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まちだ ひろがりネット

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町田・生活者ネットワークの活動日記

この夏さえ乗り切れば

2011年06月30日 | 活動
この夏さえ乗り切れば、
原発なんか無くったってやって行けることに自信が持てる。
そう言い続けた人々の言うことがが本当だったともうすぐ分かる。

7月を目前にして猛烈に急激に暑くなりました。
さっそく、熱中症の人が続出。死者も出ました。
けっして、熱中症にかからないように。ほら、節電のせいね、といわれないように気をつけてください。

無限に使い放題していた生活。
資源には限度があることをもう一度噛みしめましょう。

「電力の供給量にも限界がある」だけではなくて、森林資源も、水資源も、漁業資源も、
限界があると枝廣淳子さん。その資源の元本まで使い尽くそうとしてきたこれまで。
これからは利子の範囲で暮らすことを心がけましょうとメッセージ。
つまり、森や海の再生産したぶんだけ、つかうということです。

暮らしが江戸時代に戻る、という言い方をしていかにもそれは嫌だと思わせぶりな人たちがいるけれど、
そんなになる訳が無いでしょうと、わたしたちは思い描けばいいのです。

原発が無いと電力が不足してメーカーはたちまち困るでしょう、
自然エネルギーでは不安定、電圧がちょっと狂っても困る産業もあるんです、という人がいます。
それは、そうしないようにする技術があることを思い描きさえすれば心配は要らないのです。

経産相の海江田さんが原発再開のお願い行脚をはじめました。
もう早や、玄海原発が陥落しそうです。国が保証しますという言葉にすっかり甘えて。

原発の発電が途方も無く高くつくことも、多くの人々のいのちを被曝させなくてはおかない発電であることも、
これからの日本人全体の遺伝子に小さな傷をつけ続けていくことも全部知っていて、
それで原発とまだ言うのでしょうか。

金さえあれば、住民の明日は無くてもいいのだ、と聞こえてきそう。。。
そこの首長のその判断できっとまた、足下の住民と、日本全体を被曝させるでしょう。
自分さえ良ければと願ったことさえも、いずれかなわない日が来ると、今や誰もが知っているというのに。


とにかくこの夏を乗り切る。
なんとしても無事に乗り切る。
どうぞ、みなさん。自分の体調とよく話し合いながら、無事に乗り切ってください。






これからの議論

2011年06月20日 | 活動
原発を止めよう、
エネルギーシフトをしよう、
子どもを守ろう、
未来を守ろう

という言葉の力を緩めるつもりは無いが、
それだけではいけない気がする。足りない気がする。

そこで何人かと議論した。

脱原発は止めるだけで実現するのか?
止めた原発は今の技術者が数十年後もめんどうを見ていけるのか?
無理だ。

科学者も技術者も年をとる。
使用済み核燃料が十分冷えて、次なる保管の容器に移せるようになるのに何十年。
無事にこれにこぎ着けるために、まだまだ専門家にいなくなられては困る。

廃炉にすると言っただけではなかなか実現しないのが、廃炉するということだ。
何十年もかけて54基すべて廃炉にするためだけにだって、
次々と若い研究者や技術者を必要とする。

だから、いま急速に脱原発、エネシフが社会のトレンドになりそうだが、
本当は原発の技術のことも同時に考えなくてはならない。

原発推進論と聞こえて、日に日に居ずまいが悪くなる寺島実郎さんの言葉の中から、
技術が無くなるという危険への警鐘を聞いた気がした。

ひとり、日本が脱原発しただけで終わらない。アジアのどこかで原発事故を起こしたらどうする。
原発先進国としての責務は無いのか。貢献しなくていいのか。

それにしても来年、高校三年生が大学の原子炉工学なんていう学部を選ぶかな。
早速それが心配だ。

(みんなの創出力)
ここで、就職先、というニンジンを持ち出した。
いわく、卒業後は公務員として就職率100%という約束をすればいい。
廃炉部。みんなを助けるための意義の高い研究室。
そうだ。毎年何百人という卒業生はもう要らない。
研究を続けるだけの精鋭と十分な研究施設があればいい。

しかし、こうして育てる原子炉専門家の存在が将来の原発推進に繋がらないか。
その恐れも無くはない。
しかしそれでも、右か、左か、という2択ではなく
右も左も、という両択を、するべきだ。

強すぎるトレンドは、かつて反原発を封じ込めたのと同じ、もの言わせぬ議論に繋がりかねない。

そうしたら今夜のニュース番組で、養老孟司さんが原発/反原発議論に中庸が無かったと指摘した。
推進側か反対側かになってしまって、養老さんは議論に入れなくなったという。
危険だといわれたら、意地でも安全だとつっぱねる。
この応酬のなかでほんとうの安全が見落とされて行ったのだ。

なんと幼稚な。
こんな議論にしないためにも、敵か味方か、は卒業しなくてはならない。

(あ)(お)(た)(な)(な)





頼らない生き方 

2011年06月12日 | 活動
昨日、町田でも「原発いらない」のパレードがありました。
お昼過ぎまで雨が降っていましたが、天気予報は午後曇り。
はたして、雨はやみました。

原発反対の町田で初めてのデモパレード。
後でわかった新宿の3万人には及びませんが、300人くらいになったようです。

自分のために、誰かのために、迷うことなく、原発やめようと口にします。
お子さん連れも、おみ足の悪い女性も、思いをかけて歩き通しました。
そのことだけでも、じん、とします。

反原発のパレードは、そこに加わることだけに、意義があります。
何か言えなくても、そこに加わることだけで意思は現れます。
だから、もっともっと、音あり、歌あり、踊りありでいいのです。もっと。

統率されることなど必要無い、個人の意志の集まりです。
自分で生き方を決めることのできる人たちの集まりです。
自分で自分を守ろうとする意思のある人たちの集まりです。


放射線被曝にしきい値がないという話になった時に、
心配しなくていいとか安全とか言わない科学者が必ず言うのが、
どこまで、を自分で決める、という言葉です。
徹底的に学んで、自分が自分の生き方の中で、決める。


そのためにどれくらい学ばねばならないでしょう。
科学者と同じだけの知識が必要かもしれません。
だから、互いに学んだ知識の交換をする。

頼らない生き方をひとりひとりが獲得するために、
お互いに同じように力を蓄えるために、学び合いです。
情報交換です。
自分が納得できるまで。

頼らない生き方のために。(お)











もしも災害が町田市であったなら

2011年06月09日 | 活動
都市を科学する秋山哲男さんが、東北の被災地を視察して、その報告をしました。
それから、被災地に自分ができる貢献を既に始めているとのことでありました。

 災害から逃れるために、まず自らが逃げる行動をとらなければ助からない。
 動かない人々を動かそうとして多くの消防団員がともに亡くなった。
 常日頃から、ひとりひとりが地震があったら津波を思ってまず逃げ出す、
 という教育が不可欠だった、とお話しでした。

町田市が被災地に何ができるでしょう、という質問にはひと呼吸おいて
「人を出すことでしょう』お金やものはもうあまり必要でありません。

もしも首都直下型の地震が起きたら、町田市は多分被害軽微と思われるので
どんな支援ができるかとの質問には、町田市でできることは無いでしょう、と。

町田では津波は考えられませんが、40万人を上回る人口をかかえる都市です。
首都直下型の地震が起きたら。家が壊れたり、火事が起きるかもしれない。
少なくともそこに張り巡らされるインフラの設備、水も電気も寸断されます。
下水道も破壊される。そうなると考えるのが自然です。

そのとき、市役所に助けを求めることを考えず、自分で1週間はやっていくつもりでいよう、
と秋山さんは語りかけます。市役所のできるのは、市民対応(被害状況を聞く、手続きをする)です。

常日頃、風呂に水を(250リットル)ためておくのは必須です。
飲み水は1週間分あればいいでしょう。食糧はまあ、3日分くらいでいいでしょう。

  秋山さんのように心にもゆとりを備えておけば、すわというときに
  買いだめに走らなくていいなあ、と思います。たとえ津波はなくとも
  災害はまず自分、自分たちで対応する覚悟でいるということです。


秋山ゼミは回を重ねて5回目です。今回は町田市での災害の姿が描けたような気がします。
私が想像をする時、災害の具体像がイメージできず、当然何を具体的に構えておけばいいのか、
はがゆいほどつかみどころがないと思ってきました。でも、はっきりしました。

水は自分でためる。
もし事前に市に対策が頼めるとしたら、歩いて行ける地域の中に給水施設を置いてもらう。
食べ物も自分で用意する。熱源を用意する。

ついでに、万が一の時、町田を逃げ出す用意も心得ることができたら、
生き抜く方策がそろったというものです。(お)

他のメンバーが前回の会の様子を追加でアップすると待っていましたが待ちきれず、
次の記事を書いてしまいました。。。m(_ _)m




これからの「未来」の話をしよう

2011年06月05日 | 活動
脱原発!エネルギーシフトを目ざす6・4シンポジウム

というのに行ってきた。
無駄遣いしなければ電気は足りる。もうずいぶん聞いた話だ。それなのに足りない足りないという人がまだいるらしい。
どうやら理屈ではないのだろう。変わることがいやなのじゃないか。怖くないよ、だいじょうぶ、といってあげたい。

ところで、今日は参議院議員の某という人が壇上にいた。管首相を弁護する。いわく「原発を止める法律も無いのに、管さんは法律を作らずに勝手に浜岡原発を止めた、と野党は非難する。しかし本来、原発を始める法律だけつくって止める法律をつくらなかったかつての政権がおかしい」なるほど。

始めることだけ考えて終わることを考えない。希望に燃えている時ってとかくそういうものかも。
でもその車、ブレーキを付けないで走り出したんだね。

私たちは政権がどう変わろうと、死に体の原発を土俵の外にきっちりと押し出すまでのこと。
そして迷わず新天地を目指すまでのこと。

ドゴール元仏大統領。「政治は政治家に任せておくには大きすぎる」
言われてみればなるほど。至言。国民よ、もっと出しゃばれ。政治家は国民の一部に過ぎない。

ドイツ安全エネルギー倫理委員会の委員、ミランダ・シュラーズさん。どうしてドイツではたった2ヶ月で原発を廃止するという決定ができたのか、その判断基準は?という問いに答えて。「福島です」そして、もし福島がドイツにあったら事故の「あす」には止める、と。

どうして日本はそうではないのか。その答えを探すのは社会学者の研究テーマ。

止めた方がいいとひとに言われると「おれたちのにちじょうにけちをつけるのかこのやろー」という心境になるという。
止まらないようすは先の戦争と似る。たとえ短期決戦でも勝てない、と調査の結果が出ていても「今更止められない」「空気に逆らえない」と思ってしまう人たちおかげで戦争に突入して行った過去がある。
いつからそんな性格ができてしまったんだろうね、日本人。
空気の読めないやつ、っていうのが本当は役に立つ人間だったりして。

みんなで性格を変えよう。楽しく変わっていこう。

この日は3人で行った。だから、他の人もレポートしてくれるだろう。おたのしみに。(お)