放射能の測定。
こんな専門知識を要求するような分野に、普通の市民が取り組みはじめています。
当然きっかけは3.11の原発事故です。
その際、国の発表は気休めを主にされたものであったこと、
従ってつねに情報が真実である必要すら政権側(と官僚ほか)は認めなかったことを知りました。
そしてわれわれは長きに亘ってその類いの発表に安んじてきて、真実を見る努力をしなかったこと
などに深い反省を持つようになりました。
我々は従順なだけの国民ではなく、自立する市民であると自覚することになりました。
手元にある限りの専門家や専門知識に近づき、利用し、誰かが発する気休めに対抗する必要を感じています。
気休めはいっときしのぎ。それがあとに来る危機を見逃すきっかけになってしまいます。
国の発表や、意図的な(さりげなく気休めに誘導する)報道に対して、
市民は感覚を研ぎすましておくために、自ら真実をつかむ努力をする必要を感じています。
その努力を惜しむと、またまた旧来の国民に返ってしまいます。
空間線量計はわりあい入手しやすいものでした。
かなりたくさんの人がそれなりの線量計を手にしています。
そのことで、器械由来の値のばらつきのことや、測定できる能力に差があることや、
測る場所や条件や測り方によって同じ器械を使っても測定差があることなど、多くのことを学びました。
いま、公といわれるところが発表する数値を有為だと市民が判断できるのは、
自ら測り続けた実績があって、それと照らし合わせる力があるからです。
また逆に、市民がそれをするのでだれもおろそかな計測はできません。
同じことが、食品検査にもあてはまります。
これからの子どもらにすこしでもベクレル数の低いものをという母親たちの悲願。
一方で、誰かが定めた基準に沿って一斉に計測しているのだから、
これ以上不安がるのはおかしいという言葉が市民の間にも聞かれます。
前段を読んでくださった方には、この考え方が陥っている罠が見えるのではないでしょうか。
食品の放射線量を測る器械は、空間線量計に比べて高価です。
簡単に入手できないことで、市民が自ら測り続けることのできない現状となっています。
だから皆で協力して市民による放射能測定室をつくりましょう。
いつでも誰でも使えるように、オープンな場所を作りましょう。
わたしたちは今こそ市民です。
皆で助け合って、自ら判断する力を身につけます。
(お)