今は観光地と言えば、谷戸の地形が美しい緑豊かな大公園舞岡公園です。谷部の奥深く、新緑空間に入ると、自分の心まで新緑に染まります。息吹を感じ、生きるぞと力が湧いてきます。
私が東京から日限山4丁目に移住してきた1975年頃は、舞岡公園はなく、ここは谷部や山部の一部が畑になっていた谷戸でした。谷部は昔は水田になっていたようですが、当時はすでに水田は放棄され、葦が生い茂る沼地になっていました。農道が残っていて、自動車で北から南へ登り、現在の本郷台に抜ける一般道に出ることができました。
したがって当時は観光地と言えば日限地蔵尊でした。すでに地蔵尊の正門の前の大通り舞岡上郷線はできており、この大通りから坂道を登ると突き当りに本堂がありました。この坂道の西側に大きな駐車場がありました。
現在の日限地蔵尊の駐車場 1975年頃と変わりません。
この駐車場の向こうは写真に見るような林が大通りの南側に沿って西の方に長く広がっていました。反対側の東の方は杉林が広がり、東に下る斜面を覆っていました。
本堂は、鉄筋コンクリート造で、1970年にできたものです。新しかったと思うのですが、当時はなぜか見栄えがしませんでした。通常はお地蔵さんというと、路傍に立っている石仏を想像すると思います。日限地蔵尊には高さ約80cmの石仏がありますが、あったかどうか記憶がありません。恐らく本堂の奥深くに安置されていたのしょう。
(注)現在は石仏は本堂の祭壇の奥の部屋の中に安置され、外からは見えません。1月4日、開帳されます。お地蔵さんらしくないですね。お地蔵さんはもっと人々に近い存在でなくてはいけません。
現在の本堂の東側に古い本堂と思いますが、お堂が残っていました。(注)今も残っています。中にはがらくたがほかしこまれ、ほこりだらけでまったく手入れされていませんでした。そのほかのいくつかの建物もすべて貧相で、有名な地蔵尊にもかかわらず、手入れが悪いと思いました。
しかし、建物群の周辺は狭かったですが、庭園風になっており、小道が整備され、地形は小山、周辺は緑がいっぱいということで散歩は大変気持ちがよかったです。
西の方の広大な林は特に小道はありませんでしたが、下草が刈られており、がさがさと歩き回ることができ、やはり気持ちがよかった記憶があります。
整備されれば、東の方の緑に覆われた笹山城址のある小山(笹山)の景観とあいまって、日限地蔵尊は将来素晴らしい信仰地、観光地になると思いました。大勢の人々が来ると思いました。
ところが、仰天、その後、西側の丘陵にサンヴェール日限山という大きな集合住宅ができ、続いて東側の下り斜面にやはり大きなコスモ横浜日限山という集合住宅ができ、笹山周辺にはロワレール日限山、グランドメゾン上永谷という大きな集合住宅ができ、小山の笹山城址は駐車場になってしまいました。
日限地蔵尊の発展性はかなり阻害されました。集人力が落ちたと思います。日本の神社仏閣の命は、美しい建物、緑を大切にする境内です。人々の信仰や観光でなく、境内の切り売りでお金をえるようでは落ち目です。
こんな日限地蔵尊ですが、ひぎり連合自治会作成のひぎり地区イベントカレンダーに、4のつく日、境内で日限茶屋が出ると書いてあるので、昨日4月14日(金)、ひさしぶりに日限地蔵尊に行ってみました。
ところが、日限茶屋らしきものがありません。よく参詣にきているというお婆さんがいて、今日は、人手がなくてお休みになったと教えてくれました。実は、日限茶屋は日限地蔵尊が経営しているのではなく、福祉ボランティア団体「さわやか港南」が運営しています。2014年から、さわやか港南は、地域交流の場として境内に茶店を、4のつく日、10:00-15:00、出してきました。数名のボランティアが、おでん、甘酒、おしるこなど温かくておいしいものを提供しています。
素晴らしい企画です。しかし運営継続は大変な忍耐を要します。ボランティアの誰かが何か事情があって準備できないと、店を出せないことはよくわかります。
日限山4丁目の人々にとってちょっと日限地蔵尊は遠いのですが、日限地蔵尊は地域の信仰地、観光地としてまだ可能性を残しています。
日限地蔵尊はもっともっと集人努力をするといいと思います。境内整備に注力するといいと思います。日限茶屋を活かすといいと思います。すると広い駐車場も活きてきます。
日限山の人々は、信仰の有無関係なく、日限地蔵尊を地域の観光地と認識し、4のつく日は、日限地蔵尊に行って日限茶屋に寄り、おでんなど食べながら、みんなで雑談をし、周囲の緑を楽しむといいと思います。
私は、次の4のつく日、行ってみようと思っています。
(余談)本堂の前で熱心に祈っている若い人がいたので、お地蔵さんは、祭壇の奥の方に安置されているのでしょうかと聞いたら、「あらっ、お地蔵さん、全然、気にしなかった。近くに来ると、ここ(本堂)にきて祈っていました」と苦笑しながら言いました。お堂を見ると、神仏を気にせず祈るというのは日本人の特徴ですね。