本朝徒然噺

着物・古典芸能・京都・東京下町・タイガース好きの雑話 ※当ブログに掲載の記事や写真の無断転載はご遠慮ください。

思い立ったが吉日

2006年01月31日 | つれづれ
現在の会社に転職して、まもなく2年が経ちます。

転職の際、「新しい仕事に慣れるまでは」ということから、それまで習っていた三味線(長唄の三味線)のお稽古をお休みさせていただいていました。
新しい環境に慣れたら再開を……と思っていたのですが、なかなかきっかけがつかめず、ずるずるとお休みの状態が続いていたのです。

もちろん、その間も盆暮れ、お正月のご挨拶だけはしていましたが(といっても別に強制されていたわけでも何でもなく、自分の気持ちの中の問題で)、いざお稽古となると、仕事との兼ね合いも気になってなかなか再開できずにいました。
でも、丸2年経ってちょうどいい節目かなと思ったのと、「時間は“できる”のを待っていたのではいつまでもできない、時間は“作る”ものだ」と気づいたので、思いきってお稽古を再開することにしました。

「思い立ったが吉日」で、昨日さっそく師匠に電話し、「来月からまたお稽古にうかがいたいので、その前にご挨拶にうかがいたいのですが……」と相談。
実際に行動に出てみればトントンと進むもので、「明日はお稽古日じゃないけど家にいるからいつでも来て」とのことだったので、今日、仕事帰りにさっそくご挨拶に行ってまいりました。

ご挨拶の品をお渡しして、最初にやる曲目やお月謝のことなどをうかがったら玄関先で失礼しようと思っていたのですが、師匠の奥様から「この後何か予定はあるの? 何もないなら、ぜひご飯を食べて行って」とありがたいお言葉。
「いえいえ、そんな、どうぞおかまいなく……」と一度は辞退しましたが、ご夫婦2人のお宅で「たまにはにぎやかにごはん食べたいのよ~。お酒飲めるでしょ?」とおっしゃってくださったので、あつかましくもご相伴にあずかり……。

奥様も、お仕事をしながらずっと長唄を習って来られた方なので、勤め人の気持ちや事情もよく理解してくださるのです。
お食事をいただきながら、近況報告などをして盛り上がりました。
その合間に、さりげなくお月謝のことも教えてくださったので(こちらに気を遣わせないように本当にさりげなくサラっと言ってくださったので、さすがだなあ~と思いました)、こちらもそれを逃さず聞いて、その場で「頭の中にメモメモ」です。

有閑マダムでない素人弟子にもやさしいコストなので(長唄三味線の世界ではなかなかの大御所であるにもかかわらず)、本当にありがたいです(涙)。
素人弟子にも「細く長く続けてもらえるように」とあらゆる面で配慮してくださっているのが、本当にすごいと思います。
幼いころから芸の世界で生きて来られた方ならではの「余裕」というか、懐の深さを感じます。

奥様は唄の師匠なのですが、「自分の勉強のためでもあるから」と、格安のお月謝で唄を教授されています。
唄が頭の中に入っていないと三味線の手もなかなか覚えられないので、三味線のお稽古に慣れたら唄もぜひ習いたいと思います。

師匠も奥様も本当に気さくな方で、そういった師匠にめぐり会えたことは本当にありがたいなあ……と思います。
芸事ってやっぱり、その師匠の「芸」と「人柄」に引かれることが、長続きの秘訣ですから。
仕事が忙しい時はお稽古が中断してしまうこともあるかもしれませんが、師匠がおっしゃったように「細く長く」続けていこうと思います。

そんなわけで、「お稽古日記」も加えて、ブログを近くリニューアルする予定です。
リニューアル後も、どうぞよろしくお願いいたします。


無題

2006年01月29日 | つれづれ
この土日は、ほとんど家から出ず、ひたすらブログ記事を執筆していました。
たった5つくらいの記事だからすぐ終わってもいいような気がしますが、ちゃんと書こうと思うと、結構時間がかかるものです。

「あれも書こうこれも書こう」といろいろ書きたいことがでてくるのはもちろんですが、ただ脈絡なく書いていては意味がない。
もちろん、書籍やほかのサイトから勝手に文章を転載するわけにはいきませんから、自分で文章をきちんと考えなければいけない。
「自分の意見を述べる」ということを、ただの文句や愚痴と混同してもいけない。
それなりに筋道を立てて、より的確な言葉を探して、日本語としておかしくないかどうか考えながら文を組み立てて、漢字の変換ミスやタイプミスがないかチェックして、記憶があいまいなところがあれば調べて、文章を推敲して……など、さまざまな作業が発生します。

著作権や版権、肖像権などのことも考えなければいけません。
書籍やパンフレットに掲載されている写真を転載しているようなブログを時々見かけますが、もしも版元などの許可なく掲載しているのだとしたらNGです。
歌舞伎座などで販売されている舞台写真やタレントのブロマイドをそのまま勝手に掲載するのもNGです。
もちろん、ほかのサイトに掲載されている画像も同様です。
自分で撮影した写真でも、見物客や通行人が写っている場合は、顔がはっきりわからない(個人が特定されない)ものを選ばなければなりません。
文章などは、著作権が消滅していても「版権」が残っている場合があります(著作権と版権は別のものですので)。

1つの記事を書くのに、やらなければならないこと、考えなければならないことはたくさんあります。
でも、人の目にふれる文章を書くというのはそういうことだと私は思っています。だから、たとえブログ記事でも、おろそかにはできません。

諸々のことを考えなから作業していくと、1つの記事を書くのに、私の場合、優に1時間くらいはかかってしまいます(もちろん、遅筆のせいもありますが……)。ちょっと長い記事だと、文章を考える時間もあわせると2時間くらいかかることも。
さらに、画像をデジカメからPCに移して、掲載しても問題なさそうな写真を選んで、選んだ写真をアップロードして、htmlタグを入れて……などとやっていると、気づいたら夕方ということも。
合間に洗濯物を干したりご飯を食べたり、何となくつけているテレビを思わず見てしまったりして、中断することもあります。
次の一文がなかなか思い浮かばなくて、筆がとまってしまうこともしょっちゅうです。

そんなこんなで面倒くさくなって更新が滞ってしまいがちなのですが(言い訳……)、でも、たとえ匿名の文章でも、不特定多数の人が読むからにはプライドと責任を持つべきで、だから時間をかけてきちんと書いて自分の考えを発信したいと思っています。
紙媒体で育った世代としては。

でも、ブログの記事を書くために休日を丸ごとつぶしてしまうというのも、いかがなものかと感じています。
この2日間で、もっとほかにできることやしなければいけないことがあったのではないか……とも思ったりします(家事にしろレジャーにしろ)。
ブログに対する取り組み方をちょっと考えてみたほうがいいのかもしれません。

今日も、旧暦の元日「春節」を祝うイベントを見に横浜の中華街へ行こうかと思ったのですが、ブログ記事の執筆に没頭していたのでやめてしまいました。ちょっと後悔……(うちから横浜までは遠いので面倒くさくなったというのもありますが……笑)。

何にしても、休日に家からほとんど出ず一日じゅうパソコンの前に座っているという状態は、自分にとってはよくないと思いました。
この2日間のような状態を、今風の表現にすると「引きこもる」と言うのでしょうか?
私の場合は、「引きこもり」ではなく単なる「出不精」ではないかと思いますが(笑)。

一日じゅう家の中にいると、外へ出かけるよりも却って疲れる気がします。じっとしているから体内の乳酸値が上がってしまうのでしょうか……。
「書を捨てよ、町へ出よう」という作品がありました。
活字離れの進んだ世代には、この言葉もなじみがうすいかもしれません。今風の言い方に直すと、次のような感じでしょうか。
「ノートパソコンを閉じよ、町へ出よう」

とは言っても、出かけたらまたそれをもとにブログ記事を書いてしまいたくなると思うので、おんなじことなのかも……。



日本橋の新名所

2005年12月30日 | つれづれ
坂田藤十郎丈の襲名披露お練りが行われた日本橋に、新しい観光名所が登場しています。

1つは、歌舞伎俳優の松本幸四郎丈が出演するテレビコマーシャルでもおなじみの、三井ビル。
オフィスやホテルのほか、老舗フルーツパーラー・千疋屋総本店をはじめとする飲食店が入っています。

日本橋三井ビルと日銀
↑日本橋の三井ビル(右奥)と日銀(手前)

そしてもう1つは、日本橋三越の向い側、老舗金物店「木屋」隣にできた「三井越後屋ステーション」。
三井ビルが完成するまで千疋屋仮店舗があった場所に、新たに作られました。

三井越後屋ステーション
↑三井越後屋ステーション

内部にはイベントスペースやカフェがあり、日本橋の歴史や名産品なども紹介されています。
カフェでは、おにぎりやお惣菜、甘味などが食べられます。おにぎりはちゃんと手でにぎったタイプのもので、なつかしい雰囲気です。
お店の外観も、江戸時代の商家の雰囲気を出したものになっています。

「三井越後屋」というのは、今の三越デパートの前身だった呉服店です。日本で初めて「正札(しょうふだ)売り」を始めたことでも有名です。

それまで、呉服の販売は「掛け売り」が常識でした。「掛け売り」というのは、その場で現金支払いをしてもらうのではなく後でまとめて代金の請求をする、「ツケ払い」の販売方法です。
その場で現金を払ってもらう必要がないので、当然、値札もつけられていませんでした。顧客は店の奥で様々な反物を見せてもらい、気に入ったものを買って、後でまとめて支払いをするのです。当然、店と顧客の間に信用が必要となりますから、顧客は必然的に「お得意様」が主流となっていました。

こういった呉服業界の「常識」に一石を投じたのが、三井越後屋でした。
「正札」というのはいわゆる値札のことです。商品に正札をつけて店頭に並べ、現金販売を行ったことで、いわゆる「一見さん」も買いやすくなり、顧客が増えていったのです。
当時としては斬新だったこの販売方法も、今ではごくあたりまえになっています。三井越後屋の先見の銘に感服します。

それまでの常識を覆す新しい発想で商売を成功させた三井越後屋は、現代におけるインターネット呉服販売に通じるところがあるように思います。


自由軒本店の名物カレー

2005年10月21日 | つれづれ
露の五郎兵衛襲名披露落語会の前に、「名物カレー」で有名な「自由軒」の本店へ行きました。

関東に出店されていた自由軒には時々行っていたのですが、大阪の自由軒に行ったのは、ものすごくひさしぶりです。

道順を思い出しながらたどり着くと……あったあった、ありました、レトロな雰囲気の看板が出ているお店が!(冒頭写真)

お昼をだいぶ過ぎた時間だったので、幸い、店内は空いています。
店内は、昔ながらの「大衆食堂」的な雰囲気です(でも、歴史あるりっぱな「洋食屋さん」なのですよ)。そこへキモノ姿の私が入っていくと、お店のおばさんが、出入りしやすそうな席に案内してくださいました。

メニューを見ながら注文品を検討。
名物カレーは絶対はずせないとして、ほかの「洋食メニュー」も捨てがたいなあ……ということで、ハムサラダとエビフライも注文し、同行の友人と取り分けることにしました。

ハムサラダには、最初からスライスされて売られているハムではなく、固まりからカットしたものが使用されています。なので厚みもうまみもたっぷりです。
エビフライは、外はサクサク、中はプリプリ。ウマ~イ!

そしていよいよ、「名物インディアンカレー」の登場です。
出てきたカレーを見てみると、関東にあるお店で食べたものとは微妙に異なる感じが。
まず、量。こちらのほうがボリュームがあります。
それに、関東のお店では挽き肉だけが入っていましたが、こちらでは挽き肉のほかにバラ肉も入っています。
ルーの色も微妙に異なる感じです。
食べてみると、こちらのほうがマイルドな感じがしました。

うむむ、お店が変わるとこんなに違うものなのかあ……と思いながら、ふとテーブルに置かれていた支店の案内を見ると、そこには驚愕の事実が……。
「同名他店やレトルト商品とは、関係がありません」。
なんばの「自由軒」が直営する支店は、どうやら、大阪市内に数店あるのみらしいのです。
たしかに、レトルトのお土産を作っていて関東にも出店している「自由軒」は、「せんば自由軒」と称していました。
ずっと「本店はなんばにあるのに、何で『せんば自由軒』なんだろう」と疑問に思っていたのです。
その疑問がここで解けようとは……。
やはり、現場へ足を運んでみるのが一番。

流通が発達した現代では、地方の名物を東京でも手に入れることが比較的容易になりました。しかしそれでもやはり、旅に出たら現地で食べたり買ったりすることが大事なのだと、あらためて思いました。それが旅の醍醐味でもあるのだと思います。

「せんば自由軒」のも、それはそれでおいしいので、まったく別の物と考えてこれからも時々食べようとは思います。
でも、これからは大阪へ出向く機会があったら、ちゃんと「自由軒本店」の名物カレーも食べようと思います。



栄光のナニワ歴史展

2005年09月29日 | つれづれ
「渋谷繁昌亭」に行く前に、東急百貨店本店へ寄りました。
「大・大阪博覧会」の一貫として開催された「栄光のナニワ歴史展」を見るためです。

東急百貨店本店へ着くと、すっかり「大阪モード」になっていました。
デパートの前には、大阪名物をあしらった大きなオブジェが。

渋谷・東急百貨店本店の入口に飾られたオブジェ

店内に入ると、各階エスカレーター横に、パネルが展示されていました。
ワッハ上方(なんばグランド花月の前にある演芸資料館)で「殿堂入り」とされている芸人さんたちの紹介パネルです。
見てみると、「殿堂入り」というだけあって錚々(そうそう)たる顔ぶれ。
古い順に紹介すると……

初代桂春団治
↑初代桂春団治師匠。お芝居や歌でも取り上げられ、あまりにも有名ですので、詳細はあえて説明しませんが、「浪花恋しぐれ」という歌の中に出てくる師匠と言えば、たいていの方はわかるでしょう。

砂川捨丸・中村春代
↑砂川捨丸・中村春代師匠。このころのマンザイは、鼓を片手に歌を歌う「万歳(まんざい)」の流れを汲むものでした。

横山エンタツ・花菱アチャコ
↑横山エンタツ・花菱アチャコ師匠。「エンタツ・アチャコ」の名前は、このお二人をリアルタイムで見たことのない人でも、一度や二度は聞いたことがあるでしょう。私も、リアルタイムで見たことはもちろんありませんが、幼いころから「エンタツ・アチャコ」の名前はよく知っていました(私だけ……?)このお二人は、それまでの「万歳」のスタイルを変え、今日のような「漫才(いわゆる「しゃべくり漫才」のこと)」の形を最初に完成させたのです。

6代目笑福亭松鶴
↑6代目笑福亭松鶴師匠。笑福亭鶴瓶師匠や笑福亭鶴光師匠の師匠です。

夢路いとし・喜味こいし
↑夢路いとし・喜味こいし師匠。兄弟漫才の大御所でしたが、一昨年、いとし師匠が亡くなりました。このお二人の漫才をリアルタイムで見ることができたのは、幸せなことです。

横山やすし・西川きよし
↑横山やすし・西川きよし師匠。現在20代以上の人で、このお二人を知らない人はおそらくいないでしょう。「漫才ブーム」の頂点をきわめたコンビです。このお二人の漫才は「爆笑漫才」と評されました。破天荒なやすし師匠と、真面目なきよし師匠のキャラクターが好対照で、キャラクターのまったく異なる二人が、とても楽しそうに、息の合った漫才をする姿が印象的でした。真面目キャラのきよし師匠が漫才では「ボケ」、破天荒キャラのやすし師匠が「ツッコミ」の役割を果たしていたのも面白いです。

ほかにも、5代目笑福亭松鶴師匠、中田ダイマル・ラケット師匠、2代目桂枝雀師匠など、たくさんの芸人さんのパネルがありました。
パネル写真を見ながら催事場へ上がると、グッズ売り場が設置されていました。
阪神タイガースグッズや「ビリケンさん」グッズなどさまざまな「大阪グッズ」のほか、大阪に関連する雑誌や書籍などが、所狭しと並んでいました。
なかにはこんなものも……。

タイガーススーツ
↑タイガーススーツ。ユニフォームのタテジマをあしらったものです。ネクタイもありました。

今では大阪=阪神タイガースというイメージがすっかり定着していますが、以前は大阪にはいろいろな球団がありました。昨シーズンまであった近鉄バファローズのほか、南海ホークス、阪急ブレーブスなど……。
閑話休題。

催事場フロア内に設営された「栄光のナニワ歴史展」会場に入ってみると、まず初めに、道頓堀の歴史について解説されていました。

道頓堀は、今は「くいだおれ、飲み屋さん、映画館、NGK(なんばグランド花月)」というイメージが強いかもしれませんが、江戸時代から戦前までは、数々の芝居小屋や寄席が立ち並ぶ、日本有数の興行街でした。詳細は、大阪観光コンベンション協会による大阪観光案内のサイト大阪の文化のページにも解説がありますので、ぜひごらんください。
芝居小屋や寄席の多くが戦災で焼失し、戦後はそのほとんどが映画館として復興されたため、道頓堀はすっかり様変わりしてしまったのです。
それでも、劇場なら大阪松竹座や新歌舞伎座、演芸場ならNGK(なんばグランド花月)が現在はありますし、数年前まであった演芸場「浪花座」がなくなってからは「B1角座」に演芸場もオープンしています。さらに、来年には上方落語協会による落語定席「天満天神繁昌亭」がオープンする予定です。「芝居や寄席の街」としての道頓堀が徐々に復活してくれることを願ってやみません。


「栄光のナニワ歴史展」会場内には、松竹新喜劇に関する展示もありました。

松竹新喜劇のポスター
↑藤山寛美時代の松竹新喜劇のポスター(レプリカ)

現在では、「新喜劇=吉本」というイメージが強いかもしれませんが、大阪における新喜劇の始まりは、松竹新喜劇なのです。
歌舞伎役者から出た曽我廼家五郎・十郎によって始められ、藤山寛美の時代に全盛期を迎えました。
藤山寛美さんの舞台を収録したDVDが近く発売されるらしく、その映像の一部が会場内で流れていました。どの作品も、喜劇ではあるけれどきっちりとした狂言(芝居)で、ただ単にギャグを連発するようなものではありません。

私が子どものころ、テレビで吉本新喜劇と松竹新喜劇が放映されていたのですが(関東では放映されていなかったかもしれませんが……)、当時の私は吉本新喜劇を好んで見ていました。まだ、間寛平や坂田利夫が新喜劇で活躍していたころです。
一方、両親や祖母は、どちらかというと松竹新喜劇を好んで見ていました。吉本新喜劇もよく見ていましたが、祖母などは、芝居によっては「あんなんドタバタや」と評していることもありました。

それでもまだ当時は、吉本新喜劇も結構ちゃんとした台本が作られていました。
しかし、今の吉本新喜劇は、はっきり言っていただけません。「芸人」とはおよそ呼べないようなタレントまがいの若手が、下世話なギャグを連発しているだけでは、「喜劇」とは言えません。
そしてそれが「大阪の笑い」だと勘違いされているとしたら、ゆゆしき問題です。

まだかろうじてよかったころの吉本新喜劇でさえ、時折「あんなんドタバタや」と言っていた祖母が、今の吉本新喜劇を見たら一体何と言うだろう……と思います。「ナニワの笑い」を担う一翼として、吉本興業にももう少しがんばってもらいたいものです。

子どもだったころの私は、松竹新喜劇を内心退屈だなあと思っていたのですが、今になってみると、その良さがわかります。藤山寛美さんも亡くなり、新喜劇が様変わりしてしまった今となってはもう遅いのかもしれませんが……。


話を元に戻して……。
会場内には、「ビリケンさん」もやってきていました。

ビリケンさん
↑ビリケンさん

「ビリケンさん」は、通天閣の中に安置されている「福の神」ですが、史上初めて通天閣を出て、「大・大阪博覧会」のために東京へやって来られたのだそうです。
ビリケンさんも「いっぺん東京見物でもしてみよか~」と思ったのでしょうか。

何と言っても「福の神」ですから、あだやおろそかには扱えません。
東急百貨店の意向により、ビリケンさんの移動には、飛行機(しかもスーパーシート)とリムジンが使われたそうです。
移動の様子を記録した写真も貼られていましたが、スーパーシートに座ったビリケンさんは、とってもゴキゲンそうに見えました。「富士山がよう見えたで~」とおっしゃっていたそうです(笑)。

ビリケンさんの移動

「東京の人の願いもかなえるで~」と張り切っているビリケンさんの周りには、たくさんの人が集まっていました。
願いをこめながらビリケンさんの足の裏をなでると、願いをかなえてもらえると言われているのです。
長年にわたってなでられてきたせいか、ビリケンさんの足の裏は、結構すりへっていました。

ビリケンさんの足の裏

普段ビリケンさんがいらっしゃる通天閣の中の様子が、ライブカメラで会場内にうつし出されていました。渋谷の会場の様子も、ライブカメラで通天閣にうつし出されていたそうです。
東京からは、通天閣に忠犬ハチ公(レプリカ)が出向いて、ビリケンさんとともに東西交流に貢献していました。



新橋演舞場九月新派公演「京舞」

2005年09月25日 | つれづれ
3連休の最終日。
新橋演舞場で上演されている、新派のお芝居「京舞」を観に行った。
新派のお芝居はあまり観たことがなかったのだが、ポスターを見てずっと気になっていたので、千秋楽のチケットを直前になってとったのだ。

今月は歌舞伎座で資本を使ってしまったので、2階席でガマン。
新橋演舞場の場合、2階席の左側のほうにモニターがついていて、花道の様子がうつし出されるようになっているので助かる(といっても、小さなモニターなのであまりよく見えないけれど……)。
2階席の左のほうの席だったため、花道は見えないが舞台はよく見えた。

京舞井上流の家元、三世(先々代)井上八千代と四世(先代)井上八千代を主人公としたお芝居で、三世を2代目水谷八重子さん、四世を波乃久里子さんが演じた。
この芝居は、初代水谷八重子さんによって初演され、「新派の名作」とうたわれている演目。

主役のお二人は「さすがの貫禄」という感じだったが、ほかの役者さんたちも錚々(そうそう)たる顔ぶれで、とても引き締まった舞台だった。
緊張とユーモアのメリハリも効いていてとても楽しく、お芝居に引き込まれていく感じだった。

京舞の宗家を演じるだけあって、「舞」にかけるお二人の意気込みはすごかった。
とにかくすごい気迫と貫禄で、お二人が舞っている間じゅう、場内が息をのんで見入っていた感じだ。

舞妓さんや芸妓さん役の女優さんたちも、本格的に稽古をされたようで、本物の舞妓さん芸妓さんに引けをとらない、素晴らしい舞を披露してくださった。
祇園の芸妓さんたちがお祝いの席などで披露する「手打ち式」というのがあるのだが、それも新派の女優さんたちがきっちりと演じていて、本当に素晴らしかった。

もちろん、舞だけでなく演技も本格的で、本当に京都の花街絵巻を見ているような気分だった。
主役のお二人も、芸に生きる女性のきびしい姿を見事に演じていた。

すべてにおいて「本物」を意識した、妥協のない芝居で、非常に素晴らしかったと思う。
「新派って楽しい!」と思える芝居だった。
これからは、新派ももっと観てみようかな。

新派(「新派劇」の略)は、明治以降、100年余りの歴史を持つ演劇。カーテンコールの時に水谷八重子さんが「新派は、まだまだ100年余りの歴史しかありませんが……」と謙遜しておられたが、こういったすばらしい芝居を見ると、新派がすでに1つの芸能ジャンルとして確立されていることを、あらためて感じる。「古いものだから良い」「新しいものだからだめ」ということは決してないのだと思う。
円熟期に入ったと言っても過言ではない新派だが、これからも良い芝居をどんどん発表し、ますます発展していってほしい。



大・大阪博覧会in渋谷

2005年09月24日 | つれづれ
東京の渋谷で「大・大阪博覧会」というのが行われています。
東急百貨店本店で「栄光のナニワ歴史展」やトークショー、東急百貨店東横店で「ナニワうまいもん市」、セルリアンタワーホテルで上方落語の会「渋谷繁昌亭」など、「食す」「笑う」「遊ぶ」「知る」をテーマにした様々なイベントが開催されます。
東急百貨店本店のメイン会場には、通天閣に安置されている福の神「ビリケンさん」が、史上初めて通天閣を出て東京にやって来ているそうです。

会期はイベントによって微妙に異なるので、今日は「ナニワうまいもん市」に行ってみました。
東急東横店の催事場へ行ったら、人でごった返していました。

大阪=「粉もん(お好み焼きやたこ焼きなど、粉をといて作る食べ物)」というイメージが強いかもしれませんが、それだけではありません。
たしかに「粉もん」もおいしいのですが、それ以外にもおいしいもの、歴史のある食べ物はたくさんあります。

その一つが、高麗橋に本店がある「すし萬」の「小鯛雀鮨」です。酢でしめた小鯛が上に並べられた棒ずしですが、魚のしめ具合といい、とにかく絶品です。小鯛のおすしのほかに、鯖の棒ずしもあります。時期によっては、鯵の棒ずしもあります。
鯖ずしは京都にも「いづう」など有名なお店がありますが、大阪の鯖ずしは京都のとはまた少し趣が異なります。魚のしめ方などが微妙に違うのです。「いづう」の棒ずしもおいしいと思いますが、個人的には「すし萬」のほうが好きです。
高麗橋の本店に何度か買いに行ったことがありますが、店の間口が広く、歴史を感じさせる建物です。本店でも小売をしてくれますが、大阪の梅田界隈のデパートで購入することもできます。
せっかくなので、小鯛雀鮨のハーフサイズ(4切分)を買いました。今は暑い時期なのでその日のうちに食べないといけませんが、夏場以外の時期なら2~3日もちます。

「すし萬」のほかにも、うどんの「今井」など有名なお店が出店していました。
「今井」は道頓堀にあるうどん屋さんで、故・ミヤコ蝶々師匠も生前よく通っていたのだそうです。
親子丼と小さなきつねうどんのセットを注文しました。親子丼は、ごま油の風味が効いていました。鶏の玉子とじの上にさらに生卵が乗っていて、まぜて食べるとまろやかな味わいになります。
うどんのつゆをお吸い物がわりにして食べるのが、また格別です。

ほかにも、昆布やお菓子などのお店がたくさん出ていました。

先日、彦八まつりを見に行った際にお目にかかった飴屋さん「なにわの伝統飴野菜 十八屋弥兵衛」も出店しているとのことだったので、行ってみました。すると、先方でも覚えてくださっていて、こちらから声をかける前に「先日の彦八まつりの際は、ありがとうございました!」と声をかけてくださいました。
「彦八まつり」の時、桂あやめさんの「ねちがいや」で「十八屋弥兵衛」さんの飴を売っていたのですが、ちょうどその場にいらした「十八屋」の専務さんが、「今度渋谷でこういうのんをやりますんで」と「大・大阪博覧会」のことを教えてくださったのです。

このお店では、大阪の野菜を使った飴を作っておられます。
「天王寺かぶら」や「田辺横門大根」「毛馬きゅうり」など、いろいろな種類があるのですが、どれも野菜の風味が生きていて、自然なおいしさです。
野菜をかたどったかわいらしい飴もあります(冒頭写真)。これにも、ちゃんとそれぞれの野菜が入っているのです。

渋谷の「ナニワうまいもん市」は9月28日までですが、大阪近辺にお住まいの方は、「うまいもん」のお店にぜひ足を運んでみてください。



中秋の名月

2005年09月18日 | つれづれ
今年は、9月18日が中秋の名月。ちょうど日曜だったので、向島百花園の「観月の夕べ」に行ってみました。
通常は夕方で閉園するのですが、この日は夜9時まで開園され、園内で琴の演奏や茶会が催されます。
園内には月見棚が作られ(冒頭写真)、その向こうに上る十五夜の月を多くの人が愛でていました。

園内の至るところに、秋の俳句をしたためた行灯が立てられ、闇の中に浮かぶ灯りで幻想的な雰囲気をかもし出していました。

向島百花園入り口の行灯
↑入り口の軒先にも月の絵の描かれた行灯が


<本日のキモノ>

麻の葉の着物に博多織の「やたら縞」の八寸名古屋帯

麻の葉模様の着物(変わり織りの、透け感のない浴衣を木綿の単着物の代わりに)に、博多織の「やたら縞」の模様の八寸名古屋帯。
中秋の名月にちなんで、帯留は「うさぎ」にしました。

うさぎの帯留

帯揚げと帯締めは、グリーンにしています。着物がエンジ色なので合わせる色に迷ったのですが、帯の中にある一色を選んで合わせてみると、割としっくりきました。
着物の場合、洋服とちがって「補色の組み合わせ」、つまり赤と緑、青とピンクのように反対色を組み合わせることが一般的に行われています。「この色の着物にこの帯の色だと合わないかしら」と思っても、小物も含めて実際にコーディネートしてみると、しっくりくることが多いのです。そのため、手持ちの着物や帯をいろいろなパターンで組み合わせてみると、豊富なバリエーションができあがります。
逆に、洋服と同じ感覚で合わせようとすると、地味になりすぎてしまう場合もあります。着物のコーディネートには、洋服のセンスももちろん必要ですが、洋服の常識にこだわらずにとにかく手持ちの物をいろいろと合わせてみると、新しい発見があります。
洋服ではできないような色や柄の組み合わせを楽しめるのも、着物の醍醐味といえます。



自由軒の名物カレー

2005年09月11日 | つれづれ
大阪・なんば、NGK(なんばグランド花月)の近くに「自由軒」という洋食屋さんがあります。
洋食屋さんですが、ここの看板メニューは「名物インディアンカレー(R)」。
ルーとごはんが混ぜ合わされた、ドライカレーのような感じのカレーなのですが、上に生卵が乗っているのが特徴です。
関西では「カレーに生卵」という食べ方はわりと一般的なのですが、東京の人にはちょっとなじみがうすいかもしれません。

さいたま新都心に新しくできた複合型商業施設「コクーン」に、この自由軒が入っているというので、行ってみました。
なんばの自由軒は、「食堂」という感じの雰囲気なのですが、こちらのほうはわりとゆったりした感じで、レトロをテーマにした内装になっています。

迷わず「名物インディアンカレー」を注文。
ビールを飲みながら、おつまみ代わりに注文したサラダを食べていると、まもなく「名物インディアンカレー」が運ばれてきました。ひさびさに食べるので、ワクワクしました。

では、この「名物インディアンカレー」の食べ方をご説明します。

1)運ばれてきた「名物インディアンカレー」。ドライカレーの上に生卵が乗っています。
自由軒の「名物インディアンカレー」

2)ソースをかけます。かける量の目安は「卵の黄身の周りを1周ちょっと」。
自由軒の「名物インディアンカレー」にソースをかける

3)あとは、スプーンでよ~く混ぜ合わせます。
スプーンでよくかきまぜる


ポイントは「ソースをかける」ということと「全体をよく混ぜる」ということ。
カレーが運ばれてきたときにお店の人が食べ方の説明をしてくださるのですが、「え、カレーにソースをかけるの!?」と思って、ソースをかけずに食べてしまう人もいるようです。
しかしそれだと、なんだか妙に辛くなってしまうのです。ソースをかけることによって、まろやかさが出て、卵とカレーもよくなじむのです。
もちろん好みの問題なので、「私は絶対にソースはかけない」という人はもちろんそのまま食べてもいいのですが、このカレーはソースをかけることを計算して作られているのですから、やはりソースをかけて食べるのがベストと言えるでしょう。

カレーのスパイスの香りと生卵・ソースのまろやかさが一体となって、食欲をそそってくれる一品です。

ちなみにこの「名物インディアンカレー」、新大阪駅などでも、お土産用の商品が冷凍販売されています。


【補足】
後日わかったのですが、お土産用の商品を販売し、関東でも出店されているこの「自由軒」は、大阪・なんばの自由軒本店とは関係がないそうです。



麻布十番納涼まつり

2005年08月21日 | つれづれ
麻布十番商店街近辺で行われた「麻布十番納涼まつり」へ行ってきました。

お祭り自体は比較的新しいものですが、とにかく屋台がたくさん出るので、若い人を中心に毎年多くの人でにぎわっているようです。
麻布十番商店街のお店が出している屋台のほか、国際色豊かな「ワールドバザール」、日本各地の名産品が売られる「おらが国自慢」など、たくさんのお店が出ていました。
屋台のほかには、「麻布十番寄席」や盆踊り、お囃子などが行われていました。

私は、おはやしを目当てに行ったのですが、早めに行って屋台も見てみました。とにかく屋台も人も多かったのですべての店は見ていませんが、「おらが国自慢」のなかで飛騨牛の串焼きが売られていて、とてもおいしかったです。和牛ならではの旨味がありました。生ビールも一緒に売られていたので、串焼きを片手に一杯やって、しばし暑さを忘れることができました。

夜になって、麻布十番稲荷の前で「十番囃子」の演奏が行われました。高校生くらいの子もいて、一生懸命演奏していました。

十番囃子
↑十番囃子

「十番囃子」の演奏の後は、獅子舞や、「伊勢音頭」「かっぽれ」などの踊りが披露されました。
お囃子や踊りの会場はあまり広くなかったのですが、たくさんの人が集まっていました。若い人も結構いました。

獅子舞
↑獅子舞


<本日のキモノ>

濃紺地に朝顔柄の綿紅梅に博多織の紗献上八寸名古屋帯

濃紺地に朝顔柄の綿紅梅(めんこうばい)に、博多織の紗献上の八寸名古屋帯です。
朝顔の柄は、時期的には本当はもう遅いのですが(朝顔の柄は7月から8月初旬までの間に着て、立秋を過ぎたら桔梗や萩など秋草の柄を着るのがベストです)、朝顔柄の浴衣地の日傘とあわせたいと思ったので、着てみました。
日傘が白地に紺の朝顔柄、着物が濃紺地に白の朝顔柄なので、ちょうど対比になりました。
足元は、麻の足袋に、右近型の焼き桐の下駄です。

お祭りの会場には、着物の人も少しいましたが、浴衣を着た若い人がたくさんいました。六本木ヒルズ周辺にも浴衣の人がたくさんいました。この界隈にこんなに和服の人がいるなんて、普段ではまずありえないことです。やはり、浴衣姿・着物姿の人がたくさんいると、街が一気に華やぐ気がします。

夏キモノを着る若い人が増えたのはよいことですが、なかには、絽の着物(もちろん半衿、襦袢と一緒)に名古屋帯といういでたちなのに、素足に下駄ばきの人もいました。
最近、こういう人をよく見かけるのですが(驚いたことに歌舞伎座でも)、これはさすがにいただけません……。
半衿つきで着物(着物っぽい浴衣も含めて)を着たら、たとえ帯が半幅帯でも、足袋は必ず履きます。
綿コーマなど、半衿をつけないで着る浴衣の場合は、お太鼓の帯をあわせても素足に下駄履きで、すっきりと着こなすのがベストです。