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中村良一とマカカ・ルーサーズ・バンド

Macaca Rhesus'es Band.(赤毛猿バンド)
トラディショナルなジャズを広めたジャズマンを紹介します。

謹賀新年 2018年

2018年01月01日 11時06分51秒 | 
新年、明けまして おめでとう ございます。
本年も、よろしくお願い致します。


愛知県知多郡南知多町豊浜峠から伊勢湾を望む

<自己紹介>
中村良一(Ryoichi Nakamura.)コルネット,トランペット奏者
1979年.ジャズ発祥の地ニューオーリンズは、Preservation Hall.で演奏し好評をはくした。



生まれ:鹿児島県,指宿(いぶすき)、開聞岳の麓(ふもと)
育ち :福岡県北九州市小倉区
卒業校:北九州市立・到津小学校
    北九州市立・曽根中学校
    福岡県立 ・小倉工業高等学校
年 令:近所の柴犬と同級生
干 支:ひつじ
星 座:ふたご座
血液型:A.Rhマイナス型
大好物:しみてるおかき
大嫌物:コハダ(魚類),子供の頃にコハダにあたった!
座右の銘:飛びます、飛びます。

音楽教育
音楽の師匠は現場で出会う諸先輩のミュージシャン。
諸先輩から音楽教育と性教育をご教示して頂いた。
師事する方はいません、師事される方もいません。
天涯孤独でお先真っ暗、でも前向きで明るい...

音楽との出会い
野球の応援で甲子園に行きたくて音楽部に入部した。
野球が好きなだけで、まったく音楽には興味が無かった。
音楽部の先輩から『好きな楽器を選べ』と言われたが、
ラッパしか楽器が無かったのでラッパを手にした。
ラッパに息を入れると音が鳴った、嬉しかった。
これから、ラッパとの付き合いが始まった。

卒業後、三段ベッドの寝台車に揺られて上京、
クラシックをやりたかったが、ジャズマンと出会い、仕方なくジャズを始める。
色んな曲を演奏したが、全部同じ曲に聞こえた。

23歳で渡米、ニューオーリンズはPreservation Hall.に出演。
共演したミュージシャンからつけられたあだ名がFuzzy Ryoichi.
どうも、出てくる音が曖昧らしい... I My Me ~

数年後、後ろ髪を引かれる思いで、やむなく『坊主頭』で帰国。
帰国後、日本の音楽風土になじめず中華人民共和国へ逃避行。
その後、帰国したものの佐賀県に島流しとなり音信不通となる。

2002年.ひょんな出会いで、Macaca Rhesus'es Band. を結成し現在に至る。

日本サッカーミュージアム

2014年07月06日 07時08分06秒 | 
★サッカー・ワールド・カップ 2014★
日本が敗退したので、日本サッカーミュージアムに行きました。

ザッケローニ監督、帰国してしまいました。


背番号10、私です(^^)v


ワールド・カップ・トロフィー、レプリカ、初めて見ました。
本物のトロフィー見てみたいです。


撮影:2014年 7月 3日

end.

大内宿

2012年06月25日 01時24分16秒 | 
福島県南会津郡下郷町大字大内にある旧宿場、「大内宿」に行きました。
山、森、小川、水が綺麗で、蕎麦の美味しい村です。

ところが、「桜ん坊」お腹いっぱい食べすぎて、「蕎麦」食べませんでした。
残念、残念、ほんと残念。。。







大内宿の三澤屋
高遠そば:お箸のかわりに「ネギ」を使って、お蕎麦を食べます。


6月24日(日)