前回は、ファージョンの作品から、「名のない花」というお話をご紹介しました♪(^^)
あのお話のすぐれているところは、まずクリスティという女の子が「きれいな花」を発見して、そのことをおばあさんになってからも忘れなかったということではないでしょうか。
わたしたちも、道端で、あるいは山や森などに出かけた時――色々なきれいな花を見かけることがありますよね。
でも、「きれいだな」と思うだけで通りすぎてしまい、花の名まえを調べることまではしない……そういうことが、結構あると思います。
それでもまあ、この世界の花という花、あらゆる動植物にはえらい学者さんたちがラテン名をつけたりしているものなので――まさかそれが、本当に「名まえのない花」だなどとは、誰も想像しませんよね(^^;)
しかも、ご猟場管理人もクリスティのとうちゃんも、そんな花の名まえを聞いたこと自体、すぐに忘れてしまっているという(笑)
でもクリスティだけは年とってからも忘れなかったというのは、彼女はいつまでも少女の心、子供の心を忘れることなく成長し、おばあさんになってからもその「特別な力」をこっそり心の奥深くに秘めていた、といえるのではないでしょうか。
作者のエリナー・ファージョンという女性は、その「大人/子供」の心を自在にいったりきたりできるという、実に稀な才能を持った作家なんですよね(^^)
今回ご紹介するのは、前回と同じく「本の小部屋」から「ヤング・ケート」というお話なんですけど……何故わたしがこのお話と「名もない花」を選んだのかというと、単に短いから、というのがその理由ですww
「本の小べや」は、カーネギー賞と第一回国際アンデルセン賞を受賞しているとおり、言うまでもなく傑作中の傑作といっていい短篇集だと思うので――彼女をご存知ない方で、童話系のものが好き!という方には、是非ぜひお薦めしたい本なんですよね♪(^^)
ちなみにわたしはといえば、「リンゴ畑のマーティン・ピピン」を、今夢中になって再読している最中だったり(笑)
それではまた~!!
ヤング・ケート
ずっとむかし、お年よりのドウ嬢が、町のはずれの小さい家に住んでいました。そして、ヤング・ケートは、ドウさんの家の女中さんでした。ある日、ケートは、まどのお掃除をするようにと、屋根裏部屋へやられました。そして、まどをふいていると、町の外にひろがる牧場がすっかり見えました。そこで、仕事がすむと、ケートはドウさんにいいました。
「おくさま。牧場へいってよろしゅうございますか」
「いえ、いけないよ!」ドウさんはいいました。「牧場へいってはいけないよ」
「でも、なぜでございますか、おくさま」
「<みどりの女>に会うといけないからさ。門をしめて、くつしたをおつぎ」
つぎの週、ケートは、また、まどをみがきました。そして、みがいていると、谷を流れる川が見えました。そこで、仕事がすむと、ケートは、ドウさんにいいました。
「おくさま、川へいってよろしゅうございますか」
「いえ、いけないよ!」と、ドウさんはいいました。「けっして川へなんかいくんじゃないよ!」
「おや、なぜでございますか、おくさま」
「<川の王さま>に会うといけないからね。ドアのかんぬきをかけて、金具をおみがき」
つぎの週、ケートは、屋根裏部屋のまどをみがきながら、丘の上の森を見ました。仕事がすむと、ケートはドウさんのところへいっていいました。
「奥さま、森へいってもよろしゅうございますか」
「いえ、いけないよ!」ドウさんはいいました。「森へなんかいくんじゃないよ!」
「まあ、おくさま。それは、なぜでございますか」
「<おどる若衆>に会うといけないからね。よろい戸をしめて、ジャガイモをおむき」
ドウさんは、もうそれきり、ケートを屋根裏へやりませんでした。そして、ケートは、六年間、その家にいて、くつしたをつぎ、金具をみがき、ジャガイモをむきました。それから、ドウさんは死にました。ケートは、またほかの働き場所を見つけなければなりませんでした。
ケートのつぎの奉公先は、丘をこえた、むこうがわの町の中でした。ケートは、乗り物にのるお金がなかったので、そこまで歩かなくてはなりませんでした。けれども、ケートは、道づたいにゆきませんでした。草原にはいれるところまでくると、すぐそこにはいってゆきました。すると、まず目にとまったのが、花を植えている<みどりの女>のすがたでした。
「おはよう、ヤング・ケート」と、みどりの女はいいました。「おまえは、どこへいく?」
「丘をこえて、町へ」と、ケートはいいました。
「いそいで町へいくのだったら、道をゆけばよかったのに」みどりの女はいいました。「だって、わたしは人が花を植えないうちは、だれも、わたしのこの牧場を通してやらないのだから」
「そのことなら、喜んでやりますとも」ケートはいって、みどりの女のもっていた、こてをとって、ヒナギクを植えました。
「ありがとう」と、みどりの女はいいました。「では、おまえのすきな花を、すきなだけおとり」
ケートが、ひとつかみほどの花をつむと、みどりの女はいいました。
「花を一つ植えてもらうたびに、わたしは五十つませるのだよ」
それから、ケートは、川の流れている谷へ出ました。すると、まず目にとまったのが、アシの中に立っている<川の王さま>のすがたでした。
「こんにちは、ヤング・ケート」と、王さまはいいました「どこへいくのだね?」
「丘をこえて、町へ」と、ケートはいいました。
「もし、ちょっとでもいそぐのだったら、道をゆけばよかったのだ」と、川の王さまはいいました。「わしは、歌をうたっていかないものは、この川のそばを通してやらないのだからな」
「喜んでうたいますとも」といって、ケートは、アシのあいだにすわって、うたいました。
「ありがとう」と、川の王さまはいいました。「こんどは、わたしの歌をおきき」
それから、川の王さまは、夕ぐれのせまるあいだ、つぎからつぎへとうたいました。そして、うたいおわると、ケートにキスをして、
「人が歌を一つ、うたってくれれば、わしは、いつも五十きかせるのだ」
それから、ケートは、丘をのぼって、そのいただきの森にでました。すると、まず目についたのが、<おどる若衆>のすがたでした。
「こんばんは、ヤング・ケート」若衆はいいました。「おまえは、どこへゆくのだね?」
「丘をこえて、町へ」と、ケートはいいました。
「夜あけまえに町につきたいのだったら、道をゆけばよかったのに」と、おどる若衆はいいました。「ここで休んで、おどっていかないものは、だれも、この森を通してやらないのだからね」
「喜んでおどりますとも」ケートはいいました。
そして、ケートは、できるだけじょうずにおどってみせました。
「ありがとう」おどる若衆はいいました。「こんどは、ぼくのをごらん」
そして、その若者は、ケートのために月のでるまでおどり、また、月のかくれるまで、夜どおしおどって見せました。朝になると、かれはケートにキスをして、いいました。
「人がおどりを一つおどってくれれば、わたしは、いつも五十おどって見せるんだよ」
ヤング・ケートは、それから町へいって、そこの、もう一つの小さい家で、お年よりのドリュー嬢の女中さんになりました。ドリューさんは、けっしてケートを牧場や、森や、川へやらないで、七時には家のカギをかけました。
けれども、ときのたつうち、ヤング・ケートもおよめにいって、じぶんの子どもや女中さんをもつ身になりました。そして、一日の仕事がすむと、ケートは、おもての戸をあけていいました。
「さあ、子どもたち、牧場へ、森へ、川へいっておいで。ことによると、おまえたち、そこで運よく、みどりの女か、川の王さまか、おどる若衆に会わないともかぎらないからね」
すると、子どもたちや女中さんは出ていって、まもなく、手にいっぱいの花をもち、うたったり、おどったりしながら、帰ってくるのでした。
(「本の小べや1~ムギと王さま~」石井桃子さん訳/岩波書店より)
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