天使の図書館ブログ

 オリジナル小説サイト「天使の図書館」の付属ブログです。

太陽と月に抱かれて-4-

2013-07-19 | 創作ノート
【プリマヴェーラ】ボッティチェリ


 >>春はヴィーナスとともに訪れ、それに先立ちヴィーナスの翼ある先駆者ゼフュロスがやって来る。
 さらに、その西風の足元近くで、女神フローラがあらかじめ道いっぱいに、彼らのため妙なる色と香とをまきちらす。

 女神よ、あなたが近づけば風は逃げ、空の雲は散ってゆく。
 あなたの足の下に技巧すぐれた大地は甘美な花をしき、あなたに馨しい花々をささげる。
 海原は晴れやかにあなたに微笑みかけ、空は光溢れて、あなたに輝く。

 なぜなら、昼にも春めいた光景がなかなか開けないからである。
 それで閂をこじ開けて、ゼフュロスの孕んだ追い風がなだれ込んでくる。
 まず第一に、空の鳥が、女神よ、あなたの力に胸を打たれて、あなたの到来を告げ知らせる。
 続いて野の獣、家畜の群れが楽しい牧場を跳ね飛び、速い流れを泳ぎ渡る。

 このように、あなたの魅力に捕われ、あなたが導くところ、どこまでも望みにもえてみなついてゆく。
 ついにあなたは、海や山を越え、激流を越え、鳥たちの木の葉茂るすまい、若葉もえる野原にいたるまで、すべてのものの胸に甘美な愛を打ちこみ、みながその欲望によって、それぞれの種族を増やすよう働きかける。

【事物の本質について】ルクレティウス
(引用は「ボッティチェリ【プリマヴェーラ】」ホルスト・ブレデカンプ、中江彬さん訳/三元社より)


 大まかにいうとすれば、これがプリマヴェーラの絵の中でテーマとされていることなのかなと思います。

 そして西風のゼフュロスは、ずっと冬の寒い中を彷徨っていればこそ、死人のように青白いのであり(「ヴィーナスの誕生」の血色の良い彼と見比べてみてください・笑)、おそらくニンフ・クロリスのことを彼が求めたのも、そうした寒い中で優しさやぬくもり、暖かさといったものを彼自身が欲したからなのかもしれません。

 この西風のゼフュロス、とりあえずわたしが読んだギリシャ神話の中では「いい奴」として描かれています(笑)

 西風のゼフュロスは優しく、北風のボレアスは乱暴者……といった位置付けといいますか(^^;)

 ゼフュロスは自分の欲望を抑えきれなくてクロリスをレイプしたとも言われますが、この部分は描かれ方として二通りあるのかなという気がしたり。

 つまり、子供が読んでもいいようなお話としては、「ゼフュロスはクロリスに一目惚れして彼女のことをさらい、結婚のお祝いとして花園を送りました。こうして彼女は花の女神フローラと呼ばれるようになったのです」というパターンと、もうひとつは「ゼフュロスは己の性欲を抑えきれず、クロリスをレイプした。だが彼はその後、クロリスに悪いと思い、結婚して彼女に花園を送った。こうしてクロリスは花の女神フローラとなったのである」といったような大人向け(?)のパターンというのでしょうか(笑)

 クロリスはもともと具体的な神話を持たない、身分の低いニンフだったようなのですが、若桑みどり先生の説によりますと、このフローラはおそらくロレンツィオ豪華公の弟、ジュリアーノの愛人であるフィオレッタ(小さい花)ではないかということなんですね。

 そして彼女は暗殺されたこのジュリアーノの子を身籠り、ジュリオという男の子を産んだのち、お亡くなりになったそうです。

 若桑みどり先生のこの説から順にプリマヴェーラという絵を(わかる限りにおいて)読み解いていこうとすると、絵画のテーマとして漠然と感じとれる以下のキィワード――結婚、妊娠、恋、花、青春、そして死……といったことが少しずつ明らかになっていく気がします。

 プリマヴェーラに描かれた花は、結婚を意味するものが多い反面、死を暗示するものが描かれているそうです。絵画上方にたわわに実るオレンジは古代ローマ神話で結婚を意味し、クロリスの口から出ているヒメツルニチソウは結婚による結びつきを表している、またクロリスの足許に描かれたマツヨイセンノウは処女を愛に導くことを意味するそうです。そしてその反面、フローラの額の目立つところには死を表象するラナンキュラスが飾られているということなんですね。

 ジュリアーノ・デ・メディチは、下層階級のフィオレッタさんを愛人とする反面、絶世の美女として知られるシモネッタさんに叶わぬ恋心を抱いていたそうですが、このシモネッタさんは三美神の<美>に似ていると若桑先生は指摘されていました。そして真ん中の<貞節>はロレンツォ豪華公の思い人、ルクレツィア・ドナーティに似ている、と。唯一、左端の<悦楽>については、「フィオレッタの生きた姿であろうか?」と「?」がつくのですけど、いずれにしてもここまでで、ある程度のことは明らかな気がするわけです(^^;)

 シモネッタさんは、一説によるとボッティチェリの<ヴィーナスの誕生>のモデルとも言われているわけですが、彼女は二十三歳にして結核で亡くなっています。つまり、絵画の中には亡くなった方が少なくとも三名描かれているわけですよね(クロリス=フローラを一人ではなく二名として計算した場合は四人でしょうか)。

 ロレンツォ豪華公にとって愛する弟の死は耐え難く悲しいものであり、絵の背景の青さや絵画全体を包むそこはかとない憂愁といったものはその悲しみを暗示しているのかもしれません。

 これはおもに、「芸術新潮2001年3月号」で若桑みどり先生が書かれていたことなのですが(+そこに「NHK世界美術館紀行3」の中に書かれていたことを少し取り入れました)、わたし、この本を読んだ時に「きっとそうに違いない!!」と思ったんです(^^;)

 でも他の資料などを当たってみると、180度全然違うようなことが書いてあったり

 わたし個人としては、若桑先生の説を今も強く支持しているのですが、ホルスト・ブレデカンプさんの「制作年代はいつか」という推論は(わたしの中で)とても新しいものだったので、いずれそのことにも少し触れてみたいと思います。

 それではまた~!!



       太陽と月に抱かれて-4-

 翼が隣の座席で眠りに落ちるのを見届けるのと同時、要はロシア上空の雲海を眺めながら、二階堂マリエとの思い出に再び耽りはじめていた。自分の視界からその姿は見えないにしても、同じファーストクラスの室内には現在の恋人のひとりである、CAの鹿沼玲子がいる。

 だがもし、二階堂マリエが今も生きていたとしたら――鹿沼玲子よりも彼女の存在のほうが自分にとって重かったのではないかと、要はそんな気がしてならない。

(もっとも、マリエが死んだからこそ僕は今こんなふうに思うのであって……もしそうじゃなかったらどうだったのかなんて、想像も出来ないにしても)

 二階堂マリエが飛行機事故に遭ってもし死ななかったら、そもそも自分は画家としてここまで有名になっていたかと問われれば、要の中で答えは断然「否」だった。彼女が死んだからこそ、要は贖罪的な気持ちで画業に打ち込んだのであり、その時にとても神秘的な体験をしていた。それは聖パウロの回心にも似た体験であり、ほとんど自動書記にも近い形で絵筆を動かし続けていたのである。その時に得た自分のものではない、第三の力とでもいうべき圧倒的な存在の働きかけ――それがなければ、自分の画家としての生命はとっくの昔に燃え尽きていたのではないかとすら、要は思っている。

 それからというもの、要は詩神と呼ぶべき存在の奴隷となった。その言語では到底言い表せぬ霊的な存在の啓示、ヴィジョンの実現のために献身的に自分の身を捧げるのと同時に、その啓示があまりに素晴らしい恍惚感を与えるものであるがゆえに、こんなに素晴らしいものがそういつまでも自分の元に来続けるものだろうかという懸念もあった。

 要には最初から、フラ・アンジェリコのような画僧の暮らしは無理だとわかっていた。彼はその名の示すとおり、天使のような僧であり、絵を描く前には必ず神に祈ってから絵筆をとっていたという。だが、要はどちらかというと、彼と同時代の画家であるフィリッポ・リッピタイプだろうと自覚していた。フィリッポ・リッピは優れた画家ではあったが、私生活のほうは乱れており、自分がモデルにした修道女と駆け落ちしたような男である。そしてそのスキャンダルの影響で、当時は出家したはずの尼僧が、修道院から出てロマンチックな恋愛を求める……といった例が後を絶たなかったという。

 そう――いくら親友に対してとはいえ、こんなことまで話したら異常の烙印を押されるだろうとわかっているがゆえに、要は翼に黙っていたことがある。『どんな女となら、おまえは結婚してもいいっていうんだ?』というその回答は、要の中ではとっくの昔に出ている。自分は五年も前に<詩神>と呼ばれる存在と霊的婚姻を交わし、以来ずっと彼女と一緒にいる……というのが、要本人の答えであり、そういう意味の結婚ならばとっくの昔にしていたのかもしれない。

 とはいえ、この芸術の女神は実に寛容な存在らしく、要がいくら肉体的な浮気を繰り返そうとも何十度となくこれまで見逃してくれた。また他の人間にこんなことを言ったとすれば、「馬鹿馬鹿しい」と笑われることを承知の上で言うとするならば、この美の女神以上に恍惚感を与えてくれる存在など、この地上にはひとりとして存在しはしないのである。

 要の中ではこうした現象が<二階堂マリエ>の死を契機に起こったことであるがゆえに――あの手紙に彼女の名前があった時、何よりもそのことにドキリとさせられ、驚いたのだ。そして思った。自分は彼女の機嫌を損ねるようなこと、美の女神との契約に違反するような行為を、果たして何か犯しただろうかと。

 とりあえず、要本人に心当たりとなることは何もない。要の望みはただ、芸術の女神、美の女神とでも呼ぶべき存在がこれからも自分の元へ来続けてくれるということ、ただそれだけだった。そしてもし<彼女>が鹿沼玲子と手を切れと言うのならば、要のほうではためらわずにあっさりそうしたことであろう。

 だが、こう言うからといってそれは何も要が鹿沼玲子に対して不誠実であり、愛情とすら呼べぬような薄情な感情しか抱いていないという意味ではない。要は唯一の犯せない詩神との契約に縛られているという、ただそれだけなのだ。もちろん、精神科医ならばおそらく、かつての恋人の死に対する罪悪感がそのような奇妙な心理を生じさせたのであろうと判断したかもしれない。だがこれは決してそういうことではなくて――<魂の啓示>というものが来たことのある人間にだけ理解できる領域の出来事なのだ。

 要の大学時代の同窓生に、今は有名な陶芸家となった男がいるのだが、彼は結婚して二年ほどで離婚してしまったという。理由は妻の不貞ということだったのだが、彼女は彼と別れるに際して「あんたなんか壺と結婚すりゃ良かったのよ!!」と捨て科白を吐いて出ていったという。要は彼女の気持ちが何故かとてもよくわかる気がしていた。というより、結局自分も結婚したとしたら、まったく同じ思いを妻に対し味わわせるのではないかという気がしてならない……にも関わらず、そろそろ誰か適当な人間の女と結婚しろなどということが、美の女神からのメッセージであるはずがないのだ。

(だが、僕はたぶんどこかで何か、決定的な間違いを犯したのだろう。ということは、それは必ずどこかで修正されねばならない……その修正地点がどこになるのか、修正幅が小さくて済むのか大きくなるのかどうか、その点の見極めが極めて重要ということになってくる)

 果てしなく広がるように見える雲海を眺めながら、要がそのような考えごとを続けていると、斜め前方に鹿沼玲子の姿が垣間見える。要は彼女が自宅へやって来た時には、邸宅内にある茶室で茶を点ててもらうことにしていた。鹿沼玲子は華道と茶道を好んでいるのだが、人から趣味は何かと聞かれた場合、「スキーとかスキューバダイビングと答えることにしている」ということだった。「だって、茶道やお花って言ったりすると、いかにも暗い人みたいな感じでしょ」……けれど、人生に行き詰まりを感じたり、仕事がつらいと感じるような時には花を活け、茶を点てると不思議と心が静まるのだという。

 彼女は月に数度、要の邪魔にならない範囲内で会いにくる、恋人のひとりだった。いや、それが果たして<恋人>という間柄なのかどうか、要自身にとっても危うい。何故といってそんな関係を結んできた女性の一体何人がこれまでに、「わたし、結婚することにしたから二度とここへは来ないわ」とある日突然宣言しに来たことだろう。そして、要が例の手紙を送ってきた犯人がもしその中にいたとしたらと、<記憶の鍵>を拾いかけた瞬間のことだった。

「要さん」と、ふと気づくと鹿沼玲子がすぐそばから声をかけてきた。翼はぐーすかと眠っている最中であり、彼女はそんな彼のことを気遣うように小声だった。「わたし、これから少し休憩に入るので、御用の際には他のCAが来ると思いますけど、すぐ戻って来ますから、そしたらまたお世話させてくださいね」

「ああ。パリへ着いたら、二日休みがあるんだろう?そしたら、向こうで落ち合ってどこか出かけることにしようか」

「いえ、いいんです、無理しなくて。要さんも向こうで色々お忙しいと思うし……逆に日本へ戻って落ち着いたら、デートしてください。わたし、待ってますから」

 そう言って鹿沼玲子は笑顔になると、「素敵な御友人ですね」と翼の寝顔を一瞬見つめてから、その場を離れていった。翼がビジネスシートで一喝した乗客の相手をしていたのは、彼女と同期の親しいCAだったからである。

(『わたし、待ってますから』か)と、要にしては珍しく玲子がその場から去ったのちに重い溜息を着いていた。自分勝手なことはわかるのだが、要は暫くどの女性とも外出を控えたいような気分だった。にも関わらず『向こうで落ち合って……』などと言ったのには理由がある。そう仮に言っても玲子ならば必ず断ってくるだろうとわかっていたからだ。

(僕はこれまで、彼女たちのそうした善意に甘え、裏切り行為を働き続けたということになるんだろうか)と、要は再び考える。玲子にしても、「要さんにはわたし以外にも女性がいるってわかってます。でもそれでいいんです」……などとかつて言っていたのは、ただの嘘だったと取るべきなのだろうか。彼女はその時にこうも言っていた。「わたし、CAの仕事が大好きなんです。でも時々、不規則な仕事の合間合間にふっと寂しいなって思うことがあって。そしてそういう時に要さんと会えるっていうだけですごく幸せなんです」……要に対してこうしたことを口にする女性は実に数多い。要にしてもそうした彼女たちの言い分が自分にとって都合のいいものであるがゆえに、額面通りに受け取ったのち、果たしてそれが本当に真実であろうかなどと、さして深く考えたことはなかった。けれど、彼女たちが自分に対し言ったことがもし、<重い女>と思われたくないがゆえの発言であったとしたら……。

「なあ、要。一体今何時?」

「さて、地球には時差ってものがあるから、果たして今は一体何時なのやらといったところだよ。なんにしても、出発して四時間が経過したことは確かだ。つまり、おまえは約一時間くらいぐっすり寝てたっていう計算になる」

「マジか。なんかもう俺、ぐっすりんこ寝ちまって、あと二時間後にはパリに到着って感覚で目覚めたんだけどな。ええと、何なに……到着まであと八時間三十分か。俺に退屈で死ねって言ってるも同然だな」

 翼がひょいと顔を横に突き出し、前部隔壁にある電子掲示板を見ると、「SU507便は現在、ロシアのバイカル湖付近上空を飛行中」との情報とともに、パリへの到着時刻まであと八時間三十分という表示が出ている。またその下には世界地図と、今飛行機が地球上のどのあたりを飛行しているのかという地点がマークされていた。

 そして翼がさりげなくそのまま1-C席の様子を伺うと(ちなみに1-D席は空席である)、例のセクシー美女はサングラスを外してベジタリアン専用の食事を取っているところだった。翼がその時に何より驚いたのは、彼女の瞳が深いエメラルド色をしていることだったろうか。もし彼女が自分に対し、「来い」というように指を何度か動かしたならば、翼はよだれを垂らしながらすぐ擦り寄っていったかもわからない。とにかく、彼女はそのような素晴らしい美貌の持ち主だったといえる。

(いやいや、いかんいかん)と、翼は一瞬妄想と夢と現実がごっちゃになった頭を振り、正気に戻ろうとした。

「あれ、後ろでコーヒー淹れてるの、玲子ちゃんじゃないじゃん。あの子、どったの?」

 3-F席の乗客にコーヒーサービスをしている女性が鹿沼玲子でないと気づき、翼は要を振り返った。

「軽い休憩だって。翼、僕たちもコーヒーでも飲むか。玲子にはこちらから呼ばない限りは余計なサービスは一切無用だって言っておいたんだけど」

「ふうん。でもあの子、本当にいい子そうだよな。おまえが来いって言ったら飛んできて、伏せって言ったら伏せて、別れるって言ったらキュンキュン鳴きそうっていうか。まあ、おまえがそういうふうに仕込んだんじゃなくて、もともとそういう性格なんだろうけど」

「……おまえも、随分嫌な言い方をするね。人間っていうか、女性っていうのはそんなに単純なものじゃないだろ。僕もあえて嫌な言い方をするとしたら、向こうがこっちの言うことを大人しく聞くとしたら、それは向こうにとってもそうすることで得になる取り分があるってことだよ。僕なんかが思ってる以上に、彼女たちは本当に賢いんだから」

 先ほど前方ギャレーにて「妬けちゃう」と言ってたCAが、黄金の笑顔で会釈し、コーヒーをミルク色のカップに淹れていく。ふたりともコーヒーはブラックだったので、彼女の仕事はすぐに終わった。

「ま、確かに女ってのはこえーよな。今の子の完璧なサービススマイル、おまえも見たろ?でもなあ、女ってのは看護師もそうなんだが、患者とか客の前じゃああでも、そこでいい人間を演じたことで溜まるストレスってのか?それを裏の休憩室とかロッカールームに持っていってあれこれしゃべり倒すわけ……で、そっちで見せた本性ってのが、あいつらの正体ってことだ。でもそこは女だけの密室空間みたいなもんだから、大抵の男は騙されるっていう、世の中はそういう仕組みで大体動いてるんじゃねえの?」

「なるほど。じゃあまあ、その翼の言い分でいったとしたらだよ、その表面と女性だけのロッカールームの差がほとんどない女性っていうのが、人間としてもいい人間だし、女としても相当信用できるってことか?」

「まあ、そういうことになるかな……けどまあ、俺も含めて大抵の男は馬鹿だから、なかなかその部分を見抜けないってことなんだろうな。俺も唯に対してそうだったし」

 翼はここでコーヒーをすすると、「トレビアン!!」などと言ったあと、突然甘いものが食べたくなってドーナツとアイスクリームを注文した。

「そういやさ、要。俺思ったんだけど……」イチゴとメロンとラムネのシャーベットののった皿が届いたのち、銀のスプーンを手にして翼が言った。「この飛行機に乗ってる客の半数近くが外人だけど、要はそっちの人とも結構つきあったりしたことあるんだろ?」

「そっちの人って?」

 翼が注文したドーナツを一部ちぎって、要が聞き返す。

「だからさ、ようするに日本人女性以外の外国の美女ってこと」

「ああ、あるけど……でもそんなにたくさんってわけじゃないよ。それに、そういう女性の中に僕に深い恨みまで抱いてる女性がいるかとなったら、ほとんど皆無に近いと思う」

「そっか。ならいいんだけど」

 それからふたりは取り留めのない会話をしてさらに二時間ほど時間を潰し――要がそろそろ一度寝るといったのに合わせて、翼もまたシートをフルに倒して横になった。翼としては全然眠くはなかったのだが、話相手のいない地獄を味わうのが嫌さに、とりあえず音楽を聴きながら横になるということにしたのである。

 この頃には翼も要も、例の手紙に端を発する用心や警戒のことなどすっかり忘れきっていたといっていい。搭乗前は翼も、要が寝ている間は自分が必ず起きていなければならぬ、とそのように心に決めていたはずなのだが、もはやゲームをしてその種の暇時間をやり過ごそうという気力すらなかった。

 だが、ふたりが次に目を覚ました時、飛行機内はある意味別世界に取って替わっていた。何故ならファーストクラス付きのCAである鹿沼玲子や彼女の代替要員である葉月美琴に代わって、前方の隔壁にはアラブ人の男がひとり、銃を片手に立っていたからである。



 >>続く……。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿