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息子とともに

父子家庭生活中。自分に何かあった時、息子に何か残したいというネガティブな発想からブログを開始。日々の生活をここに。

離婚について 後記-その後-

2007-12-31 14:58:53 | 離婚
別居後、自分の甘さが出る。

元々は実家に戻らせてもらい
会社を休止状態にし貯金で何年か凌ぎ
息子の成長とともに働きはじめることを想定していたが
実家側に戻ることを拒否され挫折。

そこから結局、仕事と育児に悩まされる日々が始まる。

それでも得たものが多量にある。

まず時間
やはり離婚前は彼女や彼女の親の老後のことを
考えると一定以下の賃金には落とせず
必然多量に働くしかなかったのだが

自分の老後はどうでもよいと考えられるので
今は、仕事量を抑えることができ
結果、息子と多量の時間をすごすことが出来ている。
今のこの時間は自分の人生で最も充実じた時間に感じる。

そして整理された家で暮らすことが出来ている。。


離婚について 本章-別居から離婚へ-

2007-12-30 16:48:39 | 離婚
子供と離れ
何か考えに変化があることを期待もしましたが

会えば相変わらず
「あなたが悪いから私がこうなった」
「あたしだって我慢していた」としか言わない

やはり謝ることは無かったです。

彼女からの言葉は
「私も一緒に暮らすのは無理だと思います。」
「2年くらい別居してその後に考えたい。」
というものだけでした。

2年の別居は、その間彼女は好きなことをして生活し
幸せかもしれないが
その間、自分と息子がどんな生活をするか考えているのか!
と言うと
「そりゃそうだ。」と関心もなさそうに答えました。

これ以上話をすることの無駄も理解し
お互いの同意のもとに離婚しました。

自分にとっては幸いなことに息子の親権に関しても
揉めることなく自分で取得できました。
揉めれば勝ち目のないことは理解していたので
この部分に関してはよかったです。

離婚について 本章-米米から別居開始-

2007-12-30 16:32:19 | 離婚
当時、米米クラブが一時復帰コンサートツアーをしていた。
彼女もコアなファンだったらしく
東京近辺のコンサートには積極的に参加していました。

その日も自分と息子は朝から出かけ
彼女は午後から横浜アリーナに行くようでした。

自分と息子が帰宅すると
相変わらず家事のまったくされていない
汚い家、洗われていない皿。。
悲しく思っていると

彼女からメール。
明日のチケットも取れたから行きたいと

もう彼女にとって家族は存在しなく
家のことなど どうでもいいのだな と、、、

帰ってくるな。とメールしました。

結局、彼女は帰ってき
「家事がおろそかになったことは認めます。」とだけいい
相変わらず謝りもせず。
そして 自分が悪い私は悪くないといつもの主張。

とりあえず正式に出ていってもらいました。
彼女も特に抵抗もなく出ていきました。

既にお互いが限界を感じ
これ以上の生活は無理なところまで来ていました。






離婚について 本章-別居提案と保育園-

2007-12-30 16:11:10 | 離婚
その後、彼女は2つのことを頻繁に提案するようになる。

1つは別居し週末だけ会うという案
「私も一緒には暮らせないと思う。」といい
別居し週末だけ会おうと
「今も同じようなものでしょ!」と言う。

自分は息子と別れて暮らすつもりは無かったので
拒否する。

もう一つは息子を保育園に預けて
自分も働きに行くという
「やりたいことができお金が必要らしい。」
元々自分は望んで小遣い制になり
家のお金は全て彼女が持っていたのだが
やりたいことが家のお金を使うことで無いらしい。
といっても編集学校の金は家から出ているのだが

以前、彼女は自主保育という
公園で親が先生の代わりをする保育に興味があり
そこに通わせたいと言っていたが
そこだと自分も参加する分
時間が取れないと
私製の保育園に通わせたいと言う。

自分には、平日 子供がいて前の上司と会うことが出来ないから
何とか時間を作ろうとしているようにも思え
乗り気に慣れなかった。

しかし彼女は
何度も生活の限界だ。というので
しぶしぶ了承しました。

ただ公共の保育園は待機児童が多く入れそうも無く
私製の保育園は、金額が高く
彼女の収入次第では赤字になり
話が進まないままになりました。

離婚について 本章-友達と飲み-

2007-12-30 15:51:44 | 離婚
8月2X日

ちょうど自分の誕生日の前日。
別居が始まる約2ヶ月前

その日、彼女はMさんという友達と渋谷で会いに行くと
出かけました。

自分は息子お競馬場に出かけ帰宅し
彼女から何の連絡もなく、帰ってこないので
ご飯を食べ、お風呂に入り、寝かしつけました。

しかし12時を過ぎても何の連絡もなく
連絡も取れず。。

そして彼女は1時前にタクシーで帰ってきました。

渋谷で飲んでて遅くなったとのこと、、

しかし自分の知っているMさんは茨城県の方で
渋谷でそんな時間まで飲んでいたら
間違いなく帰れない人。

色々と質問して矛盾点をついたら
友達と飲みに行ったわけでなく
昔の会社の上司と二人で飲みにいったという。
昼間からずっと2人きりだったらしい。

始めてあった、疚しいことはしていないという。

携帯をみせてもらう。

メールに数日前も会っている記録がある。

しかも、それ以外のメールは消していて
たまたま消し忘れていたメールで
それが発覚する。

彼女は改めて、2回会っただけであると
疚しいことは無いと主張する。

何故友達と会うと嘘をついて会いにいったのか
何故1回しか会ってないと嘘をついたのか

しかも2回ということも疚しいこともなかったことを
証明するメールも全て消してしまっていて存在しない。

浅はかでした。とだけ言い黙る彼女

沈黙

元々気が強くプライドが高く
喧嘩になっても謝るということの無い人なので
今日も謝らない。
謝るくらいなら離婚したほうがまし
とでも思っていそうだ。

その日は2度としないことを約束し終わる。
今日も自分が折れて終わる。

ただ疑いは一切晴れないし
疑いを晴らそうともしないし
自分の中で深い陰を落として終わる。。

翌日、彼女は疑いを晴らす為?その上司で電話して聞いてみてくれ
というので電話したが出ませんでした。
それが、その年の自分の誕生日。

当たり前ですが
それまで毎年貰っていた誕生日プレゼントも
自分の好きな食事を作ってくれるイベントも
この年はありませんでした。




離婚について 本章-ISISと同人誌-

2007-12-30 12:06:28 | 離婚
会社を退職し自分で仕事を始めたわけだが
同じ業種でもあり
お客様も以前お付き合いのあった会社から仕事を頂けた関係で
軌道に乗るのも早く、
起業一月後には安定して仕事の依頼が来るようになりました。

仕事量事態が減ったこと
以前会社で行っていた仕事を
家=会社で行うようになったので
近所の目が痛いほど家にいるようになりました。

今までの数倍という単位で
子供と共に生きる時間を得ることができ
自分自身でも満足していました。

自分が子供を見ることが多くなり
彼女も時間が出来てきたのでしょう
「やりたいことが出来た」といい
ISISというInterNet上で学べる編集学校というものに
月謝を払い参加するようになりました。

了承を求められた際、いつものように
「家事の時間を減らさないこと」、「ちゃんとやること」を求めました。
ただ結果、守られることはなかったです。

ほぼ同時期から同人誌の収集を始めました。
片付けることの出来ない人でしたので
家中に同人誌があふれかえっているという状況になりました。

後々分かったのですが
自分自身でも同人誌を書き始めていたようです。
もしかしたら編集学校も同人誌を書くために
始めたのかもしれません。

そして彼女は家を見なくなりました。
夜、自分が家に帰ると必ず寝ており
自分が寝ると起き、そのまま朝まで編集学校と同人誌を書くの繰り返し
自分が起きる前に布団に戻ってくる。(
たまに徹夜していることもあり)
なので普段自分と彼女は顔を合わさないようになりました。

自分が休みの日に息子を連れて外に行く際
決して同行することはなく
家に残り、いつものように編集学校と同人誌を家で行うようになりました。

そして、このころから友達と会うために出かけることが多くなりました。

また友達と出かける際に息子を連れていかなくなりました。
その為、自分が急遽仕事が入り
子供の面倒が見れなくなると
いやな顔で文句を言うようになりました。

当然、家事の時間は、ほぼ存在しなくなりました。

離婚について 序章-起業-

2007-12-29 14:57:25 | 離婚
自分で会社を作ったのは
最も少ない時間でお金を効率的に貰えそうだったからです。

彼女には、別の業界を希望されていましたが
今から別の業界だと
今まで以上に働かなければ他の人に追いつけない
という話をしたところ彼女も諦めたようです。

また一緒に農業を行うという提案もされました。
別に職業にこだわりは無いので農業もいいかと思ったのですが
彼女は職を転々としてきた所があり
自分自身認めるほど飽きやすく
2年後くらいに
別のことを行いたいと言われる不信感が拭えませんでした。
いざ農業を始めたら
さすがに戻ることは出来ないと考えていました。

実際、自分で会社を作り
自分ひとりの会社で他の人の面倒を見なくてよい分
労働時間は以前の半分程度になり
その分家庭に使うことができました。

皮肉にも、自分が色々と家のことを行い始めると
彼女は より家のことをしなくなり 趣味に没頭していったのですが
ただ この時間があったので
自分は離婚時に子供と共に生きる自信を持つことが出来ました。
ある意味この期間が子供と家事の引継ぎ期間になりました。

離婚について 序章-退職-

2007-12-29 14:32:05 | 離婚
ちょうど離婚の半年前に7年勤めた会社を退職し
自分で会社を作りました。

直接離婚には影響していませんが
間接的な影響はあったと思うので記載します。

彼女に退社を強く求められていたことが理由として一番大きかったです。

休みも少なく夜遅い仕事で
家事や子育てを手伝える時間も限られ
また休みが不安定で
彼女が遊びに行く予定を立てられないことも大きな不満だったようです。
彼女は性格上 親に子供を見て貰うことを
頼むことができなかった為
自分が休みの日しか遊びにいけなかったのです。

一応国の年齢別の平均給与よりは
そこそこ多く給料を貰っていましたが
休出と残業の多さに比べると割にあわないと思ったのでしょう。
「こんなはした金で!」とはき捨てられたこともあります。

さらに彼女には自分が仕事人間に写っているらしく
家族より仕事を選ぶというイメージが強くあったようです。
そのイメージを打破する為に辞めたというのも大きな理由でした。
自分は21~26歳までフリーターをしており
結婚の為に社会人になったような人間です。
元々仕事にこだわりはなく
お金を稼ぐのに効率的だから会社にとどまっていただけでした。
実家族より仕事を選ぶことは、本末転倒で
そう思われていること自体心外でした。
実際に家族を選ぶという選択を見せる必要を感じた部分もあります。

さらに会社の内部的な事情で
自分は課長補的な立場におり
会社からは より働くことを求められてきました。
もっと働くことで将来的に課長にという思惑もあったのかもしれません。

しかし家庭的にこれ以上働くことは無理でした。
自分自身 上にたつ人間は部下の何倍も働かなければと考えていましたので
これ以上働かないということは=課長は目指さないということになりました。

そして課長を目指さないのあれば
今のポジションを誰かに空けなくてはいけないと考えていました。
降格したとしても自分が下にいては
次の課長補もやりづらいだろうから退職がベストの選択に思えました。

会社には、どうせ辞めるなら色々言ったほうが
残る人間が楽だろうから
文句ばかり言って辞め

彼女には気を使わせては悪いので
同じく会社の文句を言って退職したので

誰も知らない本当の退職の理由になります。


離婚について 序章-家事-

2007-12-29 13:37:47 | 離婚
自分と別れた妻
3年強一緒に暮らしましたが
喧嘩のほとんどの理由が家事で
妻に最低限の家事を行ってもらうことを
最大の課題として暮らし
結果達成できず
家事自体が大きな要因となって別れることになりました。

とても家事が嫌いな人で
嫌いであるから行わないという人でした。

自分が家事の実施を強く求めたのは
家族に対して貢献してほしかったからです。
彼女は家事の平等実施を求めましたが
自分が働き経済的に貢献し彼女が専業主婦である以上
家事は彼女が主体的に行い自分がサポートするという形は
譲ることはできませんでした。

共働きであれば分け合ってと言う話もしましたが
子供が生まれ、なしくずし的に共働きという話はなくなりました。

自分の仕事が忙しくなると
一ヶ月以上掃除のされない部屋。
家の中を歩くと足の裏が真っ黒になる。
そこに落ちたものを食べる息子。

結果仕事終わった後、夜中1時過ぎから3時前まで
自分が雑巾がけを行いました。
洗っても汚れが落ちなくなるほど
雑巾が真っ黒になりました。
掃除機は夜でもあり行うことが出来ませんでした。

別の機会に夜9時頃に掃除機をかけ怒られたこともありました。
自分も別にしたくてしている訳でなく
自分が掃除をするとなると
仕事が終わった後、その時間になってしまい
嫌なら昼間やってくれという意味をこめて
暴走的に行ってみましたが
ただ喧嘩になるだけでした。

一週間以上洗われないお皿
皿がなくなり必要なものだけ洗い使われる。
後々分かったのだが妻は手が荒れるという理由で
台所洗剤を使用しておらず
水+水だけ洗えるスポンジというものを使っていたのですが
前提は毎日洗うことでは?一週間たまったバイキンは
水だけで落ちたのだろうか?
その食器でご飯を食べる息子。
発覚したのも洗剤存在はしたので
自分が使って洗っていると
「油物だけ使って!」と怒られたからでした。

ご飯も、ほとんど作ってもらうこと無かったのですが
それは自分も作らなくてもいいと言っていました。

彼女は子供を寝かしつけると朝まで一緒に寝てしまうことが多く
自分が帰ってもご飯の無い日が多く、
毎日 家に帰ってから買いに行くのは
辛い時間に帰っていたので
最初から無いと分かっていたほうが
買って帰れる分楽だったからです。
元々朝は食べないし、昼は外食だし。
その分、片付けと掃除をと・・常に望んできました。

病的なものも疑ったのですが
人が家に来るとなると急に全て行っていたので
やる気の問題だと思われました。

実際、家事で喧嘩になった際
「家事をやる気持ちにさせないあなたが悪い」
「家事をやっても褒められないからやらない」
とよく言われました。
別に自分も働いていて彼女に褒められたことも無いけど





離婚について 前章

2007-12-29 11:52:21 | 離婚
先月半ばに別れた妻から来た手紙には

離婚に至るまでの彼女の考えとサヨウナラが書いてあった。
恐らく、この手紙で彼女なりの心の整理をつけ
新たな人生への一つの区切りとしたのであろう。
自分には会えないと書いてあったので
もしかしたら再婚したのかもしれない。

離婚のことを書くことは、どうかもと思ったのだが
以前父子家庭のサイトで知り合った人にしか教えていない
1日4~10くらいしかアクセスの無い独り言ブログ。

自分に何か会った際
息子は妻側の話しか聞かないであろうこと

結局離婚の詳細は、親にも知人にも誰にも話していないこと

自分も ここに書くことで
これを区切りとして
来年新たなスタートに出来るよう
書こうと思います。