Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

えびなふるさとまつり

2005年07月24日 | 身辺雑記
疲れ果てて海老名駅に戻って来たら、駅前には浴衣姿のおねーちゃん達が大勢居るではないか。

なんか、お祭りでも有るんだろうか。
などとのんびり家路についたが、市役所辺りがえらい事になっております。
交通規制なんかしちゃって、弱っちゃうな!

帰宅後、息子に話すと「毎年遣ってるよ」って事でしたが、遠い記憶の底から子供達がまだ豆粒だった頃に出掛けた姿が浮かんできました。

夜は、疲れていたので食事を作る気力が無い(泣)
出前のお寿司を食べながら花火の音だけ聴いておりました。
えびなふるさとまつり

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鉾根湯本駅

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
本日はここまで。 保土ヶ谷宿・戸塚宿・藤沢宿・平塚宿・大磯宿・小田原宿

サドルカバーのおかげでお尻の痛さは激減しました。痛いことは痛いんですが、前回のような我慢できない程の痛みでは有りませんでした。
サドルカバーに感謝しつつ、自転車を折りたたみカバーに収め、到達駅の証拠写真をパチリ。

小田急線で帰ります。

交通費 1,010円
飲食費  971円(弁当・お茶・団子・どら焼き)
雑  費 1,334円(エアーサロンパス・お風呂)
 計   3,315円

水分摂取量 1.5リットル

東海道自転車ぶらり旅 その1

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箱根湯本温泉

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
やっと、箱根湯本に辿り着きました。

やっぱり、ここまで来たら、ひとっ風呂浴びてサッパリして帰りたいもんです。
土産物屋が並ぶ表通りから、横道を曲がって裏通りへ入り何処か入浴する所はないかなと・・・。
はい、有りました。
2時間900円
汗びっしょりのシャツ・パンツを脱いで、ノンビリ入浴。
い~、い~ですはんそん(古い人にしか解らない)、気持ちが、こう、ゆったりとしてきますな~。
一人用の木のお風呂にも入りました。
泡の出るやつでジュワジュワもやりましたよ。
露天風呂へも入ってみました。
どうでしょうか、まあ、これで900円分堪能出来たような心持ちになりましたな。

さて、着替えのパンツに履き替えて・・・?
ん、ズボンは有るんですが、下着の方のパンツが見当たりません。
やっちゃいましたか(泣)

パンツ無しでズボンを履くとスースーして何故か落ち着きません。
しょうがないんで、さっきまで履いてたやつをまたはきました。
まあ、いいや自分のだし・・・。

着替えのシャツは有りました。

そんな訳で、一部を除きサッパリしましたんで帰りましょうか。

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御組長屋(おくみながや)

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
江戸時代前期、小田原城下の山王口、板橋口や井細田口の三つの出入り口の沿道には、先手筒(さきてづつ:鉄砲を扱う者)や先手弓(さきてゆみ:弓を扱う者)などの組の者が住む御組長屋(新宿町組・山角町組・竹花町組)が設けられていました。ここの御組長屋(山角町組)は、その中の一つで、それが地名となって残ったのはここだけです。
(東海道五十三次俄史跡研究家)

この辺りから徐々に登りになります。

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小田原ちょうちん夏まつり

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
小田原城址公園で遣ってました。

それが何か。

いえ、ちょっと疲れてきたんで、ここらで本日終了といきたいんですが、次回の事を考えてもう少し頑張っておきましょうか。

次回は何しろ、箱根越えですよ。
出だしの元気なうちに登りたいんでね、今日は出来るだけ箱根に近い所で終わりにしたいんですよ。

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菜の花 あん 工房

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
走っていて、和菓子屋さんを見つけた。
おやつに何か食べたいと思い、お店に入った。
う~ん、旨そうだな、それじゃどら焼きを一個下さい。
突然、お店のおねーちゃんが
「どうぞ、召し上がって下さい」っておまんじゅうをくれた。
「お茶もどうぞ」
いや~、どら焼き一個しか買わないのに、い~んですか。
有難く、お茶とおまんじゅうをいただいて、どら焼きは息子へのお土産にしました。

旨いおまんじゅうでした。今度、また寄りますからその時は、また、おまんじゅうとお茶を宜しく(笑)

これをご覧の方は小田原へお立ち寄りの際は是非お立ち寄り下さい。和菓子菜の花
私の名前を出せば「それが何か」と不審がられる事でしょう。

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新宿町(しんしくちょう)

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
酒匂川を渡り小田原に入った。広重五十三次 小田原(酒匂川)

江戸時代前期、この町は、城の大手口の変更によって東海道が北寄りに付け替えられた時にできた新町です。
小田原ちょうちんは江戸時代中期に新宿町の甚左衛門が考案・製作したのが起源で、道中の魔よけ・携帯に便利・丈夫でしっかりしている、を三徳と揚げ全国に広まったそうです。
(東海道五十三次俄史跡研究家)

小田原には古い町名が多く残っていて、説明文入りでこう云う新しい石碑が作られていた。

小田原市街の歩道は凄く滑らかで自転車走行が楽です。
これだったら、車椅子の方々も安心して通行できるんじゃないでしょうか。

ここまで走った東海道沿いの各自治体では、小田原を見習ってもっと歩道の整備をしなさい。

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国府津(こうづ)

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
ここまで来て、初めて海を見ました。

今日は、曇り一時雨なので夏にも拘わらず結構走り易い。しかし、景色はよろしくない。

国道は国府津駅前に向かって上り坂なので、ここは左側の海沿いの道を親木橋まで走ることにしましたが、疲れてる人にはこちらの道がよろしい。ずっと平らで真っ直ぐな道でした。

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ガラスのうさぎ

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
碑文

太平洋戦争終結直前の昭和二十年八月五日、ここ(国鉄)二宮駅周辺は艦載機P51の機銃掃射を受け、幾人かの尊い命がその犠牲となりました。
この時、目の前で父を失った十二歳の少女が、その悲しみを乗り越え、けなげに生き拭く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」は、国民の心に熱い感動を呼び起こし、戦争の悲惨さを強く印象づけました。
この像は私たち二宮町民が、平和の尊さを後世に伝えるために、また少女を優しく励ました人たちの友情をたたえるために、多くの方々の援助をいただき建てたものです。
少女が胸に抱えているのは、父の形見となったガラスのうさぎです。
ここに平和と友情よ永遠に
(東海道五十三次俄史跡研究家)

長編アニメーション映画予告編が観られます

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鴫立庵

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
寛文4年(1664)小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まりで、元禄8年(1695)俳人の大淀三千風が入庵し、第1世庵主となりました。現在は京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つと言われています。
開庵時間/9:00~16:00 休庵日/年末年始 TEL.0463-61-6926
(東海道五十三次俄史跡研究家)

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湘南発祥の地(大磯)

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
湘南発祥の地の由来
崇雪という人が寛文四年(一六六四)頃西行法師の詠んだ歌
「こころなき 身にもあはれは 知られけり 鴫立澤の 秋の夕暮」
を慕って草庵をここに結び標石をたて東海道を往還する旅人に鴫立澤を示し「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えて刻んだのがはじめです。中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい、大磯がこの地に似ているところから湘南と呼ばれるようになりました。(東海道五十三次俄史跡研究家)

と云う事なんだそうですが、最近では湘南が随分と拡がりましてな、実にどうも、とんでもない山の中なのに湘南を付ければイメージが良くなり、土地もマンションも高く売れたりするそうですな。
そんな訳で「家は湘南ですわ」なんて気取ってるあんた。間違ってますから、残念!
「あら、しょうなんですか」

広重五十三次 大磯(虎ヶ雨)
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しまむら大磯店

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
12:30
ここまで来る間に、休憩は和菓子屋さんでお団子を一串食べただけ。腹が減ってきた。

ここで、昼食用に弁当を買い、レンジは有りますかと聞いたら「そちらです」と言われた所に確かに電子レンジは有る。
有るんだが、その電子レンジの上にはギフト用の伝票と書類が積まれ、電子レンジの扉の前には何やら機械の様な物が置かれていた。
しかし、レジの係員は何も感じないんだろうな、動く気配も無い。

まあ、しょうがないや、ってんで、自分で電子レンジの前の機械をずらし、電子レンジ扉を開けて弁当を中に入れた。

電子レンジ内のターンテーブルも汚れてますな。
まあ、しょうがないや、こう云うお店です。

そう言えば以前私が働いていたお店でも、私が掃除したかって聞かないと電子レンジの中までは掃除してなかったけど、果たして今はどうなって居るのやら。こんな所でそんな事を心配してても始まらんな。

弁当を持って店の外のベンチで食べました。
そんな弁当を食べてる私の目の前に、なんと、自転車を停めるおばさんが居るではないか。
なにも人が弁当を食ってるのにわざわざその目の前へ停めんでも良かろうに、直ぐ横だって空いてるのに・・・。
しかし、そこは駐輪場、その駐輪場の前で弁当を食っている男が変なのか・・・?

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一里塚(茅ヶ崎)

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
慶長九年(1604年)、将軍徳川家康は秀忠に「一里塚」を作るよう命じました。
一里塚は江戸の日本橋を起点として、各街道には行程の目安と木陰による休息の場となる様に、両側1里(約4km)ごとに目印となる木を植えたのです。一里塚の大きさは五間(約9m)四方、高さ一丈(約1.7m)に土を盛り上げたもので、その上に松や榎などの丈夫な木が植えられました。
家康は「塚にはええ木を植えよ」といったのを、エノキ(榎)と聞いてしまったとも言われています。
一里塚の構築は、江戸が政治の中心であると人々に印象付ける家康の政策でした。
(東海道五十三次俄史跡研究家)

日本橋から14番目の一里塚です。
ここまで来て、初めて見つけた一里塚ですがそれもその筈、交差点の信号に「一里塚」と大きく表示されています。

雨は上がりました。ポンチョを脱いだらシャツは汗でびっしょりでした。

広重五十三次 平塚(縄手道)
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白旗神社

2005年07月24日 | 東海道自転車ぶらり旅
源義経を祀る白幡神社

義経の死後、鎌倉の頼朝は怨霊に苦しめられ。藤原次郎清親に命じ、首塚から一町ほど北の亀の子山に社を建て義経の霊を祀らせた。これが即ち、白旗神社の起りとのことです。(東海道五十三次俄史跡研究家)

直ぐ近くには、トレアージュ白旗SC(ショッピングセンター)が有り、大丸ピーコックが入っています。

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