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中村良一とマカカ・ルーサーズ・バンド

Macaca Rhesus'es Band.(赤毛猿バンド)
トラディショナルなジャズを広めたジャズマンを紹介します。

トランペット奏者:Phil Napoleon.

2023年06月12日 08時33分17秒 | ジャズマン紹介

トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。

Phil Napoleon.(フィル・ナポレオン).トランペット奏者

1901年.ボストンに生まれた。
本名は「 Filippo Napoli. 」
ディキシーランド・ジャズのトランペットの名手の一人である。
20歳の頃、「オリジナル・メンフィス・ファイブ」のリーダーになって活躍した。

その後、「レッド・ニコルス」などのバンドに参加し、比較的コマーシャルな仕事をした。
戦後、自分のバンドをつくって、ふたたびディキシーをやるようになり活躍した。
有名なミュージシャンと共演し、レコードの吹き込みも多い。
1990年10月.フロリダで亡くなった。


トランペット奏者:Muggsy Spanier

2023年06月09日 08時13分10秒 | ジャズマン紹介

トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。

Muggsy Spanier. (マグシー・スパニア).トランペット奏者

1906年11月 9日.イリノイ州シカゴ生まれ。
本名は「Francis Joseph “Muggsy” Spanier.」
ディキシーランド・ジャズのトランペットの名手である。

彼がマグシーというニックネームで呼ばれたのは、
その昔、「マグシー・マッグロー」という野球の名物マネージャーがいて、
野球好きのスパニアにうってつけの渾名だという事でその名が付けられた。

最初はシカゴを中心にプレイし、1924年.「バックタウン・ファイブ」に加入した。
1928年.に「シカゴ・リズム・キングス」や「ジャングル・キングス」で録音した。
さらに、1929年.~1936年.まで、「テッド・ルイス楽団」で働いた。

1950年代には、ピアニストの「アール・ハインズ」と組んで演奏活動を行った。
1960年代はニューポート・ジャズ・フェスティバルを初め、各地のコンサートで活躍した。
1967年 2月12日.カリフォルニア州ソウサリトで亡くなった。




トランペット奏者:Max Kaminsky

2023年06月04日 07時57分19秒 | ジャズマン紹介

トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。

Max Kaminsky.(マックス・カミンスキー)トランペット奏者

1908年、マサチューセッツ州ボストンに生まれた。
1924年、プロ・ミュージシャンとして出発した。
1927年、シカゴで「フランク・ティッシュメーカー」と「ジョージ・ウェットリング」の
バンドに加わり活躍した。

また、1929年には「レッド・ニコルス・バンド」に加わって活躍した。
1941年~1943年は「アーティ・ショウ」のバンドで演奏していたが、
バンドぐるみ、海軍バンドとして応召された。

復員後は自分のバンドを作り「ディキシーランド・スタイル」で活躍した。
1959年1月には「ジャック・ティーガーデン六重奏団」のバンドで来日した。
その後、数々のレコーディングを行い活躍した。1994年 9月に亡くなった。



トランペット奏者:Lu Watters.

2023年06月01日 11時48分31秒 | ジャズマン紹介

トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。

Lu Watters.(ルー・ワターズ).トランペット奏者

1911年.カリフォルニア州に生まれた。
本名は「Lucius “Lu” Watters. 」
1926年.ハイ・スクール時代にジャズ・バンドをつくって活躍した。

サンフランシスコ大学に進んでからも、バンドで働いた。
卒業後、プロ入りしたが、1940年.に「ヤーバ・ブエナ・ジャズ・バンド」をつくり、
1950年.まで、そのバンドの仕事をした。

1942年.~1945年.は海軍に応召、ハワイで20人編成の「ネーヴィ・バンド」を指揮した。
1940年代におこった「ディキシーランド・ジャズ・リバイバル」の立役者として大活躍した。
1989年11月.カリフォルニアで亡くなった。



トランペット奏者:Lee Collins.

2023年05月30日 10時24分30秒 | ジャズマン紹介

トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。

Lee Collins.(リー・コリンズ)トランペット奏者

1901年ニューオリンズに生まれた。
15歳でプロになり、ニューオリンズで活躍した。
「キング・オリバー」や「ルイ・アームストロング」などのバンドに加わった。
この頃、「ジェリー・ロール・モートン」と「タイガー・ラグ」などをレコーディングした。

その後、シカゴに渡って演奏を続けたが、1957年、病気のため引退した。
「バディ・ボールデン」や「バンク・ジョンソン」などの伝統を受け継いだ、
ディキシー・トランペッターとして、貴重な存在である。
1960年に亡くなった。


トランペット奏者:Kid Thomas.

2023年05月26日 08時04分47秒 | ジャズマン紹介

トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。

Kid Thomas. (キッド・トーマス).トランペット奏者

本名は、Kid Thomas Valentine.
1896年2月3日.ルイジアナ州に生まれ、若い頃にニューオーリンズに移り住んだ。
1920年代初頭のニューオーリンズのダンスホールのスタイルで好評をはくし、
キッド・トーマスのバンドと地元ダンサーとの共演は長い期間、人気が続いた。

1926年から何十年もの間、自身のバンドを率いてニューオーリンズの郊外を拠点に活躍し、
ロシア・ツアーを含め、ヨーロッパのクラブやフェスティバルにゲスト出演した。
1960年代からプリザベーション・ホールで定期的に演奏していましたが、1987年6月18日.亡くなりました。

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トランペット奏者:Ken Colyer.

2023年05月24日 10時05分55秒 | ジャズマン紹介

トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。

Ken Colyer.(ケン・コリア)トランペット奏者

1928年4月、イギリスで生まれた。
若い頃、アメリカに渡り、ニューオリンズで黒人たちにジャズを学んだ。
アメリカで活躍し、レコーディングも多い。

帰国後、弟のビルと共にバンドをつくり、イギリスで活躍した。
イギリスにおけるディキシーランド・ジャズを広げるために努力した人である。
1988年3月に亡くなった。



コルネット奏者:Jimmy McPartland.

2023年05月21日 07時48分53秒 | ジャズマン紹介

トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。

Jimmy McPartland.(ジミー・マクパートランド).コルネット奏者

1907年、シカゴに生まれた。
本名は「 James Dugald McPartland.」
彼は「ビックス・バイダーベック」の後継者と言われた。

有名な「オースティン・ハイスクール」のバンドで「バド・フリーマン」や
「フランク・ティシュメーカー」などと活躍した。
1936年に自分のバンドを作って活躍した。

戦後、ヨーロッパでピアニストの「マリアン・ペイジ」と結婚し、二人で活躍した。
また、有名なミュージシャンと数多くのレコーディングを行った。
1991年3月に亡くなった。



トランペット奏者:Emmett Berry.

2023年05月19日 08時11分44秒 | ジャズマン紹介

トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。
Emmett Berry. (エメット・ベリー)トランペット奏者.

1915年 7月23日、ジョージア州に生まれた。
注目されだしたのは、1937年頃「フレッチャー・ヘンダーソン・バンド」で、活躍している頃である。
1941年から1942年「テディ・ウィルソン」「ライオネル・ハンプトン」「ベニー・カター」などのバンドに加わった。

1945年から1950年「カウント・べーシー」のバンドで活躍した。
その後、いくつかのバンドを転々とし、1954年以後はフリー・ランサーとなった。
1993年6月22日に亡くなりました。

「Emmett Berry」がソロをとっている映像です。
映像こちら⇒ Dickie's Dream.

Count Basie All Stars.
Emmett Berry, Doc Cheatham, Joe Newman, Joe Wilder (tp); Roy Eldridge (tp, flhn);
Vic Dickinson, Benny Morton, Dicky Wells (tb);
Earl Warren (as); Coleman Hawkins, Ben Webster (ts); Gerry Mulligan (bs);
Count Basie (p); Freddie Green (g); Eddie Jones (b); Jo Jones (d).




トランペット奏者:Bunk Johnson.

2023年05月15日 07時37分07秒 | ジャズマン紹介

トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。
Bunk Johnson.(バンク・ジョンソン)トランペット奏者

1879年、ニューオリンズに生まれた。
本名は「ウィリアム・ジアリー・ジョンソン」
ニューオリンズ初期から活躍し続けた名プレイヤーである。

16歳の時には「バディ・ボールデン」のバンドで2番コルネットを吹いていた。
それから間もなく、南部から西部、大西洋岸などを「ミンストレル・ショー」や、
サーカス・バンドと共に歩きまわり、数々のニューオリンズのバンドに参加した。

1911年から1914年にかけては、有名な「イーグル・バンド」で活躍した。
その間、まだ子供だった「シドニー・ベシェ」を連れて来て演奏させた。
やがて「ストーリーヴィル」が閉鎖され、ジャズメンがシカゴに移って行ったが、
バンクはそのままニューオリンズに残って演奏を続けた。
しかし、1933年頃になると歯がぬけ、ラッパを吹くことが出来なくなったので、
音楽の仕事から遠去かった。

1938年「ジャズメン」と言う本を書くために、ジャズの草分けのミュージシャンを
訪ね歩いていた「ウィリアム・ラッセル」が「ルイ・アームストロング」から聞いた、
昔話しによって探した末、ニューオリンズに近いニューイベリアで再発見したのである。

バンクは1942年、ジャズ界に復帰したが、多くのファンに暖かく迎えられた。
ニューオリンズのレコーディングがすむと、ボストン、サンフランシスコなどで、
演奏会を開いたが、かなりの老年に達していたために、その演奏は精彩に欠けていた。

1945年にはニューヨークの「スタイヴィサント・カジノ」に出演して大成功を収めた。
それ以後、舞台に立ち続け、1949年ルイジアナ州ニューイベリアで亡くなった。



end.