おはようございます。今朝はまだ寝てない「おはようございます」です。安保特別委員会どうなりますかね?
という事で、今日はいちき串木野市の冠嶽の中腹にある徐福像と、その徐福が徐福が冠嶽の素晴らしさに自らの冠をその頂きに置いたという徐福伝説によって始められた花冠祭のご紹介です。徐福は自分のところに来たっていう所謂「徐福伝説」は全国各地にありますが、薩摩英国留学生がこの地の羽島浦から出たくらいですから、可能性はあると思います。
約2200年前、秦の始皇帝にはるか東の海に蓬莱・方丈・瀛洲という三神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいと申し出た、徐福は莫大な資金を費やして一度旅立ちましたが、得るものがなくて帰国しました。何もなかったと報告も出来ず、「鯨に阻まれてたどり着けませんでした」と、始皇帝に報告。再び、始皇帝の許可を得て大勢の技術者や若者を伴って再度船出したのです。最初に書いたように、日本各地に徐福伝説は存在しています。その後、どうなったのか?不老不死の薬が見つからなかったのは、始皇帝が今生きてないので間違いないようですね。
串木野市は市制施行50周年を記念して、2000年に日本一の徐福石像(高さ6m)を建立しました。この徐福像の上に鎮國寺があります。そして徐福が眺める遠い彼方に秦の国があるんですかね?