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中村良一とマカカ・ルーサーズ・バンド

Macaca Rhesus'es Band.(赤毛猿バンド)
トラディショナルなジャズを広めたジャズマンを紹介します。

哲学者:ソクラテス

2025年03月07日 00時34分10秒 | 偉人
哲学者:ソクラテス

・生い立ち
父は彫刻家ないし石工のソプロニスコス、母は助産婦のパイナレテとされる。
アテナイに生まれ、生涯のほとんどをアテナイに暮らした。

彼はペロポネソス戦争において、アテナイの植民地における反乱鎮圧としてのポテイダイア攻囲戦、ボイオティア連邦との大会戦デリオンの戦い(英語版)で重装歩兵として従軍した。

青年期には自然科学に興味を持ったとの説もあるが、晩年は倫理や徳を追求する哲学者としての生活に専念した。

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ソクラテス(ソークラテース、英語: Socrates、古代ギリシア語: Σωκράτης、古代ギリシア語ラテン翻字: Sōkrátēs、ギリシア語発音: [sɔːkrátɛːs]、紀元前470年頃 – 紀元前399年)は、アテナイ出身の古代ギリシアの哲学者である。

西洋哲学の基礎を築いた人物の1人として、特に、西洋道徳哲学(倫理学)の伝統における最初期の道徳哲学(倫理学)者の1人[5][6]として認識されている。

謎めいた人物であり、ソクラテス自身は一切の著述を行わなかったため、弟子の主に彼の死後に執筆を行った古代の作者たち、特に彼の弟子のプラトンとクセノフォンの著作を通して知られている。

同年代の他の出典としては、アンティステネス、アリスティッポス、スフェトスのアエシネス(英語版)の著作がある。

劇作家のアリストファネスは、ソクラテスの存命中にソクラテスに言及した演劇を執筆した同年代の主な作家であるが、キオス島のイオン(英語版)の断片である『旅行記』(英語: Travel Journal)は、ソクラテスの若さに関する重要な情報を提供している。

プラトンの対話篇は、古代から残されたソクラテスに関する最も包括的な著述であり、この著作により、倫理学と認識論の分野でのソクラテスの貢献が知られるようになった。ソクラテスのアイロニーやソクラテスの対話法、あるいはエレンコス(英語: elenchus、反対論証)を有名にしたのは、このプラトンが描いたソクラテスである。

しかし、実在したソクラテスとプラトンの対話篇でのソクラテスの描写との違いに関しては、疑問が残されている。

ソクラテスは、後代の古代の哲学者たちと現代の哲学者たちに絶大な影響を及ぼした。

芸術、文学、ポピュラーカルチャーの中でのソクラテスの描写により、ソクラテスは西洋哲学伝統の中で最も広く知られる人物の一人になった。

釈迦、キリスト、孔子と並び四聖人(四聖)に数えられる。

( ※ wikipedia を参照 )

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Francis Bacon:フランシス・ベーコン (哲学者)

2025年03月06日 07時43分49秒 | 偉人
Francis Bacon:フランシス・ベーコン (哲学者)

初代セント・オールバン(ズ)子爵フランシス・ベーコン
(英: Francis Bacon, 1st Viscount St Alban(s), PC, QC、1561年1月22日 - 1626年4月9日)
イギリスの哲学者、神学者、法学者、政治家、貴族である。
イングランド近世(ルネサンス期、テューダー朝(エリザベス朝)からステュアート朝)の人物。
イギリス経験主義の祖。

「知識は力なり」(Ipsa scientia potestas est)の名言や、「イドラ」の概念で有名。

人間の陥りやすい偏見、先入観、誤りを4つのイドラ(idola 幻像)として指摘し、スコラ学的な議論のように一般的原理から結論を導く演繹法よりも、現実の観察や実験を重んじる「帰納法」を主張したもので、近代経験主義の道を開いた(イギリス経験論)。

イドラ(羅: idola、ラテン語イドルム idolum の複数形)とは、人間の先入的謬見(偏見、先入観、誤りなど)を帰納法を用いて説いたもの。
16世紀から17世紀にかけてのイギリスの哲学者、フランシス・ベーコン(1561年-1626年)によって指摘されたもので、「偶像」「幻影」などと訳される。
ラテン語で偶像を意味し、英語の「アイドル」の語源でもある。

イギリス経験論哲学の祖として知られ、政治家でもあったフランシス・ベーコンは、「知識は力なり」のことばによって、自然の探求によって自然を克服し、人類に福祉をもたらすことを提案した。

そして、その探求方法としては、法則から事実を予見するアリストテレス(『オルガノン』)的な演繹法に対し、個々の実験や観察の結果得られた知見を整理・総合することで法則性を見出す帰納法を提唱した。

ベーコンによれば、一般論から個々の結論を引き出すアリストテレスの論理学はかえって飛躍をまねきやすいのであり、知識とはむしろ、つねに経験からスタートし、慎重で段階的な論理的過程をたどることによって得られるものであった。

以上のように、観察と実験の重要性を説いたベーコンであったが、その一方で実験・観察には誤解や先入観、あるいは偏見がつきまとうことも否定できないことを指摘した。
このような、人間が錯誤に陥りやすい要因を分析し、あらかじめ錯誤をおかさないように理論を確立した。これがイドラ論である。
ベーコンは、『大刷新』第2巻として著述した主著『ノヴム・オルガヌム』(新オルガノン)のなかで、以下の4つのイドラがあると説いた。

種族のイドラ(Idols of the Tribe、自然性質によるイドラ)
ベーコンが「その根拠を人間性そのものに、人間という種族または類そのものにもっている」イドラとしたもので、人間の感覚における錯覚や人間の本性にもとづく偏見のことであり、人類一般に共通してある誤りである。

例としては、水平線・地平線上の太陽は大きく見えることや暗い場所では別のものに見誤ることなどがあげられる。

洞窟のイドラ(Idols of the Cave、個人経験によるイドラ)
ベーコンが「各人に固有の特殊な本性によることもあり、自分のうけた教育と他人との交わりによることもある」イドラとしたもので、狭い洞窟の中から世界を見ているかのような、各個人がもつ誤りのことである。それぞれの個人の性癖、習慣、教育や狭い経験などによってものの見方がゆがめられることを指し、「井の中の蛙」はその典型である。

市場のイドラ(Idols of the Market、伝聞によるイドラ)
ベーコンが「人類相互の接触と交際」から生ずるイドラとしたもので、言葉が思考に及ぼす影響から生じる偏見のことである。
社会生活や他者との交わりから生じ、言葉の不正確ないし不適当な規定や使用によって引き起こされる偏見を指し、噂などはこれに含まれる。

劇場のイドラ(Idols of the Theatre、権威によるイドラ)
ベーコンが「哲学のさまざまな学説から、そしてまた証明のまちがった法則から人びとの心にはいってきた」イドラとしたもので、思想家たちの思想や学説によって生じた誤り、ないし、権威や伝統を無批判に信じることから生じる偏見のことである。

思想家たちの舞台の上のドラマに眩惑され、事実を見誤ってしまうこと。
中世において圧倒的な権威であったカトリック教会が唱えてきた天動説的な宇宙観は、ニコラウス・コペルニクス(ポーランド)やヨハネス・ケプラー(ドイツ)、ガリレオ・ガリレイ(イタリア)などによる天文学上の諸発見によって覆されたのである。

ベーコンは、人間の知性は、これらのイドラによって人は一旦こうだと思いこむと、すべてのことを、それに合致するようにつくりあげてしまう性向をもつと考えた。
こうした思いこみは、たとえその考えに反する事例が多くあらわれても、それらを無視ないし軽視しがちである。
したがって、ベーコンは、この4つのイドラを取り除いて初めて、人は真理にたどり着け、本来の姿を取り戻すことができると説いた。

ベーコンは、一面では、帰納法や人間の認識には限界があることを示したのであった。
そして、これらのイドラにまどわされることなく、観察や経験によって得られる個々の事例を集めて選択・整理して、そこから一般的な法則を発見していくべきことを説き、経験論と合理論を統合することによって、科学は自然を支配することができるとしたのである。

彼が提唱した新しい学問は、「人間の生活を新しい発見と資材によって豊かにすること」を目的とした。
また、その実現は個人的な才能によって担われるのではなく、人類の共同作業によって営まれるべきと考え、国家による科学研究の支援、研究所や図書館など研究に必要な施設や研究者養成のための機関の設立を説いた。

ベーコンの主張は、17世紀の王立協会や、科学アカデミーの設立によって実現し、その一方で、18世紀のフランスではドゥニ・ディドロやジャン・ル・ロン・ダランベールの『百科全書』の編纂に大きな影響をあたえた。

( ※ wikipedia を参照 )

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似ている偉人:宮沢賢治と正岡子規

2024年09月24日 07時27分03秒 | 偉人
★似ている偉人★

宮沢賢治と正岡子規
雰囲気が似ていて「どっち なんだろ~」と悩んでしまう偉人です。

宮沢賢治


宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年〈明治29年〉8月27日 - 1933年〈昭和8年〉9月21日)は、日本の詩人、童話作家。

仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行った。
作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーヴ(Ihatov、イーハトヴやイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。
彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていき、今でも日本には広く愛好者が存在する。

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正岡子規


正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈旧暦慶応3年9月17日〉- 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。
子規は筆名で、本名は正岡 常規(まさおか つねのり)。幼名を處之助(ところのすけ)といい、後に升(のぼる)と改めた。

俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治を代表する文学者の一人である。

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濱上鶴之介翁

2024年02月15日 08時14分30秒 | 偉人
濱上鶴之介翁を紹介します。
生まれ故郷にお墓参りで帰った時、地域に貢献された方がいた事を知りました。

鹿児島県の漁業振興のため尽力された。
その他、数々の事業に貢献されました。
昭和24年、漁業協同組合の発足と共に初代組合長として就任

<写真>
かいえい漁協( 鹿児島県指宿市)
開聞岳(かいもんだけ)
新川(しんかわ)
恵比寿橋

濱上鶴之介翁






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