本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

阪神ダルマ

2005年09月30日 | 阪神タイガース
昨シーズンから会社のデスクに飾っている、阪神ダルマ(冒頭写真)。※注:ダルマさんがかぶっているヘルメットは、付属品ではなく後からかぶせたものです。

ダルマの目入れは、最初に願いをこめて片目を入れておき、願いがかなったらもう片方の目を入れるのが本来のやり方です。
しかし、リーグ優勝だけでなく、一昨年かなえられなかった「日本一」の悲願を達成できるよう、私はこのダルマにまったく目を入れないでおきました。
リーグ優勝できた暁に片目を入れ、見事日本一に輝いたら、もう片方の目を入れようと考えていたのです。

このたび、めでたく片目を入れることができました。
目入れの際には、同じ部署のなかの阪神ファンも立ち会ってくれました。

一昨年リーグ優勝した時には、まさか2年後にまた優勝できるなんて夢にも思っていませんでした。
岡田監督の見事な采配、それを支えるコーチ陣、そして、全体のことを考えながら自分の役割をしっかりと果たした選手たちが、「強いチーム」を作ったのだと思います。
2年前に比べると、打線が段違いでした。2年前は、個々の選手は力を持っているのに、打線がうまくつながっていきませんでした。日本シリーズでダイエー(当時)に敗れた主原因もそれだったと思います。
しかし今年は、まったく違いました。みんなが「次へつながる打線」を意識していました。そして、そのなかで自分の仕事を堅実にやっていました。その結果が優勝となったのです。
いいトップとそれを支える首脳陣がいて、きちんとした方向性を示す。個々の人間がきちんと力をつけ、全体を意識しながら自分の仕事をきちんとこなしていく。そのどれが欠けても、なかなかうまくいかないのでしょう。つくづく「野球は人生」だと思います。

岡田監督、コーチや選手のみなさん、本当にありがとう。
阪神ファンに「日本一」の夢を見せてやってください。楽しみにしています!



祝・リーグ優勝

2005年09月29日 | 阪神タイガース
本日、めでたく阪神タイガースがリーグ優勝をきめました。

私は、優勝決定の瞬間、折しも上方落語の会を聴いていました。
優勝決定が予想されていたので野球中継が気になったのですが、せっかくとった落語会のチケットと半日の有給休暇を無駄にするのはしのびなかったので、予定どおり落語会へ。

9月24日の記事でご紹介した「大・大阪博覧会」の一貫として開催される「渋谷繁昌亭」という落語会です。渋谷・セルリアンタワー東急ホテルの「ボールルーム」で行われました。
笑福亭生喬師匠、桂小春團治師匠、笑福亭鶴瓶師匠、桂春團治師匠、春風亭小朝師匠、林家染丸師匠という豪華な顔ぶれです。

トリの染丸師匠の噺が終わった後、桂小春團治師匠から「阪神優勝」の報告が。
そして何とその場で、優勝を祝って鏡開きが行われたのです。
会場のお客さんたちに樽酒がふるまわれ、場内は一気に「お祝いムード」になりました。
BGMには何と、三味線の「六甲おろし」が演奏されていました。

落語で笑った後、阪神優勝祝いのふるまい酒をいただいて、実にイイ気分になりました。
今日は、東急百貨店で大・大阪博覧会「栄光のナニワ歴史展」見学→上方落語の会→阪神優勝という、実に「大阪な一日」でした。

まずは、阪神優勝バンザイ!
目指すは、20年ぶりの日本一!



栄光のナニワ歴史展

2005年09月29日 | つれづれ
「渋谷繁昌亭」に行く前に、東急百貨店本店へ寄りました。
「大・大阪博覧会」の一貫として開催された「栄光のナニワ歴史展」を見るためです。

東急百貨店本店へ着くと、すっかり「大阪モード」になっていました。
デパートの前には、大阪名物をあしらった大きなオブジェが。

渋谷・東急百貨店本店の入口に飾られたオブジェ

店内に入ると、各階エスカレーター横に、パネルが展示されていました。
ワッハ上方(なんばグランド花月の前にある演芸資料館)で「殿堂入り」とされている芸人さんたちの紹介パネルです。
見てみると、「殿堂入り」というだけあって錚々(そうそう)たる顔ぶれ。
古い順に紹介すると……

初代桂春団治
↑初代桂春団治師匠。お芝居や歌でも取り上げられ、あまりにも有名ですので、詳細はあえて説明しませんが、「浪花恋しぐれ」という歌の中に出てくる師匠と言えば、たいていの方はわかるでしょう。

砂川捨丸・中村春代
↑砂川捨丸・中村春代師匠。このころのマンザイは、鼓を片手に歌を歌う「万歳(まんざい)」の流れを汲むものでした。

横山エンタツ・花菱アチャコ
↑横山エンタツ・花菱アチャコ師匠。「エンタツ・アチャコ」の名前は、このお二人をリアルタイムで見たことのない人でも、一度や二度は聞いたことがあるでしょう。私も、リアルタイムで見たことはもちろんありませんが、幼いころから「エンタツ・アチャコ」の名前はよく知っていました(私だけ……?)このお二人は、それまでの「万歳」のスタイルを変え、今日のような「漫才(いわゆる「しゃべくり漫才」のこと)」の形を最初に完成させたのです。

6代目笑福亭松鶴
↑6代目笑福亭松鶴師匠。笑福亭鶴瓶師匠や笑福亭鶴光師匠の師匠です。

夢路いとし・喜味こいし
↑夢路いとし・喜味こいし師匠。兄弟漫才の大御所でしたが、一昨年、いとし師匠が亡くなりました。このお二人の漫才をリアルタイムで見ることができたのは、幸せなことです。

横山やすし・西川きよし
↑横山やすし・西川きよし師匠。現在20代以上の人で、このお二人を知らない人はおそらくいないでしょう。「漫才ブーム」の頂点をきわめたコンビです。このお二人の漫才は「爆笑漫才」と評されました。破天荒なやすし師匠と、真面目なきよし師匠のキャラクターが好対照で、キャラクターのまったく異なる二人が、とても楽しそうに、息の合った漫才をする姿が印象的でした。真面目キャラのきよし師匠が漫才では「ボケ」、破天荒キャラのやすし師匠が「ツッコミ」の役割を果たしていたのも面白いです。

ほかにも、5代目笑福亭松鶴師匠、中田ダイマル・ラケット師匠、2代目桂枝雀師匠など、たくさんの芸人さんのパネルがありました。
パネル写真を見ながら催事場へ上がると、グッズ売り場が設置されていました。
阪神タイガースグッズや「ビリケンさん」グッズなどさまざまな「大阪グッズ」のほか、大阪に関連する雑誌や書籍などが、所狭しと並んでいました。
なかにはこんなものも……。

タイガーススーツ
↑タイガーススーツ。ユニフォームのタテジマをあしらったものです。ネクタイもありました。

今では大阪=阪神タイガースというイメージがすっかり定着していますが、以前は大阪にはいろいろな球団がありました。昨シーズンまであった近鉄バファローズのほか、南海ホークス、阪急ブレーブスなど……。
閑話休題。

催事場フロア内に設営された「栄光のナニワ歴史展」会場に入ってみると、まず初めに、道頓堀の歴史について解説されていました。

道頓堀は、今は「くいだおれ、飲み屋さん、映画館、NGK(なんばグランド花月)」というイメージが強いかもしれませんが、江戸時代から戦前までは、数々の芝居小屋や寄席が立ち並ぶ、日本有数の興行街でした。詳細は、大阪観光コンベンション協会による大阪観光案内のサイト大阪の文化のページにも解説がありますので、ぜひごらんください。
芝居小屋や寄席の多くが戦災で焼失し、戦後はそのほとんどが映画館として復興されたため、道頓堀はすっかり様変わりしてしまったのです。
それでも、劇場なら大阪松竹座や新歌舞伎座、演芸場ならNGK(なんばグランド花月)が現在はありますし、数年前まであった演芸場「浪花座」がなくなってからは「B1角座」に演芸場もオープンしています。さらに、来年には上方落語協会による落語定席「天満天神繁昌亭」がオープンする予定です。「芝居や寄席の街」としての道頓堀が徐々に復活してくれることを願ってやみません。


「栄光のナニワ歴史展」会場内には、松竹新喜劇に関する展示もありました。

松竹新喜劇のポスター
↑藤山寛美時代の松竹新喜劇のポスター(レプリカ)

現在では、「新喜劇=吉本」というイメージが強いかもしれませんが、大阪における新喜劇の始まりは、松竹新喜劇なのです。
歌舞伎役者から出た曽我廼家五郎・十郎によって始められ、藤山寛美の時代に全盛期を迎えました。
藤山寛美さんの舞台を収録したDVDが近く発売されるらしく、その映像の一部が会場内で流れていました。どの作品も、喜劇ではあるけれどきっちりとした狂言(芝居)で、ただ単にギャグを連発するようなものではありません。

私が子どものころ、テレビで吉本新喜劇と松竹新喜劇が放映されていたのですが(関東では放映されていなかったかもしれませんが……)、当時の私は吉本新喜劇を好んで見ていました。まだ、間寛平や坂田利夫が新喜劇で活躍していたころです。
一方、両親や祖母は、どちらかというと松竹新喜劇を好んで見ていました。吉本新喜劇もよく見ていましたが、祖母などは、芝居によっては「あんなんドタバタや」と評していることもありました。

それでもまだ当時は、吉本新喜劇も結構ちゃんとした台本が作られていました。
しかし、今の吉本新喜劇は、はっきり言っていただけません。「芸人」とはおよそ呼べないようなタレントまがいの若手が、下世話なギャグを連発しているだけでは、「喜劇」とは言えません。
そしてそれが「大阪の笑い」だと勘違いされているとしたら、ゆゆしき問題です。

まだかろうじてよかったころの吉本新喜劇でさえ、時折「あんなんドタバタや」と言っていた祖母が、今の吉本新喜劇を見たら一体何と言うだろう……と思います。「ナニワの笑い」を担う一翼として、吉本興業にももう少しがんばってもらいたいものです。

子どもだったころの私は、松竹新喜劇を内心退屈だなあと思っていたのですが、今になってみると、その良さがわかります。藤山寛美さんも亡くなり、新喜劇が様変わりしてしまった今となってはもう遅いのかもしれませんが……。


話を元に戻して……。
会場内には、「ビリケンさん」もやってきていました。

ビリケンさん
↑ビリケンさん

「ビリケンさん」は、通天閣の中に安置されている「福の神」ですが、史上初めて通天閣を出て、「大・大阪博覧会」のために東京へやって来られたのだそうです。
ビリケンさんも「いっぺん東京見物でもしてみよか~」と思ったのでしょうか。

何と言っても「福の神」ですから、あだやおろそかには扱えません。
東急百貨店の意向により、ビリケンさんの移動には、飛行機(しかもスーパーシート)とリムジンが使われたそうです。
移動の様子を記録した写真も貼られていましたが、スーパーシートに座ったビリケンさんは、とってもゴキゲンそうに見えました。「富士山がよう見えたで~」とおっしゃっていたそうです(笑)。

ビリケンさんの移動

「東京の人の願いもかなえるで~」と張り切っているビリケンさんの周りには、たくさんの人が集まっていました。
願いをこめながらビリケンさんの足の裏をなでると、願いをかなえてもらえると言われているのです。
長年にわたってなでられてきたせいか、ビリケンさんの足の裏は、結構すりへっていました。

ビリケンさんの足の裏

普段ビリケンさんがいらっしゃる通天閣の中の様子が、ライブカメラで会場内にうつし出されていました。渋谷の会場の様子も、ライブカメラで通天閣にうつし出されていたそうです。
東京からは、通天閣に忠犬ハチ公(レプリカ)が出向いて、ビリケンさんとともに東西交流に貢献していました。



渋谷繁昌亭

2005年09月29日 | 落語
「大・大阪博覧会」の一貫としてセルリアンタワー東急ホテル・ボールルームで行われた落語会「渋谷繁昌亭」へ行きました。
会は盛況だったようで、広い会場に約900人の観客が集まっていました。

3日間計5回の公演には、桂春團治師匠、桂三枝師匠、林家染丸師匠、桂春之輔師匠、笑福亭鶴光師匠、笑福亭鶴瓶師匠など、上方落語界の重鎮が出演されました。
東京の落語界からも、春風亭小朝師匠や林家正蔵師匠などがゲスト出演しました。

私が行った回は、桂春團治師匠、林家染丸師匠、笑福亭鶴瓶師匠、桂小春團治師匠、笑福亭生喬が出演され、ゲストは春風亭小朝師匠でした。
小春團治師匠と小朝師匠は新作落語、鶴瓶師匠は「私落語」という新ジャンルの創作落語を披露され、春團治師匠、染丸師匠、生喬師匠は古典落語を演じました。
染丸師匠は、「はめもの」入りの正統派上方落語を演じておられました。「はめもの」というのは、噺に合わせて入るお囃子のことです。「はめもの」は、上方落語の特徴の一つです。

新作・古典を問わず、どの師匠の噺も、テンポの良い大阪弁と軽妙な語り口で、大いに楽しめました。客席も盛り上がっていました。

トリの林家染丸師匠の噺が終わると、すでに洋服に着替えた桂小春團治師匠が出てきました。小春團治師匠の口から、私にとってはとてもうれしいニュースが発表されました。
このニュースの内容については、こちらをごらんください。





国立劇場九月文楽公演

2005年09月25日 | 伝統文化あれこれ
新橋演舞場での新派公演を観た後、今度は国立劇場へ。
文楽(人形浄瑠璃)の公演を観るためである。
(「かけもち」は控えようと決意したばかりだというのに……)

文楽は、ここ数年で非常に人気が高くなっているようで、国立劇場での公演もチケットがなかなかとれない状態。
今回は幸い、先行抽選販売で千秋楽のチケットを手に入れることができた。

新派の公演の余韻もさめやらぬまま、文楽が始まるのを楽しみにしていたのだが……。

いざ公演が始まってみると……、眠い。非常に眠い。
これまで文楽を観ていてこんなに眠くなることはなかったし、前の晩もわりとよく寝たし、風邪薬や鎮痛薬も飲んでいないし、新派の公演の時はちっとも眠くならなかったというのに……。

演目は「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の「寺入りの段」「寺子屋の段」と、「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」。
「寺子屋」も「女殺油地獄」もよく知っている話だし、見せ場も多い。太夫、人形遣いともに人間国宝も出演する。
それなのに、やけに眠かった。ぱっちりと目が覚めている幕もあるのだが、次の幕になるとまた眠気が襲ってきたりする。

思うにその原因の一つは、興行のあり方なのではないかと思う。正直言って、マンネリ化している感は否めない。
文楽は歌舞伎に比べて演目が少ないので、同じ話がかわるがわる上演されることが多い。
江戸時代には、歌舞伎の話が人形浄瑠璃に取り入れられたり、その逆があったりした。しかし今は、文楽の世界ではそういったことがほとんどない。
もう少し積極的に新しい芝居を作ってもよいのではないかと思う。

文楽の公演は、現在、東京の国立劇場と大阪の国立文楽劇場で主に行われている。いくらお国の施設でやるからと言っても、観客から入場料をとる以上「興行」なのだから、観客を喜ばせるような工夫をしていかないと、ただの「化石」になってしまうよ。
国立劇場の運営母体である日本芸術文化振興会も、ただ漫然と公演予定を組んでいるだけではいけないと思う。

あとはやっぱり、太夫と人形遣いの腕がモノを言うのだろうなあ……(当たり前だけど)。特に人形は遣い手によって、まるで命を吹き込まれたように見える時とそうでない時との差が歴然としている。吉田蓑助さんは、女性の人形を遣うことが多いのだが、いつも人形が命を持っているように見えてすごい。
研修生制度の浸透により、文楽界にはせっかく若手の人も増えているのだから、そういった人たちが力をつけていけるよう、もっと興行を頻繁にやったほうがいいのではないかと思う。それも、民間の興行会社がやっているように、きちんと採算を考えて。

開演前、入口の近くに「余った券買います」という札を持って立っていたオジサマがいたのだけれど(チケットがとれなくて、でもどうしても観たかったんだろうなあ……)、そのオジサマにチケットを売って、木挽町(歌舞伎座のこと)へ行ったほうがよかったなあ……とちょっと思った。


<本日のキモノ>

単の御召に博多織の八寸名古屋帯

9月17日と同じ単の御召で、帯を塩瀬の名古屋帯に変えました。
白の塩瀬地に、文机と本や巻き物などが描かれています。季節を問わない柄ですが、「読書の秋」には特にぴったりかなと思い、締めてみました(写真は家に帰ってから撮ったので、お太鼓のタレがしわになっています……)。

塩瀬の帯は、真夏以外の3シーズンで締められるので便利です(絽塩瀬は真夏に締めます)。おしゃれ着用なので礼装には適しませんが、上品な絵柄であれば、色無地にあわせて軽いお茶席くらいまで締められます。
紬などのカジュアルな織りの着物にも合わせられるので、重宝します。

曇り空だったので、念のため雨ゴートを持っていきましたが、降らずにすんでよかったです。



新橋演舞場九月新派公演「京舞」

2005年09月25日 | つれづれ
3連休の最終日。
新橋演舞場で上演されている、新派のお芝居「京舞」を観に行った。
新派のお芝居はあまり観たことがなかったのだが、ポスターを見てずっと気になっていたので、千秋楽のチケットを直前になってとったのだ。

今月は歌舞伎座で資本を使ってしまったので、2階席でガマン。
新橋演舞場の場合、2階席の左側のほうにモニターがついていて、花道の様子がうつし出されるようになっているので助かる(といっても、小さなモニターなのであまりよく見えないけれど……)。
2階席の左のほうの席だったため、花道は見えないが舞台はよく見えた。

京舞井上流の家元、三世(先々代)井上八千代と四世(先代)井上八千代を主人公としたお芝居で、三世を2代目水谷八重子さん、四世を波乃久里子さんが演じた。
この芝居は、初代水谷八重子さんによって初演され、「新派の名作」とうたわれている演目。

主役のお二人は「さすがの貫禄」という感じだったが、ほかの役者さんたちも錚々(そうそう)たる顔ぶれで、とても引き締まった舞台だった。
緊張とユーモアのメリハリも効いていてとても楽しく、お芝居に引き込まれていく感じだった。

京舞の宗家を演じるだけあって、「舞」にかけるお二人の意気込みはすごかった。
とにかくすごい気迫と貫禄で、お二人が舞っている間じゅう、場内が息をのんで見入っていた感じだ。

舞妓さんや芸妓さん役の女優さんたちも、本格的に稽古をされたようで、本物の舞妓さん芸妓さんに引けをとらない、素晴らしい舞を披露してくださった。
祇園の芸妓さんたちがお祝いの席などで披露する「手打ち式」というのがあるのだが、それも新派の女優さんたちがきっちりと演じていて、本当に素晴らしかった。

もちろん、舞だけでなく演技も本格的で、本当に京都の花街絵巻を見ているような気分だった。
主役のお二人も、芸に生きる女性のきびしい姿を見事に演じていた。

すべてにおいて「本物」を意識した、妥協のない芝居で、非常に素晴らしかったと思う。
「新派って楽しい!」と思える芝居だった。
これからは、新派ももっと観てみようかな。

新派(「新派劇」の略)は、明治以降、100年余りの歴史を持つ演劇。カーテンコールの時に水谷八重子さんが「新派は、まだまだ100年余りの歴史しかありませんが……」と謙遜しておられたが、こういったすばらしい芝居を見ると、新派がすでに1つの芸能ジャンルとして確立されていることを、あらためて感じる。「古いものだから良い」「新しいものだからだめ」ということは決してないのだと思う。
円熟期に入ったと言っても過言ではない新派だが、これからも良い芝居をどんどん発表し、ますます発展していってほしい。



大・大阪博覧会in渋谷

2005年09月24日 | つれづれ
東京の渋谷で「大・大阪博覧会」というのが行われています。
東急百貨店本店で「栄光のナニワ歴史展」やトークショー、東急百貨店東横店で「ナニワうまいもん市」、セルリアンタワーホテルで上方落語の会「渋谷繁昌亭」など、「食す」「笑う」「遊ぶ」「知る」をテーマにした様々なイベントが開催されます。
東急百貨店本店のメイン会場には、通天閣に安置されている福の神「ビリケンさん」が、史上初めて通天閣を出て東京にやって来ているそうです。

会期はイベントによって微妙に異なるので、今日は「ナニワうまいもん市」に行ってみました。
東急東横店の催事場へ行ったら、人でごった返していました。

大阪=「粉もん(お好み焼きやたこ焼きなど、粉をといて作る食べ物)」というイメージが強いかもしれませんが、それだけではありません。
たしかに「粉もん」もおいしいのですが、それ以外にもおいしいもの、歴史のある食べ物はたくさんあります。

その一つが、高麗橋に本店がある「すし萬」の「小鯛雀鮨」です。酢でしめた小鯛が上に並べられた棒ずしですが、魚のしめ具合といい、とにかく絶品です。小鯛のおすしのほかに、鯖の棒ずしもあります。時期によっては、鯵の棒ずしもあります。
鯖ずしは京都にも「いづう」など有名なお店がありますが、大阪の鯖ずしは京都のとはまた少し趣が異なります。魚のしめ方などが微妙に違うのです。「いづう」の棒ずしもおいしいと思いますが、個人的には「すし萬」のほうが好きです。
高麗橋の本店に何度か買いに行ったことがありますが、店の間口が広く、歴史を感じさせる建物です。本店でも小売をしてくれますが、大阪の梅田界隈のデパートで購入することもできます。
せっかくなので、小鯛雀鮨のハーフサイズ(4切分)を買いました。今は暑い時期なのでその日のうちに食べないといけませんが、夏場以外の時期なら2~3日もちます。

「すし萬」のほかにも、うどんの「今井」など有名なお店が出店していました。
「今井」は道頓堀にあるうどん屋さんで、故・ミヤコ蝶々師匠も生前よく通っていたのだそうです。
親子丼と小さなきつねうどんのセットを注文しました。親子丼は、ごま油の風味が効いていました。鶏の玉子とじの上にさらに生卵が乗っていて、まぜて食べるとまろやかな味わいになります。
うどんのつゆをお吸い物がわりにして食べるのが、また格別です。

ほかにも、昆布やお菓子などのお店がたくさん出ていました。

先日、彦八まつりを見に行った際にお目にかかった飴屋さん「なにわの伝統飴野菜 十八屋弥兵衛」も出店しているとのことだったので、行ってみました。すると、先方でも覚えてくださっていて、こちらから声をかける前に「先日の彦八まつりの際は、ありがとうございました!」と声をかけてくださいました。
「彦八まつり」の時、桂あやめさんの「ねちがいや」で「十八屋弥兵衛」さんの飴を売っていたのですが、ちょうどその場にいらした「十八屋」の専務さんが、「今度渋谷でこういうのんをやりますんで」と「大・大阪博覧会」のことを教えてくださったのです。

このお店では、大阪の野菜を使った飴を作っておられます。
「天王寺かぶら」や「田辺横門大根」「毛馬きゅうり」など、いろいろな種類があるのですが、どれも野菜の風味が生きていて、自然なおいしさです。
野菜をかたどったかわいらしい飴もあります(冒頭写真)。これにも、ちゃんとそれぞれの野菜が入っているのです。

渋谷の「ナニワうまいもん市」は9月28日までですが、大阪近辺にお住まいの方は、「うまいもん」のお店にぜひ足を運んでみてください。



歌舞伎座九月大歌舞伎(夜の部)

2005年09月23日 | 歌舞伎
昼の部が終わったら、引き続き夜の部を鑑賞。昼夜通しである……。
昼の部を1階席で観たので、夜の部は3階席。3階席が売り切れていたので夜の部は断念しようと思っていたのだが、2、3日前にインターネットで見てみたら空きが出ていたのでラッキーだった。

昼の部終演後、1階ロビーにある喫茶室に入って、夜の部開演を待つ。
どうやら、ほかにも「昼夜通し」で観る方が結構いらっしゃったようだ。

夜の部の開場時間になったので、喫茶室の入り口でチケットの半券を切ってもらって、3階に上がる。1階から3階までの移動はなかなか大変だ。ご年配の方は大変だと思う。歌舞伎座建て替えの暁には、バリアフリー化が進むのかな……。

3階席でも、前から2列目だったので、割とよく見えた。
3階から舞台を見ると奥行きが感じられるので、1階席で観るのとはまた違った雰囲気で芝居を楽しめる。

1幕目は「平家蟹」。源平の戦いで生き残り、源氏への恨みから我を失ってしまう平家の女官の狂気と悲しみ、人の世の無常とそのなかを生き抜くことの苦しみを、中村芝翫丈が鬼気迫る演技で表現していた。

2幕目は、ご存じ「勧進帳」。吉右衛門丈の弁慶に、富十郎丈の冨樫という、必見の組み合わせ。
お二人の息もぴったりと合っていて、すばらしかった。観ていてゾクゾクする感じだった。
「勧進帳」の前の休憩時間におそばを食べたにもかかわらず、観ている途中でおなかがすいてしまった。息をのんで観ていたからだろうか。「笑いは健康によい」と言われているけれど、いい芝居を観ることも、消化の促進につながり体にいいのかもしれない。
「勧進帳」は長唄の名曲なので、曲を聴いているのも楽しい。

常陸坊以下、義経の家来たちを演じる役者さんたちも、出過ぎず引き過ぎずバランスがとれていてとてもよかった。
義経を引き止めた冨樫に向かって太刀を抜こうとする家来たちを、弁慶が押しとどめる場面がある。冨樫、弁慶、義経の家来たちの力が拮抗してにらみあいになる名場面だ。ここでも、力の均衡が見事にとれていて、演者のエネルギーがすべて舞台の中央に向かって集約されている感じだった。ここでちょっとでも均衡がくずれると緊張感が半減してしまうのだが、絶妙のバランスだった。
こういったことは、ちょっとしたタイミングやその日の役者の体調・気分によって違ってしまうだろうから、毎日同じようにできるとは限らない。同じ台詞、同じ型で演じていても、空気がまったく違う時がある。こういう良い日に当たったのは、とてもラッキーなことだと思う。これこそ、「生の舞台」の醍醐味だ。

3幕目は「忠臣連理の鉢植 植木屋」。忠臣蔵の外伝で、仇討ちの機を待って小間物屋になっている千崎弥五郎がモテモテの色男として描かれている。色男の恋模様を描いた、上方和事(かみがたわごと)の一つ。
弥五郎を演じるのは中村梅玉丈、その恋人・おたか(のちにお蘭の方)を演じるのは中村時蔵丈。梅玉丈は、浮世離れしたお殿様の役のイメージが強いのだが、こういった優男の役もぴったりとはまっていてよかった。時蔵丈の、可憐ながら芯の強い腰元おたかも、芝居を大いに引き立てていたと思う。
モテモテの色男の話とはいえ、やはり仇討ち物、最後は悲しい結末になってしまう。前半のユーモラスかつ艶っぽい雰囲気と後半のシリアスな雰囲気の対比が印象的だ。


今回も、前夜の睡眠時間が3時間という過酷な条件のもとで、しかも昼夜通しという強行軍だったが、昼の部開演から夜の部終演までまったくウトウトすることなく鑑賞できた。これは、芝居の出来が良かったからにほかならないだろう。
今月の歌舞伎座の興行は「大当たり!」であった。



再び歌舞伎座九月大歌舞伎(昼の部)

2005年09月23日 | 歌舞伎
9月17日の記事に書いたとおり楽しい芝居だったので、「もう一度観ておきたい!」と思い、また歌舞伎座へ。
一度観ただけでも十分に楽しめたのだが、先日はちょっと客席が落ち着かない感じだったので、「もう一度観てみるとまた違ったできばえになるのでは?」という期待もあった。

前回と同じ、1階の2等席を確保。気に入った芝居を観る時はやはり1階席がよい。でも、繰り返し観るとなるとコストもかかるし……。そんな時に便利なのが、この「1階の2等席」。
歌舞伎座の場合、1階の後ろのほうは通常、2等席になっている(ただし、初春興行や襲名披露興行などの場合は異なる)。値段も1等席より少し安い。1等席で1回観るのとそれほど変わらない値段で、2回観られる計算である。
1等席に比べると、舞台から少し遠くなり、座席も微妙に狭くなるが、いちいち後ろを向かなくても花道を歩く役者が見えるし、眺めは悪くない。私は、実は1等席よりもこの1階2等席からの眺めのほうが気に入っている。「役者」を観るのではなくて「芝居」を観るなら、あまり前の席でないほうがよいからだ。
歌舞伎座の建て替え計画があるらしいが、もしも建て替えで座席数が減ってしまったら、1階は全部1等席になってしまうのだろうか……。座席は少し狭くてもいいから、1階の2等席は残しておいてもらいたいなあ……と切に願う。

それはさておき。
今回は、先日に比べて客席が落ち着いており、拍手などのノリも悪くなかった。
やはり客席の雰囲気が芝居にも影響するのか、全体的に芝居が「締まって」いた感じだ。

幕開きの「正札附」は、先日よりも演者二人の息が合っていて、どっしりと落ち着いた雰囲気に仕上がっていた。
「正札附」は一見地味な舞踊かもしれないが、「曽我物」のご祝儀舞踊としての品位と貫禄があり、個人的にはとても好きな演目だ。
それにこの「正札附」の曲の一部は、故・三遊亭圓生師匠の出囃子にも使われていたのだ。私はこの曲と圓生師匠の落語が大好きなので、曲を聴くのも楽しみ。
ちなみに今は三遊亭圓彌師匠が「正札附」を出囃子に使っているのだが、最近は「四季の寿」を使うことが多いようで、ちょっとさびしい。

閑話休題。

「賀の祝」は、人形浄瑠璃で有名な「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の一幕。このように、人形浄瑠璃の戯曲を歌舞伎にしたものを、「丸本歌舞伎」という。
丸本歌舞伎ならではの重厚さと品格のある演技が見どころ。演者のバランスも良いし、むやみに「お涙ちょうだい」的になるのではなく、ほどよく抑えた演技がよかった。

「菅原伝授手習鑑」は通しで上演されることも多い演目だが、今回のように一幕だけを抜き出して演じられることも多い。
「賀の祝」は、三つ子の松王丸、梅王丸、桜丸の父親・白太夫の七十歳の祝いに、白太夫の息子たちとその女房たちが集まる場面。祝いの席の後で、松王丸は自ら勘当を申し入れて親兄弟と決別し、桜丸は主君への忠義立てから自害をするというストーリー。
梅王丸は菅丞相(菅原道真)に、松王丸はその政敵藤原時平に仕えていることから、兄弟仲は悪くなっている。この日も、賀の祝に集まったというのに、松王丸と梅王丸は取っ組み合いの喧嘩をし、白太夫が大切にしている松・梅・桜のうちの一本、桜の木を折ってしまう(これは、後に桜丸が自害することの伏線となっている)。

このように実の兄弟はいがみ合っているのだが、血のつながっていない女房たちは、お互いに心を配り合い、白太夫や互いの夫を気づかっている。
こうした聡明な女房たちの姿が芝居をさらに引き立てており、重要な役どころと言える。
松王丸の女房・千代を中村芝雀丈、梅王丸の女房・春を中村扇雀丈、桜丸の女房・八重を中村福助丈が演じた。特に扇雀さんは、こういう役が本当に合うなあ……と思った。
ちなみに3人の女房の名前は、それぞれの夫の名前にちなんだもの。こうした言葉遊びの妙も、古典作品ならではといえる。

中村雀右衛門丈の「豊後道成寺」は、本当にきれいだった。
体をあまり大きく動かさないのに、要所要所の動きや表情で「道成寺」の世界を見事に表現されていて、見入ってしまった。

「東海道中膝栗毛」には、今回も楽しませてもらった。
ほかの芝居の登場人物や台詞が絡んだり、役者の声色が披露されたりと、芝居を知っている人なら「本歌取り」の要領で楽しめる感じだ。もちろん、初めて歌舞伎を観る人も「歌舞伎にはこういうのもあるのか」と楽しめるだろう。

下座音楽も工夫がこらされていてよかった。場面に合わせて様々な曲が次から次へと演奏され、効果的に芝居を盛り上げていた。
ふだん歌舞伎であまり演奏されない曲、たとえば寄席囃子で演奏される俗曲なども、下座音楽にふんだんに盛り込まれていた。役者さんだけでなく、こうした裏方さんの努力にも敬意を表したいところ。
歌舞伎は「総合芸術」であり、ストーリーや役者だけで成り立っているものではないのだということを再認識させてくれた。
弥次さんが大井川を渡る途中で嵐に巻き込まれてしまう場面で「海中かっぽれ」を踊るのだが、この「かっぽれ」も寄席の踊りとして有名。
中村翫雀丈も一緒に踊るのだが、軽快でありながらきっちりときれいに踊っていて、とてもよかった。翫雀さんは、一見地味だけれどいつもきっちり芝居をしていて素晴らしい。こういう人の存在は芝居に欠かせないと思う。踊りもうまい。

喜劇は、度を超すとただのドタバタになってしまう。
アドリブで次から次へと面白おかしいことを言って観客を笑わせるのは簡単だが、それでは「歌舞伎の喜劇」にはならないし、ともするとただのオフザケに見えてしまう。そういった芝居がしたいなら歌舞伎でなくてもよいだろう。また観客も、そういった笑いが欲しいなら、何も高い入場料を払って歌舞伎座へ足を運ぶことはない。テレビのバラエティーで十分だ。

その点この「東海道中膝栗毛」は、役者さんたち一人一人が楽しみながら、しかし足を踏み外すことなく丁寧に演じて、「きれいな喜劇」に仕上がっていた。安易な笑いに逃げない、本当の意味で楽しい芝居だと思う。
この芝居を見終えた時の気分は、ちょうど、寄席で気持ちのよい落語を聴いた時のすがすがしさに似ていた。


<本日のキモノ>

9月17日のコーディネートと同じです。
単の「よそゆき」の着物は、はっきり言って一張羅という感じです……。
無地なので帯で印象を変えられるという点ではよいのですが、汗をかく時期に着るものだし、できれば来年はもう一枚単の着物を誂えたいと思います(希望的観測)。
もうお彼岸だし塩瀬の帯にしようかと思ったのですが、結構蒸し暑い日だったので、断念して単の帯です。



中秋の名月

2005年09月18日 | つれづれ
今年は、9月18日が中秋の名月。ちょうど日曜だったので、向島百花園の「観月の夕べ」に行ってみました。
通常は夕方で閉園するのですが、この日は夜9時まで開園され、園内で琴の演奏や茶会が催されます。
園内には月見棚が作られ(冒頭写真)、その向こうに上る十五夜の月を多くの人が愛でていました。

園内の至るところに、秋の俳句をしたためた行灯が立てられ、闇の中に浮かぶ灯りで幻想的な雰囲気をかもし出していました。

向島百花園入り口の行灯
↑入り口の軒先にも月の絵の描かれた行灯が


<本日のキモノ>

麻の葉の着物に博多織の「やたら縞」の八寸名古屋帯

麻の葉模様の着物(変わり織りの、透け感のない浴衣を木綿の単着物の代わりに)に、博多織の「やたら縞」の模様の八寸名古屋帯。
中秋の名月にちなんで、帯留は「うさぎ」にしました。

うさぎの帯留

帯揚げと帯締めは、グリーンにしています。着物がエンジ色なので合わせる色に迷ったのですが、帯の中にある一色を選んで合わせてみると、割としっくりきました。
着物の場合、洋服とちがって「補色の組み合わせ」、つまり赤と緑、青とピンクのように反対色を組み合わせることが一般的に行われています。「この色の着物にこの帯の色だと合わないかしら」と思っても、小物も含めて実際にコーディネートしてみると、しっくりくることが多いのです。そのため、手持ちの着物や帯をいろいろなパターンで組み合わせてみると、豊富なバリエーションができあがります。
逆に、洋服と同じ感覚で合わせようとすると、地味になりすぎてしまう場合もあります。着物のコーディネートには、洋服のセンスももちろん必要ですが、洋服の常識にこだわらずにとにかく手持ちの物をいろいろと合わせてみると、新しい発見があります。
洋服ではできないような色や柄の組み合わせを楽しめるのも、着物の醍醐味といえます。