息子とともに

父子家庭生活中。自分に何かあった時、息子に何か残したいというネガティブな発想からブログを開始。日々の生活をここに。

自分の幼少期との比較①

2007-09-10 00:17:18 | 父子家庭生活
自分自身の人生
記憶が残っているのは4歳からで
3歳時の記憶は残っていない。

4歳時の記憶で残っているのは
同い年の女の子の友達にコーラの瓶で頭を叩き割られ
頭から血を出し泣きながら家の母に助けを求めに帰ったこと。
(未だに何故そうなったのか不明)
そして親に話しかけた瞬間にどなられる映像×5回以上10回以下

父は、その年代にありがちな完全な仕事人間で
休みの日も家で仕事をしている人でした。
母は一年前に弟を生み、生後まもない弟の世話でいっぱいいっぱいでした。

その為でもないのでしょうが
自分は弟が生まれて以降
手のかからない人間になることを強く親に求められて生きてきた気がします。
今でも親に迷惑をかけることに通常以上の恐怖を感じます。

父は結婚時に相手と相手の親に
「幼少期、構ってもらえなかったと聞いていると思いますが、
岡山という場所は土地柄、営業するには大変な所で
家を返りみている余裕はなかったんです。」と・・・
特に自分から父親に幼少期に構ってくれなかったことを言ったことはないので
恐らく父自身、長年気にしていたのかもしれません。

母は結婚の数年前、
独白のように岡山で生活していた際の大変さを話してくれました。
曰く、当時夫婦関係は崩壊していたそうです。
また母はノイローゼになっていたと言っていました。
母は幼少期から長年東京・神奈川で暮らしてきたので
友人関係は全て関東に集中していました。
親戚も同様に関東に集中していました。

父の会社の都合で
自分が1歳の頃から10年間、広島→倉敷→岡山で暮らし
その間、自分が3歳の頃に弟が生まれ
自分が7歳/弟が4歳の頃に妹が生まれました。
父は仕事ばかりで家庭を顧みず。
育児の大変さと孤独感でノイローゼになったと言っていました。
母も この独白が懺悔だったのかもしれません。

結果、自分の幼少期の親との記憶は
話しかけると怒鳴られる。
(あっちいけ!自分で考えろ!何で自分一人で出来ないの!)
というものばかりです。

それほど辛く生きたという記憶がないので
きっと楽しい思い出も多々あったと思うのですが
残念ながら記憶には残っていません。

小学生になると友達の家に毎日遊びに行く子供になりました。
母は当時を「妹が生まれたばかりだったから
外に遊びに行ってくれてずいぶん助かった。」と言っていますが
手のかかる子供になるなというプレッシャーを受け続けていたので
そう行動した気がします。

わかれた妻は息子の事を
「子供には色々なタイプの子がいるけど
息子は手のかかるタイプの子だ」と言いました。

それは、現在自分が育てていて よく分かります。

遺伝、、

自分も手のかかる子だったのでしょう。

手がかかるというのは
感情の起伏の大きさとイコールでないかと思います。
よく泣き・笑い・怒り・拗ねる息子を見ていると
自分の幼少期が想像出来楽しいです。

大変な時期に手のかかる子であった自分は
親から愛されていなかったと思っていたと記憶に残っています。
感情の起伏の少ない弟は手が掛からず
親に自分より愛されていると感じたものでした。

今思えば年齢の差からくる教育方針の差なのかもしれないけど

今の自分は
「どうなのだろう?」と考える。
家事・仕事で大変な時
息子を邪険にしていないだろうか?
日々の生活の中で楽しかった事は
息子の記憶に残ってくれるだろうか
しつけのつもりで怒ったことが
トラウマになったりしないだろうか?

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