本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

終い天神&河道屋養老

2005年12月25日 | 京都
京都旅行3日目。

25日なので、天神さんのご縁日です。しかも12月なので、一年の締めくくりとなる「終い天神(しまいてんじん)」の日です。
これはもう、天神さんに行くしかない!ということで、北野天満宮へ行ってきました。

バス停を下りると、人、人、人……。終い天神だけあって、たくさんの人が訪れていました。
また、この日はちょうど高校駅伝の日だったので、その見物・応援の人もたくさん出ていたようです。

北野天満宮の参道には、たくさんの露店が並んでいました。お正月用品のお店も出ていました。
境内に入ると、本殿の前にはお参りの人で長蛇の列ができていました。

終い天神の日の北野天満宮本殿前
↑終い天神の日の北野天満宮。本殿前には長蛇の列が。


この時期、北野天満宮ではお正月用の縁起物が売られます。
その一つが「大福梅」です。
北野天満宮の梅林でとれた梅の実をからからに干したもので、これを元日の早朝、お茶やお湯に入れて飲むと無病息災と言われています。
そのほか、元日から小正月くらいまの間に使う「祝い箸」、家の玄関にかける「守護縄」、お屠蘇など、お正月ならではの品が売られていました。

北野天満宮で売られる正月用の縁起物
↑北野天満宮で売られる正月用の縁起物


北野天満宮を出た後、聖護院の近くにあるおそば屋さん、河道屋養老へ行きました。
以前このブログでも紹介させていただいた木下明美さんと、2度目のオフ会です。
河道屋養老の名物「養老鍋」を二人でいただきました。
お出汁がとても上品で、京野菜もたっぷり入っていて、かしわ(鳥肉)も柔らかくて脂が乗っていて、とてもおいしかったです。
河道屋養老さんは、門構えも建物もお庭もとても風情があって、本当に素敵なお店でした。
聖護院のあたりの閑静な雰囲気ともあいまって、ゆったりとした冬の午後が過ごせました。
木下さんも南座の顔見世をごらんになったとのことで、お芝居の話でも盛り上がり、とても楽しいひとときでした。

木下さんは、後にお孫さんたちとのクリスマス会を控えておられるとのことで、クリスマスを意識した色合わせの素敵なお着物姿でした。
木下さんのブログ「京都で、着物暮らし」でもこの日のことを紹介してくださっていますので、ぜひごらんください。


オフ会がお開きになった後、六波羅蜜寺へ行ってみました。
六波羅蜜寺では、毎年12月13日から30日までの間、「かくれ念仏」と呼ばれる念仏踊りが行われます。
「かくれ念仏」は、念仏が弾圧されていたころの名残だそうで、一見、念仏とはわからない「モーダー、ナンマイドー」の声とともに、僧侶が踊りながら念仏を唱えます。
法要が終わった後、参拝者は志を納めて内陣参拝をすることができます。
内陣参拝をした人には、厄除のお守り札が授与されます。私もお札をいただき、お財布に入れて持ち歩いています。

六波羅蜜寺の近くに「幽霊飴本舗」という飴屋さんがあります。
子どもを産んで亡くなった母親が、乳を欲しがって泣く子どものために幽霊となって毎晩飴を買いに来た、という説話に出てくる、由緒あるお店です。
素朴な感じでとてもおいしい飴です。


六波羅蜜寺を後にして、先斗町の洋食屋さんで夕食をとった後、木屋町の喫茶店「フランソア」でお茶を飲みました。「フランソア」のショートケーキは、生クリームがふんわりとなめらかで、とてもおいしかったです。

わずか3日間でしたが、もっといたような気分になるくらい、充実して楽しかったです。
今年は京都へ行く機会が多かったですが、そんな一年の締めくくりにふさわしい、良い旅ができました。


<本日のキモノ>

紺の鮫小紋に星梅鉢の帯

前日と同じ、紺の鮫小紋に星梅鉢の帯です。
終い天神の日だったので、梅鉢の帯はちょうどよかったです。天神さんのご紋も星梅鉢だからです。
坂田藤十郎襲名披露興行に、終い天神に、この帯が大活躍した3日間でした。



おにぎり菓子

2005年10月23日 | 京都
祇園・一力茶屋の近くに「與市兵衛(よいちべえ)」というお店があります。
一見、お土産物屋さんのように見えるのですが、このお店はもともとお菓子屋さんだったのです。
どんなお菓子を売っているのかというと……「おにぎり菓子」です。
箱の中におにぎりと玉子焼をかたどったお菓子が並んでいて、見た目はまるで本物のお弁当のようなのですが、れっきとしたお菓子なのです。

與市兵衛のおにぎり菓子(外箱)

與市兵衛のおにぎり菓子(中身)

おにぎりは「おはぎ」のような感じのお菓子です。中のあんこももちろん自家製なので、甘さを抑えた軽い仕上がりです。
玉子焼は、卵黄と卵白をそれぞれふんわりと泡立てて、表面を軽く焼いているのです。まるで本物の「甘い玉子焼」みたいです。

この「おにぎり菓子」の由来は、店名からもわかるとおり「忠臣蔵」です。
芝居「仮名手本忠臣蔵」のなかでもとりわけ有名な七段目「一力茶屋の場」で登場する遊女・おかる。彼女は、夫・早野勘平の忠義心を支えるために祇園へ身を売ってきたのです。

五段目に登場するおかるの父親・与市兵衛は、身売りする直前の娘が心を込めて作ってくれた弁当を持って出かけます。しかしその道中で与市兵衛は殺されてしまうのです。
娘の心尽くしの弁当を食べないうちに命果ててしまった与市兵衛への手向けに、一力茶屋の近くでおにぎり形の菓子を売ったのが始まりで、それ以来祇園の名物となったそうです。

しかし、観光客向けの和菓子がたくさん登場してしまったからなのか、作るのに大変手間がかかるからなのか、今では限られた時期にわずかな数しか作られていません。
保存料なども使われていないので、あたたかい季節や夏場は作られません。9月に京都へ行った時にもお店でおにぎり菓子のことを聞いてみましたが、残暑が厳しかったためまだ作られてはいませんでした。

今回、さすがに10月も下旬なので作っているだろうと思い、行ってみました。日持ちがしないので、もちろん旅行の最終日にです。
売り切れてないかなあ……とドキドキしながら行ってみると、幸い、まだありました。
1つは、その後のプチ・オフ会でお会いする木下さんへのご挨拶がわりに、もう1つは自分のお土産用に買いました。
すると、何とちょうどその2つを包んでいただいたところで、玉子焼のお菓子がおしまいになったとのこと。ギリギリセーフでした。本当にラッキーです。
まだお昼をちょっと過ぎたくらいの時間だったのに、もう売り切れてしまうとは……まさに「幻のお菓子」です。

このお菓子は京都の方の間でも今はほとんど知られていないそうで、めずらしいと喜んでいただけたのでうれしかったです。

祇園の「與市兵衛」さんには、この丹誠込められた素晴らしいお菓子を、これからもぜひがんばって作り続けていただきたいなあ……と思います。



プチ・オフ会

2005年10月23日 | 京都
京阪旅行3日目。
この日はお昼ごろまで雨が降っていたので、チェックアウトぎりぎりまでホテルにいました。

駅に荷物を置いた後、また祇園に戻ってきてゆっくりと過ごしてから、高島屋へ。
このブログで以前ホームページのことを紹介させていただいた木下明美さんと、初めてオフでお会いすることになったのです。
高島屋で待ち合わせをした後、木屋町にある「フランソワ」という喫茶店に案内してくださいました。
「フランソワ」は、前を通るたびにいつも興味を引かれていたお店だったので、連れて行っていただけて本当にうれしかったです。
レトロな内装の店内は、上品でありながらも堅苦しくなく、ゆったりと落ち着いた雰囲気です。
私は、浅草の「アンヂェラス」という喫茶店が好きでよく行くのですが、どことなくアンヂェラスを思い出させてくれる感じで、とてもリラックスできました。

ホームページを拝見してもわかるとおり、木下明美さんは海外在住のご経験もあり、多方面で活躍しておられます。
様々なことに造詣が深く、お話もとても楽しくて、勉強になることばかりでした。

木下さんのホームページでは、着物でのお出かけやお仕事のことも紹介しておられますが、いつも素敵な「大人の着こなし」という感じです。
京都にお住まいですが、江戸風の着物もお好きとのことで、銀座の着物店の話でも大いに盛り上がりました。

インターネットを通じて幅広い世代の方と知り合い、いろいろなお話をうかがえるのは、とても素晴らしいことだと思います。
「袖すりあうも他生の縁」といいますが、インターネットの普及によって「袖をすりあう」チャンスが増えていくのは、本当にうれしいです。

木下明美さんのホームページに掲載されているブログ「京都で、着物暮らし」で、この日のことを記事にしてくださっています。ぜひごらんください。

木下さんは、淡交社から発売中の雑誌「なごみ別冊 京都で、きもの」で、「かづら清」の女将さんと対談をされています。
お二人ともとても素敵なお着物で、対談の内容も、着物初心者の方から着物通の方まで楽しめる感じです。特に、着物を着始めてまもない若い方には、ぜひ読んでいただきたいなと思います。

「なごみ別冊 京都で、きもの」では、京好みの着こなしや着物、小物が、豊富な写真と丁寧な文章で紹介されています。
私がかつて歌舞伎座で「いいなあ」と思って憧れ、目標にしたような素敵な着こなしが、たくさん紹介されています。自分にとってはまだ高嶺の花でも、良い物を目で見て覚えておくことは、きっと自分の着こなしに役立つのではないかと思います。



鞍馬の火祭

2005年10月22日 | 京都
時代祭を見終わったら、遅い昼食をとって、すぐに次の目的地への移動を開始しました。
目的地は鞍馬。10月22日は、時代祭のほかに鞍馬の火祭が行われる日でもあるのです。

叡山電鉄の出町柳駅に着くと、長蛇の列ができていました。ホームの前から始まった列は、駅構内をずーっと続いて、さらに階段を下りて地下道に入り、京阪電車の改札の前を通って、反対側の階段を上がったところまで、延々と続いていました。
並んで待つこと約2時間。やっと電車に乗れたのはいいのですが……。

叡山電鉄の電車は2両編成。当然、定員も多いとは言えません。
しかし、長蛇の列ができている出町柳駅では、できるだけ人をたくさん乗せたいのか、始発なのにほぼ満員に近い状態で出発しました。
しかし、鞍馬までの途中駅には、宝ヶ池や修学院など、観光客が乗降する駅がいくつもあります。
途中駅から乗ってくる人も結構いそうなのに、始発駅からこんなに乗っていて大丈夫なのかなあ……と心配していました。

扉の周辺は混み合うので、奥に入って車両のいちばん端の部分に立っていたのですが、最初は自分の周りに少しスペースがありました。
しかし、途中駅に着くごとに人が増え、自分の周りにあったすき間はどんどんなくなっていき、さらにどんどんすし詰めになっていきます。
座っている人もギュウギュウ押されるくらいの混みようです。もはや座っているメリットがないほどです。

そんなに混んでいるのに、それでもなお、駅に着くと駅員さんが乗客を押して詰め込むのです。
あまりの混みように途中で気分が悪くなって降りた人もいました。
終点の1つ手前の貴船口駅で人が詰め込まれた時、車内はすでに飽和状態になっていました。あちこちで「痛い!」という声が上がりました。泣き出した子どももいました。「これ以上は無理やのに、何でまだ押し込むんや! どっかに子どもも乗ってるんやで、子どもが死んだらどないするんや!」と駅員に怒鳴るおじさんもいました。まったくもって同感です。

私は車両の端に立っていたので、自分の隣は壁です。つまり、圧迫される一方で、これ以上力の逃げ場がないのです。
しかも、登り坂なので余計に重力がかかります。ほかの乗客の重力を「みぞおち」で受けている感じで、苦しくて脂汗が出てきました。
気分が悪いのを通り越して、気が遠のいてしまいそうな感じでした。「やばい、圧死するかも……」
満員電車には東京で何度も乗っていますが、生命の危機を感じたのはこれが初めてです。

とにかく、これ以上みぞおちを圧迫されたら本当にやばいことになると思ったので、息を深く吸って止め、内側からみぞおちを支えました。ろっ骨が折れたらどうしようかとも思いましたが、命には代えられません。もはや声も出せない状況のなか、「あとちょっと……」と思いながら必死で耐えました。
やっと終点の鞍馬駅に着き、悪夢のような状況から解放されました。かえすがえすも、丈夫な体に産んでくれた親に感謝です。体の弱い人だったら、とてももちこたえられなかったかもしれません。

今年は祭り当日が土曜日にあたったので、例年にない混みようだったようです。
しかも、交通規制されていて、車は貴船口のところまでしか行けないので、観光バスで来た団体の人たちもみんな叡山電鉄に乗るのです。混むのも無理はない話です。
観光会社も、バスツアーを主催するならもっと責任を持ってもらいたいものです。貴船口までバスに乗せて行って、そこから一駅歩いてもらうという方法もとれないことはないはずです。
叡山電鉄にも、始発駅でもっときちんと乗客整理を行うなど、もっとしっかりと運行管理をしてもらいたいものです。何か事故があってからでは遅いのです。


話を元に戻して……。
鞍馬の火祭は、鞍馬の「由岐神社(ゆきじんじゃ)」のお祭りです。
各町内の人々が松明を運び、由岐神社に集合します。そして、そのたくさんの松明のなかを、お神輿が運ばれていくのです。
その様子は神社の前にいないと見られないのですが、神社の前には早くから人が集まっていて、私が着いたころにはもう近寄れなくなっていました。

仕方ないので、神社よりも手前の通りで待ち、各町内から松明が運ばれていくのを見物することにしました。
暗くなると家々の前でかがり火がたかれ、松明を持った人たちが次々と神社へ向かっていきます。
いちばんの見どころは、大人が数人がかりで担ぐ大松明です。火のついた大松明がすぐ近くを通り過ぎていく様子は、とても迫力がありました。

鞍馬の火祭・松明の行列
↑松明の行列

鞍馬の火祭・大松明
↑大松明

鞍馬の火祭・子ども松明
↑子どもも、一生懸命に松明を運んでいました。


松明が神社まで運ばれた後、お神輿が神社から出されて各町内を渡御し、お旅所へ着きます。

鞍馬の火祭・お旅所
↑お旅所

お神輿がお旅所に着くのを待っていると叡山電鉄の最終電車に間に合わなくなってしまうので、最後まで見るのはあきらめて、戻ることにしました。
お旅所の近くの家の前には、甲冑(かっちゅう)や屏風が飾られていました。

家々の前に飾られた甲冑や屏風

お旅所の近くで、由岐神社の火難よけのお札が売られていたので、さっそく買ってみました。おつりは細かな額だったのでお供えにしてくださいとお願いしたら、丁重な御礼の言葉とともに自家製の甘酒をふるまってくださいました。とてもおいしくて、冷えていた体が芯からあたたまりました。

「京都の三大奇祭」の一つに数えられる、鞍馬の火祭。遠くにいるとなかなか見られないので、今回、少しですが見られてよかったです。
余談ですが、この日は着物ではなく洋服で出かけて正解でした。火の粉や灰をかぶってしまううえ、煙のにおいもしみついてしまうからです。
一人、着物を着ている人を見かけたのですが(木綿の普段着ではなく絹のお出かけ着で、羽織も着ていた……)、大丈夫だったのかしらとちょっと心配です。



時代祭

2005年10月22日 | 京都
京阪旅行2日目。まずは、時代祭を見学しました。

葵祭と祇園祭はこれまでにも見たことがありましたが、時代祭はまだ見たことがありませんでした。今回、ちょうど前日に大阪へ行くことになったため、せっかくなので見物することにしたのです。
葵祭や祇園祭に比べて有料観覧席もとりやすかったので、行列の出発点である京都御苑の観覧席をとりました。

正午に行列が出発。
京都の時代祭行列は、明治から順に時代をさかのぼっていくのが特徴です。
時代祭の旗を先頭に、まずは明治維新の頃の時代風俗を模した行列がやってきました。
尊王攘夷を唱えた7人の公家が、長州へ身を寄せるために都落ちする「七卿落ち」や、衣冠束帯姿の近衛忠熙(このえただひろ)など、勤王派の公家にスポットが当てられていました。

時代祭行列・七卿落ち
↑七卿落ち

時代祭行列・近衛忠熙
↑近衛忠熙


続いて江戸時代。徳川城使の行列や、皇女和宮、吉野太夫など江戸時代の女性たちが続々と登場しました。

時代祭行列・和宮
↑和宮

時代祭行列・吉野太夫
↑吉野太夫


安土桃山時代の織田信長や豊臣秀吉の行列、「吉野時代」(いわゆる南北朝時代のことを指すようです)の楠木正成の行列などに続いて、中世の女性の行列が来ました。
淀君や静御前など歴史上の人物のほか、大原女(おはらめ)や桂女(かつらめ)といった庶民の姿も織り込まれていました。
淀君や静御前の役は、祇園東の芸妓さんが務めていました。毎年、各花街が交代で担当するそうです。

時代祭行列・淀君
↑淀君

時代祭行列・静御前
↑静御前

時代祭行列・大原女
↑大原女

時代祭行列・桂女
↑桂女


鎌倉時代の流鏑馬(やぶさめ)の行列の後は、平安時代。
平安時代の女性たちの行列は、さすがに華やかでした。
馬に乗った凛々しい巴御前、牛若・乙若・今若を連れた常磐御前、平安時代の女官装束姿で輿に乗った清少納言と紫式部のほか、紀貫之の娘、小野小町などが続々と登場して、あでやかでした。
これらの役は、祇園甲部の芸妓さんたちが務めていました。これも毎年各花街が交代で演じるそうです。

時代祭行列・巴御前
↑巴御前

時代祭行列・清少納言と紫式部
↑清少納言と紫式部

時代祭行列・紀貫之の娘
↑紀貫之の娘


平安時代初期の女性や文官・武官の行列が続いた後、締めくくりは平安神宮の御神幸の列です。
きらびやかな鳳輦(ほうれん)が、鬱金(うこん)色の装束に身を固めた人たちによって厳かに担がれていました。

時代祭行列・御神幸
↑御神幸の鳳輦

行列がすべて通り過ぎたころにはもう午後2時を回っていました。途中、ポツポツと小雨が落ちてきたこともあったのですが、それもすぐにやみ、行列が通り過ぎるまでお天気がもったのでよかったです。


<おまけ>九条家遺構・拾翠亭

京都御苑の一画にある「拾翠亭」が特別公開されていたので、時代祭が始まる前に見学しました。

拾翠亭
↑拾翠亭

書院造の建物で、内部は細かなところに凝った作りが見られ、なかなかのものでした。

拾翠亭内部

中から庭園の池を眺めると、不思議と気分が落ち着く感じでした。

拾翠亭から池を眺める

外には東屋(あずまや)もあり、これも細部に凝って作られていました。

東屋
↑東屋



秋の京都~温習会

2005年10月03日 | 京都
祇園甲部の芸妓さん・舞妓さんたちによる舞の会「温習会」を見に行きました。
祇園甲部では、井上流の京舞を舞うことが決まりとなっています。
昔はいろいろな流派の舞が舞われていたのですが、「都をどり」が始まる時、祇園甲部では井上流の京舞のみと定められたのだそうです。

井上流の京舞は能楽の流れを汲んでおり、曲目の中にも能を題材にしたものが多くあります。
舞う時も表情を作らず、能面のようにして舞います。能の「仕舞」と似ています。
ただ、能とちがい花街の舞なので、格調高さの中にもどこか艶やかな感じがあり、曲目もバラエティーに富んでいます。

祇園甲部では、毎年4月に「都をどり」が行われますが、都をどりがどちらかというと観光用のイベント的要素が強いのに対して、温習会は、日ごろの研鑽の成果を発表する会といった意味合いが強いようです。そのため公演時間も「都をどり」に比べて長く、演目も多岐に渡っています。舞や邦楽が好きな人にとっては見どころの多い会と言えるでしょう。

都をどりは何度か見に行ったことがありますが、温習会は今回が初めてです。客席にはお茶屋さんの常連さんも多いと聞いていたので、ちょっと緊張しながら、祇園の歌舞練場へ向かいました。

温習会は10月1日から6日まで行われますが、その間、花見小路は「温習会モード」になります。
花見小路の入口には、温習会の看板が掲げられます。

花見小路入口の温習会看板

通りの両脇には温習会の行灯が立てられています。

温習会の行灯

お店の軒先には温習会の提灯が下げられています(冒頭写真)。

少し早めに祇園に着いて花見小路を歩いていると、温習会へ向かう舞妓さんを見かけました。

黒紋付を着て温習会へ向かう舞妓さん

温習会に出演する時には、舞妓さんは正装の黒紋付を着ます。
夏の正装は絽の黒紋付ですが、今は夏ではないので、お正月に着る黒紋付と同じ、裾に綿が入った着物を2枚重ねた「2つぶき」になります。
正装の時の帯は、金糸をふんだんに使った錦の丸帯で、帯締めや帯留めは使いません。
裾に綿が入った2枚重ねの着物、錦の丸帯を合わせると、10kgくらいの重さになるそうです。これを着て舞を舞うのですから、舞妓さんには体力も必要なのです。

会場へ向かう時から温習会の雰囲気を満喫し、歌舞練場へ到着。
座席は、何と最前列です。舞妓さんや芸妓さんの舞を近くで見られるのはうれしいのですが、さすがにこちらも緊張します。

最初に、舞妓さんたちによる舞が披露されました。黒紋付の舞妓さんたちがずらりと並ぶ様子は圧巻でした。
前日の夜お座敷に来てくださった舞妓さんも出演していました。どの舞妓さんも一生懸命に堂々と舞っていましたが、そのなかでもとりわけ堂々として見えました。

その後は、芸妓さんたちによる舞がいろいろと披露されます。
京舞井上流の伝統的な舞から、長唄舞踊の「娘道成寺」や「元禄花見踊」を京舞にアレンジしたものまで、演目は多岐に渡っていました。

約2時間半の公演で、なかなか見応えがありました。
欲を言えば、井上流京舞の伝統的な曲をもっと多くしてもらいたいなあ……と思いました。
長唄や常磐津の舞踊をアレンジしたものが多くなってしまうと、「都をどりの長いバージョン」という感じで、ちょっと残念な気がします。
せっかくの会なのですから、井上流ならではの舞をもっとたくさん見たかったな、と思いました。


客席には、舞妓さんや芸妓さんのほか、お茶屋や置屋の女将さんらしき人もたくさんいらっしゃいました。舞台を見ても客席を見ても「目の保養」という感じでした。
休憩時間になると、出番を終えた舞妓さんや芸妓さんが客席に来て、顔見知りのお客さんに挨拶をしていました。
前日の夜にお会いした舞妓さんが、黒紋付のまま、私たちのところへも挨拶に来てくれました。「おねえさん、おおきに」と言われると、面はゆいですがうれしいものです。
舞妓さんは高校生くらいの年齢なのに、みなさんしっかりしていて感心することしきりです。

温習会の終演後も普通にお座敷があるので、舞妓さんや芸妓さんは大変です。本当にえらいなあ……と思います。


<本日のキモノ>

縞の小紋にエンジ色のちりめん染め帯 ちりめん染め帯のお太鼓部分

旅行で歩き回るので、軽くて汚れが目立たない着物にしました。写真だとわかりにくいですが、白地に黒の細かい子持ち縞の小紋です。

あまりふだん着っぽくならないよう、帯や帯揚げ、帯締めをはんなりとした雰囲気のものにして、よそゆき感を出してみました。
帯は、エンジ色のちりめん地に、丸窓とお茶屋さんが描かれているものです。お茶屋さんの入口にある提灯が、祇園の「つなぎ団子」と同じ柄になっています。

江戸風の縞の着物に、京都をイメージさせる帯。対照的な組み合わせですが、合わせてみると意外にしっくりするので不思議です。

帯揚げと帯締めは、白地に赤が入ったものです。
草履は黒で、鼻緒に赤が入っています。



秋の京都~祇園の夜

2005年10月02日 | 京都
南座でお芝居を観た後、いったんホテルに戻ってから、夕食をとりにまた祇園へ繰り出しました。

向かったお店は「おでん処 なかぎし」さん。
お茶屋さんの息子さんがやっておられるお店で、舞妓さんを呼ぶこともできます。通常のお茶屋さんと異なり、一見さんでもOKで、舞妓さんとのおしゃべりや京舞の観賞をリーズナブルに楽しめます。そのため、若いお客さんも多く利用しているようです。
これまでにも何度かお邪魔させていただいたことがあるのですが、ご主人と奥様が2人で切り盛りしておられて、アットホームな雰囲気がうれしいお店です。

お客さんからの希望に応じて温習会のチケットも手配してくださるというので、今年はお願いしてみました。さっそく手配していただけて、とても助かりました。
チケットを頼むだけでは申し訳ないので、チケットを受け取りがてら、前日の夜のお座敷をお願いしておいたのです。
舞妓さんは、こちらで希望した方に来てもらうことができました。9月に京都へ行った時、花見小路でばったり会って手を振ってくれた舞妓さんです。

まだ出たてさん(舞妓さんになりたての人)だった頃からこれまで、何度か会ったことがあるのですが、早いもので舞妓さんになってからもう3年半が経つそうです。今ではすっかりお姉さんの貫禄です。
小柄でかわいらしく、話も上手です。それだけでももちろん良いことなのですが、何よりも舞が上手なことが、個人的にはとても気に入っています。
普通は、中学を卒業してから置屋さんに入り、仕込みさん(見習い)の期間中に舞のお稽古を始めて、一年くらい経ってから舞妓さんになります。しかしこの舞妓さんは、中学生の時にはすでに井上流の京舞を習い、中学卒業とほぼ同時に舞妓さんになったというだけあって、舞の基礎がしっかりとできている感じです。
おしゃべりをしている間はとても楽しい雰囲気なのですが、舞を舞う時には真剣そのものという感じで、しっかりとした舞を披露してくれます。
この日は「六段くずし」という舞を披露してくださいました。
翌日の温習会にも出演されるので、あとはそれを楽しみにすることにして、一時間ほどの楽しいお座敷はお開きになりました。

舞妓さんの着物
↑舞妓さんの着物。正装は黒紋付ですが、普段のお座敷では、紋の入っていない絵羽模様の着物や、小紋柄の着物を着ています。子どもの着物のように「肩上げ」と「袖上げ」がされているのが、舞妓さんの着物の大きな特徴です。昔は小学生くらいの年齢の子どもが舞妓さんになっていたので、その名残なのです。

舞妓さんの菊のかんざし
↑舞妓さんのかんざし。10月は菊のかんざしです。月によって差すかんざしが決まっているなど細かな決まりがあるのですが、決められたルールのなかで自分らしさを出せるよう、人と違ったデザインのものを特別に注文する人も少なくないようです。このかんざしも、ほかではなかなか見ないデザインです。花びらの一本一本が本物の菊のように細かく作られていて、とても素敵です。

秋の京都~かしまし娘結成50周年記念公演in南座

2005年10月02日 | 京都
舞妓花の席がおひらきになった後、「大原女家」で軽く腹ごしらえをし、南座へ向かいました。
ちょうど「かしまし娘結成50周年記念公演」が行われているのを知ったので、当日券を購入し観て行くことにしたのです。

旅先なので、3等席(3階席)でガマンしました。南座で3階席に座るのは初めてだったのですが、花道の七三も見えたので、遜色はありませんでした。
花道の七三は、お芝居の中でも大きなポイントとなる所作が行われる場所です。歌舞伎座だと、3階席からは花道がほとんど見えないのですが、建て替えの際にはもう少し工夫していただきたいです。


「♪うちら陽気なかしまし娘~」というテーマソングで一世を風靡した「かしまし娘」は、正司歌江・照枝(結成当時は照江)・花江師匠の三姉妹による漫才トリオ。
現在は漫才から離れてそれぞれお芝居などで活躍されていますが、テレビや舞台で三姉妹がそろうことも多く、そのたびに、姉妹ならではの息の合った楽しい話を披露してくださっています。
ちなみに、次女の照枝師匠のお嫁さんは、磯野貴理子さんです。2人がテレビで共演すると「嫁姑の確執」的なネタでその場を盛り上げていますが、嫁姑で飲みに行くこともあるそうで、歌江師匠と花江師匠の話からも仲の良い嫁姑像が見え隠れしていました。

今回の公演もお芝居でしたが、かしまし娘結成50周年記念公演とあって、あの「♪うちら陽気なかしまし娘~」のフレーズも聴かせてくれる、ファンの期待を裏切らない公演です。
また、お芝居の所々に、まるで3人の漫才を見ているかのような掛け合いの場面が織りまぜられていました。歌や踊り、浪曲歌謡などの芸も数多く披露されました。

笑いあり、涙ありの、とても楽しいお芝居でした。観ると元気の出るお芝居です。
「老いること」をテーマにしていますが、ご年配の方だけでなく、若い人も元気づけられるようなお芝居です。
これからの日本で避けては通れない重要なテーマを、わかりやすく、楽しく、しかし丁寧に描いていました。
すでに第二の人生を送っておられる方、これから第二の人生を迎える方、老後を迎えた(あるいはいずれ迎える)親を持つ子どもやお嫁さん、それぞれに得るものがあったと思います。

カーテンコールも漫才仕立てになっていて、最後まで大いに楽しめました。
客席も大いに盛り上がり、休憩時間や終演後に、あちらこちらで「おもろかったなぁ~」という声が聞こえてきました。

旅先で運良く出会った素晴らしいお芝居のおかげで、旅が一層楽しいものになりました。
この公演、東京でもやってくれるといいのになあ……。


秋の京都~祇園で一服

2005年10月02日 | 京都
10月2日、3日と、京都へ行ってきました。
今回の旅の目的は、祇園甲部の芸妓・舞妓さんたちによる舞の会「温習会」。
温習会は毎年10月1日から6日まで行われるのですが、春の「都をどり」と違って、舞の発表会的な要素が強くなります。温習会のチケットは一般にはあまり多く出回らないのですが、時々お邪魔させていただくお店のご主人が、手配してくださいました。

3日の公演のチケットをとっていたのですが、せっかくなので前日から京都入りすることに。
新幹線の「早割」を利用すると、割引になってお得です。
朝8時過ぎの「ひかり」に乗って、11時ちょっと前に京都へ到着。
京都駅からホテルへの荷物搬送サービスを利用し、身軽に、かつ時間を有効利用することにしました。荷物1つにつき750円で、駅から宿泊ホテルまで荷物を送ってくれるのです。コインロッカー代やホテルまでの交通費、時間などを考えると、決して高くはないと思います。

荷物を預け、京都駅の観光案内所やバスの案内所へ行って必要なものを入手した後、さっそくバスで祇園へ向かいました。
市バス専用の一日乗車券が500円で販売されているのですが、これを使うととてもお得です。嵐山や嵯峨野のほうへ行くには別料金が必要ですが、市内中心部を回るには十分です。
そのほか、市バスと地下鉄で使える一日乗車券・二日乗車券もあります。目的や滞在期間によって使い分けるとよいと思います。

四条河原町でバスを降りて、祇園方面に向かって歩きました。
南座に掲げられている、坂田藤十郎襲名披露興行のカウントダウン看板も、少しずつ日数が減ってきています。

坂田藤十郎襲名披露興行のカウントダウン看板

南座の前まで来ると、「かしまし娘結成50周年記念公演」の看板が……。
10月1日から10月10日までの公演の真っ最中でした。
思わず足をとめて看板を見た私は「観たいなあ……」としばし思案。
この日の旅行スケジュールと照らし合わせてみると、ちょうど、4時からの夜の部を観る余裕があります。
幸い当日券もあったので、さっそく3等席のチケットを購入。旅先でふらりと芝居見物というのも、なかなかオツなものです。

祇園のおそば屋さんでお昼を食べ、本屋さんで雑誌などを探した後、予約しておいた「舞妓花の席」へ向かいました。
「舞妓花の席」は、「丸梅」さんというお店を使って土日と祝日に開かれているのですが、小一時間ほど舞妓さんと話をしながら、お抹茶とお菓子をいただけます。もちろん一見さんOKです。舞妓さんの京舞も見られます。

まだ本格的な観光シーズンではないせいか、この日は私を含めて3人のお客さんだったので、比較的ゆっくり舞妓さんと話ができました。お客さん同士も面識がなかったのですが、舞妓さんを交えていろいろと話をしているうちに、すっかりうちとけて和やかムードでした。
この日来てくださった方は、舞妓さんになって4年目という、お姉さん舞妓さん(年長の舞妓さんのこと)です。お姉さんだけあって、とても落ち着いた雰囲気の方でした。スリムで現代的な美人です。
この舞妓さんが着ていた着物は、「無双(むそう)」という、とてもぜいたくな着物です。
単(ひとえ)の着物の上に紗などの薄物の生地を重ねて仕立てたもので、袷から単、単から袷に変わる時の、わずか一週間ほどの期間しか着られません。5月の下旬か、10月の上旬しか着られないのです。
紗や絽を2枚重ね合わせた「紗合わせ」という着物も同様ですが、「無双」は「紗合わせ」と違って、下の着物の柄がかすかに透けて見えます。これが何とも言えずおしゃれです。
お姉さん舞妓さんなので、衿は白になっています。舞妓さんの白衿は、塩瀬の衿ではなく、白の糸でびっしりと刺繍がされた豪華なものです。

舞妓さんの無双の着物
↑舞妓さんが着ていた「無双」の着物。表の着物は紗、裏の着物は単になっていて、表の紗がモワレになって見えます。写真だとわかりにくいですが、近くで見ると、裏の着物の柄がかすかに透けて見えて、とても素敵です。

舞妓さんの菊の花かんざし
↑舞妓さんが差している花かんざし。月ごとに決められており、10月は菊です。

舞妓さんのかわいらしさはもちろん、舞妓さんのきれいな着物や素敵な舞を見て、目の保養ができました。



雨の京都散策

2005年09月05日 | 京都
彦八まつり見物の翌日は、台風の接近であいにくの雨だったので、のんびりと京都を散策しました。

学生のころから数えきれないほど京都旅行をしているので、主だった寺社仏閣はほとんど見てしまっています。本尊特別公開を拝観したり、四季折々の景色を愛でるため、繰り返し訪れた寺院もあります。
なので、何かの行事やめぼしい特別公開がないときは、行き先に困ってしまいます。月曜日なので博物館も休みだし、雨も降っているし……どこにいこうか迷ったのですが、これといって思い浮かびませんでした。
それならばいっそ、のんびりと、ごはんを食べたりお茶を飲んだりしながら過ごそうと考えました。
平日だし、夏休みも終わっているし、お祭りなどのイベントもないので、お店も空いていてちょうどよい時期です。

朝、ゆっくりとホテルを出て、京都駅に荷物を置き、また四条へ出ました。
雨のなか散策するなら、やはり祇園界隈がぴったりです。お店もたくさんあるし、お茶屋さんの犬矢来や紅殻格子が雨に濡れている景色は、何とも風情があります。それに、運がよければ、お稽古帰りの舞妓さんが和傘をさして歩いているところに出くわすかも……。
そう思いつつ、お昼を食べに「美登幸」へ向かいました。
途中、南座のところまで来たら、中村鴈治郎改メ坂田藤十郎襲名披露興行のカウントダウン看板がかかっていました。いよいよ、待ちに待った襲名披露が近づいてきました。東京の歌舞伎座では、お正月が襲名披露興行になっているので、今から楽しみです。

坂田藤十郎襲名披露興行のカウントダウン看板

南座を過ぎ、花見小路の入り口まで来たら、なんと! 期待していたとおり、向こうから普段着姿の舞妓さんが歩いてきます。
普段の舞妓さんは、日本髪は結っていますが、白塗りはせず素顔で、普通の着物を着ています。舞妓さんの普段着は、夏なら浴衣にお太鼓結びの帯、夏以外は小紋にお太鼓結びの帯です。普段着は自分で着付けています。
お稽古が終わったところだったのか、7、8人くらいの集団で歩いていました。雨が降っているので、みなさん雨ゴートを着て、和傘をさし、雨用草履を履いています。

その集団のなかに、これまで何度かお座敷で会ったことのある舞妓さんがいました。
4月に両親と京都へ行った際に来ていただいたのも、この舞妓さんです。はじめてお目にかかったのは、彼女がまだ出たての舞妓さんのときでしたが、明るくて話も上手で、小柄でかわいらしい人です。舞も上手だし、売れっ妓さんのようです。

白塗りをしていなくてもだいたい顔がわかるので、友人と「向こうから来る舞妓さんたちのなかに、○○ちゃんがいるみたいじゃない?」と話していました。すると、向こうもその様子を見つけたのか、目が合いました。うーん、でも、こちらの顔なんて覚えてるかわからないしなあ……と思っていたら、何と、うれしいことに覚えてくださっていたらしく、「あ!」という感じの反応をしていました。手を振ってみたら、向こうからも「こんにちは、おひさしぶりどす~!」と挨拶しつつ手を振ってくれました。舞妓さんと手を振り合うという意外な光景に、近くを通りかかった人もちょっとびっくりしていた様子です……(笑)。でも、覚えてくださっていてとてもうれしかったです。さすがにプロだと思いました。
10月の初めに「温習会」という井上流京舞の発表会があり、祇園甲部の芸妓さんや舞妓さんが出演します。今年、初めてこの温習会を観に行くのですが、この舞妓さんが出演する日の公演なので今から楽しみにしています。

美登幸でお昼を食べた後、今度は四条通の北側へ移動。白川のほとりにある甘味処「小森」へ向かいました。ここの建物は、もともとはお茶屋さんとして使われていたものなので、風情があります。

甘味処「小森」

休日になると行列ができるのですが、この日はすぐに入れました。雨の平日で人も多くなかったので、のんびりと過ごせました。

小森を出ると、雨は小降りになっていました。買い物や散策をした後、先斗町へ向かい、洋食屋さんで夕食をとりました。
ほとんど食べてばかりいた一日です。
夕食をとった後、祇園の富永町にある「甘泉堂」へ向かいました。ここの水ようかんは絶品で、私の大好物の一つです。水ようかんは4月から9月の間しか販売されないので、今夏の名残に買って帰りました。

甘泉堂の水ようかん

甘泉堂は、四条通から、細ーい路地をちょっと北に入ったところにあります。アーケードの北側のほうを歩き、上のほうに並んでいる店名看板を注意して見ていると、「←甘泉堂」という看板が出てきます。


これといった観光をすることもなく、ぶらりと散歩して、食べて……という一日でしたが、こんなふうに旅先でのんびりと過ごすのも、ある意味ぜいたくで有意義な時間でした。