の五郎改め二世露の五郎兵衛襲名披露」の落語会へ行くことです。
露の五郎師匠は、上方落語協会の前会長であり、芝居噺から怪談噺、艶噺まで幅広いレパートリーを持つ、上方落語界の大御所。
その五郎師匠が、上方落語における大名跡「露の五郎兵衛」を襲名すると発表されてから約半年、その襲名披露落語会が大阪・ワッハ上方ホールで行われました。

初代の露の五郎兵衛は、「上方落語の祖」と言っても過言ではない人です。この人が行った辻説法が、上方落語に発展していったのだと言われています。
それほど大きな名前だった「露の五郎兵衛」ですが、初代(江戸時代)以来、その名跡を継ぐ人はいませんでした。
しかしこのたび、五郎師匠がその名前を初めて襲名することになったのです。
五郎師匠はこれまで、芸道の精進や上方落語の研究はもちろん、東京の寄席にも出演して上方落語の普及や東西交流を図るなど、大きな功績を残してこられました。
そんな五郎師匠が露の五郎兵衛を襲名するのは、自然の流れだったのかもしれません。

9月に「彦八まつり」を見に行った際、襲名披露落語会のことを知りました。東京でも開催される予定があるのかどうかを尋ねてみると、今のところその予定はないとのこと。これはもう、有休をとって大阪まで聴きに来るしかない!と思い、さっそくチケットを購入。あと少しで完売というところで、運良く購入することができました。

待ちに待った当日。
落語会は夕方からでしたが、朝の新幹線でいったん京都へ向かいました。ホテルに荷物を預けてから祇園の某喫茶店でひと休みしていると、お稽古帰りの舞妓さんが入ってきて、隣のテーブルに座りました。ちょっと得した気分でした。

その後、京阪電車に乗って大阪へ。
まだだいぶ時間があったので、「すし萬」や「自由軒」に寄った後、ワッハ上方へ向かいました。演芸資料館を見て時間をつぶしているうちに、ほどよい時刻になったのでホールへ行くと、開場前から多くの人が集まっていました。

場内満員のなか、いよいよ開演。
出演者は、五郎師匠門下から露の新治師匠、露の団四郎師匠、そしてゲストとして桂米朝師匠、桂春團治師匠という、豪華な顔ぶれです。
新治師匠、団四郎師匠、春團治師匠、米朝師匠の噺の後、中入り(休憩時間)。
4人ともとても楽しかったのですが、前日の夜1時間くらいしか寝ていなかったので、途中で眠くなってしまいました。「これはイカン!」と思い、中入りの間にブラックの缶コーヒーを一気飲み。それが効いたのか、中入り後はバッチリ覚醒していました(笑)。
中入り後、まずは「襲名披露口上」。春團治師匠、米朝師匠、そして新・露の五郎兵衛師匠が黒紋付に袴で居並ぶ様子は、圧巻でした。

口上の後、いよいよ二世露の五郎兵衛師匠の登場です。得意の「浮世床」を披露してくださいました。「浮世床」は江戸時代に式亭三馬によって作られた滑稽話ですが、現在でもよく演じられます。軽い噺のように聴こえるのですが、実は登場人物の演じ分けがなかなか難しい噺だと思います。五郎師匠改め二世五郎兵衛師匠は、細やかな人物描写で丁寧に演じていました。
米朝師匠も春團治師匠もそうですが、軽い噺を聴いていても飽きることがありません。きっと3人とも、噺の世界を大切にして丁寧に演じているのだろうなあ……と思います。

襲名を機に、また新たなことにチャレンジしていきたいと意欲を見せる五郎兵衛師匠。これからもご活躍を楽しみにしています。


<本日のキモノ>

無地紬に松の柄の織り名古屋帯

朝から着物を着て、新幹線に乗りました。
そのため、動きやすくシワになりにくいものがいいと思い、紬にしました。
襲名披露落語会に行くので、無地の結城紬に、松の柄の織り名古屋帯を合わせて、少しあらたまった感じにしました。
帯留は、紅葉です。黄色い部分がある紅葉なので、紅葉シーズンの直前から、紅葉が始まったばかりの頃までの間に向いています。


桂春團治一門会

2005年10月17日 | 落語
霞ヶ関のイイノホールで毎年開催されている「桂春團治一門会」へ、今年も出かけた。

春團治師匠の落語を東京でも聴きたいということから、10年前、桂春團治東京後援会の発足とともにスタートしたというこの会。
10年経った今では、リピーターも増えて毎年多くの観客が集まっている。
私は、この会へ足を運ぶようになってからかれこれ3、4年経つが、飽きることがないばかりか、年を追うごとにますます楽しみになっている。
今年は10周年記念ということで、特別企画が用意されていた。
地唄舞山村流の名取でもある春團治師匠が、落語の後で舞を披露してくださったのだ。しかも2曲!

春團治を襲名される以前は、高座で舞を披露されることも多かったそうだが、襲名以後は久しく舞っておられなかったのだそうだ。
今回、東京での一門会開催10周年で、観客になにかお礼をということで特別に披露してくださったのだ。
そんな貴重なものを見せていただけて、大感激だった。
高座での姿からもわかるように、とてもきれいな舞だった。「容貌(かたち)がいい」とは、春團治師匠のような人のことを言うのだろう。まさに「役者顔負け」といった感じだ。

ゲストの笑福亭鶴瓶師匠や、桂春之輔師匠をはじめとする春團治一門の師匠たちの噺もとても楽しく、充実した会だった。


追伸:
ちょうどこのころ行われていた「東京国際映画祭」で、春團治師匠が初めて主演される映画「そうかもしれない」が上映されたのだが、平日の昼間だったので観に行けなかった……。
上映会場は勤務先から目と鼻の先だったので、半日有休をとって観に行こうかと真剣に考えたのだが、仕事の都合がつかず断念。観たかったなあ……。
自主制作の映画なのか、今のところ劇場公開の予定がないらしいが、単館上映でもいいからやってくれないかなあ……。
「自らも口腔がんを患いながら、痴呆(認知症)の症状が出てしまった妻の介護をする夫」の役を春團治師匠が演じたそうだ。春團治師匠はこれまで、CM出演や脇役での映画出演はあったが、主演は今回が初めてとのこと。
映画のテーマも、今の日本で避けては通れないものだと思うし、どこかで上演の機会を作ってもらえるといいなあ、と思う。



落語協会新真打昇進披露

2005年10月16日 | 落語
落語協会ではこの秋、5人の新真打が誕生し、真打昇進披露興行が都内の各寄席で行われた。
それぞれ10日間の興行で、5人が交替で2日間ずつトリを務めた。
新真打は、三遊亭小田原丈改め三遊亭丈二師匠、三遊亭金太改め三遊亭金也師匠、橘家亀蔵改め橘家圓十郎師匠、五街道喜助改め桃月庵白酒師匠、林家すい平師匠。
東京の落語界では、二ツ目時代までは「さん」づけで呼ばれるが、真打になったら「師匠」という敬称がつく。

全員のぶんを見に行きたいのはやまやまだったが、さすがにスケジュールの都合がつかないので、小田原丈さん改め丈二師匠の興行を見に行った。
丈二師匠とは、毎年足を運んでいる「圓朝まつり」や今年9月に行った大阪の「彦八まつり」で会話をしたことがあり、親近感がわいていたからだ。

浅草演芸ホールでの披露目に行ったのだが、襲名披露でしかも日曜だったこともあり、場内は満員で立ち見も出ていた。
浅草の高座は鈴本に比べるとやや狭いのだが、それでも口上には丈二師匠を真ん中に左右二人ずつ幹部が並び、充実していた。
口上の最後には観客も一緒になって三本締めをするのが、落語の真打昇進披露や襲名披露のならい。全員で三本締めをしていると、不思議と一体感が出て「みんなで応援しよう」という気分になる。「手締め」は、日本の良い風習だなあ、とつくづく思う。これが「乾杯」だと、なかなかここまでにはならない。

丈二師匠は三遊亭円丈師匠のお弟子さんだが、師匠同様、新作落語の創作に意欲をそそいでいる。この日も得意の新作落語を披露していた。
古典落語を演じるのももちろん大変な努力が必要なのだと思うが、自分で噺を作っていくというのはさらに苦労が多いと思う。しかし、何十年、何百年経った時に自分の作った噺が語り継がれていたら、とても素晴らしいと思う。現代において「古典落語」とされている噺の多くも、最初は「新作」だったのだ。後世に残るような噺が、現代の新作落語のなかから出てくるといいなと思う。丈二師匠には、新作落語の担い手として、円丈師匠とともにぜひがんばってほしい。

丈二師匠をはじめ、落語協会新真打のみなさん、これからもがんばってください。



渋谷繁昌亭

2005年09月29日 | 落語
「大・大阪博覧会」の一貫としてセルリアンタワー東急ホテル・ボールルームで行われた落語会「渋谷繁昌亭」へ行きました。
会は盛況だったようで、広い会場に約900人の観客が集まっていました。

3日間計5回の公演には、桂春團治師匠、桂三枝師匠、林家染丸師匠、桂春之輔師匠、笑福亭鶴光師匠、笑福亭鶴瓶師匠など、上方落語界の重鎮が出演されました。
東京の落語界からも、春風亭小朝師匠や林家正蔵師匠などがゲスト出演しました。

私が行った回は、桂春團治師匠、林家染丸師匠、笑福亭鶴瓶師匠、桂小春團治師匠、笑福亭生喬が出演され、ゲストは春風亭小朝師匠でした。
小春團治師匠と小朝師匠は新作落語、鶴瓶師匠は「私落語」という新ジャンルの創作落語を披露され、春團治師匠、染丸師匠、生喬師匠は古典落語を演じました。
染丸師匠は、「はめもの」入りの正統派上方落語を演じておられました。「はめもの」というのは、噺に合わせて入るお囃子のことです。「はめもの」は、上方落語の特徴の一つです。

新作・古典を問わず、どの師匠の噺も、テンポの良い大阪弁と軽妙な語り口で、大いに楽しめました。客席も盛り上がっていました。

トリの林家染丸師匠の噺が終わると、すでに洋服に着替えた桂小春團治師匠が出てきました。小春團治師匠の口から、私にとってはとてもうれしいニュースが発表されました。
このニュースの内容については、こちらをごらんください。





小さんと文朝を偲ぶ会

2005年09月17日 | 落語
歌舞伎座を出た後、今度は国立演芸場へ。またもや「歌舞伎と落語のハシゴ」である。
今回の落語会は、故・柳家小さん師匠と故・桂文朝師匠を偲ぶ会。
生前の記録映像で故人を偲ぶとともに、故人と縁のあった桂南喬師匠と柳家三語楼師匠が落語を披露するという構成。

故人の記録映像は、ともに国立演芸場で収録されたもので、文朝師匠は「明烏(あけがらす)」、小さん師匠は「禁酒番屋」。
文朝師匠の映像は、まだ師匠が若いころのものだったので、良くも悪くも勢いがある感じだ。願わくは晩年の、軽妙さのなかにもどっしりと落ち着いた風情のある芸が見たかった。
小さん師匠の映像は、まさに師匠の「最盛期」のものであり、ビデオ映像であるにもかかわらず聴き入ってしまう至芸だった。

南喬師匠と三語楼師匠は、それぞれ故人との思い出を語り、「百川(ももかわ)」「粗忽長屋(そこつながや)」を披露してくださった。
三語楼師匠は、来年の秋、六代目柳家小さんを襲名する。

楽しい会だったが、歌舞伎座とのかけもちの疲れが出たのか、はたまた、深夜残業続きで連日3時間睡眠の疲れが出たのか、途中、ついウトウトしてしまった……。
これからは、できるだけ「かけもち」は控えよう……。