「ヒロシマ・ノート」
大江健三郎氏の著作です。
戦後10~20年ほど経った、60年代~70年代の広島市を著者が何度も
訪れた際に書き留められた記録の本。
わたしはまだ半分ほどしか読んでいないのですが・・・。
戦後ほんの20年ほどの頃にすでに、政治に動かされた平和運動が起きて
いたと言うのです。まだまだ多くの方が、病院の中で苦しんでいた時期に。
この本、去年の夏に帰国した際に、平和記念資料館の売店で買いました。
この資料館、入館料が大人50円なのです。
「そういえば、昔、修学旅行で行ったなぁ~」なんておっしゃる方も、今後また
機会があればぜひ、平和記念資料館に行ってみてください。展示品が多い
ので全部を見ていると半日つぶれてしまいますが、きっと、以前見た時とは
また違う部分が見えてくると思います。
50円。
何度も何度も来てもらえるように、との思いを込めた金額設定なのでは
ないかと思います。
今年はみごとに、8月6日の到来を忘れていました・・・。
最近毎日が別のことで頭がいっぱいな状況なのできっとそのせいです。
あと、外のお天気もあまりよろしくないことも。
やはり、8月6日の朝は、晴れて暑くなければ。
ミーンとかジーとかセミの声がうるさく聞こえてくる中、毎年、広島市長の声
を聞いていたから。(実家にいた頃のことです。)
スポーツの大会などで日本が優勝すると、「国歌」として「君が代」が流れる。
「国旗」として「日の丸」が掲揚される。
さすがにこの瞬間で「君が代」を口ずさんだり、日の丸を見て胸に手を当てる
日本人はものすごく少数派だとは思うけれど、多くの人がその状況をいわば
黙認して、これをすでに「国歌・国旗」として受け入れている。
ハンガリーで君が代が流れたことをバイアリーさんやそのみさんのブログの記事
で知り、遅ればせながら、日本の人たちががんばっていらっしゃることを
知りました。そのことについては非常に嬉しく思うのですが・・・
その象徴として、「君が代」なんですよね。
広島県において、この「君が代」と「日の丸」は、一時期とても大きな問題を
うみました。
今現在はどうなんだろうか。
わたしが小学生低学年の頃には、日の丸の旗を学校でも使用していたし、
「君が代」も歌っていた。しかし、いつ頃からだろうか?全く登場しなくなった。
父が言うには、政治的な理由だったのだそうで。
日本の学校教育は、ことごとく政治に左右されているらしい。
そして・・・もう10年近く前のことになるのか?いつだったかハッキリとは
覚えていないけれど、広島県の地方の学校の校長が、「日の丸・君が代」に
反対をして、自殺をした。
黙認して受け入れることへの危険性を、命を呈して訴えた。
結局、校長の自殺という事件として扱われた程度で、肝心の「日の丸・
君が代」問題は今や当然のごとく消えうせてしまっているのだろうか。
なぜ「日の丸の掲揚」「君が代斉唱」にそれほどまでに反対するのかが
わからない方は、君が代の歌詞一言一言を思い出していただきたい。
天皇を崇め奉る言葉に満たされていて、“君が代(天皇の時代)”が
永く永久に続きますように、との願いが込められた歌詞。
子どもの頃には何も考えずに歌っていたが、父にその意味を聞かされた瞬間、
寒気がした。
(この歌詞自体は和歌であり、そして曲は日本古来の音階からオーケストラ
にしてあるので、日本文化の象徴と考えられるとは思うのですが・・・その歌に
込められた意味があまりに重すぎるのです。)
天皇を責めるとかいうのではなく、今の日本に、これが「国歌」として相応しい
のかどうか?という問題。
日の丸の旗をかかげて、天皇を崇拝する心を利用して、かつて日本は
戦争をした。狂気の沙汰だったと思う。
自殺した校長は、何を思ってのことだったのだろうか。
きっと、それを考えてから行動におこすまでずっと、悩み続けていたと思う。
残される家族のことを考えて。
それでも、命をかけて言いたかったことがあったのだろう。
広島の後世の子どもたちを守りたかったのかもしれない。
(不本意ながらも子どもたちにそれを強制することは、洗脳に等しいと考えて
いたのが、広島の教員たちです。)
この校長先生が亡くなられた当時は、ちょうど「日の丸・君が代」が国旗・国歌
として正式に定められるという法案が決められた頃で、それに唯一反対していた
広島県の教員たちも教育委員会からの圧力で徐々に勢力を弱められ、
受け入れざるを得なくなったのです。(それまでは、生徒たちに「日の丸・君が代」
の危険性を少しずつでも説いていたのに、全く別のことを教えなければならない
方針となったのです。)
この校長先生は、一通の遺言を残されて、亡くなられました。
自分の中の軸が、マスコミや政治によって揺り動かされることのない、
まっすぐな人は、一体どのくらいいるのだろうか?
8月6日の広島市内の様子を、去年、平和資料館の中で考えてみた。
小汚い格好で、どうしようもない顔をして座り込む人たちをとらえた1枚の
写真が展示してあり、それがわずかに1枚だけ撮影された、当日の朝の写真
だと書いてあった。報道者は、報道の義務があるとしてその一枚目を撮影した
のだけれど、そのレンズの向こうに広がる悲痛な叫びのような顔を見て、
ようやく1枚は撮影したものの、思わずレンズをそむけてしまったのだと言う。
このヒロシマのことはもうすでに過去の記録となってしまっているけれど、
今現在も、政治的(もしくは宗教的)理由で生命の危機にさらされている
人たちがいるのだから、日本の「日の丸・君が代」問題も軽く考えては
いけないのではないかと思う。