天使の図書館ブログ

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処女と一角獣。

2011-08-31 | 絵画

 正確には、このタペストリーは「貴婦人と一角獣」と呼ばれています(^^;)

 でもユニコーンって処女にしか懐かないと言われる幻獣なので――初めてこのタペストリーの連作6枚を本で見た時、中心にいる女性は<貴婦人>というより、<処女>っていうイメージでした、わたし的には。

 正直いって、あんまり素晴らしすぎて何か解釈しようとすら思えないというか、実際解釈不能でもあるので、ここは便利なウィキ☆さんに解説をお願いしたいと思います♪(^^)


【ユニコーン】
 ユニコーンは、一角獣とも呼ばれ、額の中央に一本の角が生えた馬に似た伝説の生き物である。
 非常に獰猛で、処女の懐に抱かれて初めて大人しくなるという。
 また、角には蛇などの毒で汚された水を清める力があるといわれている。

【生態】
 ユニコーンを捕らえる方法のひとつとして、処女の娘を連れて来てユニコーンを誘惑させて捕まえるというものがある。
 不思議なことにユニコーンは乙女に思いを寄せているという。
 美しく装った生粋の処女をユニコーンの棲む森や巣穴に連れて行き、一人にさせる。
 すると処女の香りを嗅ぎつけたユニコーンが処女の純潔さに魅せられ、自分の獰猛さを忘れて、近づいて来る。
 そして、その処女の膝の上に頭を置き眠り込んでしまう。
 このように麻痺したユニコーンは、近くに隠れていた狩人達によって身を守る術もなく捕まるのである。
 しかし、もし自分と関わった処女が偽物であるとわかった場合は、激しく怒り狂い、自分を騙した女性を八つ裂きにして殺してしまうという。

 処女を好むことから、ユニコーンは「純潔」、「貞潔」の象徴とされた。
 しかし一方で、「悪魔」などの象徴ともされ、七つの大罪の一つである「憤怒」の象徴にもなった。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)は『動物寓意譚』の中で、「ユニコーンはその不節制さのために自制することを知らず、美しき処女への愛のために自分の獰猛さと狂暴さを忘れて処女の膝の上に頭を乗せ、そうして狩人に捕らえられる」と言っている。
 ここではユニコーンは「不節制」を象徴するものとされた。
 フランスの文学者、啓蒙思想家のヴォルテール(1694-1778)は『バビロンの王女』第3章の中で、ユニコーンを「この世で最も美しい、最も誇り高い、最も恐ろしい、最も優しい動物」として描いている。


【貴婦人と一角獣】
 貴婦人と一角獣はフランスにあるタペストリーの6枚からなる連作である。
 制作年や場所は不明だが、パリで下絵が描かれ、15世紀末(1484年から1500年頃)のフランドルで織られたものとみられている。

 このタペストリーのテーマは不明だったが、現在では六つの感覚を示したものとされる。
「味覚」、「聴覚」、「視覚」、「嗅覚」、「触覚」、そして「我が唯一つの望み」である。
「我が唯一つの望み」は謎に包まれているが、普通「愛」や「理解」と解釈されることが多い。

 六つのタペストリーはそれぞれ若い貴婦人がユニコーンとともにいる場面が描かれ、ほかに獅子や猿もともに描かれているものもある。
 背景は千花模様(ミル・フルール、複雑な花や植物が一面にあしらわれた模様)が描かれ、赤い地に草花やウサギ・鳥などの小動物が一面に広がって小宇宙を形作っており、ミル・フルールによるタペストリーの代表的な作例となっている。

 タペストリーの中に描かれた旗や、ユニコーンや獅子が身に着けている盾には、フランス王シャルル7世の宮廷の有力者だったジャン・ル・ヴィストの紋章(三つの三日月)があり、彼がこのタペストリーを作らせた人物ではないかと見られている。

 このタペストリーは1841年、歴史記念物監督官で小説家でもあったプロスペル・メリメが現在のクルーズ県にあるブーサック城で発見した。
 タペストリーは保存状態が悪く傷んでいたが、小説家ジョルジュ・サンドが作中でこのタペストリーを賛美したことで世の関心を集めることとなった。
 1882年、この連作はクリュニー美術館(中世美術館)に移され、現在に至っている。


 ――なんていうか、「さっすがサンド!!」といった感じですね♪
 では、まずトップ絵と同じ<味覚>から順に画像を貼っていきたいと思います(^^)




【味覚】
 このタペストリーでは、貴婦人は侍女から差し出される皿からキャンディを手に取っており、彼女の視線は、上に上げた左手に乗ったオウムに注がれている。
 向かって左側にいる獅子と向かって右側にいるユニコーンは、二頭とも後脚で立ち上がり、貴婦人をはさむように旗を掲げ、猿は足元にいてキャンディを食べている。




【聴覚】  
 このタペストリーで貴婦人は、トルコ製のじゅうたんを掛けたテーブルの上に載せられたポジティブオルガン(小型のパイプオルガン)を弾いている。
 侍女は机の反対側に立ちオルガンのふいごを動かし、獅子とユニコーンは「味覚」と同じく貴婦人をはさむように旗を掲げているが、今度は二頭の体は外側を向いており、二頭の位置は逆である。




【視覚】
 このタペストリーでは、貴婦人は腰掛け、右手に手鏡を持っている。
 ユニコーンはおとなしく地面に伏せ、前脚を貴婦人のひざに乗せ、彼女の持つ鏡に映った自分の顔を見ている。
 左側にいる獅子は旗を掲げている。




【嗅覚】
 このタペストリーでは貴婦人は立ち上がり、花輪を作っている。
 侍女は花が入った籠を貴婦人に向かって捧げ持ち、獅子とユニコーンは貴婦人の両側で旗を掲げている。
 猿は貴婦人の後ろにある籠から花を取り出して匂いをかいでいる。




【触覚】
 このタペストリーでは、貴婦人は立って自ら旗を掲げており、片手はユニコーンの角に触れている。
 ユニコーンと獅子は彼女の掲げる旗を見上げている。




【我が唯一つの望みに】
 このタペストリーは他と比べて幅が広く、描かれた絵の様子も他と異なっている。
 他の5枚のタペストリーは描かれた仕草などから五感のアレゴリーだとされているが、この一枚は謎が多く、他の5枚の前の情景を描いたものか後の情景を描いたものかすら定かではない。
「我が唯一つの望みに」で身支度をした後、嗅覚・味覚・聴覚でユニコーンをおびき寄せ、視覚と触覚でユニコーンを捕まえるまでを描いているという見方もあれば、五感でユニコーンを引き寄せた後、「我が唯一つの望みに」で身を整えてテントに入るという見方もある。

 絵の中央には深い青色のテントがあり、その頂には金色で「我が唯一つの望み」と書かれている。
 テントの入口の前に立つ貴婦人は、これまでの5枚のタペストリーで身に着けていたネックレスを外しており、右にいる侍女が差し出した小箱にそのネックレスを納めている(またはここではじめてネックレスを取り出し首につけようとしている)。
 彼女の左側にはコインの入ったバッグが低い椅子に置かれ、獅子とユニコーンが貴婦人の両側で旗をささげ持っている。

 この一枚のタペストリーはさまざまな解釈を引き出してきた。
 解釈の一つは、若い貴婦人がネックレスを小箱にしまっているのは、他の五感によって起こされた情熱を、自由意志によって放棄・断念することを示しているとする。
 別の解釈では、この場面は五感の後に来る「理解すること」という六番目の感覚を指しているという。
 また、愛や処女性、これから結婚に入ることを示しているという解釈も存在する。


 なるほど~!!
 ウィキ☆の編集者様、素晴らしい解説をありがとうございました♪(^^)

 このタペストリー、ずっと前から本当に大好きで……いつまで見ていても飽きないっていうか、ある部分においてはとても写実的であるように感じるのに――それでいてメルヘンチックでありつつ、謎めいてもいて。

 でも、わたしがこの6枚のタペストリーに惹かれるのは、実はもっと現実的、リアルな理由によってです(^^;)

 この中央にいる貴婦人と侍女は、ユニコーンとライオンに守られているんですよね。
 
 そしてこのエデンを思わせる園の外には、彼女たちを誘惑する事物というのが、おそらくあるのではないかと想像されます。

 たぶん、味覚なら「もっと美味しいものが食べたい」という欲望が園の外の世界には存在しており、「聴覚」なら、人の噂話などを聞きたいという欲望でしょうし、「視覚」なら「もっと面白いものを色々見たい」という欲望が人にはあり、嗅覚なら「様々な快い香りをかいでみたい」という欲望、「触覚」なら「触れる感触を楽しみたい」という欲望が、色々な形で人には存在するのだろうと思います。

 でも、それらを一切捨てる、あるいは節制するということを選択できるなら――ユニコーンやライオンに守ってもらえるということですよね。

 つまり、ユニコーンやライオンが守ってくれることで、恥や不名誉、プライドが傷つくといったことは一切ないということ、そこにとても強い憧れをこの絵から感じてしまうというか。

 まあ、このタペストリーの中には描かれていませんけれど、おそらく外から汚れた俗人(笑)のような人物がやって来た場合、ユニコーンやライオンが二匹がかりでその相手を八つ裂きにするのではないかと思われます(^^;)

 そして、もっとも謎めいているとも思える「我が唯一つの望み」は、わたし自身は「キリストとの婚礼」といったような意味合いを読みとってしまいます。

 唯一つの望み、それは清らかな汚れのない愛を神に捧げることであり、「神の目を通して物事を見、聴き、触り、感じ、味わう」という、そういうことでもありえるわけですから。

 個人的には、少なくともこの貴婦人が、園の外にいる定められたある男性と結婚する時が来たので、嫁入り支度をしている……といったようには、あまり思えません

 むしろ、キリストが天幕に来られるので、その準備をしているといったほうが、しっくりくる感じがするというか(^^;)

 でも、依頼があって作られたのなら、「わたしはあなたのためにこのように純潔を守ってきましたが、今わたしが唯一つ望むこと、それはあなたをわたしの天幕に迎え入れることです」……としたほうが、より自然なのかな~という気もします。

 ではでは、今回も大好きな6枚のタペストリーを並べて楽しみたいという、自己満足のための記事でしたが(笑)、最後にラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」の画像を貼って、この記事の終わりにしたいと思います♪(^^)

 それではまた~!!


 P.S.それと、このタペストリーの背景には、聖書にある「狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のようにわらを食べ、蛇はちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない」(イザヤ書、第65章25節)との思想が流れているだろうことを、一応つけ加えておきますね。



(ラファエロ・サンティ【一角獣を抱く貴婦人】1505-06年、ローマ・ボルゲーゼ美術館所蔵)




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2 コメント

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Unknown (machine)
2011-10-27 18:29:06
はじめまして。
私は『満足のいく穏やかな死』を連想してしまいます。5枚は生の謳歌を表し、残る願いは悔いの無い死。今までに手にしたものを次に託し眠りにつく。どういうわけだか初めて見たときからそう思ってました。

『純潔』に焦点を当てるなら、『乙女はやがて純潔を捨て子をなす』という事を示しているのかもしれませんね。

もっと気楽に考えるならあとは『睡眠』が足りんな。眠たくなって寝室に行くのかな。一枚だけでかくて終わりと始まりどちらともとれるのは、朝と夜を兼ねているからかな。とするとこれは『変わらぬ毎日』を望んでるのかな。とか。

『願い』の一枚は観察者の願望を映す鏡でしかないのかもしれませんね。
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Unknown (ルシア)
2011-10-31 09:34:30
 machineさん、初めまして。

 絵を見る時って、最初に感じた直感が結構大切ですよね。

 他の絵画の専門家さんがすごく難しいことを語っていたとしても……machineさんの解釈、すごく面白いです♪(^^)

 この絵の女性って、すごく満足した人生を送ってるように見えるので、「満足のいく穏やかな死」以外、他にはもう何も必要ないような気が、わたしもしてきました。

 現代的な解釈(?)を加えるなら、なんとなくちょっとアラサー女性っぽいような気もしたり(笑)

 仕事とか趣味が充実してるので、他には特にもう何もいらない的な(^^;)

 でもやっぱり最後には結婚して子供を生むことに決めた、とも解釈できる気もするし、machineさんのおっしゃるとおり、「変わらぬ毎日」を望んでいるようにも思える気がしたり。。。

 そうですね。絵を見た人のその時の心理状況といったものがこの絵からは鏡のように反射してくるのかもしれません。

 machineさん、とても参考になるコメント、本当にありがとうございました
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