トラディショナルなジャズを 世界中に広めたジャズマンを紹介します。
Red Nichols.(レッド・ニコルズ).コルネット奏者.
1905年5月8日.ユタ州オグデンに生まれた。
スウィング・ジャズのコルネットの名手である。
本名は、「 Ernest Loring Nichols. 」
彼の愛称の”Red”は彼の髪の毛が赤毛だったことからつけられた。
幼児の頃から音楽教師であり、ダンス・バンドのリーダーであった父親から、あらゆる楽器を教わった。
なんと 4歳でビューグルを手にし、5歳の時にコルネットを習い、6歳になって公衆の面前で独奏した。
12歳になると家族で演じていた音楽劇に出演したり、父親のブラス・バンドでフィーチュアされるようになった。
1919年12月に、カルヴァー陸軍士官学校の特待生となり、コルネットやヴァイオリン、ピアノなどを学んだ。
1920年9月.故郷に戻った彼は、ピット・オーケストラに入団した。
ピット・オーケストラとは劇場専属のオーケストラル・ボックスで演奏する楽団である。
1922年に「レイ・スティルソン」のバンドに加入し活躍した。
その後、「シンコペーティング・ファイヴ」という 7人編成のコンボ・バンドに加わった。
その頃、彼はプライヴェート録音ではあるが、初めてのレコーディングを行った。
間もなく、皆から強い信頼を集めていた彼はバンド・リーダーに推され、
ここに「ロイヤル・パーム・オーケストラ」と名づけたバンドを率いる事となった。
1923年「アトランティック・シティ」で公演を初め、それから「レーク・ジェームス」「インディアナ」へと巡業を行った。
1959年に封切られた、ダニー・ケイ主演による、レッド・ニコルズの伝記映画「5つの銅貨」によって、
彼の名は世界中のジャズ・ファンに知られるようになった。
映画の中で下記3曲が同時に歌われています。
1. The Five Pennies.
2. Lullaby In Ragtime.
3. Good Night Sleep Tight.
また、彼は音楽的にしっかりした知識があり、しかも人間的にも優れた人物であったので、
多くのミュージシャンから尊敬され、有能なジャズメンは次々と彼の下に集まった。
1965年 6月28日.ネバダ州ラスベガスで亡くなった。