本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

初春の賑わい・花のお座敷芸

2006年01月15日 | 伝統文化あれこれ
小正月の1月15日、有楽町のよみうりホールで「初春の賑わい・花のお座敷芸」という公演が催され、向島の芸者さんたちの踊り、幇間のお座敷芸、江戸曲ごまなどが披露されました。

お正月らしい「出の衣装」(黒紋付で裾を引いた着付け)に身を包んだ芸者さんや、後見結びの帯に「楽屋銀杏」の髪型という男舞姿の芸者さん、振袖姿のかわいらしい半玉(はんぎょく)さんなどが登場しました。もちろん、三味線は地方(じかた)の芸者さんが担当します。

以前にも書いたことがありますが、半玉さんというのは、京都でいう舞妓さんにあたるものです。
一人前の芸者さんになる前の見習い少女のことです。
関西では、芸妓さんや舞妓さんに払うお座敷代のことを「花代(はなだい)」といいますが、東京では「玉代(ぎょくだい)」といいます。一人前の芸者さんになる前は玉代が半分なので「半玉さん」なのです。

現在の東京の半玉さんは、京都の舞妓さんのように肩上げをした振袖を着ますが、舞妓さんと違って裾は引きません。帯も「だらりの帯」ではなく「後見結び」というすっきりした結び方です。
京都の舞妓さんは今でも地毛で日本髪を結っていますが、東京の半玉さんは「かづら(かつら)」を使う方がほとんどです。
半玉さんの髪型は桃割れが多く、ちょっとおねえさんになると結綿になります。

髪飾りも、京都の舞妓さんと東京の半玉さんでは細かなところでいろいろな違いがあります。
東京のほうは全体的にやや派手な感じで、平打ち(後ろにさす平たいかんざし)もつまみ細工になります。京都のほうが、どちらかというとシンプルです。
京都では、デビューして1年未満の新人舞妓さんは「ぶら」のついた花かんざしをつけるのですが、東京では新人さんでなくても「ぶら」をつけていることが多いです。
実はこの「ぶら」付きかんざしというのは、京都の舞妓さんはもともと使っていなかったのですが、女形の役者さんが始めたのがきっかけとなって東京で流行し、それが京都にも移っていったのだそうです。戦前の舞妓さんの写真などを見ると、幼い舞妓さんでも「ぶら」のついていない、丸いシンプルな花かんざしを使っています。

日本髪と舞妓さんの話になるとつい熱が入ってしまっていけません(笑)、閑話休題。
向島の芸者さんたちは、お正月らしい踊りを吹き寄せで披露してくださいました。
半玉さんは「梅にも春」や「獅子わ」などおなじみの曲を、かわいらしく舞ってくれました。基本をきちんと押さえた、しっかりした踊りでした。


芸者さんたちの華やかな舞台の後は、幇間(ほうかん)による楽しい踊りとお座敷芸です。
「幇間」とは、お座敷でお客の要望に応じてさまざまな芸をやったり、楽しい話でお座敷を盛り上げたりする役目の男性です。「男芸者」とも呼ばれていました。
かつては全国にたくさんいたそうなのですが、現在は数名のみです。
とにかくお客さんに気持ち良く楽しんでもらえるように気を配らなければなりませんから、「旦那の命令は絶対」なのだそうです。
昔はいろいろな無理難題をしかけて芸をやらせる(そしてそのぶんハンパじゃないご祝儀をくれる)お客さんもたくさんいたそうなのですが、今はさすがにそんなことはないようです(笑)。
でも、巧みな話術で場を和ませてお客を楽しませてくれるという点では今ももちろん変わっていません。

今回出演された幇間衆は、櫻川七好さんと悠玄亭玉八さん。
七好さんは、楽しい踊りや屏風芸のほか、狂言仕立ての芸まで、盛りだくさんに披露してくださいました。
玉八さんは、三味線を片手に登場し、都々逸(どどいつ)や声色(こわいろ:ものまねのこと)を次々と披露してくださいました。長唄のパロディーを盛り込んだ「あんこ入り都々逸」もあって、とても楽しかったです。
昔は、お座敷でリクエストされる芸の代表的なものが「役者の声色」(歌舞伎役者のものまね)だったそうですが(寄席でも声色をやる芸人さんがいたそうです)、今はなかなかそんなお客さんもいないようです。歌舞伎を観たことのないお客さんも多いのかもしれないし、仕方ないのでしょうか……。


そのほか、「江戸の遊芸」として曲ごまを披露してくださったのが、やなぎ南玉さん。
曲ごまは江戸の代表的な芸です。もともとは大道芸でしたが、現在は寄席芸としても定番になっています。
大道芸に由来しているということで、南玉さんは曲ごまの前に「口上」を披露してくださいます。大道芸の場合は往来の人を引き止めなければなりませんから、口上を述べるのです。
口上の後は、扇子の上にこまを立てる「末広がり」や、煙管(きせる)の上にこまを立ててくるくる回す「かざぐるま」など寄席でもおなじみのさまざまな芸を、楽しい話術とともに披露してくださいました。

ちなみに、大道芸から始まって寄席芸として定着したものは、ほかにも太神楽曲芸などたくさんあります。そしてそれらは、今でも大道芸と寄席芸という2つの側面を持っています。

たとえば太神楽曲芸では獅子舞をやりますが、これは今でも門付けの芸能として行われています。ご祝儀をあげてお獅子に頭をかんでもらい、厄を払う。門付けの芸能としては当たり前のことですが、門付け芸としての獅子舞を見たことのない人だと「その場でご祝儀を渡す」ということを思いつかないことも多いようです。
同様に、大道芸を見てお金を払わない人も最近は多いようです。寄席で芸を見るときには木戸銭を払うように、大道芸を見る時も「おあし」(お金)は払うのですが……。

1月14日の記事のなかでも書きましたが、古くから伝えられた芸能というのは、ジャンルを超えて影響しあいながら、さまざまな流れを汲んで今日に至っています。だから、1つの側面からだけで見ていたのでは、その真の意味もおもしろさも、完全にはわからないのです。
いろいろなものを幅広く「自分の目で」見て、文化の「引き出し」の数を増やしてこそ、真に「文化的趣味をもった人」になるのだと思います。

と、またまた話がそれてしまいましたが、芸者さんの華やかな踊りと粋なお座敷芸で、「初春の賑わい」のタイトルにふさわしい楽しいひとときを過ごすことができました。


<本日のキモノ>

無地結城紬に梅柄の塩瀬帯

無地の結城紬に、梅の柄の塩瀬帯です。
着物は淡い緑色、帯は朱という、洋服だとあり得ないような組み合わせですが、着物だと「赤と緑」の組み合わせはわりと定番で、意外と合うので不思議です。



語りの世界

2006年01月14日 | 伝統文化あれこれ
1月14日、国立劇場で「語りの世界」と題した特別企画公演が行われました。
昼夜2回の公演で、それぞれ声明(しょうみょう)、平家琵琶、節談説教、絵解きが演目を変えて披露されます。
私は、昼の部へ行ってきました。

「語りの芸能」と一口に言っても、語り部、僧侶による説教、義太夫節から落語、浪花節まで多種多様です。
しかしそれらの間には少なからず関わりがあります。

たとえば、僧侶の説教と落語。お寺と落語には深い関わりがあります。
噺家さんたちが上がる舞台のことを「高座」と呼びますが、もともとは、お寺で僧侶が説法などをする時に座る、一段高い席のことです。
また、僧侶の説法にも、落語や浪花節のようにユーモアや節を交えたものがあります。それが、今回の公演でも演じられた「節談説教」です。

民衆に仏法を説く時に、難しい理念を語ってもなかなか伝わりません。そこで、仏教の教えをわかりやすく説くための手法の一つとして「節談説教」が生まれました。そしてそれが、落語や講談、浪花節(浪曲)へとつながっていったのです。

「節談説教」はもともと浄土真宗で盛んに行われていたのですが、最近は他宗派でもその手法を取り入れられているお坊さんがいらっしゃるそうです。
今回の公演に出演されたのも真言宗のお坊さんで、空海上人(弘法大師)の入定(にゅうじょう:高僧が亡くなること)の話を語ってくださいました。
噺家さんも顔負けの堂々とした「高座」で、お説法というよりも講談や浪曲、落語を聴いているように楽しめました。もちろん、随所に空海上人の教えが盛り込まれていて、印象に残りました。

「仏教の教えをわかりやすく」説くための別の手法が「絵解き」です。
曼陀羅や仏教絵巻などを見ながら、ユーモアや節も交えて解説をしていく、いわば紙芝居のようなものです。
今回見たのは、奈良・當麻寺(たえまでら)の曼陀羅絵解きです。當麻寺の建立者である中将姫の話やお釈迦様の話を、わかりやすく伝えてくださいました。

平家琵琶(平曲)も、仏教と密接な関係があります。
もともと、平家琵琶を語っていたのは目の見えない僧侶(琵琶法師)で、以後、琴や三味線音楽など様々な方面において、目の不自由な僧侶が座を組んで活躍しました。

芸能や鍼灸を生業とする盲人僧侶のなかで最も高い官位とされるのが「検校(けんぎょう)」です。「検校」の下に「別当」「勾当(こうとう)」「座頭」と続きます。
江戸時代には、これらの官位がお金と引き換えに授与されるケースが多かったようで、芝居や時代劇などでもそういった場面がよく出てきます。
歌舞伎の「蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)」では、貧しい按摩・文弥が座頭の官位を得られるようにと、姉が身売りしてお金を整えます。お金を盗まれ殺された文弥が、恨みを晴らそうと化けて出てくる場面は有名です。

閑話休題。
今回の公演でもわかるように、宗教と芸能との間、ジャンルの異なる種々の芸能の間には、少なからぬ結びつきがあります。
僧侶の説法から落語や講談、浪花節が生まれていったように、能、狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃、義太夫節、浪花節、講談、落語……ほかにも枚挙にいとまがありませんが、さまざまなジャンルの芸能には相関性があるのです。

このように、長い歴史のなかでいろいろな流れをたどり、ある時は形を変え、ある時は発展しながら連綿と続いてきている芸能の多くは「古典芸能」と呼ばれています。
「古典芸能」という言葉の響きから「堅いもの、高尚なもの」と思って、食わず嫌いになっている方も多いと思います。「古典芸能」と「娯楽」は相反するものだと思っている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし「古典芸能」とは読んで字のごとく「古くから伝わっている芸能」、ただそれだけのことです。たとえば新派だって新劇だって、あと100年もすれば「古典芸能」になっているでしょう。

「歌舞伎は演劇だ」「歌舞伎は娯楽だ」「落語はお笑いだ」、そうです、そのとおりです。でもそれだけではない。
「昔から伝わっている演劇や娯楽やお笑いそのほかいろいろ」を包括した定義が「古典芸能」なのですから、歌舞伎は「古典芸能であり演劇であり娯楽」、落語は「古典芸能でありお笑いであり娯楽」なのです。
「歌舞伎は演劇ではなくて古典芸能」「落語はお笑いでなくて古典芸能」という考えが片手落ちであるように、その逆もまた然りなのです。

日本でも海外でも、「芸能」にはさまざまなものがあります。劇場で行われるものだけではなく、大道芸や門付の芸能もみな「芸能」です。そしてそれらはみなお互いに影響しあっており、1つの定義でくくれるような単純なものではありません。だからおもしろいのです。


<本日のキモノ>

染大島に白の塩瀬帯

この日は雨でしたが、「雨が降ろうと槍が降ろうと」の意気込みでキモノで出かけました。
普段用の染大島に、白地の塩瀬帯です。同じ着物でも、帯が白地になるとガラっと雰囲気が変わります。
「語りの世界」という公演にちなんで、文机と書物が描かれた帯にしました。
根付も、三味線の撥(ばち)をかたどったものをあわせて気分を出してみました。

白地に文机・書物柄の塩瀬帯

三味線の撥をかたどったべっ甲の根付

雨に備えて、厚手の雨ゴート着用&足袋カバー着用&草履カバー持参で完全防備です。

雨ゴート



日本髪

2005年12月31日 | 伝統文化あれこれ
このお正月も、また日本髪を結いました。

東京で京風の日本髪を結ってくださる美容院があることを知って以来、毎年お正月には必ずそこで日本髪を結っていただくようになりました。今回で3度目のお正月、もはや「マイ年中行事」として定着しつつあります。

昨年、一昨年はお正月にわざわざ時間をとって結っていただいたのですが、さすがに毎年それでは申し訳ないので、今回はちゃんと大みそかに結っていただきました。

本式結髪の日本髪の場合、一度結うと5日くらいは十分もつので、「日本髪で初芝居」を楽しみに、1月3日歌舞伎座の桟敷席をとっておいたのです。
しかし……。
今年は、鬢(びん:顔の横にくる部分の髪)に使う髪の長さが少し足りなかったため、結って2日目で髪がくずれてしまいました。
長さが足りなくてもきれいに結い上げていただけるのですが、その場合やはりどうしてもくずれやすくなってしまうそうです。

そんなわけで、あまり写真も撮らないうちに髪をとくはめになってしまいました(涙)。
数少ない写真のなかから選んでご紹介します。

今回結った髪型は「菊がさね」。

菊がさね

「菊がさね」は江戸時代後期に京阪で結われていた髪型で、現在では舞妓さんが節分の「変わり髷(まげ)」として結っています。

日本髪も、江戸風と京風ではさまざまな違いがあります。
なかでも特に違いが目立つのは、前髪と鬢の形です。
江戸風の場合は、前髪を多めにとり、前にせりだすようにして大きくつくります。鬢も前にせりだすような感じで大きくなります。
京風の日本髪は前髪も鬢も小さめです。鬢の形も「引き鬢」といって、下の写真のように後ろへ向かって流れるようにつくられています。

引き鬢

この「菊がさね」は京阪の髪型なので、東京ではあまりなじみがないようです。
「何ていう髪型ですか?」とおっしゃる方も多かったです。

「菊がさね」のベースになっているのは「つぶし島田」という髪型なのですが、「つぶし島田」の髷の両脇に添え毛をし、鹿の子を交差させてかけるのが「菊がさね」の大きな特徴です。

菊がさねの髷

「つぶし島田」に添え毛をせず、髷の真ん中に鹿の子をかけると、「結綿」という髪型になります。「結綿」は娘さんの髪型で、東京でも京阪でも流行しました。
ご年配の方のなかには、娘時代お正月に「結綿」を結ったという方も多いようです。
「結綿に似てるけどちょっと違うんですね、なんていう髪型ですか?」と声をかけてくださる方もいらっしゃいました。

日本髪を結っていると、ご年配の方が声をかけてくださることが多いです。
以前はお正月になると多くの女性が日本髪を結っていたそうで、みなさん一様に「最近はすっかり見かけなくなっちゃったから、そうやって結ってらっしゃる方を見るとうれしいわ」とおっしゃいます。
そうやって喜んでくださるのを見ると、こちらもうれしくなります。

私が中学生くらいのころ、お正月に日本髪を結った女性を見た記憶があります。
今から10年くらい前でも、お正月に歌舞伎座のテレビ中継を観ると、日本髪を結ったお嬢さんが1人や2人は見えました。
そう考えると、この10年で人々の生活がかなり変わってしまったのかもしれません。バブルがはじけて不況になったことも影響しているのでしょうか。

かつては、お正月だけでなく節分にも、日本髪を結う女性が多かったそうです。
節分に普段と違った髪型をすることにより、厄払いをするのです。
もっと昔、女性がみんな日本髪を結っていたころは、身分や年齢によって髪型が決まっていましたが、節分の時だけは普段と違う髪型を結っていたそうです。
今でも花街には「お化け」という風習が残っています。節分に仮装をして厄払いをするのです。
京都の舞妓さんも、節分にはいつもと違う髪型を結うことが許されます。

季節ごとの行事が簡略化されていく昨今ですが、「ハレ」の日である元日に晴れ着で新年を祝い、「年の変わり目」とされる節分に無病息災を願う気持ちは忘れずにいたいものです。

<本日のキモノ>

染大島に松竹梅の塩瀬帯 松竹梅の塩瀬帯

大みそかだったため普段用の染大島にしたのですが、髪を結ったあといつも美容院で写真を撮ってくださるので、帯はお正月用のものにしました。松竹梅を描いた塩瀬の帯です。松竹梅という古典的な素材をポップな雰囲気で描いている点が気に入っています。


京阪座敷舞の会in国立小劇場

2005年11月26日 | 伝統文化あれこれ
11月26日、国立劇場小劇場で「京阪座敷舞の会」が行われました。
昼夜2部制で、山村、吉村、楳茂都(うめもと)、井上、川口の各流儀の第一人者が競演する豪華な会です。
昼の部には、山村流の大御所・山村楽正さんや京舞井上流の重鎮・井上かづ子さんなど、夜の部には、京舞井上流宗家の井上八千代さん、京都・宮川町の芸妓さんで楳茂都流の名取でもある楳茂都梅加さん、川口流宗家の川口秀子さんなどが登場。
どちらを見るか迷った末、思い切って昼夜通しで観ることにしました。

舞踊にも東西の違いがあり、歌舞伎舞踊から生まれた江戸の日本舞踊に対して、京阪の舞はお座敷つまり花街から生まれました。
座敷で舞うのですから当然、動く範囲も狭く、動きも静かになります。狭い座敷の中で、ほこりをたてないように舞うためです。

伴奏となる唄も、江戸の舞踊の場合は長唄や清元、常盤津などが中心であるのに対して、京阪の舞は地唄が中心です。
歌舞伎舞踊の華やかな風情ももちろんよいのですが、地唄の静かな調子にあわせて舞われる舞は、何とも言えない風情があります。動きは静かですが、よく見るととても表現力があります。

歌舞伎舞踊と座敷舞。それぞれ違った良さがあると思うのですが、最近はその垣根が低くなってきているようです。
京阪の座敷舞でも、背景の大道具を使ったり衣装付き(紋付袴姿や芸者姿ではなく、役の衣装をつけること)で舞ったりすることがしばしば見られます。井上流京舞の「都をどり」や「温習会」でも、そのパターンが増えています。
今回の舞の会でも、そういった試みがいくつかなされていました。

個人的には、座敷舞には座敷舞の良さを生かしたものをやってもらえるといいなと思います。
新しいことに挑戦することも大事だとは思いますが、そのものが元来持っている良さを大切に守っていくこともまた大事だと思うのです。
決められた枠の中で新しいものを表現していくことこそ、伝統芸能の醍醐味なのではないでしょうか。
着物が、さまざまな決まり事のなかでもアイデアとセンスしだいで自分らしさを表現できるのと同じように、古典の枠を守りつつ新しい何かを表現していくことは十分可能だと思います。

昼の部に出演された山村楽正さんは、長唄の「越後獅子」を地唄にアレンジした曲に乗せて舞われたのですが、髪形も洋髪、着物も裾を引かず普通の着付けというシンプルないでたち、いわゆる「素踊り」の形です。
舞台にも、屏風と燭台が行われているだけ。お座敷にあるものしか使用しません。
それでも、地唄の文句や調べ、そして楽正さんの舞の力で、越後獅子の世界は十分に表現できていたと思います。むしろ、大道具を使い衣装をつけて踊るよりも却って唄の世界や舞の世界がよく伝わってくる感じがしました。

当日のパンフレットに、山村楽正さんの師匠であった山村流四世宗家・山村若さんの言葉が書かれていました。「座敷で舞うものやから、大道芸の獅子をまねているという気持ちを忘れてはいけないのです」
この言葉が、すべてを表していると思います。
背景の大道具を使い、衣装もつけて越後獅子に「なりきる」のが歌舞伎舞踊、それに対して座敷舞はあくまでも越後獅子を「座敷でまねる」ように舞うべき、ということなのでしょう。

その四世宗家の言葉を、山村楽正さんは忠実に守って「越後獅子」を舞っておられたと思います。
そして、そんなシンプルな楽正さんの舞が、当日の数々の演目のなかで最も印象に残りました。
もちろん「芸の力」でしょうが、余分なものをそぎ落としても十分に曲の世界を表現し、観る者に感動を与えられるということの証明でもあると思います。


<本日のキモノ>

何を着ていこうかな……と迷っていたのですが、前日の夜になって思いつきました。
「踊りの会→出演者のお弟子さんなども客席にたくさんいるに違いない→きっとみなさん『ええべべ(いいキモノ)』をお召しになっているに違いない!」

着物を着て劇場などのパブリックスペースに何度も足を運んでいると、しだいにこういった「勘」が働いてくるようになります(笑)。
自分で納得のいくものを着ていても、周囲とあまりにもアンバランスになっているとどうしても気後れしてしまうものです。「これだとまずかったかな……」と思うと、頭のどこかでずっとそれが引っかかって、十二分に楽しめなくなってしまうことがあります。
心おきなく舞台を鑑賞するためには、どんな装いが場に合っているかをあらかじめ察しておくことも大切ではないかと思います。

そんなわけで、自分の持っている着物のなかでは生地などがそれなりに良いと思われ、かつ格も低くない着物にしました。

菊の付け下げに絵羽羽織 絵羽羽織

11月なのでちょうどよいと思い、母からもらった菊の柄の付け下げにしました。
ベージュの羽二重の生地に、赤や白の菊の花を描いています。
私が中学生の頃まで母がよく着ていたのですが、柄に赤が入っているので「私にはもう派手やからあげる」ということで10年くらい前に私にくれました。

古いものですが、胴裏の取り替えと生洗い(仕立てをほどかずに洗うこと)をやっていただいたら、生き返りました。
着物って、良い物をきちんとメンテナンスしていけば長く愛用できるのが、本当にすごいと思います。

付け下げだとちょっと仰々しくなってしまうかなあ……と思い、羽織を合わせました。
付け下げの上から羽織を着ると、着物の裾模様だけがちらっと見える程度になるので、少しおさえた感じになります。
反対に、小紋などのおしゃれ着や色無地などのシンプルな着物に華やかな雰囲気の小紋羽織をあわせると、羽織を前面に押し出した着こなしができます。
羽織って「足し算の着こなし」にも「引き算の着こなし」にも使えて便利だなあ……と思います。

付け下げの上から着る場合は小紋羽織は適さないので、絵羽羽織(背中の部分の柄が一幅の絵のようにつながっている羽織)にしました。組紐の柄が描かれています。

この絵羽羽織は、実はインターネット呉服店のオークションで手に入れたものです。絵羽羽織は自分で誂えようと思うと高いので、ネットオークションなどを活用しています。
少し古いもののようですが、未使用とのことでしつけも付いており状態もよかったので、お得でした。
しかも!
菊の付け下げと、生地の質感がとてもよく似ているのです。付け下げと同様、光沢のある羽二重のようです。
サイズもぴったり合っていて、まるで付け下げとセットであつらえたかのようでした。
両方とも古い物なので、柄の色あせ具合まで合っています(笑)。
そんなわけでこの絵羽羽織は、菊の付け下げ専用という感じで使っています。

帯は、有職模様の織り名古屋帯にしました。場内で羽織を脱いでもあらたまった感じに見えるようにするためです。

さて、当日の客席ですが、予想的中でした。
ほとんどの方が染めの着物で、訪問着や付け下げが多く見られました。
なかには、パーティーに着て行くような豪華な訪問着をお召しの方も……(さすがにそれだと、演者より目立ってしまう気がするので微妙ですが、でもとてもきれいな着物で目の保養になりました)。
「この着物にしておいてよかった……」と、胸をなでおろした私でした。

井上八千代さんや井上かづ子さん、宮川町の芸妓さんでもある楳茂都梅加さんが出演されていたため、客席には舞妓さんの姿もちらほらと見られました。これもまた目の保養になりました。



浅草花柳界・お座敷遊び「悠游亭」

2005年11月19日 | 伝統文化あれこれ
浅草の芸者さんたちによる舞とお座敷遊びを楽しむ会「悠游亭(ゆうゆうてい)」が、11月19日、東京浅草組合(浅草見番)の2階広間で開かれました。

このブログでも何度かご紹介しましたが、浅草見番では、年に数回、一般の人が芸者さんの踊りやお座敷遊びを楽しめる会を催しています。
今回の「悠游亭」がほかの会と異なるのは、芸者さんの踊りやお座敷遊びを楽しむだけでなく、芸者さんとの「おしゃべり」も楽しめることです。
ほかの会に比べると料金はやや高くなりますが、浅草の老舗料亭「草津亭」の懐石弁当がつき、お酒やソフトドリンクも飲めて、芸者さんと間近でお話ができることを考えると、破格の値段です。

会が始まり、めいめい飲み物を頼んだりお弁当をいただいたりしながら楽しんでいるうちに、いよいよ芸者さんの登場です。
芸者さんたちは、各テーブルを順番に回ってきてくださるので、いろいろな芸者さんと話をすることができました。
着物を着ていると、芸者さんも話のきっかけを作りやすいのか、次々と声をかけていただけたのでうれしかったです。こちらも間近で芸者さんの素晴らしい着物を見られてよかったです。

私の好きなベテラン芸者さんが隣のテーブルにいらした時、私の隣の席に座っておられた方に「私はあのお姐さんの踊りがすごく好きなんですよ~」と話していたのですが、そのお姐さんがこちらのテーブルにいらした時、隣の方が「彼女、あなたのファンで、あなたの踊りを楽しみにして来たんだって」と言ってくださいました。するとお姐さんが「あら、うれしい! ありがとうございます」と、わざわざ私にお酌をしてくださったので、感激しました。男踊りもすごく上手なお姐さんなのですが「でも今日はねぇ、男っぽい踊りじゃないのよ、色っぽい踊りなの(笑)」とチャキチャキと話してくださったのが、下町らしくて楽しかったです。踊りにあわせて黒の引き着(裾を引いた着物)を着ておられたのですが、凛としてとても素敵でした。

そうこうしているうちに、いよいよ芸者さんたちの踊りの始まりです。
まず初めは、半玉(はんぎょく)さんの踊り。民謡の「ちゃっきり節」をお座敷用にアレンジし、かわいらしく舞っていました。

半玉さんの踊り

半玉さんというのは芸者さんの見習いで、京都の舞妓さんにあたる存在です。現在、浅草には2人の半玉さんがいらっしゃいます。

その後、芸者さんたちが続々と登場し、様々な曲を「吹き寄せ」の形で舞ってくださいました。バラエティーに富んだ構成でとても楽しかったです。

芸者さんの踊り

芸者さんの踊り


芸者衆の踊りが終わると、今度は幇間(ほうかん)衆の踊りと芸の時間です。
幇間とは「たいこ持ち」とも言われ、
寄席でもおなじみの「かっぽれ」や「深川」といった踊りのほか、屏風芸を披露してくださいました。
屏風芸は、幇間芸のなかでも特に有名なもので、一枚の屏風を立て、その屏風の向こうに相手がいるかのように見せながら一人芝居をするものです。屏風の奥からお客さんに引っ張られている仕草をする場面では、まるで本当に引っ張られているかのような動きで拍手かっさいでした。

幇間芸


幇間衆の芸が終わった後、またしばらく芸者さんたちとのおしゃべりを楽しみ、続いてお座敷遊びの時間です。
お客さんも参加して、「とらとら」というお座敷遊びを楽しみました。

楽しい時間はあっというまに過ぎて、いよいよおひらきの時間が近づいてきました。
最後は、芸者さんが勢ぞろいして「奴さん」「浅草名物」「さわぎ」を踊ってくださいました。

一人で行ったので「うまく楽しめるかなあ……」と思っていたのですが、周りの方々とお酌をしあっているうちにあっという間にうちとけ、まるでみんな同じグループであるかのように盛り上がって、とても楽しく過ごせました。知らない者同士がお酒を酌み交わし、和気あいあいと楽しめるというのは、とても素敵なことだと思います。そんな貴重な場を作ってくださった東京浅草組合と、素晴らしい踊りを披露し楽しい雰囲気を作ってくださった浅草芸者のみなさんに、感謝です。


<本日のキモノ>

薄緑色の無地結城紬に藤色の長羽織

先日、紺の鮫小紋にあわせた藤色の長羽織を、今度は薄緑色の無地結城紬にあわせてみました。
薄緑色と藤色。洋服ではあり得ないような組み合わせですが、着物だと全然違和感がないのです。むしろ、紺の鮫小紋とあわせた同系色のコーディネートの時よりも、今回のほうが若々しく見えてしっくりする感じでした。着物は、こういうところが本当に奥深いです。
帯は、黒地に「やたら縞」の博多帯です。


国立劇場九月文楽公演

2005年09月25日 | 伝統文化あれこれ
新橋演舞場での新派公演を観た後、今度は国立劇場へ。
文楽(人形浄瑠璃)の公演を観るためである。
(「かけもち」は控えようと決意したばかりだというのに……)

文楽は、ここ数年で非常に人気が高くなっているようで、国立劇場での公演もチケットがなかなかとれない状態。
今回は幸い、先行抽選販売で千秋楽のチケットを手に入れることができた。

新派の公演の余韻もさめやらぬまま、文楽が始まるのを楽しみにしていたのだが……。

いざ公演が始まってみると……、眠い。非常に眠い。
これまで文楽を観ていてこんなに眠くなることはなかったし、前の晩もわりとよく寝たし、風邪薬や鎮痛薬も飲んでいないし、新派の公演の時はちっとも眠くならなかったというのに……。

演目は「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の「寺入りの段」「寺子屋の段」と、「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」。
「寺子屋」も「女殺油地獄」もよく知っている話だし、見せ場も多い。太夫、人形遣いともに人間国宝も出演する。
それなのに、やけに眠かった。ぱっちりと目が覚めている幕もあるのだが、次の幕になるとまた眠気が襲ってきたりする。

思うにその原因の一つは、興行のあり方なのではないかと思う。正直言って、マンネリ化している感は否めない。
文楽は歌舞伎に比べて演目が少ないので、同じ話がかわるがわる上演されることが多い。
江戸時代には、歌舞伎の話が人形浄瑠璃に取り入れられたり、その逆があったりした。しかし今は、文楽の世界ではそういったことがほとんどない。
もう少し積極的に新しい芝居を作ってもよいのではないかと思う。

文楽の公演は、現在、東京の国立劇場と大阪の国立文楽劇場で主に行われている。いくらお国の施設でやるからと言っても、観客から入場料をとる以上「興行」なのだから、観客を喜ばせるような工夫をしていかないと、ただの「化石」になってしまうよ。
国立劇場の運営母体である日本芸術文化振興会も、ただ漫然と公演予定を組んでいるだけではいけないと思う。

あとはやっぱり、太夫と人形遣いの腕がモノを言うのだろうなあ……(当たり前だけど)。特に人形は遣い手によって、まるで命を吹き込まれたように見える時とそうでない時との差が歴然としている。吉田蓑助さんは、女性の人形を遣うことが多いのだが、いつも人形が命を持っているように見えてすごい。
研修生制度の浸透により、文楽界にはせっかく若手の人も増えているのだから、そういった人たちが力をつけていけるよう、もっと興行を頻繁にやったほうがいいのではないかと思う。それも、民間の興行会社がやっているように、きちんと採算を考えて。

開演前、入口の近くに「余った券買います」という札を持って立っていたオジサマがいたのだけれど(チケットがとれなくて、でもどうしても観たかったんだろうなあ……)、そのオジサマにチケットを売って、木挽町(歌舞伎座のこと)へ行ったほうがよかったなあ……とちょっと思った。


<本日のキモノ>

単の御召に博多織の八寸名古屋帯

9月17日と同じ単の御召で、帯を塩瀬の名古屋帯に変えました。
白の塩瀬地に、文机と本や巻き物などが描かれています。季節を問わない柄ですが、「読書の秋」には特にぴったりかなと思い、締めてみました(写真は家に帰ってから撮ったので、お太鼓のタレがしわになっています……)。

塩瀬の帯は、真夏以外の3シーズンで締められるので便利です(絽塩瀬は真夏に締めます)。おしゃれ着用なので礼装には適しませんが、上品な絵柄であれば、色無地にあわせて軽いお茶席くらいまで締められます。
紬などのカジュアルな織りの着物にも合わせられるので、重宝します。

曇り空だったので、念のため雨ゴートを持っていきましたが、降らずにすんでよかったです。



河内音頭in錦糸町

2005年08月31日 | 伝統文化あれこれ
8月30日、31日に、東京の錦糸町で「河内音頭大盆踊り大会」が行われた。

大阪では知らない人はいないと言っても過言ではない「河内音頭(かわちおんど)」は、「エ~、さても~、一座の皆さまへ~」という唄いだしで有名。
以前、河内家菊水丸という人が、某アルバイト情報誌のCMソングで唄っていて、全国的に知られるようになった。
河内音頭の前身については諸説あるようだが、「やんれ節」や「江州音頭(ごうしゅうおんど)」をはじめ、河内地方に伝わっていた様々な音頭の影響を受けているようだ。
現在のような形になったのは、割と最近のことだという。

「音頭」といっても、いわゆる民謡のような短い唄ではなく、仁侠(にんきょう)物や歴史物などのストーリーを、節をつけて語っていくのだ。ちょうど「浪花節(浪曲)」のようなものである。しかし、浪曲に比べて節が明るく、テンポも速い。そのため、唄に合わせて盆踊りも行われる。
普通の盆踊りと同様、やぐらが組まれ、その上で唄い手が唄う。伴奏は、三味線、太鼓のほかに、エレキギターも加わったりする。

普通の盆踊りと異なるのは、やぐらの周りにいるのが踊り手だけではないということ。
踊り手のほかに、音頭を「聴いている人」が大勢いるのだ。先に述べたように、河内音頭が「語り物」であるゆえんだろう。

私は、この河内音頭の小気味よい節回しが大好きなので、踊りはせず、いつも聴き手に回ることにしている。
踊り手には若い人も多いが、聴き手のなかには若い人は少なく、オッチャンやオバチャンが多い。片手にワンカップを持ったオッチャンもいるが、みんなじっくりと聴いているのだ。しかもなかなか「聴く耳」を持っている。
以前、河内音頭を聴きに、大阪の八尾市まではるばる出かけて行ったことがある。近くにいたオッチャンが、私を町内の人だと思ったらしく、いろいろと話しかけてきてくれた。こちらも町内の人のふりをして何となく話を聞いていると、河内音頭の唄い手のことなど、さまざまな話をしてくれた。河内音頭に精通している感じで、オッチャンの話を聞いてなかなか勉強になった(お酒を飲んで上機嫌になっているオッチャンからは同じ話が何度も繰り返されたので、そのうちさりげなく逃げてしまったけれど……笑)。

河内音頭の盆踊り大会が、東京の錦糸町でも毎年開催されている。
おそらく大阪から錦糸町に出て来た人が始めたのだと思うが、今ではすっかり錦糸町の夏の行事の一つとして定着したようで、毎年多くの人が集まっている。唄い手もすべて大阪から呼んだ方々ばかりで、なかなか本格的なイベントである。

今年は平日の開催だったので最初から参加することはできなかったが、31日に仕事が終わってから錦糸町へ駆けつけた。
着いた時にはだいぶ終わりのほうにさしかかってはいたが、小一時間ほど聴くことができた。
軽快な節に合わせて聴き手も「イヤコラセ~、ドッコイセ」「ソラヨイトッコッサ、サノヨイヤサッサ」という合の手を打ち、大いに盛り上がった。
聴き終わった後もしばらく河内音頭の軽快な節が耳に残っていて、なかなか楽しい気分だった。仕事の疲れも一気にとれた気がした。唄や踊りや祭りの力というのはすごいと思う。



鏡味仙三郎 芸歴50周年の会

2005年08月12日 | 伝統文化あれこれ
東京・三宅坂の国立演芸場で、江戸太神楽(だいかぐら)曲芸の鏡味仙三郎(かがみ・せんざぶろう)師匠の会が開催された。
この会は、仙三郎師匠の芸歴50周年を記念したもの。

「芸歴50周年」。これはすごい数字である。
50年というと、夫婦ならばちょうど「金婚式」にあたる年数だが、平均寿命が少しずつ短くなり、初婚年齢が上がり、離婚率が高くなっている現代において、金婚式を迎えられる夫婦というのはごく稀だろう。

芸歴50年というと、どんなおじいさんかと想像する方もいらっしゃるかもしれないが、仙三郎師匠は何と9歳でこの世界に入ったので、まだまだじゅうぶんお若いのだ。
9歳の時、鏡味小仙(おせん)師匠に弟子入りした仙三郎師匠は、年の近かった鏡味仙之助(せんのすけ)師匠とともに稽古に励み、昭和48年、「鏡味仙之助・仙三郎」のコンビで独立した。

その後、落語協会にも所属した両師匠は、寄席に出演し、寄席の色物(寄席で、落語・講談以外の芸全般を指す)として、高座であざやかな曲芸を披露し続けてきた。
非常に残念なことに、相棒の仙之助師匠が4年前に他界された。
しかしその後も仙三郎師匠は、息子さんの仙一さんをはじめとするお弟子さんたちとともに高座に上がり、寄席の客の目を楽しませてくれている。

前置きが長くなったが、その仙三郎師匠の記念すべき50周年の会なのでぜひとも行きたいと思い、前もって午後半休を申請しておいた。会社が終わってからだと開演に間に合わないからだ。
会社を出て遅い昼食をとった後、こまごまとした用事をすませてから国立演芸場へ。
開演1時間前に着いたのだが、入り口にはすでに列ができていた。
仙三郎師匠の小学校時代の同級生のみなさんや、ご近所のみなさんなどが、花束を持ってたくさん集まっており、師匠のお人柄を感じさせた。

公演では、太神楽曲芸の原点である獅子舞をはじめ、傘の曲芸や毬の曲芸など寄席でもおなじみの曲芸が数多く披露された。そのほかちょっと変わったところでは、「キッチントリオ」と題して、コックさんの姿をした仙三郎師匠、仙一さん、仙三さんが台所用品を使ってあざやかな曲芸を披露し、場内は大いに盛り上がった。
ゲストとして紙切りの林家正楽師匠や奇術の花島世津子師匠も出演され、盛りだくさんの内容だった。

正楽師匠の紙切りでは、幼い頃の仙三郎師匠や故・仙之助師匠がランドセルをしょって曲芸の稽古をしている姿など、仙三郎師匠のこれまでの足跡を振り返る作品が多数披露され、場内は大変盛り上がった。
また、仙三郎師匠と、紙切りで表現された故・仙之助師匠とのジョイントによる毬の曲芸も印象的だった。「芸歴50周年の会は仙三郎・仙之助の会にしたかった」という仙三郎師匠の願いを、このような形で表現されたのだろうと思うと、胸に迫るものがあった。
花島世津子師匠は、奇術のほかに「松づくし」というおめでたい芸を披露し、彩りを添えた。

どれも大変にすばらしい曲芸ばかりだったが、一番すごかったのは、やはり「土瓶の曲芸」。
加えたバチの上に土瓶を乗せ、投げたり回転させたり、手を触れないでフタをとったり、目を見張る技の連続だった。

終演後は、お弟子さんたちとともに仙三郎師匠自ら出口で観客を見送ってくださっていた。
お弟子さんたちの活躍もめざましく、今後の仙三郎社中に大いに期待したいところだ。

仙三郎師匠、芸歴50周年本当におめでとうございます。
これからもがんばってください!



茂山狂言祭

2005年08月06日 | 伝統文化あれこれ
横浜にぎわい座での「上方落語会」が終わると、東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂へ移動。
茂山(しげやま)一門による狂言の会「納涼茂山狂言祭」が行われたのだ。

茂山一門は、京都の狂言の家で、流派は「大蔵(おおくら)流」。
狂言には和泉流、大蔵流という大きな二つの流派があるが、流派が同じでも、家によって芸風は少し異なる。

茂山家では、「お豆腐狂言」という言葉を家訓にしてきたという。
京都では、湯豆腐をはじめとして、お豆腐が身近な献立として使われる。しかもお豆腐は、料理の仕方しだいで、様々に変化する。
狂言も、お客さんの身近なところで、その時々のニーズにあわせて柔軟に変化していかなければいけないというのが、「お豆腐狂言」の意味するところだそうだ。

その家訓を体現してか、茂山家の狂言は、とても大らかな芸風だ。大らかだが、決して雑ではない。型を丁寧にやることはもちろんだが、そのうえで、型を追うだけではない「何か」が見える。

茂山一門には、人間国宝の茂山千作さんを筆頭に多くのメンバーがそろっているが、一族がいつも仲良く集まって、楽しそうに狂言をやっている。その雰囲気が、私はとても好きだ。

最近では、茂山一門の東京公演も盛んに行われており、東京でのファン、若い人のファンも増えたようだ。
今日、何年かぶりに能楽堂へ行ったのだが、若い女性が圧倒的に多かったので驚いた。
私も学生のころ、能を習っていたので能楽堂へちょくちょく行っていたが、そのころは若い人は本当に少なかった……。
最近は、歌舞伎や落語のブームが波及しているのか、能楽堂にも若い人が多く集まっているようで、とても喜ばしいことだと思う。

それはいいのだが……、一つ気になったのは、客席に、ある種の「内輪うけ」的な雰囲気が見られたこと。
おそらく、「狂言が好き」というよりも、「茂山一門が好き」という人が多かったのだろう。それはそれで、もちろん良いことなのだが、「同好会・同人誌的なノリ」になってしまうのは、演者にとっても観客にとっても、そして、何となく興味をもって初めて観に来てくれた「ファン予備軍」にとっても、あまり良いことではない気がする。

狂言の世界だけに当てはまることではないと思うが、ブームに流されることなく、いや、ブームの今だからこそ、しっかりと地に足をつけて歩んでいくことが肝要なのだろう。

ともあれ、ベテラン勢と若手が力を合わせてがんばっている、茂山一門ならではの良い舞台だったと思う。
茂山一門の将来を担う若い人たちの今後の活躍にも、大いに期待したい。


<本日のキモノ>

横浜の寄席から東京の国立能楽堂へ大移動しなければならなかったので、動きやすくてそれなりにきちんと見えるよう、7月24日7月30日と同じ「小千谷縮」にしました。
ただし帯は、先日とは変えて、麻の名古屋帯にしました。

「うさぎの行水」の帯

この帯の柄は、「うさぎの行水」です。
とてもかわいらしい絵柄で、夏物の帯のなかで一番のお気に入りです。
私が買うものなので、当然のことながら高価な物ではなく、インターネットショッピングのバーゲンでの戦利品です。でもとても気に入っています。
このように、お太鼓の部分と帯前だけに柄があるのを「お太鼓柄」というのですが、こういった絵を楽しめるのも、お太鼓柄の帯の魅力の一つです。

金魚の帯留と唐辛子の根付

帯留は、金魚。根付は青い唐辛子です。
帯留があるので、帯の前の柄は、中心をはずすようにしました。根付も、柄のないほうにつけました。
唐辛子の根付は、中華街で売られていたストラップです。
中国では、唐辛子はその赤い色と辛さから、魔よけとされているそうです。
安かったので、色ちがいのものをいくつか買いました。着物の色にあわせて楽しみたいと思います。
唐辛子のストラップを売っていた中国人の女性が、私がつけていたレンコンの根付を見て「いいですねー。それは何ですか?」と興味を示してくださいました。そこで、「レンコンという野菜なんですが、レンコンは穴があいていて向こうが見えるので、『見通しがよくなる』といって日本では『縁起の良いもの』とされているんです。だから、お正月に食べたりするんですよ」と説明しました。その女性は、興味深そうに聞いていました。こんなふうにちょっとしたところでお互いの国の文化を理解しあえるのは、うれしいことです。

扇子は、浅草の文扇堂で作ってもらったばかりの、縞の扇子です。

文扇堂の縞の扇子



投扇興とお座敷遊び

2005年07月09日 | 伝統文化あれこれ
ほおずき市を見た後、浅草見番へ。

先日の「お座敷舞踊 浅草12か月」の会で当たった券で、「投扇興とお座敷舞踊」の会にやって来たのだ。

投扇興は、これまでに2回挑戦したことがあり、昨年の「投扇興とお座敷舞踊」の会にも来たのだが、一年ぶりのことなので、ちゃんとできるかどうか不安……。

投扇興(とうせんきょう)というのは、扇を投げて的に当て、扇や的が落ちたときの形で得点を競う遊び。
2人で対戦する形式で、真ん中に「枕」と呼ばれる木製の台を置き、その上に「蝶」と呼ばれる的を置く。
両者交互に扇子を投げて、「蝶」を狙う。
扇が蝶に当たり、扇と蝶が台の下に落ちたら、その形を判定する。
扇と的の落ち方には様々なパターンがあり、それぞれのパターンに「源氏物語」の巻の名がつけられている。パターンによって、得点も異なってくる。

扇を投げて的に当てるだけの単純な遊びだが、実際にやってみるとなかなか難しい。
扇の投げ方が悪いと、的のところまで飛んで行かず、手前で「ボトッ」と落ちてしまうのだ。

扇を飛ばすコツは、「力を入れないこと」。
扇を「投げよう」として力を入れてしまうと、扇は風に乗れなくなってしまい、落ちてしまう。
反対に、「投げる」のではなく「そっと前に出す」という感じで手を離すと、扇は風に身をまかせて、「フワッ」と飛んで行く。
力を抜いて、風に身をまかせて……。なかなか奥が深い。
投扇興の先生による詳細な解説も、とてもタメになった。

私がこれまでに投扇興にチャレンジしたなかでは、いつも一度はうまく的に当たっていた。しかも、運のよいことに、結構得点の高いパターンになっていた。
しかし、これもいつもそうなのだが、一度当たって「やった! よし次も!」と思ったとたんに、全然当たらなくなるのだ。
今回も、やはり同じような結果だった……。
「無心になって、欲を捨てて扇を投げること」が、もう一つのコツなのかも……。

投扇興で扇を投げる半玉さん
↑投扇興の扇を投げる半玉(はんぎょく)さん。金魚の柄の素敵な絽の振袖を着ていた。


投扇興の後は、浅草の芸者さんたちによるお座敷踊り。
今回は、地方(じかた)さんもそろっていたので、生演奏を楽しめた。

浅草芸者さんによるお座敷踊り


お座敷踊りの後は、お座敷遊び。
今回は、「トラトラ」と「こんぴらふねふね」という遊びが紹介され、お客さんも一緒になって楽しんだ。
「トラトラ」と「こんぴらふねふね」は、京都のお茶屋遊びなどでも行われている、有名かつ古典的な遊び。
「トラトラ」の詳細については、昨年12月25日の記事をごらんください。

お座敷遊び「トラトラ」
↑「トラトラ」を披露してくださる芸者さん。この形は「和藤内」。和藤内は虎退治をするので「虎」に勝つが、母親には頭が上がらないので「おばあさん」には負けてしまう。「トラトラ」は、いわば「ジェスチャーによるジャンケン」といったもの。


「トラトラ」のとき、地方のお姐さんから声をかけられて、前に出てチャレンジすることに。
芸者さんが横について、「トラトラ」の踊りを教えてくださった。
芸者さんを間近で見られて、ラッキー! やっぱりきれいだなあ~。


「こんぴらふねふね」は、真ん中に置いた道具(お銚子を置く時に下に敷く「袴」)を、二人でテンポよく取り合うゲーム。交互に「袴」の上に手を置き、そのまま手を引っ込めたり、袴を自分のほうに持って来たりする。袴が真ん中に置かれているときは手を「パー」にし、相手に袴を持って行かれたときは、袴のあった場所に手を「グー」にして置く。これを繰り返しながら「金毘羅ふねふね」のお囃子に乗って手を動かすのだが、お囃子はだんだん早くなっていく。
見ていると簡単そうなのだが、やってみるとなかなか難しいようで、みなさん苦戦しておられた。
地方のお姐さんたちが、遊び方やコツを楽しくわかりやすく解説してくださった。


あっという間に3時間が経ち、おひらきの時間に。
地方(じかた)のお姐さんの音頭で三本締めをしておひらき。
いろいろな遊びを体験できて、とても有意義で楽しい時間だった。