息子とともに

父子家庭生活中。自分に何かあった時、息子に何か残したいというネガティブな発想からブログを開始。日々の生活をここに。

楽しかった。

2007-09-10 23:26:48 | 父子家庭生活
ここ最近起床遅く、昨日も寝たの9時過ぎ昼寝なしなら
7時半起床と読んでみたが
6時に起床。元気です。

保育園に送ると
「今日は後から誰が来るんだい?」
????????
「パパ?おばあちゃん?」
あー迎えに誰が来るかと聞いているのかぁ
「パパ迎えに来るよ」と言ったら
無言でニヤッとした。

高松のお土産に黍団子を持っていった。
何故かというと個数の多いものが高松名産はなかったから。
結構悩んで、
まず飲食物の持ち込みOKなのか?
喉詰まらせたり食中毒を考えて禁止なのでは?
ありがた迷惑?
とか考えたがまぁ駄目なら持って帰って自分で食おうと持って行ってみる。

OKのようです。

先生方にもミルフィーユ×2個を持っていく。
何故2個かと言うと自宅用に1個と思っていたら
原材料に卵が入っていて
卵アレルギーな息子が食えないことが発覚したから
まぁそんな事情は敵は知るまい。

先週一緒に入園した子が入り口で
帰りたいとグズっていたのを先生が懸命に宥めていた。

いや気持ちは分かります。
うちの子も紙一重だし、、
急に集団生活だととまどいあるし
特に他の子が出来て自分に出来ないこととかあると
劣等感とか抱いて保育園嫌いになったりしそう。

結局、息子は少人数託児所→保育園だったのが
凄くよかったのだと思う。
小人数のところで集団生活の基礎を学び
保育園で大所帯に対応する形。。

しかし保育園の先生は大変だ。
今朝も人生のババを引いたような職業だと思ってしまった。
まぁ達成感とかその分大きそうだけど
うーん、血のつながりのない子供への対応。
母性必須で男には出来んな。

迎えに行き車に載った息子の第一声。
「楽しかった。」と満面の笑顔。

よかった。。

しかし家だと相変わらず偏食魔人なのだが
本当に給食食ってるのだろうか?




自分の幼少期との比較②

2007-09-10 00:25:02 | 父子家庭生活
幼少期、親にそれほど関わってもらうことの出来なかった自分ですが
結果、仕事ばかりしていた父の努力で
お金に困ることはありませんでした。
ただ妹が幼稚園に通うようになると
母もパートを始めたので
母のがんばりもあった気がします。

今、自分に問うても答えが判りません。
もっと一緒にいてほしかったのか?
お金に困らなかったからよいのか?

今、息子は仕事が忙しく2日間会えないと
泣きながら「さみしかった。」と言う。
ゴメンネ・ゴメンネ。としか言えない。

跳ね除け働くべきか
側にいるべきか

仕事のお客様も親も働くべきだと言う。
将来貧乏な生活をさせるのは可愛そうだ。と言う。
息子が親を頼るのはスグ終わる。
そのうち友達としか遊ばなくなると言う。

今、「さみしい。」という息子を跳ね除けるのが正しいのかと
親に問うと。
「今だけよ」と答える。
今だけよは自分では回答になっていない。

どう生きるかは難しく
結果が出ても別の生き方の結果は想像でしかないから
成功とも失敗とも分からない。

人生は結局自己満足だと思う。
それで自分が満足できれば成功で
満足できなければ失敗なのだと思う。
比較してどうこう言うもので無いことだけ分かる。

自分の今の結論は、後年色々な人に批判されるのだと思う。

でもそれが成功か失敗かは当人にしか分からないと思う。

出張に行くと暇で
一人でホテルのベットで横になっていると
こんな事を考える。



自分の幼少期との比較①

2007-09-10 00:17:18 | 父子家庭生活
自分自身の人生
記憶が残っているのは4歳からで
3歳時の記憶は残っていない。

4歳時の記憶で残っているのは
同い年の女の子の友達にコーラの瓶で頭を叩き割られ
頭から血を出し泣きながら家の母に助けを求めに帰ったこと。
(未だに何故そうなったのか不明)
そして親に話しかけた瞬間にどなられる映像×5回以上10回以下

父は、その年代にありがちな完全な仕事人間で
休みの日も家で仕事をしている人でした。
母は一年前に弟を生み、生後まもない弟の世話でいっぱいいっぱいでした。

その為でもないのでしょうが
自分は弟が生まれて以降
手のかからない人間になることを強く親に求められて生きてきた気がします。
今でも親に迷惑をかけることに通常以上の恐怖を感じます。

父は結婚時に相手と相手の親に
「幼少期、構ってもらえなかったと聞いていると思いますが、
岡山という場所は土地柄、営業するには大変な所で
家を返りみている余裕はなかったんです。」と・・・
特に自分から父親に幼少期に構ってくれなかったことを言ったことはないので
恐らく父自身、長年気にしていたのかもしれません。

母は結婚の数年前、
独白のように岡山で生活していた際の大変さを話してくれました。
曰く、当時夫婦関係は崩壊していたそうです。
また母はノイローゼになっていたと言っていました。
母は幼少期から長年東京・神奈川で暮らしてきたので
友人関係は全て関東に集中していました。
親戚も同様に関東に集中していました。

父の会社の都合で
自分が1歳の頃から10年間、広島→倉敷→岡山で暮らし
その間、自分が3歳の頃に弟が生まれ
自分が7歳/弟が4歳の頃に妹が生まれました。
父は仕事ばかりで家庭を顧みず。
育児の大変さと孤独感でノイローゼになったと言っていました。
母も この独白が懺悔だったのかもしれません。

結果、自分の幼少期の親との記憶は
話しかけると怒鳴られる。
(あっちいけ!自分で考えろ!何で自分一人で出来ないの!)
というものばかりです。

それほど辛く生きたという記憶がないので
きっと楽しい思い出も多々あったと思うのですが
残念ながら記憶には残っていません。

小学生になると友達の家に毎日遊びに行く子供になりました。
母は当時を「妹が生まれたばかりだったから
外に遊びに行ってくれてずいぶん助かった。」と言っていますが
手のかかる子供になるなというプレッシャーを受け続けていたので
そう行動した気がします。

わかれた妻は息子の事を
「子供には色々なタイプの子がいるけど
息子は手のかかるタイプの子だ」と言いました。

それは、現在自分が育てていて よく分かります。

遺伝、、

自分も手のかかる子だったのでしょう。

手がかかるというのは
感情の起伏の大きさとイコールでないかと思います。
よく泣き・笑い・怒り・拗ねる息子を見ていると
自分の幼少期が想像出来楽しいです。

大変な時期に手のかかる子であった自分は
親から愛されていなかったと思っていたと記憶に残っています。
感情の起伏の少ない弟は手が掛からず
親に自分より愛されていると感じたものでした。

今思えば年齢の差からくる教育方針の差なのかもしれないけど

今の自分は
「どうなのだろう?」と考える。
家事・仕事で大変な時
息子を邪険にしていないだろうか?
日々の生活の中で楽しかった事は
息子の記憶に残ってくれるだろうか
しつけのつもりで怒ったことが
トラウマになったりしないだろうか?