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ギュスターヴ・ドレの版画が大好きなので、今回はドレの描いた「アンドロメダ」をトップ絵にしてみました(^^)
ええと、今回の記事はきのうの「処女と一角獣」の記事の一応続きとなりますww
一角獣を傍らに控えさせている女性というのは、わたしが思うに「受動的攻撃性」を備えた女性、ということになると思うんですよね。
ああしたエデンの園のような神聖な場所で、神と自分の同族と動物たちにだけ美しい音楽を聴かせ、汚れたものを一切寄せつけないような女性がいたら――まあ、普通は俗っぽい凡人たちの嫉妬を買って火あぶりにされるだろうと思われます(^^;)
でも、彼女の傍らにはユニコーンとライオンがいて守ってくれているわけですから、誰も手出しは出来ない……もし彼女がこの園から出るとすれば、五感を通して誘惑されたことにより、今の自分の身分を彼女自身が捨て去る以外にないだろうと思われます。
「受動的攻撃性」を備えた女性というのはようするに、「そちらが滅多なことをしなければ、こちらから攻撃するということはありません。けれども、自分の身をわきまえないなら、一角獣の角にグサリ☆と刺さってもらいますよ」といった感じの女性のこと、といっていいかもしれません。
う゛~ん
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つまり、「自分は何も悪くない」という手札をすべて自分の手元に揃えることで、相手を攻撃するタイプの女性、とでもいったらいいでしょうか。
DVを受けても必死に耐え、夫が作った借金をパートの仕事で返済し、さらには夫が愛人を作って蒸発しても、「自分は何も悪くないのにこんな目に遭っている」と感じ、ひたすら受け身の立場で耐え忍び続ける……こうした女性に唯一足りないのは、ただ自分を庇護してくれる一角獣のような存在がそばにいないという、それだけなんだと思います。
ギリシャ神話の中の、「アンドロメダとペルセウス」のお話はあまりに有名なので、その中身については紹介しませんが、「アンドロメダ」というのもまあ、とにかく受動的な女性ですよね(^^;)
母親が「うちの娘は神より美しい」と豪語したことから、神の嫉妬を買って波の打ち寄せる岩場に鎖で繋がれ、怪物の生贄になったアンドロメダ。そこへ、ゴルゴン三姉妹のメデューサを倒したペルセウスが通りかかって彼女のことを救ったといいます。
この英雄物語は、結構色々なことを示唆していますよね。
「自分は何も悪くないのに、こんな目に遭っている」という女性のことを呪縛から解放したという場合には――彼女の傍らにいるのはユニコーンではなく、なんらかの怪物であり、特にペルセウスのこの物語の場合、その前に彼がメデューサを倒しているという点が非常に重要です。
ようするに、メデューサっていうのは、ユニコーンのような存在にも守ってもらえず、社会的にも他の人間からのけ者にされ、最後には化け物になるしかなかった女性の象徴みたいなものだと思うので。。。
つまり、どんな女性にでもこのメデューサになりうる可能性って物凄くある……という意味において、「アンドロメダとペルセウス」の物語って、本当にすごくリアルなんですよ
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何故かというと、ペルセウスに救われた時には純粋無垢な美しいアンドロメダですが、結婚後の彼の態度いかんによっては、この美しいアンドロメダも容易にメデューサのような存在になりうる、という意味あいにおいて。
ペルセウスは英雄としてメデューサを倒しましたが、何故彼女がそうなったかを理解した上で自分の妻を娶ったから、それでアンドロメダをひとりの女性として幸せに出来た……ともいえるのかもしれません。
まあ、ペルセウスだけじゃなくて、神話世界の<英雄>っていうのも結構大変ですよね(笑)
ああした化け物退治をして名を挙げるとかいうのは、現代の社会でいうなら、出世して天下とって美しい妻と結婚するっていうことの比喩として読めますから。
でも今の世の中、「出世しても虚しい☆」とか、「なんでわざわざ苦労して化け物退治なんかせにゃならんの?」とか、「出世もそこそこ、結婚もそこそこ、一番幸せなのは結局、そこそこの人生さ☆」といったような流れですよね、大体(^^;)
そして中には、自分だけの塔に引きこもって出てこないという英雄とか王子もたくさん現れるようになりました。。。
彼らの言い分がもし、「べつに誰にも迷惑かけてるわけじゃなし☆」とか、「自分の好きなことだけして何が悪いの?」とかいうものだったとしたら――やっぱりどこかからお節介な人物がやってきて助けようとか、あるいは化け物として退治しようとかされちゃうんだと思います、たぶん。
わたし自身は引きこもり=社会悪といったような思想はまったくないんですけど、狭量な<俗世間>の審判というのはそういうものだということは、よく理解しています。
親ですら、何百日も自分の部屋から出てこない怪物のような存在が家の中にいる……といったように認識していることさえ、そう珍しいことではないですよね、実際。
それで、あの化け物はうちの息子じゃないとか、元の姿に戻ってほしいとか、あるいは親が相談した誰かが吸血鬼を日に当てるような気持ちを起こして、ガタガタ☆騒ぐということも、十分ありえると思います。
でも、神話でいうなら、<英雄>と<英雄に退治される怪物>って、ほぼ同一人物といってもいいくらい、似た感じのものなんじゃないでしょうか(^^;)
それはちょうど、メデューサが映っている鏡にアンドロメダが、あるいはアンドロメダが映っている鏡に実はメデューサが映っているのと同じようなものだと思うので。
そして、自分自身を<存在の鏡>のようなものに映した時に――そこに何がしかの怪物性であるとか化物性といったものを一切読みとることが出来ない人がいるとしたら、そうした人間こそが実は<本当に退治されるべき怪物>なのかもしれません。
結論として、引きこもりの男性というのは、「受動的攻撃性」を持ってる場合がとても多くて、「あの時親がああしたから」とか「ああしなかったから」といったことを根に持っている、そしてその前提に「自分は何も悪くないのに」という出来事がなんらかの形で複雑に絡んでいることが多いのではないでしょうか。
もちろん、引きこもりの方には女性もいらっしゃるので、その場合にも状況として似たものを持っている場合がとても多いと思います(言うまでもなく、ケースバイケースではあるにしても)。
わたしはこの記事の中で、引きこもりの是非といったことを言うつもりはないんですけど――ただ、こうした視点を持てる人がもっと増えたらいいんじゃないかな……ということは、漠然と感じるんですよね。。。
ではでは、最後にメデューサの「あじゃぱあ~!!」と叫んでそうな画像を貼って、この記事の終わりにしたいと思います♪(^^)
それではまた~!!
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(カラヴァッジョ【メドゥーサの首】ウフィツィ美術館)
~お・ま・け☆~
↓映画・少年メリケンサックより「アンドロメダおまえ」。つーか、おまえのほうが気は確かか?って突っ込みたくなるところが最高です(笑)
↓今度はダンス付きで♪これ見てから、「TELYAに一生ついていこう……☆」と思ったのは、わたしだけではないはず!!
↓メリケンサックの中で、一番好きなシーンでしたww田辺誠一さん、引き出し多いですよね(^^)
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