本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

歌舞伎座 寿初春大歌舞伎(昼の部再び)

2006年01月21日 | 歌舞伎
1月21日。前日からの予報にたがわず雪が降りました。
しかし、雪にも負けずにまたまた歌舞伎座へ。今月は昼夜あわせてこれで4回目です。
もはや藤十郎襲名披露の「追っかけ」と化しています……。

朝起きた時には雪が降り始めており、屋根や木の上にはすでに積もっていました。道路にはまだ積もっていないけれど、時間の問題。やはり、前日に「雨雪用草履」を入手しておいて正解でした。
雪で電車が遅れる可能性もあるので、早めに支度をして出かけることに。
雨ゴートを着て、ファーマフラーで首をガードして、替えの足袋と劇場内用の草履をバッグに入れ、前日に買った雨雪用草履を履いて、いざ出陣!

幸い、交通機関はまだ乱れていなかったので、開場時間ちょうどに歌舞伎座へ着きました。
歌舞伎座もうっすらと雪化粧です(冒頭写真)。
席に着いたら、1)裾をまくるのに使っていた着物クリップをはずし、裾を下ろす、2)雨ゴートとその下に着ていた道行コートを脱いで袖だたみにする、3)雨雪用草履を普通の草履に履き替える、4)コートやマフラー、履き替えた草履をコインロッカーに入れる、という一連の作業があります。そのためにも、雨や雪の日は早めに会場に着いておくのが大切。

準備も万端に整え、お弁当の予約をしたり舞台写真を買ったりしながら開演を待ちました。
雪だから着物の方は少ないかなあ……と思っていたのですが、意外と着物姿の方が目立ちました。

まもなく開演……というその時、思わぬ問題に直面。前の席に座られた男性が、やたらとデカイ……。隣に座っていた女性と、頭1つぶん違います。しかも体格もがっちり。
舞台を斜めから見る席だったら、前の人が大きくてもほとんど支障がないのですが、あいにく真正面の席。
でも「背低くしてください」とは言えないし(笑)、自分で何とか工夫して見えるようにするしかありません。ほかの席が空いていれば、係員に頼んで席を替えてもらうこともできるかもしれませんが、あいにく席はうまっている様子。

余談ですが、以前、失礼ながらすごく体臭の強い(あるいはものすごく汗かきの)方の隣に座ったことがあります。その時もあいにく席がうまっていたので「私風邪引いてます」みたいな顔をして、ハンカチで鼻を押さえてひたすらガマンしました。
そうしたら、芝居を見て泣いてるように見えてしまったのか(もちろん芝居にも感動しましたが、泣いてはいなかった……)、花道にいた團十郎丈と思いっきり目が合ったことがあります(笑)。ケガの功名というか、思わぬところで得をしました。

そんなわけで、自分一人で劇場を貸し切っているわけじゃないから何が起こるかわからないし、相手を責めても仕方ないので(ずっとしゃべってるとかイヤホンガイドの音が思いっきりもれてるとか、言ってすぐに直してもらえることなら別ですが……)、座る位置を微妙にずらしながら対応。
舞台の中央で座って所作をすることは意外に少ないので、まったく見えなくなってしまうことはまずありませんでした(腰はちょっと痛くなったけど……)。結構なんとかなるものです。


話を芝居に戻して……。
各演目のストーリーや説明は、1月7日の記事をご参照いただくことで割愛させていただきます。

「鶴寿千歳」は、やはり中村梅玉丈と中村時蔵丈のお二人がとても優雅できれいでした。この幕が終わった後、またロビーに行って「鶴寿千歳」の舞台写真を追加購入したほどです(笑)。

坂田藤十郎襲名披露狂言「夕霧名残の正月」も、とにかく素晴らしかったです。
何とも言えない幻想的な雰囲気に、今回も客席が引きつけられているのがわかりました。
劇中口上では、藤十郎丈が「本日は雪の降るなかをお越しくださいまして、まことにありがとうございます」と挨拶をしてくださって、客席もわきました。

「奥州安達原」には、雪の降るなかで親子が抱き合う場面があるのですが、雪の日なので一層雰囲気が盛り上がった感じです。
中村吉右衛門丈の迫力あるダイナミックな演技と、市川段四郎丈、中村吉之丞丈、中村歌昇丈などベテラン勢のどっしりした演技で、観ていて気持ちのいい、とても印象に残るお芝居だと思います。

「万才」は、お正月らしくて軽快な義太夫の詞章と節が、何度聴いてもいいものです。
踊りも華やかできれいで、とにかく楽しい気持ちになる一幕でした。

そして、「曽根崎心中」。
ズバリ言います! 今回の襲名披露興行で「曽根崎心中」を観るのは、南座から通算して3回目でしたが、この日に観たのが私はいちばん好きです!
今を去ること約7年前、歌舞伎座の一幕見で毎日のように観た、あの時の「曽根崎心中」でした。あの時の感動がよみがえりました。

はじめからおしまいまで、あらゆる意味で「絶妙のバランス」のお芝居でした。
お初、徳兵衛、九平次、そのほかありとあらゆる登場人物、そして義太夫と、すべての調和がとれているのです。決して主役のお初だけが目立っているわけではない。だから、どの場面も印象に残る。

昨年12月24日に南座で観た時と1月7日に歌舞伎座で観た時は、お初を演じる藤十郎丈がやや浮いてしまっている感じがしたのですが、今回は違いました。
特にそれを感じたのは、お初と徳兵衛が生玉神社の境内で語り合う場面と、天満屋の中でお初が徳兵衛とともに自害することを決意する場面です。

生玉神社でお初と語り合っていた徳兵衛は、主人の勧める縁談を断ってタンカを切った時の様子を話します。喜んだお初は「もう一度聞かせてくださんせ」と少女のようにはしゃぎます。
ここで力んでしまうと、お初のかわいらしさが消えてしまうなあ……と気になっていたのですが、今回はそのかわいらしさがとてもよく出ていました。

天満屋の場では、敵役の九平次の前で静かな怒りをあらわし、徳兵衛とともに自害する決意を固める場面があります。台詞を張り上げたり間(ま)を多くとったりしない抑えた演技でしたが、それによってお初の強い意志と覚悟がより伝わってきました。

いざ心中する時のお初と徳兵衛も、死に向かう者の静かな覚悟がよく表れていました。そして静かななかにも鬼気迫るものが感じられて、息をのみました。
ほかにも印象に残った場面は枚挙にいとまがありませんが、とにかく感動しました。無意識に涙をこらえていたようで、終わったとたんに鼻水が出てきました……(本当)。
今回はとにかく素晴らしい舞台だったと思います。がんばって何度も劇場へ足を運んで、本当によかったと思いました。

それにしても、お初は19歳という設定の役なのですが、74歳の藤十郎丈が演じてそのかわいらしさがとてもよく伝わってくるのです。本当にすごいです。
「年を取ると若い女性の役をやるのには無理があるのではないか」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。なぜなら、歌舞伎は「究極のバーチャル&デフォルメ」だと思うからです。
映画やドラマの世界では、実年齢や性別にあった配役をしなければリアリティーが出せない。しかし歌舞伎(ほかの芝居や落語も同様ですが)では、それらを超えたところで人物を表現できる。だからおもしろいし、様々な可能性があるのだと思います。
「年を取ったら若い役はできない」というなら、男性が女性の役をやることだってできなくなってしまいます。

藤十郎丈はまだまだお初を演じ続けられると思いますし、まだまだ演じ続けていってほしいです!
またどこかの劇場で(できればまた歌舞伎座でやっていただきたいですが……)、「曽根崎心中」を観て今日と同じ感動を味わえることを、今から楽しみにしています。


<本日のキモノ>

花の丸の小紋に星梅鉢の帯

花の丸模様の緑色の小紋に、星梅鉢の帯です。
小紋は千總で帯は川島織物という、「京都」なコーディネートです(笑)。
初代坂田藤十郎が京都で活躍した役者であり、現藤十郎丈も京都のお生まれなので、それにちなんでみました。
扇子も京都・宮脇賣扇庵のものです。藤十郎の名前にちなんで藤の柄にしました。

藤の柄の扇子

寒い日なので扇子を開いて使うことはありませんでしたが、たとえ見えなくても細かなところに凝った日は不思議と気分がいいです。

雪対策として、外を歩く時は着物の裾を下の写真のように処理しました。
この上から雨ゴートを着ます。雨ゴートは足元までの長さがあるので、外からは全然わかりません。
目的地に着いたら、雨ゴートを脱ぐ前にクリップをはずします。そのまま裾が下に落ちるので、着物の裾を整えてから雨ゴートを脱ぎます。

雨や雪の時の裾処理

ちなみに、前日に買った雨雪用草履、なかなかのスグレモノでした。
雪が積もった道やシャーベット状の道をツカツカ歩いても、滑りませんでした。
さすがに雪国では無理だと思いますが、5~10センチ程度の積雪なら大丈夫そうです。



歌舞伎座 寿初春大歌舞伎(夜の部再び)

2006年01月10日 | 歌舞伎
1月10日に歌舞伎座へ行ってきました。夜の部の招待券をいただいたのですが、4時45分開演なので午後半休をとって会社を早退(ごめんなさい……)。

会社を出るのがギリギリになったので、大急ぎで歌舞伎座へ。着いたのは開演5分前でした。
2階の桟敷で舞台にもわりと近い位置だったので、1階席とはまた違った角度で楽しめました。上から見るぶん、1階席よりもむしろ舞台が間近に感じられて、観ているほうも緊張しました。

各演目の紹介については、1月3日の記事をごらんください。

「伽羅先代萩」の子役2人(中村虎之介くん、中村鶴松くん)の熱演が印象的でした。
千松役の虎之介くんと、千松の母・政岡役の藤十郎丈とは祖父・孫の関係なので、お互いに信頼しあっている様子もよく伝わってきました。

虎之介くんは、緊張のためか思わずごはんを落としてしまうハプニングがありましたが、却ってリアルでよかったと思います。年端の行かない子どもが、涙が出るほどの空腹に耐えてやっとごはんを食べる。空腹だからお箸を持つ手にも力が入らないけれど、食べたい気持ちははやる……という感じが出ていました。それに、かわいかったし(笑)。
生の舞台だから失敗はつきもの。でも、今回の舞台のように一生懸命演じていれば失敗もよい方向に進むと思うので、気にしないでね、虎之介くん。

夜の部は、口上の後の30分の幕間(弁当幕)までで売店が閉まってしまうので、お弁当を急いで食べてロビーへお土産を買いに行きました。有休をとらせてもらったので、会社の人たちへのお土産に襲名披露記念菓子を……。
舞台写真も出ているかなあ……と思ったら、この日はまだ出ていませんでした。いつもだと出ているころなんですが、お正月だからいつもより遅めだったのかも?
私はこの後もう一度観に行く予定があったので「その時でいいか」と思ったのですが、そんなに何度も来ないという人も多いと思うので(というかそのほうが普通……笑)、できるだけ早くから売るとよいんじゃないかなあ……。筋書(パンフレット)には興行後半にならないと舞台写真が入らないし……。



歌舞伎座 寿初春大歌舞伎(昼の部)

2006年01月07日 | 歌舞伎
お正月に続いて、七草の日に歌舞伎座へ行ってきました。今度は昼の部です。

昼の部の1幕目は、箏曲舞踊の「鶴寿千歳(かくじゅせんざい)」。
曲名から見てもわかるとおり、ご祝儀舞踊です。
緞帳が上がると、舞台上手(かみて)に箏曲のみなさんが並んでいました。女性ばかりです。歌舞伎の舞台に女性が上がるのは、「助六由縁江戸桜」の一中節や、今回のような箏曲など限られた時だけなのです。

踊るのは、中村梅玉丈と中村時蔵丈。
白と赤を基調とした王朝風装束に身を包んだお二人がせり上がってくると、客席から「きれいねえ~」というため息がもれていました。
ベテランのお二人だけあって、ゆったりと落ち着いた格調高い舞で、まるで一枚の美しい絵を見ているような素敵なひとときでした。


2幕目は、坂田藤十郎襲名披露狂言の一つ「夕霧名残の正月」。
昨年末の京都・南座での襲名披露興行と同じ配役です。
演目についての詳細は、南座での観劇記をごらんいただくことにして……。
当月も、南座の時と同様、坂田藤十郎丈、片岡我當丈、片岡秀太郎丈による劇中口上が行われました。

放蕩の末勘当された藤屋伊左衛門(坂田藤十郎丈)のもとへ、病で亡くなったなじみの遊女夕霧(中村雀右衛門丈)の幻が現れます。
夕霧が去り、伊左衛門が我に返ったところへ、夕霧のいた店の主人(片岡我當丈)と女将(片岡秀太郎丈)がやってきます。
「夢の中とはいえ、若旦那が夕霧と会えたことはおめでたい」という主人。そこで女将が「おめでたいといえば、若旦那、襲名のご披露をみなさまの前で……」と話を切り出します。
そこで「とざい、とーざい」と声がかかり、三人が居ずまいを正して、口上に移ります。

我當丈は、藤十郎丈が着ている衣装「紙衣(かみご)」についての解説も交えながら口上を披露してくださいました。
秀太郎丈は、ユーモアを交えての口上で客席をわかせてくださいました。また、「上方歌舞伎ということで、後ろに控えている者たちもみな上方の役者なのでございます」と大部屋の役者さんたちも紹介してくださいました。客席からもエールのこもった拍手が起こりました。

この日はちょうど我當丈のお誕生日だったそうで、秀太郎丈が「おめでたついでにもう一つ、実は今日は兄・我當のお誕生日でございます」と披露し、客席からは祝福の拍手が起こりました。
弟さんからの意表をついた口上で、我當丈は平伏したまま照れ笑いしておられました(笑)。
藤十郎丈も我當丈のほうを向いて「お誕生日おめでとうございます」とお祝いを述べ、我當丈も「ありがとうございます」と返していたのがあまりにも自然で、おもしろかったです。
共演を重ねている三人の息の合った口上で、ほのぼのとした楽しい雰囲気になりました。

それにしても、藤十郎丈演じる伊左衛門と雀右衛門丈演じる夕霧が織り成す世界は、本当に幻想的でした。まるで別世界のものを見ている感じでありながら、舞台に引き込まれていくのです。
二人が一緒に月を見上げるシーンがとても印象的でした。客席も一瞬息をつめてしまうような、美しくせつない一場面でした。


お昼をはさんで、3幕目は「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)環宮明御殿の場」。
「奥州安達原」は、全5段からなる義太夫狂言で、「環宮明御殿」はその3段目です。

親の反対を押し切って駆け落ちした武家の娘・袖萩。夫との間に一人娘・お君をもうけますが、夫と生き別れになった挙げ句に失明してしまいます。
お君に手を引かれて諸国を回り、三味線を引いて芸を披露しながら生計を立てる身の上となった袖萩は、ある時、父・直方が切腹の危機に面していることを知って両親の元へかけつけます。
しかし、勘当した娘を父は屋敷内に入れてはくれません。
不孝な自分を悔やみ嘆く袖萩と、幼いながらも一生懸命親を助けようとするお君のいじらしい姿を見て、袖萩の母・浜夕は涙にくれ、何とか直方との間をとりもとうとしますが、直方は聞き入れようとはしません。
そのうえ、自分の娘の夫が朝敵・安倍頼時の息子安倍貞任(さだとう)であると知った直方は、いよいよ娘を許さず、切腹の覚悟を固めます。
一方、直方の屋敷で捕えられていた義弟・宗任から直方を討ってほしいと頼まれた袖萩も、苦渋に迫って自害を決意します。
切腹の際、直方は袖萩に、来世で親子の対面をしようと言って娘を許します。しかしそれと時を同じくして、袖萩は庭先で自害していたのです。娘の自害を知った母・浜夕は、孫のお君を抱いて嘆き悲しみます。
そこへ、上使として直方の屋敷へ来ていた桂中納言が現れるのですが、実はそれは安倍貞任の変装で……。

前半の、袖萩が直方の屋敷を訪れる場面では、袖萩を演じる福助丈が自ら三味線を弾くのが見どころの一つです。
袖萩の三味線と唄を聞きながら涙を流す浜夕(中村吉之丞丈)が、とても印象的でした。抑えた演技なのに、娘や孫を思う母親の心がひしひしと伝わってくるのです。娘や孫が不憫でも、武士の妻であるがゆえに思うようにできないというつらさがとてもよく表現されていました。
お君役の山口千春ちゃんの熱演も、観客の心を打ちました。

後半の大きな見せ場は、正体を見破られた貞任(中村吉右衛門丈)が、桂中納言の公家姿から「ぶっかえり」で一気に侍の姿になるところです。
吉右衛門丈の迫力ある演技に、客席も魅了されていました。
荒々しい姿の貞任が、袖萩とお君を抱きかかえて涙を流す場面も印象的で、客席から拍手が起こっていました。夫婦や親子の情愛は、やはり義太夫の基本という感じです。

貞任の弟宗任を演じる中村歌昇丈も、形がビシっと決まって声もよく通って、すごくカッコイイなあ……と思います。「これぞ歌舞伎役者」といった感じです。こういう人がいるとお芝居がとても引き立ちます。


4幕目は、義太夫舞踊の「万才」。
踊るのは中村扇雀丈と中村福助丈。東西の成駒屋の競演です。
福助丈は中村芝翫丈の代演を務めるのですが、1つ前の幕にも大きな役で出演しているので大変だろうなあ……と思います。でも、前の幕の疲れも感じさせずに優雅に舞っておられる様子はさすがプロです。
扇雀丈の踊りも、きっちりとしていてとてもきれいでした。
義太夫の節や詞も軽快で、お正月のおめでたい雰囲気がよく伝わってきます。


昼の部の喜利は「曽根崎心中」。こちらも、京都・南座に続いて上演される坂田藤十郎襲名披露狂言です。
南座では3階席でこの芝居を観たのですが、今回は1階席だったので、役者さんの表情もよく見えて、一層迫力が伝わってきました。観客が引き込まれていくのがよくわかりました。

坂田藤十郎丈は、さまざまなインタビューで「役の心を大切にして演じる」ことを語っておられます。役の心になって演じれば、演技は自然とついてくるというのです。
私が藤十郎丈ファンである一番の理由は、まさにそこなのです。

鴈治郎時代から何度も舞台を見ていますが、彼はどんな時でも手を抜かない。役になりきって、役を大切にして演じている。たとえお客さんの入りが少ない日でも、あまり拍手をしないお客さんの前でも、役の心を大切にして芝居をしているから「手を抜く」ことはありえないのです。
だからこそ役の心情が伝わり、観客は心を打たれるのだと思います。

私は、平成11年4月の歌舞伎座で「恋飛脚大和往来 封印切」とこの「曽根崎心中」を観て、藤十郎丈(当時・鴈治郎)の「役の心を大切にした芝居」を目の当たりにし、心を打たれました。「人間」がよく伝わってくるのです。歌舞伎を観て涙が出てきたのは初めてでした。「歌舞伎ってこんなにおもしろいものだったのか」と思いました。

それから何年も経っているのに、藤十郎丈の舞台に対する意気込みは衰えるところを見せない。すごいことだと思います。


すごいと言えば、藤十郎丈の奥様の扇千景さん。
この日も、多忙ななか歌舞伎座へお越しになり、お客様の応対をされていました。
終演後には出口付近で観客を丁寧に見送っておられました。ご贔屓の方や顔見知りの方だけでなく、一般のお客さんにも同じように笑顔を向けて「ありがとうございました」と挨拶をしておられるのです。私もそうやって声をかけていただけて、とてもうれしくなりました。当たり前のことのように見えるけれど、なかなかできないことだと思います。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」小泉チルドレンとして国会デビューした新人議員の先生たちも、ぜひこれからのお手本にしてもらいなあ……と思います。


<本日のキモノ>

紺の鮫小紋に星梅鉢の帯。
12月24日の南座の時と同じコーディネートです。



歌舞伎座 寿初春大歌舞伎(夜の部)

2006年01月03日 | 歌舞伎
1月3日、歌舞伎座へ行きました。今年の「初芝居」です。

これまでにもお伝えしたとおり今月の歌舞伎座は、先月の京都・南座に続いての、中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露興行です。

初春興行なので、歌舞伎座の前には大きな門松が立てられ、繭玉も飾られて、お正月らしい雰囲気になっています。
夜の部の開場を待っていると、歌舞伎座前には着物姿の女性がたくさんいらっしゃいました。
お正月なので、訪問着をお召しの方もたくさんいらっしゃいます。
振袖姿のお嬢さんもちらほらと見られました。若い方の振袖姿は、その場の雰囲気を華やかにしてくださって、本当に良いものです。

お正月だし、坂田藤十郎襲名披露興行だし、今回はフンパツして桟敷席をとりました。
といっても、1等席と2000円しか差がないので、お茶が用意されていてテーブルがあってゆったり座れることを考えると、お得だと思います。

場内に入ってまず目に入ってきたのは、藤十郎襲名の祝幕。
南座で使われていた祝幕と同じ色ですが、藤十郎丈の定紋「星梅鉢」と替紋「向かい藤菱」の配置が微妙に異なり、背景には祇園祭の鉾や葵祭の牛車が描かれています。

坂田藤十郎襲名の祝幕


場内の提灯も、普段は歌舞伎座の紋「鳳凰丸」が描かれているものが使われていますが、今回はそのなかに「星梅鉢」の提灯も混じっています。
至るところに繭玉が飾られ、お正月ムードも満点でした。

星梅鉢の紋の提灯

歌舞伎座の場内に飾られた凧と繭玉


2階ロビーには、南座の時と同様「紙衣」が展示されていたほか、祝幕の箱(下の写真)も飾られていました。

坂田藤十郎襲名祝幕の箱


場内の華やいだ雰囲気を味わっているうちに、いよいよ開演です。

1幕目は「藤十郎の恋」。
初代坂田藤十郎のことを題材にしたお芝居で、菊池寛の同名小説をもとに作られ、大正8年に初代中村鴈治郎によって初演されました。
中村鴈治郎家の「家の芸」である「玩辞楼十二曲」の一つです。
今回、初代藤十郎の役を演じるのは中村扇雀丈。

お父様である3代目中村鴈治郎丈が坂田藤十郎を襲名され、「成駒屋」から「山城屋」に移ったため、関西の「成駒屋」は中村翫雀丈・扇雀丈のお二人がしょって立たなければなりません。
「藤十郎の恋」でも、扇雀丈の姿からその気概が感じとれました。


2幕目は、坂田藤十郎襲名披露の「口上」。
南座に引き続き中村雀右衛門丈を筆頭に、幹部俳優がずらりと並んでの口上です。
今月は、藤十郎丈のお孫さんである中村壱太郎くんと中村虎之介くんも列座していました。
口上は、華やかでおめでたくて、何度観ても気持ちの良いものです。


2幕目の後が食事の幕間です。
開演前に予約しておいた「襲名弁当」を、歌舞伎座内の食堂でいただきました。
襲名を祝うおめでたい献立で、坂田藤十郎襲名記念の「一筆箋」もついています。この一筆箋が欲しくて予約しました(笑)。
お弁当を食べ終わった直後に、開演5分前を知らせるブザーが鳴ったので、急いで席に戻りました。
ロビーでお土産も見てみようと思ったのですが、断念しました。


3幕目は「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」。
人形浄瑠璃の演目を題材にした「丸本歌舞伎」のなかでもとりわけ有名な作品です。
今回は「御殿」「床下」の2場が演じられました。

お家騒動の渦中、若君・鶴千代を必死で守ろうとする乳母・政岡を、藤十郎丈が演じます。
政岡の息子で政岡とともに若君の側に仕える千松を、中村扇雀丈のご長男・中村虎之介くんが演じます。虎之介くんは、これが「中村虎之介」としての初舞台となります。

毒殺をおそれて、他の者が持ってきた食べ物は絶対に若君に食べさせない政岡。
若君と千松の食事は、政岡自らが米をといで作っています。
お腹をすかせた若君と千松をなだめながら米をといで炊く「飯炊き(ままたき)」の場面は、このお芝居の見どころの一つ。
健気に空腹に耐え、ご飯が炊けるのを待つ千松と若君の姿が、とてもかわいらしかったです。
千松を演じる虎之介くんは、一つ一つ丁寧な表情や所作で、役の心を見事に表現していました。行く末が楽しみです。
鶴千代役の中村鶴松くんも、幼いながらも主君の風格を備えた若君を見事に表現していました。
子どもというのは、本当に大きな可能性を秘めているなあ……と感心しました。

続く「床下」の場では、中村吉右衛門丈が荒獅子男之助、松本幸四郎丈が仁木弾正(にっきだんじょう)を演じ、藤十郎襲名披露のお芝居に花を添えました。
御殿の床下で忠臣・男之助が、仁木弾正が化けたネズミを捕まえ「あら、怪しやな~!」と叫ぶ場面は有名です。
前の「御殿」の場からこの「床下」の場に移る時の舞台転換も、歌舞伎ならではの手法で見応えがあります。


4幕目は「島の千歳(しまのせんざい)」「関三奴(せきさんやっこ)」の舞踊二本立てです。
「島の千歳」は中村芝翫丈が踊る予定だったのですが、病気休演のため中村福助丈が代わりを務めます。丁寧に踊っておられて、ご祝儀舞踊の品格がとてもよく表されていたと思います。
「関三奴」を踊るのは中村橋之助丈と市川染五郎丈。橋之助さんの踊りは丁寧かつ軽快で、とてもきれいでした。染五郎さんの若さあふれる踊りとの調和で、大喜利にふさわしい華やかな舞踊に仕上がっていたと思います。


お正月休みの締めくくりに、初春興行と襲名披露興行が重なった歌舞伎座でおめでたい雰囲気を堪能でき、大満足でした。


<本日のキモノ>

12月23日に南座で観劇した時と同じコーディネートです。

大みそかに結った日本髪が残念ながらこの日までもたなかったのですが、せっかく桟敷もとったのだし……と思い、3日から営業している美容院で新日本髪を結っていただきました。

新日本髪

新日本髪(後ろ)

今回結っていただいたのは、浅草の美容院です。日本髪も結えるお店ですが、翌日から仕事だったので、くずしやすくて結髪料も安い新日本髪にしました。

「新日本髪」というと「日本髪を現代風にアレンジした髪型」と考えておられる方が多いようですが、実はそうではないのです。形の違いではなく、結い方の違いなのです。
新日本髪は、鬢付けや「かもじ」を使わず、「逆毛」を立てることによって髪にボリュームを出しながら形を作っていきます。
それに対して、いわゆる古典的な「日本髪」の場合は逆毛は立てません。
今回結っていただいたのも、結い方は「新日本髪」ですが形は古典的でした。

浅草のお店だけあって、形はやはり江戸風でした。
前髪は大きくて前にせり出し、鬢(びん:顔の横の部分の髪)も大きく作られています。
大みそかに結っていただいた京風の髪型とは、かなり違いがあります。

美容院に着いた時、ちょうど日本髪の結い直しにいらしていた方を見かけたのですが、芸者さんのカツラのような本格的な島田で、粋な感じでした。

江戸風の髪型もいいのですが、背の高くない私にはいささか大きすぎたかもしれません(ウルトラの母みたいになってしまう)……。やっぱり京風の小ぶりな形のほうが、自分には合っている気がします……。

歌舞伎座の前に早めに着いて写真を撮っていたら、外国人観光客の団体さんが乗った「はとバス」が到着し、「写真を撮らせてください」攻勢にあいました(笑)。でも、みなさんとても喜んでくださっていたので、うれしかったです。



坂田藤十郎襲名披露 船乗込み&お練り

2005年12月28日 | 歌舞伎
京都・南座の顔見世興行で始まった、中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露。
新春2日から、いよいよ東京・歌舞伎座でスタート。

歌舞伎座での興行を前にして、12月28日、東京で「お練り」が行われました。
「お練り」とは、歌舞伎役者の襲名の際に興行の成功を祈願して行われる、パレードのようなものです。

今回は「お練り」とともに「船乗込み(ふなのりこみ)」も行われました。
「船乗込み」とは、役者が巡業に赴く際、現地に船で乗り込むことです。

歌舞伎座の東を通り新橋演舞場へ向かって走る高速道路がありますが、そこは昔は川でした。
新・藤十郎丈は昔、新橋演舞場で公演を行った際、お父様である二代目中村鴈治郎丈とともに「船乗込み」を行ったそうです。
しかし、その川が埋め立てられ高速道路になって以来、東京では船乗込みが行われていませんでした。
今回の襲名披露により、久々に東京で船乗込みが行われたのです。
といっても、歌舞伎座の近くには残念ながら川がないため、日本橋で行われました。
襲名披露の船乗込みとお練りが日本橋で行われるのは、今回が初めてだそうです。

新・坂田藤十郎丈が乗った船は、隅田川を上って「日本橋」の下を通り、「常磐橋」の船着場へ到着します。
常磐橋の上で待っていると、藤十郎丈はじめ関係者の皆さんを乗せた船がやってきました。
船が見えると、橋の上で待っていた人たちが拍手で出迎えます。「山城屋!」の掛け声をかける方もいらっしゃいました。
藤十郎丈は、橋の上で出迎えた人々に、にこやかに手を振ってくださいました。大感激です。

坂田藤十郎丈の船乗込み
↑坂田藤十郎丈の船乗込み


船乗込みの後、常磐橋たもとにある日本銀行の前で、襲名披露セレモニーが行われました。
松竹副会長の挨拶、日本銀行総裁や中央区長からの祝辞に続き、祇園甲部芸妓衆による「手打ち式」が行われました。
「手打ち式」は、その昔、南座の顔見世興行の際、役者を出迎えるために行われていた儀式だそうです。現在では、お祝い事の席などで披露されています。
揃いの黒留袖を着て、手ぬぐいを頭に乗せた芸妓衆が、おめでたい文句を唱和しながら一糸乱れず拍子木を打ち鳴らします。
きれいな芸妓さんたちがずらりと舞台に並ぶ様子は、圧巻でした。

祇園甲部芸妓衆による「手打ち式」
↑祇園甲部芸妓衆による「手打ち式」


手打ち式の後は、いよいよ坂田藤十郎丈の挨拶です。
襲名披露セレモニーの会場にはとても多くの人が集まっていて、藤十郎丈も感激しておられたようです。
「お寒いなか、こんなに大勢の方が集まってくださり、本当に『生きててよかった』と思っております」とおっしゃってくださって、こちらもうれしくなりました。

セレモニーの後、日銀前から日本橋のたもとまで「お練り」。
鳶頭衆による「木遣り」を先頭に、藤十郎丈、関係者のみなさん、祇園甲部の芸妓衆が続きます。

坂田藤十郎丈襲名披露「お練り」
↑坂田藤十郎丈襲名披露「お練り」。先頭は鳶頭衆による「木遣り」。


沿道にはたくさんの人が集まっていました。
すぐ近くで藤十郎丈を見られて、大感激でした。

お練りの後、藤十郎丈はオープンカーに乗って日本橋から歌舞伎座まで移動。今度は歌舞伎座前でセレモニーが行われました。
藤十郎丈の挨拶の後、鏡開きが行われ、見物客にもふるまい酒が配られてお開きとなりました。

歌舞伎座では、襲名披露興行の準備が早くも整えられていました。
正面玄関の右側に、裃をつけた藤十郎丈の特大パネルが飾られています。

坂田藤十郎襲名披露興行パネル
↑坂田藤十郎襲名披露興行パネル


歌舞伎座での襲名披露興行は正月2日から26日まで。
お正月興行と襲名披露興行が重なったおめでたい興行なので、お時間のある方はぜひ歌舞伎座へ足を運んでみてはいかがでしょうか。


<おまけ>

日本橋三越本店のショーウインドウにも、藤十郎襲名を祝ってパネルが飾られていました。

日本橋三越ショーウインドウの坂田藤十郎パネル

日本橋三越ショーウインドウの坂田藤十郎パネル


<本日のキモノ>

染大島にやたら縞博多帯

母からもらった染大島です。
叔母が若いころに着ていたもので、ずっと実家にあったのですが、袖丈が1尺5寸とやや長いので(今の着物の袖丈は1尺3寸が主流)、袖丈の合う襦袢がなく全然着ていなかったのです。
袖丈を1尺3寸に直そうかと母が言っていたのですが、そんな時にちょうど、インターネットで「うそつき襦袢」の替袖を見つけました。

うそつき襦袢というのは、半襦袢の袖の部分にマジックテープがついているもので、袖だけ自由に取り替えることができます。
着物に合わせて襦袢の柄を変えたいけれど、そんなに何着も襦袢を持てないし……という悩みを解決してくれるお役立ちアイテムです。

その「うそつき襦袢」の替袖に、袖丈1尺5寸のタイプが登場したのです。マジックテープ式なので、裄(ゆき)も着物の寸法にあわせて自在に調節できます。
この便利アイテムのおかげで、着物の袖を切らずにすみました。

「大島は軽くて着やすいし、寄席に着ていくのにちょうどいいよ」と言って母がくれたのですが、着てみると本当に軽いです。
また、大島特有の光沢とシャリ感、絹なりの音がとても心地よいです。ふだん着としてこれから重宝しそうです。

帯は、やたら縞の博多織の八寸名古屋帯。
寒かったので、ベルベットのコートを着ました。
袖が筒状になっていて風が通らないので暖かいです。

ベルベットコート



南座・坂田藤十郎襲名披露興行(昼の部)

2005年12月24日 | 歌舞伎
京都旅行2日目。
この日もまた南座へ。坂田藤十郎襲名披露興行の「昼の部」を観るためです。
さすがに今度は3階席です……。

夜の部では、幕間にゆっくり場内を見ることができなかったので、今回は開演前にロビーをまわって、舞台写真を買ったり襲名記念グッズや展示品を見たりしました。

2階ロビーには、「紙衣(かみご)」が展示されていました。

紙衣
↑紙衣

「紙衣」というのは、紙で作った着物のことです。
歌舞伎では、みすぼらしい身なりを表す衣装として「紙衣」が用いられます。普通は、布の衣装に縫い取りで手紙の文字を表すことで「紙衣」を表現するのですが、今回の興行では、本物の「紙衣」が使われています。
最近は紙も進化していて、破れにくくゴワゴワ感の少ない、着心地のよいものができあがったそうです。とはいっても毎日舞台で使用するものですから、裏地には羽二重(絹)が使われて補強されているそうです。

「紙衣」は、初代坂田藤十郎が和事を演じる時に用いられていたそうです。初代藤十郎が後進に芸を継承する時には「紙衣譲り」という儀式が行われたそうで、紙衣はいわば「坂田藤十郎の代名詞」とも言えます。
新・坂田藤十郎丈は、初代藤十郎への憧れと敬意から、今回の興行で本物の紙衣を使用されたのだと思います。

紙衣を見て「紙とは思えないほどよくできているなあ……」と感心しているうちに、いよいよ開演です。

1幕目は「女車引(おんなくるまひき)」。
「菅原伝授手習鑑」の一幕「車引」に出てくる三兄弟、松王丸、梅王丸、桜丸の女房を登場人物にした清元舞踊です。
荒事の「車引」とは対照的な、女形ならではのしっとりとした華やかな踊りが、襲名披露興行の幕開けに花を添えていました。


2幕目は「夕霧名残の正月(ゆうぎりなごりのしょうがつ)」。
放蕩の末に勘当され、紙衣に身をやつした伊左衛門が、なじみの遊女・夕霧のもとを訪れると、夕霧が病気で亡くなってしまったことを知らされます。
悲しみにくれる伊左衛門のところへ、夕霧の幻が現れる……という、舞踊仕立てのお芝居です。

伊左衛門を演じるのは坂田藤十郎丈、夕霧を演じるのは中村雀右衛門丈。人間国宝どうしの競演です。
「夕霧名残の正月」は、初代坂田藤十郎の当たり狂言だったそうです。そのため、今回の襲名披露の演目にも選ばれたようですが、初代の演じた台本が残っていなかったことから、地唄「由縁の月(ゆかりのつき)」などをもとに新たに書き起こされ、新・藤十郎丈によってこのたび復活上演されました。
「つっころばし」と言われるひよわな色男の役を演じる新・藤十郎丈は、本当にきれいです。雀右衛門丈演じる夕霧のはかなげな美しさと見事に調和し、ほうっと息をついてしまうような、幻想的な世界が創り出されていました。

幻となって伊左衛門の前に現れた夕霧が消えて行った後、店の主人・三郎兵衛と女将・おふさが出てきます。
三郎兵衛を演じるのは片岡我當丈、おふさを演じるのは片岡秀太郎丈です。
三人の会話の後、おふさ役の演じる秀太郎丈が「あ、おめでたいといえば若旦那、襲名のお祝いが」と話を切り出し、劇中で襲名披露の口上が述べられます。
裃をつけての正式な口上とはひと味ちがった、ユーモアの交えられた楽しい口上でした。
我當丈と秀太郎丈は、藤十郎丈と常日頃から共演されているので、息もぴったりと合っていました。


3幕目は「義経腰越状 五斗三番叟」。
中村吉右衛門丈演じる五斗兵衛(ごとびょうえ)が、大酒を飲まされて酔っ払い「三番叟」を踊り出すという内容ですが、この「三番叟」がとても面白いのです。
「三番叟」はご存じのとおりご祝儀舞踊ですが、酔っぱらっての座興という設定ですから、着ている裃の肩衣を素襖に、煙草入れを烏帽子に見立てた格好で踊るのです。
周りを取り囲む奴たちを、紙相撲や奴凧に見立ててあしらいながら軽快に踊る様子は、とにかく「楽しい」の一言に尽きます。
最後は、奴たちに馬乗りになって、五斗兵衛が堂々と花道を入っていきます。

前半は、主君を裏切って窮地で追い込もうと企む錦戸太郎と伊達次郎の会話で、緊張感の漂う雰囲気。
中盤は、太郎と次郎にそそのかされて酒を飲み、しだいに酔っぱらっていく五斗兵衛のコミカルな演技。
後半は、奴たちを相手に軽快に踊る五斗兵衛。
場面展開が見事で、見終わった後爽快な気分になるお芝居だと思います。派手なお芝居ではないけれど、楽しくて見どころ満載で、好きな演目の一つです。
ただ、これを見る時は必ずと言っていいほど、前半から中盤にかけて眠くなってしまいます……。私だけでしょうか……?
錦戸太郎役の中村歌六丈も、伊達次郎役の中村歌昇丈も、とても形がよくてきっちりとした演技で素晴らしかったのに……。しだいに酔っぱらっていく五斗兵衛も絶妙だったのに……。


4幕目は「文屋(ぶんや)」「京人形」の舞踊2本立てです。
「文屋」を踊るのは片岡仁左衛門丈、「京人形」を踊るのは尾上菊五郎丈と尾上菊之助さんです。

仁左衛門丈は、女官たちを相手にしたコミカルな演技をしつつ、品格のある美しい踊りを披露していました。さすがの貫禄です。

「京人形」も、菊五郎・菊之助親子の息がぴったりと合っていて、とても素晴らしかったです。菊五郎親方は、やっぱりいつ見ても形がいいなあ……。
菊之助さんはとにかくきれいです。客席のあちこちから「きれいやなあ……」という声があがっていました。人形の動きも実によくできていて、すばらしい踊りだったと思います。


昼の部のおしまいは「曽根崎心中」。
新・坂田藤十郎丈が若いころ(中村扇雀時代)に遊女・お初の役を演じて大当たりし、以来、52年にわたって演じられてきました。
最近では海外公演もされており、世界各国で好評を博しているようです。
藤十郎丈のお初、中村翫雀丈の徳兵衛のコンビもすっかり定着した感があります。

平成11年4月に歌舞伎座で「曽根崎心中」が上演された時、私は連日のように一幕見席で見物しました。
今ほど「一幕見席」が注目されておらず、並ばなくても入ることができていたころです。
そんな時に、浄瑠璃や台詞を覚えてしまうくらい何度も一幕見をしました。それほど印象的なお芝居だったのです。

歌舞伎座の一幕見席というのは、3階席のさらに上にあります。天井に手が届きそうなほど高いところから見下ろすので、当然、舞台は小さく見えます。
1階席だと肌で感じるような「気」を、一幕見席では感じ取れないことが多いのも事実です。
しかし「曽根崎心中」は違っていました。
あんなに遠くから観ているのに、舞台の「気」がひしひしと伝わってくるのです。
一幕見席で観てそれほどまでに印象に残ったお芝居というのは、私の知っているなかでは藤十郎(当時・鴈治郎)丈の「曽根崎心中」をおいてほかにありませんでした。

その時のイメージが強かったからでしょうか、南座の襲名披露での「曽根崎心中」は、やや印象が違って見えてしまいました。
藤十郎丈の、お初という役に対する思い入れが強いためでしょうか、いささか力が入りすぎてしまっていたような感じです。その結果、徳兵衛役の翫雀さんとの間(ま)や、芝居全体のバランスがくずれてしまっていた気がして少し残念でした。
歌舞伎座での襲名披露興行の時にはその辺りがうまく調整できているといいな……と思います。


何はともあれ、昼の部も盛りだくさんの内容でとても見ごたえがありました。
がんばって京都へ足を運んでよかったです。

終演後、ロビーで藤十郎丈の奥様・扇千景さんが、観客を丁寧に見送っておられました。ご自身も多忙の身なのに、えらいなあ……と思いました。着物も、観客に礼を尽くすものをお召しになっていて、さすがだなあ……という感じでした。とても素敵なお着物姿でした。


<本日のキモノ>

濃紺の鮫小紋に星梅鉢の名古屋帯

3階席は狭いため座席の出入りの際に着物が擦れてしまう可能性もあるので、汚れの目立たない濃紺の鮫小紋にしました。
帯は前日と同じ、星梅鉢文様の名古屋帯です。帯締めや帯揚げなどの小物も同じです。
帯が同じでも、着物を変えるとずいぶん違ったイメージになりました。



南座・坂田藤十郎襲名披露興行(夜の部)

2005年12月23日 | 歌舞伎
12月23日~25日の3連休で、京都へ行ってきました。
今回の上洛の目的は、ほかでもなく、南座での中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名披露興行を観るためです。

鴈治郎ファンだった私は、襲名が決まって以来この日を楽しみにしていました。坂田藤十郎(屋号・山城屋)の紋になっている「星梅鉢」をあしらった帯も誂え、襲名披露興行を観に行くときに仕立て下ろそうと、楽しみに桐箪笥にしまっていました。

待ちに待った当日。
仕立て下ろした星梅鉢の帯を締め、新幹線に乗って一路京都へ。
途中、積雪による徐行運転のため新幹線が1時間ほど遅れましたが、開演には間に合いました。

南座には、顔見世興行ならではの「まねき」が上げられていました(冒頭写真)。出演する役者の名前が書かれています。
上段の右に「坂田藤十郎」と書かれた真新しい「まねき」が輝いていました。

坂田藤十郎丈の船乗込み
↑南座顔見世興行の「まねき」。上段右に、今回の興行の立役者、坂田藤十郎丈の名前が。

まねきの下には、上演される芝居の一場面を描いた絵看板がかけられています。襲名披露「口上」の絵看板もありました。

「口上」の絵看板
↑南座顔見世興行の絵看板。写真は「口上」のもの。

場内に入ると、舞台には坂田藤十郎襲名の祝い幕がかけられ、襲名披露ならではの華やかな雰囲気に包まれていました。

坂田藤十郎襲名の祝い幕
↑坂田藤十郎襲名の祝い幕

ロビーには、ご贔屓から役者衆に贈られた「竹馬」が並んでいます。これも、南座の顔見世興行ならではのものです。

顔見世興行の「竹馬」
↑顔見世興行の「竹馬」。上の木札に贈り主の名前と役者の名前が。贈り主のなかには、祇園の芸舞妓さんやお茶屋さんの名前も多数。


場内の雰囲気をい楽しんでいるうちに、いよいよ開演。
1幕目は「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)引窓」です。
「引窓」は10月に歌舞伎座でも上演されましたが、その時とはまた違った配役で楽しめました。
南与兵衛を中村梅玉丈、与兵衛の母を中村東蔵丈、妻を中村扇雀丈、濡髪長五郎を中村我當丈が演じました。

梅玉丈の与兵衛は、抑えた演技だけれど情感がとてもよく出ていて、観客の心を打ちました。途中、客席から拍手がわき起こっていたほどです。

与兵衛の女房は、「かつて廓にいたため、廓特有のそこはかとない色気を残しながらも、今は鄙びた里の女房として義母や夫を支えながら暮らしている、気働きのできる女性」というような役どころですが、扇雀さん演じる女房は「廓の色気」にちょっとこだわりすぎていたかな、という感じです。色気を出そうと意識しすぎたのか、役の持っている品が損なわれてしまったようで、少し残念でした。
10月の歌舞伎座ではこの役を中村魁春丈が演じていたのですが、あくまでも品のある色気で、絶妙の演技でした。


2幕目は、お待ちかね坂田藤十郎襲名の「口上」です。
幕が開くと、舞台には裃(かみしも)をつけた幹部俳優がずらりと並んでいます。
中央には中村鴈治郎改め坂田藤十郎丈、その横には中村雀右衛門丈が座っています。

初めに雀右衛門丈によって、襲名の経緯と祝福の言葉が述べられます。その後、列座の役者さんたちによって次々とお祝いの口上が述べられていきます。
尾上菊五郎丈が、大きな藤の絵が描かれた背景を指して「このように派手な背景は今まで見たことがありません。私も、スパンコールのついた裃を着てくればよかったかなと思っています」と言って、観客を笑わせていました。

新・坂田藤十郎丈の口上からは、念願の藤十郎を襲名できた感慨が伝わってきました。客席からは大きな拍手と「山城屋!」の掛け声がかかっていました。


3幕目は「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」。
もとは人形浄瑠璃の作品だったのが歌舞伎に輸入されたものです。こういった歌舞伎を「丸本歌舞伎」といいます。
「本朝廿四孝」の八重垣姫は、歌舞伎のお姫様役のなかで最も難しいとされる三つの役「三姫」の一つです。その八重垣姫の役を、坂田藤十郎丈が演じます。

最初の「十種香」の場は、東京で行われることの多い「五世歌右衛門型」ではなく、上方式の型に新・藤十郎丈独自の工夫を加えた形で演じられました。
藤十郎丈は、丸本歌舞伎を演じる時、丸本(義太夫の床本)にのっとった形でなさることが多いそうです。義太夫の詞章を大切にすることで、作者の伝えたいことを丁寧に表現したいという考えからだと思います。
この「十種香」の場も、丸本の世界を大切にしている感じでした。
東京の型を見慣れた方には「ちょっと間延びして見える」というご意見もあるようですが、私は、浄瑠璃の世界がよく伝わってきてよかったんじゃないかなと思います。
片岡秀太郎丈演じる腰元・濡衣も、楚々とした感じがとてもよく表れていてよかったです。

次の「奥庭」の場は、人形振りで演じられました。
藤十郎丈が、文楽人形の真似をして八重垣姫を演じるのです。人形浄瑠璃と同じように、人形遣いもつきます。人形遣いを演じるのは、坂田藤十郎丈の長男・中村翫雀丈です。
ここでの八重垣姫は、髪型も衣装も文楽(人形浄瑠璃)と同じ形になります。
格好だけでなくもちろん動きも人形と同じようにします。人形のような動きで一瞬にして体を横にしたり、足を宙に浮かせたりと、ケレン味たっぷりです。

私は、この人形振りの「奥庭」を、国立劇場で拝見したことがあります。
今からもう何年も前のことですが、その時と同じように体が動いている藤十郎丈に、感心することしきりでした。
私は、その時初めて歌舞伎の「人形振り」を見たのですが、「こんなにおもしろいものがあったのか」と感動し、ゾクゾクしたのを覚えています。
その後、人形振りを見る機会は何度もありましたが、藤十郎丈(当時・中村鴈治郎丈)のこの「奥庭」ほど印象に残ったものはありませんでした。
翫雀さんの人形遣いも、国立劇場で見た時と同じようにとても凛々しく、すばらしかったと思います。出過ぎず引き過ぎず、人形を引き立てながらもちゃんと人形を「遣って」いました。
あの時と同じ感動を、何年ぶりかでまた味わえたことに感謝したいです。


おしまいの4幕目は「相生獅子(あいおいじし)」と「三人形(みつにんぎょう)」の舞踊2本立てです。
「相生獅子」は中村芝雀さんと尾上菊之助さんが踊りました。とにかくきれいでした。
「三人形」を踊るのは尾上松緑さん、片岡愛之助さん、片岡孝太郎さん。松緑さんの踊りは、さすがにきっちりしていて素晴らしいです。客席からも大きな拍手がわき起こっていました。松緑さんはここのところ口跡も良くなって、今後が大いに楽しみです。
愛之助さんも、基本をしっかりと守っている、きれいな踊りでした。容貌もいいし、上方歌舞伎の若手ホープだと思います。


顔見世興行ならではの盛りだくさんの演目で、とても充実した内容でした。
盛りだくさんすぎて、ロビーをゆっくり見られなかったのが残念なくらいです(笑)。
とにかく楽しいひとときを過ごせました。


<本日のキモノ>

ピンクの色無地に星梅鉢の名古屋帯

ピンクの色無地に、星梅鉢の名古屋帯です。

色無地は母からもらったものなので、母方の家紋が縫い紋で背に入っています。
地模様が織り出されているので、色無地だけれど結構華やかに見えるのがうれしいです。

小物も、襲名披露のお祝いムードにふさわしくなるよう、帯揚げは白地に赤の飛び絞りが入ったもの、帯締めも白地にところどころ赤が織り出されたものにしました。



早起きは三文の得

2005年12月02日 | 歌舞伎
今朝、早めに出社しようと思い、いつもより1時間半も早く起床。
普段の私なら、しばらく布団の中でぐずぐずしていて結局いつもとあまり変わらない時間になってしまうのだが、今日はすぐに起き上がった。

そしてとりあえず、時報がわりに毎朝つけているテレビを、半ば反射的につける。
チャンネルは、昨日帰宅してなんとなく深夜番組を見ていたときのまま。
ちょうど、1つのコーナーが終わって次のコーナーが始まるタイミングだった。次のコーナーのオープニングをなんとなく見ていると……何と!

そこには、私の好きな歌舞伎俳優・中村鴈治郎改め坂田藤十郎丈の、襲名披露口上の映像が!
さっそくテレビの前に正座(笑)。

ご存じのとおり、中村鴈治郎丈はこのたび坂田藤十郎を襲名し、その襲名披露興行が11月30日から京都・南座で行われている。そのなかでの口上の場面である。
坂田藤十郎の紋「星梅鉢」が入った新しい黒紋付に、藤十郎の名にちなんで藤色の裃をつけた、あでやかな姿。

このたび襲名された「坂田藤十郎」という名跡(みょうせき)。この名跡が復活するのは、江戸時代以来実に231年ぶり。
そこでそのコーナーでは、「初代坂田藤十郎とは、いったいどんな人だったの?」ということをとりあげていたのだ(2005年2月26日の記事でも少しふれているので、詳しくはそちらをご参照ください)。

放映時間はそれほど長くなかったけれど、襲名披露興行の舞台の様子も少し映っていたし、口上の様子(音声は流れていなかったけれど)もたくさん映っていたし、これを見て一気に目が覚め、勤労意欲もわいてきた。やはり、「早起きは三文の得」かもしれない。

それにしても、たまたま早く起きた日に、たまたまつけたテレビで、ドンピシャリのタイミングで中村鴈治郎改め坂田藤十郎襲名に関する放送を見られようとは。
まさに「念ずれば通ず」で、ずっとファンをやっていると自然とこういうタイミングに出くわすのかもしれない……。

ちなみに京都・南座での襲名披露興行には、もちろん万難を排して行く予定。
以前このブログでも紹介した「星梅鉢」の帯を、仕立て下ろす日がいよいよ近づいてきた。早くも心が弾む今日このごろ(その前にやらねばならないことは山積しているけれど……)。
「家庭画報特選きものサロン 2005-2006冬号」によると、顔見世興行の客席は「衣装くらべ」なのだとか。
華やかな訪問着や上品な付け下げで襲名披露に花を添えるのももちろん素敵だけれど、ここはひとつ、質の良い色無地の着物に、ひいきの役者ゆかりの柄の帯を締めて、「江戸前」の観劇スタイルで臨むとしよう(というと聞こえがいいけれど、その実、「はんなり系」本場の京都で直球勝負をしてもたちうちできないので、変化球を使うという企み……笑)。

余談だが、件の「きものサロン 冬号」で、林真理子さんが「きものの聖地」と題して歌舞伎座とキモノのことを論じておられた。
着物初心者のころ歌舞伎座で素敵な着こなしを見てあこがれたこと、着物ブームやアンティークブームの昨今、場内で思わずまゆをひそめてしまうような光景が増えてきたことなどが書かれていた。
拙筆でも観劇のキモノについて述べたことがあるが、林さんもほぼ同じお考えのようで、「うんうん、そうそう!」とうなずきながら拝読した(林さんはどちらかというと「ゴージャス系」がお好みのようで、そのあたりは「江戸前」の好みとはだいぶ異なるのだけれど)。

江戸時代の芝居小屋のあり方を考えれば、歌舞伎はオペラのようにフォーマルなものでは決してない。むやみにハイソサエティーな方向へ流れていくことは、歌舞伎の未来のためには決してプラスではないし、若い方が気軽に足を運べるような雰囲気をつくることも大切だと思う。
しかし、今よりもっとインフォーマルな雰囲気の強かった江戸時代の芝居小屋でも、顔見世興行などの時には女性は朝早くから支度をして、めいっぱいおしゃれをして出かけたという。それは、時代が移っても変わらないはず。
「おしゃれは自分の感性で決めるもの」というのはもちろんそうだと思うけれど、「おしゃれ」は客観的に評価されてこそ「おしゃれ」になり得るのだ、ということを忘れてはいけないと思う。これは観劇のスタイルに限ったことではないけれど。


歌舞伎座顔見世興行

2005年11月13日 | 歌舞伎
11月の歌舞伎座は、吉例の顔見世興行。

その昔、江戸には3つの大きな芝居小屋があり、役者はそのうちのどこかと1年ごとの契約を結んでいました。
毎年11月になると、「むこう1年間、うちにはこの役者が出ますよ」というのを知らせるために、契約を結んだ役者が総出演して興行が行われました。出演予定の役者を紹介するための興行なので「顔見世」(顔見せ)と言われたのです。
今では、昔のような意味合いは薄れてしまいましたが、大看板が揃って出演する華やかな興行となっていることには変わりありません。
歌舞伎座では11月、京都の南座では11月末から12月にかけて行われています。

歌舞伎座では顔見世興行の時、建物の正面上部に櫓(やぐら)が上がります(京都の南座では、普段から櫓が上がっています)。

顔見世の歌舞伎座

この櫓の側面には「木挽町きやうげんづくし(狂言尽くし)」と書かれています。
本来、顔見世の時には「まねき」という、役者の名前が書かれた板が掲げられました。今でも南座では「まねき」が上げられています。

顔見世興行ならではの雰囲気に包まれた歌舞伎座を見ると、年の瀬が近づいた実感がわいてきます。
歌舞伎座の建て替えが決定したそうですが、建て替え後も、こうした顔見世の風情が似合う建物であればいいな、と思います。

さて、芝居に話を移して。
私が観に行った夜の部は、なかなかバラエティーに富んだ演目でした。

1幕目は「日向嶋景清」。
主演の中村吉右衛門丈が演出もつとめています。
平家の武将景清は、源平の戦いで生き残って島に流され、ひっそりと生活しています。盲人となりながらも、平重盛の菩提を弔って暮らしている景清。
ある日、景清の娘が島を訪れ、豪農のもとへ嫁ぐことになったのでその挨拶に来たと言い、目の治療をするために使ってほしいと大金を渡します。しかし、豪農のもとへ嫁ぐことになったというのは嘘で、父親を助けるために遊郭に身を売ることを決め、それによって得たお金だったのです。
事情を知らない景清は、娘の嫁入りを心の中で喜びます。しかし、自分と会ったことによって娘に里心がつかないようにとの配慮から、あえて冷たくあしらって、追い立てるように娘を島から出します。娘へのはなむけとして、家宝の刀をそっと供の者に渡した彼は、島を離れていく舟をいつまでも見送ります。
しかしその後、彼は真実を知ります。自分のために娘が身を売ろうとしていることを知った彼は、娘を助けるために、源氏方の要求を受け入れて頼朝の家臣になることを決め、島を離れ鎌倉へ向かいます。

わざと冷たくふるまいながらもその陰に見え隠れする景清の親心、そして、真実を知った景清の苦悩を、中村吉右衛門丈が迫真の演技で表現していました。平家の武将としての誇りと威厳に満ちた景清と、一人の親としての情愛に満ちた景清が、とてもよく演じ分けられていました。

2幕目は「鞍馬山誉鷹(くらまやまほまれのわかたか)」。
中村富十郎丈の長男・大くんが、このたび初代中村鷹之資を名乗ることになり、そのお披露目の狂言です。
鷹之資くんは牛若丸、富十郎丈は鷹匠の役で親子競演し、その周りを中村雀右衛門丈、中村吉右衛門丈、片岡仁左衛門丈、中村梅玉丈が固め、華やかな披露目狂言をさらに盛り立てます。
劇中でお披露目の口上もあり、場内はお祝いムードでいっぱいになりました。
鷹之資くんは、小さな体で一生懸命大きく演じていて、とても立派でした。行く末が楽しみです。

3幕目は「連獅子」。
こちらも、松本幸四郎丈と市川染五郎さんの親子競演。
どっしりと貫禄のある幸四郎丈と若々しい染五郎さんとの対比がよく、華やかで力強い舞台でした。
また、間狂言(あいきょうげん)を演じた信二郎さんと玉太郎さんが、とてもすばらしかったと思います。
連獅子の間狂言は、狂言の「宗論」に題材をとった舞踊劇。仲の悪い浄土宗の僧侶と日連宗の僧侶がひょんなことから道中を共にすることになるのですが、お互いに自分の宗旨が一番だと言い張り「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と言い争っているうちに、台詞が入れ替わってしまいます。それに気づいた二人は、口論をやめ、袖すり合うも他生の縁と道中を共にしていきます。
信二郎さんは、1幕目の「景清」にも出演されていましたが、きっちりとした丁寧な演技をされ、芝居を引き立たせていると思います。成長著しい役者さんで、これからがますます楽しみです。

最後は「大経師昔暦」(おさん茂兵衛)。
近松門左衛門作の世話物で、女主人と手代が過って姦通してしまい、事の重大さに恐れをなした二人が死を覚悟して逃げていくという悲劇を描いています。
女主人・おさんを演じるのは中村時蔵丈、手代・茂兵衛を演じるのは中村梅玉丈。
時蔵丈は、きれいで、そこはかとない色気があって、こういう役が特に似合うなあと思います。梅玉丈はこれまで「浮世離れしたお殿様」の役のイメージが強かったのですが、最近、こういった世話物の色男役を演じることが多く、新境地といった感じです。

余談ですが、このお芝居が終わった後、客席で聞こえてきた会話。
「あの二人、あれからどうなったのかしら……」ぜひ原作を読んでみてください。
「でも、何も逃げることないのにね……」「絶対ばれないわよね」……た、たしかに、そうかも。
その会話を聞いて、ふと「紙入れ」という落語を思い出しました。落語の「紙入れ」に出てくるおかみさんは肝っ玉が据わっていて、旦那にばれていないかとうろたえる出入りの若い商人や、妻の浮気にまったく気づかないのんきな旦那と好対照で描かれています。落語の「紙入れ」のほうが、現代に通じるところがたくさんあって、エスプリも効いていて、しかも笑いという「救い」があるように思います。
歌舞伎も面白いけれどやっぱり落語が面白いな、とあらためて感じました。


<本日のキモノ>

濃紺の鮫小紋と藤色の長羽織 紅葉の帯留

濃紺の鮫小紋に、藤色の長羽織。長羽織は、菊や紅葉を独特の色使いであしらった、大正ロマン風の柄です。
鷹之資くんのお披露目狂言もあるので、帯は若松をあしらった淡いピンクの織りの名古屋帯にしました。これだと、羽織を脱ぐときっちりとしたコーディネートになります。
帯留は紅葉。
10月にも紅葉の帯留を使いましたが、その時は、オレンジと黄色が混じったものでした。
今回のは全体が赤い色なので、秋が深まった時に使います。
ちょっとした小物の変化でも季節感を表せるのが、着物の楽しいところです。
実はこのアイデアは、お茶の世界にヒントを得たものです。

昔、あるお茶会の水屋のお手伝いをしていた時のこと。お客様にお出ししていたのが、ちょうど10月に使った帯留のような色・形の上生菓子でした。
「きれいなお菓子ですね」と先生に申し上げたら、「ちょうどこの季節にぴったりなので、毎年このお茶会にはこれを使うことにしているんですよ。もう少し経つと、今度は全体が赤くなったお菓子を作っていただけるので、それを使うのです」とうれしそうに答えてくださいました。
その時私は、細かなところにこだわって物を作る人、そしてそれを使って細やかなもてなしをする人のことを、心から「すごい」と思いました。
季節の移り変わりを大切にする心は、日本人として決して忘れてはいけないものだと思います。


芸術祭十月大歌舞伎(昼の部)

2005年10月09日 | 歌舞伎
夜の部を観た翌9日に、今度は昼の部へ。忙しい……。

昼の部の1幕目は「廓三番叟(くるわさんばそう)」。長唄の舞踊である。
舞い手は、中村芝雀丈、中村翫雀丈、市川亀治郎さん。
芝雀丈と翫雀丈の踊りはさすがの貫禄で、きっちりとした美しい踊りだった。
翫雀丈は、踊っている時の形が本当に良い。
亀治郎さんも頑張ってはいたが、首を動かしてシナをつくって踊るのはやめたほうがいいと思う。踊りが下品になってしまうよ。

2幕目は、通し狂言「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」。
別名「女忠臣蔵」とも呼ばれる話で、奥女中同士のいさかいで自刃してしまった主人の仇を召し使いがとるというストーリー。
意地悪な局・岩藤が、ライバルである中老・尾上を草履で打つ場面が有名。
岩藤を演じるのは尾上菊五郎丈、尾上を演じるのは坂東玉三郎丈。尾上の召し使いで主人の仇をとるお初を演じるのは、尾上菊之助さん。
菊五郎丈は、意外にも岩藤は初役なのだそうだ。菊之助さんも、お初を演じるのは今回が初めてとのこと。お初はこの芝居の中で重要な役どころなので、かなり気合いが入っていたようだ。
少し力が入り過ぎているかな、と思うところはあったが、お父さん譲りのきっちりとした型で、丁寧に演じていた。
菊五郎丈扮する岩藤に仇討ちを試みる場面では、親子ですばらしい立ち回りや見栄を披露していて、観ていて気持ちよかった。

今回は、1階席の真ん中よりちょっと後ろで、花道のすぐ右側の席だったのだが、花道を歩く役者さんの表情もよく見えた。表情がわかると、芝居の世界も広がっていく感じだ。
衣装も間近で見えて、中老が着る打ち掛けの、手の込んだ刺繍もよく見えた。
座る席によってさまざまな楽しみ方ができるのも、生の舞台ならではだと思う。


全体的によい出来の芝居だったと思うが、残念なのは、観客の反応。
途中、黒子が足をすべらしてしまったところがあったのだが、そこで客席から笑いが起きた。しかも、一瞬で終わるのではなく、笑いがいつまでも後を引いていたのだ。

歌舞伎における黒子(雪の場面では白子)は、「見えないお約束」の存在なのだ。「見えても見えない」のである。
もちろん、無駄のない俊敏なその動きからは、見ていて得るものがたくさんある。すべての動きが合理的で自然なのだ。たとえば落語の前座さんや、サービス業に従事する方などは、黒子の動きを一度は観察してみるべきだと思う。
そうやって、「見えても見えない」黒子の動きを観察することはもちろん自由だが、「見えても見えない」存在なのだから、足をすべらしたり万一転んだりしても、それは「見て見ぬふりをする」のがルール。
それに、黒子の失敗によって客席がざわつき、芝居が壊れてしまったとあらば、役者に叱られるのは黒子なのだ。陰で芝居を支えている黒子のことを思えば、良識ある大人の観客なら、見て見ぬふりをするのが当たり前。何もわからない子どもや、箸が転んだだけでもおかしい女学生とは違うのだから。

観客の反応といえば、最近気になるのが「変なところで起きる笑い」。
今回、お初に討たれた岩藤の亡骸を、女中たちが抱え上げて運んでいく場面があるのだが、女中役の役者さんたちが岩藤役の菊五郎丈の体を持ち上げたところで、客席からどっと笑いが起きたのだ。
はっきり言って、ここはまったく笑う場面ではない。
話の筋やその場面での情景描写を考えず、「見た目がおかしい」だけで笑いが起きているのだ。
これでは小学生と一緒である。いや、今日び、小学生だってこんなことで笑わないのではないだろうか。歌舞伎座に子どもが来ていることも時々あるが、意外に子どものほうがちゃんと芝居を観ている感じがする。

誰もが初めから歌舞伎通のわけではないし、歌舞伎のことを知っていないと観てはいけないというようなことはまったくないと思う。
しかし、たとえ歌舞伎のことを知らなくても、ごく普通の感受性と少しの良識があれば、ここは笑うべき場面なのかそうでないのかはわかるはずだ。

変なところで笑いは起きるのに、肝心なところで拍手が起きないということに、最近よく出くわす。そうかと思えば、これは「マスコミへの露出が多い」役者さんが出演する時によく見られるのだが、大して良い芝居でもないのにわっと客席がわいたり。

「いい芝居はいい観客がつくる」というのは、よく言われることである。
歌舞伎ブームも良いけれど、ブームに乗ってただ「見る」だけではなく、いい「観客」(役者とお近づきになって楽屋を訪ねて祝儀を渡す「お客=ご贔屓」ではなく)になれるよう、観るほうにもそれなりの心構えが必要だと思う。


<本日のキモノ>

縞の小紋に塩瀬の帯

出かけるとき雨が降っていたので、汚れが目立たない縞の小紋にしました。雨ゴートを着て出かけましたが、薄手のコートで専用ケース付きなので、劇場に入ったら小さくたたんでケースに入れておけるので便利です。
帯は、白地に文机や本を描いた塩瀬の帯(帯の柄はこちら)。
縞の着物も、上品でやわらかい雰囲気の帯をあわせると、粋になりすぎず、少しあらたまった感じになります。
着物が白地に黒の縞、帯が白地なので、帯揚げと帯締めに強い色を持ってきました。そうしないと、全体がぼんやりしてしまうのです。

劇場を出るころには雨もすっかり上がっていて、よかったです。
雨が激しい時は草履カバーを使用しますが、今回はそれほどでもなかったので使いませんでした。草履カバーは、劇場や会場に着いたらはずさなければならないので、結構面倒なのです。雨用草履も、劇場や会場に着いたら普通の草履に履きかえます。