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まちだ ひろがりネット

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町田・生活者ネットワークの活動日記

まちづくりって、誰のため

2011年02月12日 | 活動
春の雪が降る2月11日。午後から「街づくりフォーラム」に行ってきました。町田市都市づくり部企画で5回目とか。

基調講演の講師/牧瀬稔氏は猛烈な早口で、「地域の個性を生かした魅力あるまちづくり」と題して、大間や境港や桧原村の例を引きながら、街づくりにはまず地域ブランドを見つけること、そのときのチェックポイントをお話。人まねしてもそれ以上にはなれない、何を実現したいのか明確にしよう、強みを探せ、資源を探せ。あれもこれもではなく、あれかこれか。決断。決めて、断ち切ること。一点突破する、差別化する。それが誰のためなのか。その街が住民を獲得することが目的。選ばれる地域になることがまちづくりの究極の目的であると。後段、あなたは町田が好きか、ずっと住み続けたいか。と問いかけられたときには思わず自分の胸の内を探っていました。

町田市もいつのころからか根っからの町田っ子より新住民の方が多くなりました。昔からの良きコミュニティの存続が危ういと思われるほどですが、それでも絶滅してはいない。私の知る原町田には人情もある。第2部は「まちだ夢あかりプロジェクト」という社会実験の報告でしたが、その実験が原町田でできたということが何よりの証拠だと私は感じました。街を街路灯ではなく”ぼんぼり”で照らすというこの実験のために、通りに面したお宅一軒一軒に声をかけ、協力してもらうのです。協力する家の前にかわいらしい灯火がともりました。
 しかし、プロジェクトをリードした角館政秀氏は、その街に、声をかけても受け止めない住民が予想外に多く「初体験だ」「年をとって独り住まいの方が何人もいる」と話しました。

街づくりという言葉がいつも聞かれるようになりました。どうして。

あまりに流動的な人々。近所の人と関わらないことが安心安全と思う重大な誤解。気楽なことと引き換える孤独のふち。いったん踏み外すと他の道がないかのような危険な社会。つながりがいつの間にか消えていて気がつけばたった一人。それはもはや都会と田舎を区別しない潮流かもしれません。これが「無縁社会」というもの、かと。

 「無縁社会は社会の病理ではなく、私たちがみずから望んだグロテスクな「近代の完成形」なのだ。」宇野重規『<私>時代のでデモクラシー』tachibana akira解説より

 しかしこの潮流に「無縁社会」と名前がついていてちゃんと学者が分析し予想もしていることならばと、なぜかほっとするのです。それは「地球温暖化」「気候変動」と名がついたものをどうにかしようとみんなが思ったように、そしてみんなでやろうとかけ声をかけあっているように、「無縁社会」に対しても希望を持って変えて行こうと声をかけ合えるはずだと思えるからです。
 街を照らす、街に花を植える、道を掃除する、挨拶の声を掛け合う、交通の安全、犯罪の防止、あらゆる活動がそのきっかけになるに違いない。「無縁社会」脱出!そしてまちづくりはよりよく生きるために、そう考え始めたところです。(お)