天使の図書館ブログ

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カルテット。-24-

2013-01-09 | 創作ノート
【人生の三時期】グスタフ・クリムト


 今回もちょっと長いので、全部入りきるかな~と思ってたんですけど、なんとか入って良かったです♪(^^)

 トップ絵に結構、クリムトの絵を使っちゃったんですけど……クリムトってクラシックCDのジャケ絵に使われることの多い画家さん、というイメージがなんとなくあります。

 たぶんクリムトの絵の中で一般的に一番有名なのが、前回貼った<接吻>(笑)だと思うんですけど、あの絵はなるべく軽々しく貼ったりしたくないな~と以前から思ってて。。。

 いや、じゃあ他の絵ならいーのか?って話ですけど(笑)、好きな絵だけにむしろ逆に簡単に使ってはいけないと感じるというか(^^;)

 今回の<人生の三時期>も、「どうしようかな」と迷いつつも、<ベートーヴェン・フリーズ>などの絵と同様、「恐れ多い」と思いながら貼ってみたという感じですm(_ _)m

 クリムトってすごく不思議な画家さんですよね。

 誰もがその作風に惹きつけられながらも、同時に見る者の理解を<絵自身>が拒んでいるように感じられるところがあって。

 ディキンスンの詩に「真実を言うなら斜めに言って」っていう言葉があるんですけど、クリムトの絵ってどれを見ても「なんでこんなに真実を斜めに語りたがるんだろう」って感じてしまいます。

「おまえ如きにこの俺の芸術の高尚さが理解できるものか」っていう部分と、同時に「わかって欲しいんだよ、ほんとは」って気持ちがないまぜになってるとでも言ったらいいか。。。

 まあ、こんなのは全部、わたし個人の最初に絵を見た時の<印象>に過ぎないにしても、ロートレックみたいに「そういう画風にならざるをえなかった」というのとは別の、不思議さがクリムトの絵にはあるような気がします。

 今回実は、本文の内容的に、<アッター湖畔>の絵のどれかを使ってみようかな……と思わなくもなかったんですけど、わたしの中の<魂のみずうみ>はクリムトの描いた河童とか生霊が住んでそうな湖畔とは違ったので、やめることにしました(^^;)

 なんにしても、西園寺圭のベルリン・フィル首席指揮者就任の噂がどうこうとかいう話は、「本作はフィクションであり、実在の人物・団体等とはまったく無関係です」的なこととして、軽く読み流してくださいね(笑)

 それではまた~!!



       カルテット。-24-

 西園寺圭はその時、自分が現在仮の住まいとしている丸太小屋から、外の幻想的な風景を眺めているところだった。

 夏用の薄いグリーンのカーテンを開くと、月の光に照らされて虹色に輝く、南沢湖の幻想的な景色と、地面に何百匹となく張りついている白い蛾の姿とが見える――西園寺圭は、今この場にピアノがあったなら、ベートーヴェンのピアノ・ソナタでも弾いていたろうなと思い、そのことが少しばかり残念に感じられていた。

 だが、今ここに彼のスタインウェイはない。そこで圭は階段を上って自分の寝床までいくと、枕の横にあるトランクを開けることにした。それはベートーヴェンのピアノ・ソナタの楽譜ではなかったが、代わりに彼はシベリウスの交響曲の総譜を手にして下まで戻ってきたのである。

 本来なら、明日演奏予定の曲でももう一度眺めるべきだったのかもしれないが、圭にはまったくその必要はなかった。何故ならその曲はすでに何百回となく演奏してきたものだったし、彼はその曲のすべてを暗譜してもいたのだから……一度征服した女に興味はないとばかり、圭としてはその楽譜を手にとる強い必要性のようなものを、この時まるで感じてはいなかった。

 その点、シベリウスはまだ彼が録音に着手していない作曲家であり、圭にとってはまだ征服していない辺境の女のようなものであった。北欧女性に特有の美を備えており、またその地方へ行った際には必ず立ち寄って顔を見たくなる女ではあるが、彼にとっては<正妻>の位からはほど遠い存在、また彼女のほうでもそのような出過ぎた身分を求めてはいない……穿った見方かもしれないにしても、圭にとってシベリウスの楽曲いうのは、そのような存在であった。

 だが最近、あることをきっかけして、シベリウスの楽曲のフレーズが繰り返し圭の胸を占めるようになってきた。そういう時、彼はいつも(ああ、呼ばれているな)と感じる。圭はいつでもその直感を信じて演奏に着手するのであったし、何年か前に周囲の人間が彼を「ムソルグスキー狂い」と呼んだのと同じ、熱狂の兆しを自分の身内に感じてもいた。

(だがまあ、その前に少し、フィンランドのほうを旅してくるか。それも、ただ一か月か二か月そこに滞在して、シベリウスの生家を見てくるといったような姿勢ではまるで駄目だ。最低でも一年は、向こうへいないと……)

 圭がそこまで考えた時、玄関の横の窓から自分の弟子がやって来る姿が見え、圭は革のソファに深々と掛け直すということにした。楽団員の連中の間ではどうも、彼が深夜に人を呼びつけては蛾にたかられる様子を見て楽しんでいるなどというけしからん噂があるようだが、そんなことはとんでもないということを示しておかねばならなかった。ゆえに圭はあえてこの時、ラインハルト・ヘルトヴィッヒに背を向けたまま、じっとしていることにしたのである(といってもこの場合すでに、そのような光景を圭はすっかり見飽きていたという、そのせいではあったのだが)。

 彼の弟子との最後の会話というのは、極簡潔でそれほど長くはないものだった。圭には当然、ラインハルトが自分の妻と完全に一緒になるつもりはなく、また師に問い詰められた際には「紗江子のほうから誘ってきたのだ」という立派な逃げ口上があることもよくわかっていた。だがこの場合、圭にとって何よりも肝要なのは、ヘルトヴィッヒにここ<南沢湖>の音楽フェスティバルの監督の座を諦めさせるということであった。ゆえに、圭にとって妻の不倫といったことは、ただ話の本題に入る前の前座にしか過ぎなかったのである。

 だが、そういう問い詰められ方をすれば、ラインハルトもギレンスキーに音楽監督の座を譲る以外にあるまいと計算してのことであったため、その意を解した瞬間、ラインハルトはまるで脳天を撃たれたとでもいうような、ショックを受けた顔をしていた。

 最後、「先生にとって俺は、一体なんだったんでしょうか」と、ラインハルトは絞りだすような声で問うてきたが、まるで神が沈黙を守っている時のように、圭は何も答えなかった。それは彼自身が自分で考えるべきことであり、自分の元にいた期間のことはさらにより高い芸術の座へ到達するための、良い肥やしとなることだった……とでも彼が考えられるようになればと、圭としてはそのようにしか思いようのないことでもある。

 ラインハルトが最後、ワイングラスを飲み干して出ていくと、圭はどこか満足の吐息をついて、再びシベリウスの楽曲に目を通しはじめた。ラインハルトはおそらく、自分が<南沢湖音楽フェスティバル>の監督の座から遠ざけられたのは、己の才能に起因することではなく、師の妻と不倫したせいだと考え、自分を慰め続けるに違いない。そう思うと圭としては心楽しかった。肉体的には別居し、精神的には完全に離縁しているに等しい間柄であるとはいえ、それでも西園寺紗江子はやはり彼の妻である。三位一体がどうたらと寝言を抜かしたところで、圭の中ではそれはやはり許し難い越権行為以外の何ものでもなかった。にも関わらずこれまで見逃してきたのは、<ここぞ>という時に彼と自分の妻に対し、引導を渡してやるそのために他ならない。

 圭の中の計画としては、まだ<ここぞ>の段階には至っていなかった気もしたが、先ほど画家の時司要と話をしていて、妙にそうした策を弄することの醜さ、汚さのようなものが目について仕方なくなってきたのである。

 圭にとって先ほどの時司要という意外な客の来訪は、まるで爽やかなシンフォニーの訪れのようなものであった。魂に耳のない人間には聴こえなかっただろうが、おそらく美音も同じものを彼から感じとり、一瞬振り返ってみたのだろう。圭には彼女のそうした気持ちがわかるし、そのことで自分の愛人を責めようと思う気持ちもない。

 むしろ彼が自分の理不尽な行為に対し、怒りもあらわに糾弾するでもなく、謙虚にも<美音にとってもっとも大切な道>を求めたことに対し、圭としてはただある種の感銘のようなものを受けるのみであった。何故なら、それは圭自身が美音の中にかつて見出したものと酷似していたといっても良かったからである。

(もしかしたら、美音はあの男と一緒になったほうが、幸せになれるかもしれんな)

 最初から手放す気持ちもないくせに、そんなことをふと考え――圭は一本煙草を吸った。時計を見ると深夜の一時過ぎである。そろそろ眠ろうかとも思うが、あとひとりだけ、今夜は来客の予定があった。客、などといってもそれは彼の息子だったのだが。

 そして煙草を吸いながらシベリウスの交響曲の楽譜に目を通し、そうしながらある瞬間に頭の中から旋律の消える瞬間を味わった。何故なのだろう……圭にとっては、自分の息子のことを考えようとするたびに、こうした現象が決まって起こるのである。そしてそのたびに思う。自分にとって妻との間に生まれた息子という存在は、一体なんなのだろう、と……。

 先ほど、ラインハルトが「先生にとって自分はなんだったのか」と問うた時、圭はそれは彼自身が考えるべきことであって、自分が答えを与えるべきことではないと、そう思ったばかりである。だが、彼の息子がもし同じ質問をしてきたとしたら、圭は当然ながら父親として答えを与えてやらねばならなくなるだろう。

 正直なところを言って彼は――自分の息子のことをまるで愛していなかった。愛していないどころか、愛着すら持っていないと言ってもいい。妻の紗江子が翔に対して幼い頃、父親の音楽の才を遺伝的に受け継いでいるかもしれないと考え、ピアノやヴァイオリンを習わせたことがあるのは圭も知っている。だが、その道のプロとして音楽の道で生きるのがいかに困難なことかを知り抜いている身としては、自分の息子にその荊ともいえる道を強いようという考えは、圭には毛頭なかった。

 無論それでも、本人が自分の意志によってあえてその困難な道を選ぶというのであれば、多少なりともバックアップできるようなところはあったかもしれない。だが、結局のところ翔はその種のものにはほとんど興味を示さなかった。圭は父親として、半分そのことにがっかりもしたが、もう一方では<それで良い>といったように認め、納得してもいたのである。

 ところが、息子は成長して海外の青年であれば十分<成人>に等しいくらいの年齢に達してから、ある事件を起こした。自分の息子が逮捕された時、圭はロンドンにいたが、すぐに別の指揮者を立てて日本へ帰国することを余儀なくされたのである。この時圭が飛行機の中で考えていたのは、次のようなことだった。つまり、このことで自分のキャリアに傷がつくとか、マスコミがいかに騒ぐかといったようなことではまるでなく――二年ほど前に亡くなった、田宮律子という名前の、家に住みこみで働いていた家政婦が死ぬ前に話したことである。

『旦那さま。死ぬほど弱っている馬鹿な女の言うことと思って、どうか忍んで最後までお聞きください。奥様がお坊ちゃまになさってることは、本当にひどいことなんです。何もべつに隠れて折檻したとか、そんな事実は髪一筋ほどもございませんが、むしろ坊ちゃまの顔を平手でピシャッとぶつくらいの関心を奥様がお持ちだったらと、そんなふうに思って私はおふたりの関係を見て参りました。奥様には病院の費用のことなど、大変良くしていただいております……その私がこんなことを申し上げるなど、不届き千万以外の何ものでもないかもしれません。でもどうか旦那さま、覚えておいてください。これから私が死んだら、きっと坊ちゃまは大変なことになるでしょう。その時にはどうか、自分が必ず翔ちゃんのことを支えてくださると、今この場でお約束ください。そうでないと私は、死んでも死にきれません』

 家政婦の田宮律子は腎臓ガンで、圭が病室を訪ねた二日後に亡くなった。圭としても、妻の紗江子がいくら隠そうとしたところで、実質的に息子をしつけ、また母親として甘えさせるといった情操教育を行ったのは彼女であるということを、一応承知してはいるつもりだった。だが、まさかそのことが原因で息子が麻薬に走るなどとは、想像してもみなかったのである。

 拘置所へ訪ねていった時、会った瞬間に息子が号泣するのを見て、圭としては今さらながら、重苦しい後悔の念に苛まれた。こんな時に「母親のおまえがついていながら……」と妻のことを責めても意味はなく、また息子に対し「何故こんなことをしでかした」と問うてみたところで詮ないことであった。圭としてはただ、(こいつがこんなことになったのは、自分のせいだ)と潔く認め、あとは仮に破産したとしても息子の刑をどうにか軽くしてやりたいと願うという、その一念だけであった。

 この時圭の胸の内に去来したのは――というより、今一緒に息子の翔と仕事をしていて彼が思うのは、「最後にこうなると最初からわかっていたなら、翔の首に縄をつけてでも音楽の道へ引っ張って来させ、ピアノの椅子に足を縛りつけてでも厳しく音楽を教え抜くべきだった」ということかもしれない。もっとも、圭は今の自分の息子の仕事ぶりに十分満足しているわけではないにせよ、そのことにあれこれ口を挟むつもりはないのであった。最初の頃は細かいことでも色々注意したほうがいいのかどうかと迷いもしたが(というより、自分の息子以外が演出家であったとしたら、圭は自分の言いたいことをいつもどおりずけずけ言い放っていたはずである)、やがて息子の翔には息子の翔なりのやり方があり、また彼には自分とは違った人望、不思議と人から好かれる能力があるらしいとわかってからは――もはや息子の仕事に対し、何か注意を促そうという気すら、圭の中では起きなくなっていたといっていい。

(だが、自分と血の繋がった息子のことをまったく愛せない、いや、愛せないどころかお義理程度の関心しか持つことが出来ないなど、やはり異常なことではないのか?)

 圭の中では息子の翔というのは、ある意味赤の他人などよりよほど遠い存在――もっというなら、始末の悪い存在であった。魂の影というのは、創作家、あるいは芸術家にとっては極めて重要な要素ということになるだろう。圭もまたそうしたものと対話しながらこれまで音楽の世界で生きてきたとも言えるわけだが、唯一自分の息子に対してだけは、自分のその影が実体化したような、一瞬ギクリと存在に冷や汗をかく、罰の悪い思いを味わわされるのであった。

 言うなれば、川原美音という若いヴァイオリストと結婚しようと圭が思うことの内には、もしかしたらそうした考えが背景にあるのかもしれなかった。もちろん、第一義的には圭は彼女のことを愛しており、美音がヴァイオリンに対する一途なひたむきさ、情熱を傾けるのと同じ気持ちで自分を見上げてくるからこそ、彼女のことを一生守ってやりたいと感じるのであったが――他方、彼女にもしこれから子供が生まれた場合、その子を<育て直す>ということで、最初の息子の子育てに失敗したという後ろめたさから、逃れたいと感じるところがあるのかもしれなかった。

 なんにしても、圭が今夜息子のことを呼びだしたのは、こうした複雑なことを話しあおうと思ってのことであった。何より、今朝かつてのピアノの弟子でもあるルカ・ドナウティからある告白を受けたというそのせいもあったが、彼の説明によると翔はそのことをとっくの昔に知っており、冷静に受け止めているとのことだった。何より、ルカが本来であれば告白する気持ちはまるでなかったことを圭に告げる気持ちになったのは、首藤朱鷺子という女の死が関係してのことらしい。

『そのことで結局、奥様の紗江子さんにも僕が先生の息子であることがわかってしまい……その、奥様はああしたご気性の方ですから、喧嘩の最中にでもそのことを武器にグサリと親父のことを刺すかもしれないなと、そんなふうに翔から聞いて、いてもたってもいられなくなったんです』

 自分のほうこそ、父親として何もしてやれなくて申し訳ないといったことを圭が述べると、ルカは何度も繰り返し首を振っていた。

『いいえ、先生にはこれまで、本当に良くしていただきました。僕が今日ピアニストとしてあるのも、西園寺先生あってこそですし……本当は一生言うつもりのなかったことなのに、何故か今、そのことを告白できて嬉しいような気もしています』

 この時圭が強烈に感じたのは、ルカとの間にある奇妙な違和感であった。突然不意打ちのように『僕はあなたの息子です』と告白され、戸惑い驚くあまりどうしていいかわからない――また、突然そのようなことを言われても、血の繋がった息子だとはまったく実感できないということではなく、むしろ彼が自分の息子で嬉しいと強く感じる自分に対し、圭は違和感を覚えたのである。

 つまりそれは、正妻の息子の翔に対しても、何故同じように嬉しさを感じることができないのかという違和感であった。というより、ルカに対しては(もしかしたらそうなのではないか)という予感めいたものが実は以前からあったことに、この時圭は初めて気づいたのである。

(それでもやはり、翔は俺の息子だ)

 そんな複雑な感情を覚えながら、圭は自分の息子がバンガローを訪ねて来るのを待ち続けていた。突然興がそがれたせいで、シベリウスの楽譜から目と手を離し、もう一度再び窓の外、湖のあるほうを眺めやるということになる。

 圭は今年限りで、ここの音楽祭を下りる予定ではいたものの、今こうして南沢湖を眺めていると、何故だかとても不思議な気持ちになってくる。こんな田舎町の音楽祭の陣頭指揮をとって、一体どうするつもりなのだと、友人の指揮者に遠まわしに揶揄されたこともあったが――圭としてはその仕事の依頼があった時、ここの湖の景色を見て、一も二もなくすぐオーケーしていたのであった。

(ここはまるで、すべての人の心の中にある、魂のみずうみのような場所じゃないか)

 圭は一目見るなりそう感じて、この場所のことが心から気に入るようになっていた。言葉ではうまく説明出来ないのだが、ある種の既視感――デジャヴのようなものが圭の感覚を強烈に掴んだのである。圭は以前から、天国を時々夢見ることがあったが、もしあるとすればこのような場所なのではないかと、湖のほとりに立った時に強く感じたのだった。

 この場所へ来ると、圭はいつもシベリウスをやりたいという狂熱の予感を感じるのだったが、音楽祭では彼の曲を実際に指揮したことは、二度ほどしかない。というのも、圭は完璧主義者であったため、シベリウスに関しては曲の解釈などがまだ十全であるとは言えないためであった。

(だが、もし美音とフィンランドへ行けたとすれば、その時には……)

 と、そこまで考えてから、圭は少しばかり苦笑した。画家の時司要が自分に対し、ベルリン・フィルの首席指揮者就任の噂が……といったことを話していたのを思いだした、そのせいである。

 無論、彼もおそらくベルリン・フィルの首席指揮者というのは、楽団員たちの投票によって選出されるのだということはよく知っていたに違いない。そして以前から候補として名前の上がっていた自分が今回、何故最有力視されているのか、圭にもなんとなくわからないでもなかった。

 というのも、宿命的に反りの合わなかったベルリン・フィルのコンサート・マスターと、息子の麻薬事件のあと、圭はある意味和解を果たしていたからである。ある日突然彼のほうから電話があり、燻し銀の腕前を持つこの壮年のヴァイオリニストは、自分の息子もまったく思ったように育たず、今では住所不明でどこにいるのか、生きているかどうかすら皆目見当がつかないといったようなことを圭に語っていた。

『あれも一時期麻薬をやっていたようだが……私にはあれが何故そんなものに走ったのか、まったく理解できない。だってそうだろう、ケイ?音楽の与える究極の喜び、魂の至高の恍惚、陶酔感といったものがあれば――麻薬の与えるそれが、一体いかほどのものだというんだ?私はそれを息子に教えてやれなかった。もしそれがわかったとしたら、今ごろ同じ道で肩を並べてヴァイオリンを弾いていたかもしれないのに』

 ベルリン・フィルには親子二代で同じ楽団員を勤めている者がいたため、彼がそんな言い方をしたのだろうとは、圭もわかっているつもりであった。また実際にはそれが奇跡にも近い確率であるということも、言っている本人自身が一番理解していることでもあったろう。この時圭が感じたのは、この壮年のコンマスの息子に対する深い愛情と、ある種の強い執着であったかもしれない。

 それに引き換え自分は、そのようなものすら自分の息子に感じられず、かつ執着心すら持つことが出来ないのだとは――圭は彼に告白することは出来なかった。そして、自分がベルリン・フィルの首席指揮者に就任する確率というのは、一体何パーセントくらいのものなのだろうなと、圭は少しばかり自虐的な妄想を心に抱いてみる……そして、もしそんなオファーが自分に来たとすれば、自分はフィンランドから美音を連れてドイツへ赴くということになるかもわからない。

(美音。あの娘のことだけは、この俺の手で絶対に……)

 そんなことを想像しながら、相も変わらず窓に張り付く蛾を通り越して、圭の視線は南沢湖のほとりを彷徨い続けた。圭のいる位置から見て、斜め左上方に<南沢海洋水産研究所>という施設があり、今その場所は満月の光に照らされて、まるで城の一部のように白く輝いてみえる。

 圭はこの場所へ来るたびに、いつもあるひとつのイメージを心の内に思い描いていた。<南沢海洋水産研究所>へは、圭も行ったことがあるのだが、さながらまるで水族館のような建物なのであった。そこには南沢湖を泳ぐ魚がすべて水槽に入れられ、解説の付いた紙が水槽の横や下などに貼りつけてある。

 圭の少年のような想像力としては、以来(ここはやはり天国に近いような場所なのだな)との思いをさらに深めることになった。つまり、天国と呼ばれる場所ではおそらく、今は地球上から絶滅したと思われる種族ですら、似たような形で<型>が取られているので――元と同じ完全な姿で天国と呼ばれる場所を闊歩しているに違いないということだった。

 そして思う……そうした世界で、魂のみずうみと呼ばれる場所のほとりで、美音と一緒に暮らせたら、自分はどれほど幸福になれるだろうと。あの娘が自分に対し、何も望んでいないということを、圭はよく知っている。強いていうならば、音楽の教示を受け続けたいということくらいであったろうが、それはふたりの魂の結びつきにおいてなくてはならない、空気か水にも等しいものであった。

 ふたりは朝目を覚まし、適当に食事を終えると、外の湖のほとりへ出、そこで魂の音楽について言葉なく会話をし、互いにもはや望むことは何もないということを確かめあうだろう。もちろん、この地上で生きる以上は金といった汚いものが必要になるし、煩わしい人間関係というのも生涯ついてまわるに違いない。

(だがまあ、ふたりでいれば<嵐も喜び>といったところかな)

 圭は以前美音がある旋律にのせて奏でた、詩人の詩の一節を思いだしていた。彼が彼女のことを愛するのは、まさにこのためでもあった。圭にとって美音は詩神そのもの――あるいはミューズに一番可愛がられている愛娘のようなものだった。そして彼女のほうでは圭に対して同じような思いを寄せているのである。この分かちがたい魂の結びつきは、地上でどのような人間的攻撃を受けても引き裂かれることはないと、圭が深く確信しているものでもあった。

(俺が唯一恐れているのは、女癖の悪い指揮者と長く不倫関係にあるなどと、あの娘の純粋無垢なイメージが汚されるという、そのことだけかもしれんな)

 圭がぼんやりとそうした取り留めもないことに思いを馳せていると、またしても玄関の横の窓に、人の姿が移った。夜の闇を背景として浮き上がるその人物は、先ほど見た人間の姿(つまりラインハルト)と、不思議と見分けがつかない気がして、圭は少しばかり奇妙な錯覚に捕われそうになる。だが、時計を見るとやはり二時であり、どうやら時間が巻き戻されて、ラインハルトがもう一度彼の元へやって来たというわけではなさそうであった。

「ごめん、父さん。遅くなって」

 西園寺圭の息子の翔は、「やれやれ」と言いたげに、半袖シャツをほろって蛾の奴めを退治している。せいぜいのところを言って、百匹の蛾のうちの二~三匹を殺すことに対してなら、人も「蛾が可哀想」といったような同情心を感じるかもしれない。だがそれが、五百匹、千匹という世界になってくると、そのうちの十匹二十匹を殺したところで、なんら良心に痛痒を覚えなくなってくるものである。

 そんなわけでこの時も西園寺翔は、蛾に対してなんらの哀れみも感じることなく、ただの習慣のように彼らのことを三匹順に殺していた。

 圭は、実際に息子の姿を前にすると、いつもの奇妙に間が悪い感じ……罪悪感に近いものを覚え、最初に話そうと思っていたことを忘れそうになったが、それでもやはり明日のプログラムがどうのといった話に逃げることなく、単刀直入に「紗江子とは別れることになると思う」と切り出していた。

 すると翔のほうでは、「なんだ、そんなことか、父さん」と、にこやかに微笑んですらいた。そのことに対し、ほっとする反面――やはりいつも息子に対して感じる違和感を、圭としては覚えずにはいられない。それはつまり、自分が彼の立場であったとしたら責めて当然のことを何故口に出して言わないのかということであった。

『僕が麻薬に走ったのも、元をただせば父さんと母さんのせいだ!!おまえらが間違って結婚するなんていう愚行を犯したから、今こんなことになってるって、わかっていないとは言わせないぞ。ええ!?』……それに近い言葉を投げかけられたら自分はどう答えるべきなのかと圭は時に考えることがあるのだが、そうした種類の質問が向こうから飛んでくることは、結局この日もなかったのである。

 また、圭の息子の翔は、父親が愛人の名を口にしたり、また楽団員の中でそのことを知っている人間はいるかどうかと、探りを入れるようなことを口にしても、ほとんど感情に変化といったものを見せなかった。

 よく言えば人当たりのいい笑顔、悪くいえば何を考えているのかわからない微笑みでガードしながら、この日も圭の息子はやはり、父親に対して本気の本音のようなものを覗かせることはなかったのである。

 とはいえ、圭はこうして息子と何かこの種のことを話し合うたびに――自分が本当に息子に伝えなくてはならないのは、次のようなことではないかと感じてしまう。『俺も紗江子もおまえのことを十分に愛してやることは出来なかった。だがおまえには周囲の人に不思議と好かれる力があるし、それを支えにしてこれからも生きていけるな?』……もちろんこんなこと、口に出して言うことは流石の圭にも出来なかったにしても。

 だがもし、圭が最後に、ルカ・ドナウティやレジーナ・ドナウティのことを口にするのではなく、そうしたこととはまったく別の、心の真実を息子に伝えていたとしたら――彼は死なずにすんだのかもしれなかった。

 圭は話が大体のところ終わり、息子が目の前の椅子から立ち上がると、これで嫌なものを見ずにすむとでもいったように、内心では安堵していた。そしてほっとするあまり油断したというのではないのだが、ついうっかり余計なことを付け加えてしまったのかもしれない。

 ルカの話によると、圭は自分が兄であることをすでに知っており、その上で家族ぐるみでつきあっているということであった。ただし、妹のレジーナが翔に恋をしていると母親が気づいた時――彼女の母クラウディアは、強硬に反対したという。もし仮にそんなことになったとすれば、将来的に西園寺家に迷惑がかかるかもしれないと、彼女は何よりそのことを危惧していたのであった。

 圭は若き日のソプラノ歌手としてのクラウディアのことを思いだしながら、この時本当に何気ない調子で、彼女の娘のことを口に出してしまった。『血は繋がっていないにしても、多少は配慮が必要かもしれないと思ってな』……この時圭は、再びシベリウスの楽譜を手にとり、半分はそちらの世界へ飛んでいるような状態であった。つまり、息子と煩わしい話を無難に終えることが出来た今、彼の魂はいつもどおり音楽の世界へ旅立つための備えをしていたのである。

「父さん、今一体なんて……?」

 自分の後ろで、そう渇いた声がしても、西園寺圭は振り返らなかった。次に自分の息子が暖炉脇にある火かき棒を手にしても、反射的に体が動くということすらなく――凶器の一打目が振り下ろされても、自分に一体何が起きたのか、理解すらしていなかった。

「あ………」

 圭の目の前では、不思議に視界がぐにゃりとひしゃげ、そのまま座っているということが出来なくなった。そこでそうなった原因を探るべく、彼はようやく後ろを振り返ろうとしたのだが、そこに二撃目が加えられた。

 圭は立ち上がるということが意志の力で出来なくなり、そのまま暖炉のへりに手をついた。そこに三撃目の殴打が加えられ、圭はとうとう昏倒した。そのあとのことはもう……おそらく、火かき棒を振り下ろす西園寺翔自身ですら、一体自分の父親を何度殴ったのか、思いだすことは困難であったに違いない。

 こうして、西園寺翔が再び正気に返った時、テーブルの上のシベリウスの楽譜は血で汚れ、暖炉の上に飾られたゴッホの<ひまわり>の上にも、血の飛沫が線上に残っているという惨状であった。

「父さん、このひまわり十三本だよ。僕、今気づいた。もしこれが十四本とか十五本だったら……父さん、死ななくてすんだかもしれないよね。ねえ!?」

 父親から完全に返答がないのを見て、翔は凶器を持つ手がその時になって初めて震えだした。とにかく自分はこの凶器を持ったまま逃げなくてはならない。衣類も血で汚れているが、今は真夜中で、大量の蛾が舞ってもいる。誰にも会わずに車まで辿り着くことさえ出来れば……着替えるものはその中にあった。そして実際に翔はこの夜、真夜中の三時頃に誰とも顔を会わせることなくブルーのアウディまで到着すると、半狂乱のまま着替えをはじめたのだった。

 凶器のほうは一旦、車のトランクの奥のほうへ隠しておいた。血のほうは同じくトランクにあった工具箱の中の、薄汚れたタオルで拭いたのだが、すでに血が乾いてこびりついており、これは濡れた布で拭く必要がありそうであった。

 なんにしてもこの日の夜――いつも以上ににこやかな顔をして、西園寺翔はこっそり自分の部屋まで戻り、さらには何か夢にうなされるということもなく、ぐっすりと眠った。日頃の疲れが蓄積していたせいもあってか、それは夢など何も見ないほどに深い、魂の暗黒にも近いような、死の眠りであった。



 >>続く……。





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