長野の田舎から

風景を中心に更新をしていきます。

2010-04-12 | Weblog

やっと母への思いを書く気持ちになった。
昨日(2/11)、納骨をすませた。
78歳。
見方によっては「まずまず」と言う人もいる。
私にとっては「まだまだ」である。

小さなころから48になるこの年まで、母には迷惑を掛けっ放しだった。

朝早くから夜遅くまで、座っている姿を思い出す事は出来ない。

自分のために旅行などをしているところを見たこともない。

自分のために高価なものを買っている姿を見たこともない。

いつもいつも「自分の事より家族の事が、何よりも一番」の人だった。

母の言葉は、常に私を思っての言葉だった。

そんな言葉に反発をしているばかりだった。心では「ありがとう」と思っているのだが言葉に出して言ったことは数える位しかない。

最後に母を背負ったのは、亡くなる前日に病院へ入院に連れていく時だった。母はやせ細りほとんど重さも感じないくらいだった。きっと病院に行くのは嫌だったに違いない。今でも、そんな事を考えると涙が止まらない。
8年弱の単身赴任から帰ってきたのが12月。
帰ってくるのを楽しみにしていたようだ。
後で、親戚や近所の人達が、毎日「息子が帰ってくる。やっと帰ってくる」と言っていた事を聞いた。亡くなる最後の最後まで出来の悪い息子が心配だったのだ。

ごめんな。母ちゃん。

おふくろさんありがとう。

心配掛けないように精一杯頑張ります。


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1 コメント

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幸せなお母さん (雹子)
2010-04-14 20:25:03
きっと、お母さんは我が子が愛情深い人に育ったことを理解し何よりの喜びにされていたのでは。そう感じずにはいられません。

私も目指します、お母さんのような、ニッポンの母を。
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