(アルテミシア・ジェンティレスキ【ホロフェルネスの首を斬るユーディット】)
またしても、今も昔も書いてるテーマ的(?)なことは何も変わってないんだな~という文章を再発見してしまいました(^^;)
以下はハーフムーンという小説からの抜粋です。
>>「……先生。今の、ユーディトがホロフェルネス将軍の首をとる話ですけど、あたし、もしかしたらこの先、誰かに対してそんなことをするような人間になるのかもしれません」
「何故?」と先生はいつものように優しく聞き返しながらも、精神医療のプロとしてこれから何か大切なことが語られるのを悟っているように、顔の表情から微笑を消していた。
「先生。先生は今、ユーディトの首狩物語はたくさんの画家が好んで描いているっておっしゃいましたよね。その中でも自分が最もいいと思うのはアルテミシア・ジェンティレスキの描いたユーディトとホロフェルネスだって……何故そう思うんですか?」
「どうしてかな」と、先生は万年筆で軽く頭をかきながら言った。「あの絵には色々な解釈がなされているけれど、やはり女性ひとりの力で男の首を切断するのは普通に考えたら難しいことだろう?いくら相手が眠っているにしてもね。そこで実は侍女アブラが重要な役割を果たしていたっていう新解釈がなされているところが興味深いんじゃないかな。多くの画家がユーディトを好んで描いたのは、男の英雄的ポーズばかりを描いていてもつまらないからということでもあるんだろうけど、アルテミシアのユーディトは女性の視点から描かれたものだからね、確かに残虐ではあるかもしれないけれどその分真実味があるような気がするんだよ」
「先生。そんなふうに遠回しにおっしゃらずに、はっきりと言ってください」と、あたしは震える声で、それでもはっきりと言った。いつもはあたしのほうが遠回しに抽象的な表現によって核心に近づくのを避けるのに、今日は患者と医師の立場が逆転していた。「アルテミシアは師であった男にレイプされたんですよ。その上裁判ではレイプされていないと偽証しなくてはならなかった……その怒りの発露が『ホロフェルネスの首を斬るユディット』だと、あたしはそう考えるのが妥当だと思います」
窓の外の景色は美しい夏の黄昏色に染まり、診察室の白い壁も先生もあたしも、橙色に濃く染め抜かれていた。それは血の色というよりも生命の色、朝陽などよりもよほど強い命の色をしていて、あたしは眩暈すら覚えていた――多分、先生もきっと朝陽よりも日没のほうを好む人なのだろう。一日のうちの最も美しい時に哀しみを覚えるような表情をして、眼鏡をはずしていた。
前にも書いたとおり、この小説は一応ネット上には存在しますけれども、天使の図書館内には置いてません(でも繋がってる場所は一箇所あります☆^^;)
そして、このハーフムーンという小説を書いたのは相当昔の話ではあるんですけど……この頃よりもっと前からわたし、西洋絵画が相当好きだったらしいです(笑)
そんなわけで、今回はわたしの好きな「ユディットの首狩物語」をテーマにした絵を何枚か、並べてみたいと思いました♪
まずはアルテミシアも影響を受けているカラヴァッジョの作品から。
(全体を見るためには、記事一番下のバーを右にずらしてくださいね☆)
(カラヴァッジオ【ホロフェルネスの首を斬るユーディット】)
次はルーカス・クラナッハ。
ユディットの首狩物語は実際、甲乙つけがたくいい絵が多いですよね。
でも、「なんか気持ち悪いww」と思われた方には申し訳ないです
(ルーカス・クラナッハ【ユディト】1530年、ウィーン美術史美術館所蔵)
最後は、ジョルジョーネのユディットです。
あと、ボッティチェリの「ホロフェルネスの遺骸の発見」と「ユーディットの帰還」も好きなんですけど……残念ながら、ちょうどいい画像が見当たりませんでした(^^;)
(ジョルジョーネ【ユディト】1504年頃、サンクトペテルブルク・エルミタージュ美術館)
さて、自分的にはこうしてユディット物語の絵を並べて見ることが出来ただけで、十分満足なんですけど――一応ウィキから作品解説っぽい文章を引用しておきますね(もしかしたら興味のある方もいらっしゃるかもしれないので^^;)
・旧約聖書外典「ユディト記」(ウィキよりコピペ☆)
『ユディト記』は、ユディトという女性の信仰を描く物語。
『ユディト記』は教派によって扱いに違いがあり、ユダヤ教とプロテスタントでは外典として扱い、カトリック教会と正教会では旧約聖書に加えている。
物語は以下のようなものである。
アッシリア王ネブカドネツァルが自らに対して協力的でなかった諸地域に討伐のための軍隊を差し向ける。
そこでユダヤにはホロフェルネスが派遣され、彼はベトリアという町を囲む。
水源をたたれたベトリアでは降伏を決意するが、美しい女性ユディトが一計を案じる。
彼女は敵のホロフェルネスの陣営に忍び込み、すきをみてホロフェルネスの首をとってきたのである。
こうして司令官を失ったアッシリアの軍勢は敗走した。
しかし、ベトリアという町が架空のものであることや、ネブカドネツァルがアッシリアの王でないことなどから、架空の物語であると考えられている。
……それと、ここからはさらにどうでもいいお話ではあるんですけど――「ユディットコンプレックス」なる語があるのを発見して、少し驚きましたww
そして、「ユディットコンプレックス」とは、これまたウィキによると、
>>女性には強い男に進んで身をまかせたい心理があるとされるが、その一方で自分の操を汚した男を殺したい憎しみとが無意識に存在するとされる。
この状態がいきすぎてしまうと男性にどんどん汚される事で逆転的に男性を傷つけようとすることがある。
そのため、このコンプレックスを持っている女性は、男性から見ると男の心を弄んでいるように見られることもしばしばである。
このコンプレックスは旧約聖書第二聖典ユディト記のユディトの逸話を基に「ユディットコンプレックス」と呼ばれている。
いえ、ハーフムーンっていうお話を書いた時にはわたし、「ユディットコンプレックス」なんていう言葉、全然知りませんでしたww
でもよく考えるとこれって、結構のぞみに当てはまる部分があるなあ……と思って、ちょっと驚いたような次第です(^^;)
なんにしても、ユディットの首狩物語の絵は何度見てもいいな~と、あらためて感じたきゃんり人でした(笑)
それではまた~!!
またしても、今も昔も書いてるテーマ的(?)なことは何も変わってないんだな~という文章を再発見してしまいました(^^;)
以下はハーフムーンという小説からの抜粋です。
>>「……先生。今の、ユーディトがホロフェルネス将軍の首をとる話ですけど、あたし、もしかしたらこの先、誰かに対してそんなことをするような人間になるのかもしれません」
「何故?」と先生はいつものように優しく聞き返しながらも、精神医療のプロとしてこれから何か大切なことが語られるのを悟っているように、顔の表情から微笑を消していた。
「先生。先生は今、ユーディトの首狩物語はたくさんの画家が好んで描いているっておっしゃいましたよね。その中でも自分が最もいいと思うのはアルテミシア・ジェンティレスキの描いたユーディトとホロフェルネスだって……何故そう思うんですか?」
「どうしてかな」と、先生は万年筆で軽く頭をかきながら言った。「あの絵には色々な解釈がなされているけれど、やはり女性ひとりの力で男の首を切断するのは普通に考えたら難しいことだろう?いくら相手が眠っているにしてもね。そこで実は侍女アブラが重要な役割を果たしていたっていう新解釈がなされているところが興味深いんじゃないかな。多くの画家がユーディトを好んで描いたのは、男の英雄的ポーズばかりを描いていてもつまらないからということでもあるんだろうけど、アルテミシアのユーディトは女性の視点から描かれたものだからね、確かに残虐ではあるかもしれないけれどその分真実味があるような気がするんだよ」
「先生。そんなふうに遠回しにおっしゃらずに、はっきりと言ってください」と、あたしは震える声で、それでもはっきりと言った。いつもはあたしのほうが遠回しに抽象的な表現によって核心に近づくのを避けるのに、今日は患者と医師の立場が逆転していた。「アルテミシアは師であった男にレイプされたんですよ。その上裁判ではレイプされていないと偽証しなくてはならなかった……その怒りの発露が『ホロフェルネスの首を斬るユディット』だと、あたしはそう考えるのが妥当だと思います」
窓の外の景色は美しい夏の黄昏色に染まり、診察室の白い壁も先生もあたしも、橙色に濃く染め抜かれていた。それは血の色というよりも生命の色、朝陽などよりもよほど強い命の色をしていて、あたしは眩暈すら覚えていた――多分、先生もきっと朝陽よりも日没のほうを好む人なのだろう。一日のうちの最も美しい時に哀しみを覚えるような表情をして、眼鏡をはずしていた。
前にも書いたとおり、この小説は一応ネット上には存在しますけれども、天使の図書館内には置いてません(でも繋がってる場所は一箇所あります☆^^;)
そして、このハーフムーンという小説を書いたのは相当昔の話ではあるんですけど……この頃よりもっと前からわたし、西洋絵画が相当好きだったらしいです(笑)
そんなわけで、今回はわたしの好きな「ユディットの首狩物語」をテーマにした絵を何枚か、並べてみたいと思いました♪
まずはアルテミシアも影響を受けているカラヴァッジョの作品から。
(全体を見るためには、記事一番下のバーを右にずらしてくださいね☆)
(カラヴァッジオ【ホロフェルネスの首を斬るユーディット】)
次はルーカス・クラナッハ。
ユディットの首狩物語は実際、甲乙つけがたくいい絵が多いですよね。
でも、「なんか気持ち悪いww」と思われた方には申し訳ないです
(ルーカス・クラナッハ【ユディト】1530年、ウィーン美術史美術館所蔵)
最後は、ジョルジョーネのユディットです。
あと、ボッティチェリの「ホロフェルネスの遺骸の発見」と「ユーディットの帰還」も好きなんですけど……残念ながら、ちょうどいい画像が見当たりませんでした(^^;)
(ジョルジョーネ【ユディト】1504年頃、サンクトペテルブルク・エルミタージュ美術館)
さて、自分的にはこうしてユディット物語の絵を並べて見ることが出来ただけで、十分満足なんですけど――一応ウィキから作品解説っぽい文章を引用しておきますね(もしかしたら興味のある方もいらっしゃるかもしれないので^^;)
・旧約聖書外典「ユディト記」(ウィキよりコピペ☆)
『ユディト記』は、ユディトという女性の信仰を描く物語。
『ユディト記』は教派によって扱いに違いがあり、ユダヤ教とプロテスタントでは外典として扱い、カトリック教会と正教会では旧約聖書に加えている。
物語は以下のようなものである。
アッシリア王ネブカドネツァルが自らに対して協力的でなかった諸地域に討伐のための軍隊を差し向ける。
そこでユダヤにはホロフェルネスが派遣され、彼はベトリアという町を囲む。
水源をたたれたベトリアでは降伏を決意するが、美しい女性ユディトが一計を案じる。
彼女は敵のホロフェルネスの陣営に忍び込み、すきをみてホロフェルネスの首をとってきたのである。
こうして司令官を失ったアッシリアの軍勢は敗走した。
しかし、ベトリアという町が架空のものであることや、ネブカドネツァルがアッシリアの王でないことなどから、架空の物語であると考えられている。
……それと、ここからはさらにどうでもいいお話ではあるんですけど――「ユディットコンプレックス」なる語があるのを発見して、少し驚きましたww
そして、「ユディットコンプレックス」とは、これまたウィキによると、
>>女性には強い男に進んで身をまかせたい心理があるとされるが、その一方で自分の操を汚した男を殺したい憎しみとが無意識に存在するとされる。
この状態がいきすぎてしまうと男性にどんどん汚される事で逆転的に男性を傷つけようとすることがある。
そのため、このコンプレックスを持っている女性は、男性から見ると男の心を弄んでいるように見られることもしばしばである。
このコンプレックスは旧約聖書第二聖典ユディト記のユディトの逸話を基に「ユディットコンプレックス」と呼ばれている。
いえ、ハーフムーンっていうお話を書いた時にはわたし、「ユディットコンプレックス」なんていう言葉、全然知りませんでしたww
でもよく考えるとこれって、結構のぞみに当てはまる部分があるなあ……と思って、ちょっと驚いたような次第です(^^;)
なんにしても、ユディットの首狩物語の絵は何度見てもいいな~と、あらためて感じたきゃんり人でした(笑)
それではまた~!!
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